アルゼンチン最大のヒット作!映画『人生スイッチ』が映し出す人間の本性と民衆の怒り

映画

衝撃と笑撃の連鎖!

映画の世界には、観る者の心を揺さぶり、時に笑わせ、時に凍りつかせる、強烈な体験を提供する作品が存在します。今回ご紹介する『人生スイッチ』(原題 Relatos Salvajes【(残酷な)野生の物語】)は、まさにそんな一本です。

このアルゼンチンとスペインの合作映画は、日常生活で誰もが感じるかもしれないフラストレーションや怒りが極限まで高まった時に何が起こるかを、鮮烈かつユーモラスに描き出しています。映画ファンはもちろん、普段あまり映画を見ないという方にも、きっと新しい発見があるはずです。

予測不能な物語があなたを待つ

『人生スイッチ』は、ダミアン・シフロンが脚本と監督を務めました。6つの独立した短編で構成された、オムニバス映画です。アンソロジー形式の映画は成功が難しいと言われますが、本作はその珍しい成功例として挙げられます。一人の監督が全ての物語を手がけているため、統一されたビジョンと感性があるためでしょう。

物語はそれぞれ全く異なるキャラクターと状況を描いていますが、復讐や、日々の生活で私たちを悩ませる様々な出来事に対する制御不能なまでの過激な反応という、共通のテーマで結ばれています。些細なきっかけから始まる出来事が連鎖的にエスカレートしていく様子は、まさに予測不能。観客は次に何が起こるのか、画面に釘付けになることでしょう。

人間の本能と社会の圧力

この映画の核心にあるのは、「文明と野蛮の境界線」というテーマです。監督のダミアン・シフロンは、人間は動物的な特徴を持っており、自己抑制能力こそが動物との大きな違いだと考えています。私たちは普段、社会的な制約の中で感情を抑圧して生きていますが、そのフラストレーションが限界に達した時、内に秘めた「野生」が解き放たれるのです。

映画に登場するキャラクターたちは、まさに「爆発する人々」です。彼らは見かけは普通の人々ですが、不当な扱い、裏切り、官僚主義、システムへの不満など、様々な圧力によって追い詰められ、ついに制御を失います。そして、その「制御を失う快感」に身を委ねるのです。

本作は現代社会が私たちに課す不自由さや、それが引き起こす怒り、苦悩といった感情を描写しています。監督は多くの人々が、自分が本当はやりたくもないことに時間を費やし、社会的に期待される建前を保とうとして、人生を浪費していると指摘します。この映画はそのような「システムが多数派のために設計されていない」状況に対する、一種の抵抗や批評の表れでもあるのです。

笑いの裏にある人間の本質

『人生スイッチ』は、単なる復讐劇やバイオレンス映画ではありません。強烈なブラックコメディとして観客に衝撃と、同時に大きな笑いをもたらします。そのユーモアは、登場人物たちが辿る皮肉と予想外の展開に満ちた悲喜劇から生まれます。極限状況下での人間の滑稽なまでの行動は、笑いを誘わずにいられません。

この映画のダークユーモアは、感情的な緊張の解放から生まれます。私たちは日常生活で怒りや不満を抑圧していますが、映画のキャラクターたちが私たちにはできない「反応」を代わりに実行するのを見ることでカタルシスを感じ、笑いとして緊張が緩和されるのです。

しかしその解放感は一時的なものであり、物語の結末は必ずしもハッピーエンドではありません。抵抗が結局は無意味であるという認識から生まれる笑いは「絞首台のユーモア(gallows humour)」と呼ばれ、私たちが感情や状況に対し制御を失っている現実と向き合うための一つの手段として機能します。

本作はルイス・ブニュエルクエンティン・タランティーノといった監督のスタイルと比較されます。ブニュエルとの対比は、日常が不条理な状況や野蛮な行動へと崩壊していく描写に。タランティーノとの対照は、暴力描写やユーモアのセンスに見られます。

各エピソード

本作は6つの独立した物語から成り立っており、それぞれが異なるシチュエーションで、人間の内に秘められた「野生」が解き放たれる様を描いています。それぞれの物語のあらすじをご紹介することで、本作の多様な魅力に迫ります。

第1話「おかえし」(Pasternak)

物語は飛行機の機内から始まります。偶然同じ飛行機に乗り合わせた乗客たちが、互いに会話を交わすうちに、ある一人の男、ガブリエル・パステルナークを知っていることに気づきます。しかも彼らは皆、過去にパステルナークから何らかのひどい仕打ちを受けたり、彼を傷つけたりした経験があるのです。一体なぜ、彼らは同じ飛行機に集められたのか。パステルナークはかつて作曲家を目指して失敗した男であることも明らかになります。

予測不能な状況が、恐るべき結末へと繋がっていきます。このエピソードから「トワイライトゾーン」のような雰囲気を持つと評されました。

第2話「おもてなし」(Las ratas)

寂れたモーターウェイ沿いにある、夜のレストランが舞台です。ウェイトレスは客として現れた男が、かつて自分の家族を破滅させた高利貸しであることに気づき、衝撃を受けます。彼女はプロとして彼に食事を提供しようとしますが、厨房にいる調理のおばさんは、彼にネズミ駆除剤を盛るという過激な計画を立てます。

正義か、それとも職業倫理か。ウェイトレスとおばさんの間に葛藤が生じます。この男が次期市議選に立候補するらしいのを知ると、調理のおばさんの殺意はますます高まります。町を破滅させないためにも、いま行動に移さなければならない。カメラはおばさんがポテトを切るナイフをクローズアップで強調し、レストラン内部の温かい照明と厨房の冷たい青い照明の対比は、心理的な緊張感を高めます。

ラストは、血まみれの男が横たわるレストラン内部の夜の様子から、翌朝の日差しの中で警察車両が刺したおばさんを連行していくロングショットへとカットが切り替わり、鮮烈な印象を残します。おそらくは観た人の99%が、おばさんが為した”正義”に心の中で快哉を叫んだのではないでしょうか。実に凄惨な物語のはずが、やたらスカッとさせられる不思議な魅力を持った一本です。

第3話「パンク」(El más fuerte)

荒野の道路で、高級車に乗ったドライバーのディエゴが、古びたセダンに乗った男を追い抜く際に下品なジェスチャーをします。途中、ディエゴの車はパンクしてしまいます。そこに追いついてきた男が、ディエゴに次々と過激な挑発を繰り広げます。

物語の舞台は、タイヤがパンクした橋の手前になります。些細な挑発から始まった出来事は、やがて想像を絶するほど血生臭く、暴力的な、そして破壊的な争いへとエスカレートしていきます。どちらかが退けばどちらかが追うことで、歯止めが効かなくなっていくのです。

彼らは壮絶な争いの果てに命を落とし、二人の車は炎上します。そしてまるで恋人同士の抱擁のように、絡み合った姿で発見されるのです。駆けつけた捜査官は現場の様子から、「痴情のもつれ」と推測しました。このエピソードは富裕層と貧困層との、階級対立のメタファーと解釈できます。

第4話「ヒーローになるために」(Bombita)

爆破の専門家であるごく普通の男性シモン・フィッシャーは、娘の誕生日ケーキを買いに行く途中で車をレッカー移動されてしまいます。駐車禁止の標識が見当たらなかったにも関わらず、彼はしぶしぶ料金を支払い、娘のパーティーに遅刻してしまいます。

翌日、陸運局で料金の返金を拒否されると、怒りを爆発させてガラスの仕切りを壊し、逮捕されてしまいました。この出来事はニュースになり、シモンは会社を解雇され、妻からは離婚と娘の単独親権を求められることになります。前科者になり新しい仕事探しもうまくいかない中、再び車をレッカー移動されてしまいます。

これにブチギレたシモンは、車を回収すると爆薬を積み込み、あえてレッカー移動区域に駐車します。車が再びレッカー移動された後、彼は爆薬を起爆させ、レッカー移動事務所を破壊します。この事件に死傷者はいませんが、シモンは逮捕され投獄されます。しかし、彼は市民のフラストレーションを代弁した地元のヒーローとなり、「ボンビータ」(小さな爆弾)というあだ名で呼ばれるようになります。ソーシャルメディアでは彼の釈放を求める声が上がり、次の娘の誕生日には妻と娘がレッカー車の形をしたケーキを持って、彼を面会に訪れるのです。

「これ以上搾取されるのはイヤなんだ!」というシモンの叫びは、アルゼンチン国民の思いそのものだったのでしょう。そして映画公開から10年が経ち、アルゼンチンは今の大統領を選びました。

第5話「愚息」(La propuesta)

裕福な家庭の息子が、車で妊婦をひき殺してしまう交通事故を起こします。息子の将来を案じた父親(オスカル・マルティネス)は弁護士を買収。事故の揉み消しを図るため、庭師に身代わりになってもらう取引を持ちかけます。取引は成立したものの、検察官が聴取に来ると証言に不明瞭な点が多く、不信を抱かれます。

そこで今度は検察官に買収を持ちかけ、庭師と弁護士も報酬の上乗せを要求してきました。父親は彼らのあまりのタカリっぷりに腹を立て、罪悪感にかられた息子が自白を申し出たこともあり、交渉は一時決裂します。けっきょく折り合いがつき、庭師が身代わりとして出頭することになりました。しかしその場に妊婦の夫が待ち構えていて、庭師にハンマーを振り下ろすのでした。

このエピソードでは、金と権力にまかせた人間の打算や、倫理が曖昧になる状況が赤裸々に描かれています。

第6章:「幸せな結婚式」(死が二人を分かつまで)

豪華な結婚披露宴の最中に起こった物語です。新婦のロミーナは、新郎のアリエルが浮気していたことを知ってしまいます。新婦の怒りと絶望が爆発し、披露宴は文字通りメチャクチャに崩壊していきます。テーブルはひっくり返され、ウェディングケーキも破壊され、両家の関係性もズタズタになります。しかし、怒りの全てを吐き出し、感情を剥き出しにした新郎新婦は、崩壊した会場のウェディングケーキの上で、強烈で狂おしいまでの性行為に及び、一時的に関係が修復されたかのように見えます。新郎がケーキ一切れをがつがつと食べた後、性的な和解の可能性が生まれるのです。

このエピソードでは人間関係の極限と、それでもなお孤独を避け、他者との繋がりを求めようとする皮肉な本質を描いています。

これらのエピソードはそれぞれが独立していながらも、抑圧された感情の爆発や、社会に対するフラストレーションといった共通のテーマで結ばれています。どの物語も予測不能な展開と強烈なユーモアに満ちており、観る者に衝撃と笑いをもたらし、同時に深く考えもさせられることでしょう。

高い評価と文化的影響

『人生スイッチ』は公開されるやいなや、高い評価を受けます。そのストーリーテリング、映像、俳優たちの演技、クライマックスへの巧みな盛り上がりなどが賞賛されました。一方で、その厭世的な視点や物語の反復性を指摘する声もありました。

カンヌ国際映画祭パルムドールにノミネートされ、上映後には10分間に及ぶスタンディングオベーションを受けるなど、国際的な注目を集めました。その後も多くの映画祭で好評を博し、アカデミー外国語映画賞にもノミネートされました。

興行成績においても大きな成功を収め、特にアルゼンチン国内では史上最も観られた国産映画となりました。映画の描くテーマが、当時のアルゼンチンの社会状況と深く結びついていること、そして普遍的な人間の感情を描いていることが、観客に強く響いたためでしょう。

あなたの中のスイッチは?

『人生スイッチ』は、私たちの日常生活に潜む怒りやフラストレーション、そしてそれらが爆発した時に起こるであろう、恐ろしくもどこか滑稽な事態を容赦なく描きます。現代社会のあり方や人間の本質について、深く考えさせられるきっかけも与えてくれます。

いさぶろう
いさぶろう

第2話「おもてなし」、第4話「ヒーローになるために」、第5話「愚息」などを観ていると、10年前のアルゼンチンの社会状況が手に取るように伝わります。腐敗に対する民衆の怒りが、沸点に達する直前だったことも。

そしてその有り様は、「なんだコレ、今の日本そのものじゃん」の見立てに直結します。

たとえば当時、労働組合や野党の青年組織が主導するデモに参加すれば、潤沢な日当や生活保護を不正受給できる仕組みが出来上がっていました。政府が彼ら左翼に少しでも不利な行動をとろうとすれば、首都は騒然となり、治安は悪化の一途をたどったそうです。日当に生保かぁ。日本でもよく耳にする話ですね。

アルゼンチン国民はついに、政治的素人であって既存の官僚主義の打破を掲げたミレイさんを大統領に選びました。例に挙げた不正の温床を断ち切ることで、首都は平穏を取り戻したと言います。

ほとんどの省庁を撤廃するというミレイさんの荒療治が、ここまで腐敗した国家にどこまで有効かは未知数です。私個人は、グローバリズムに汚染された世界の良き先例となるよう、大いに期待しています。

近づく参議院選挙では、腐敗しきった既存の政治や、省益第一の官僚主義を打破し日本を再び豊かに強くしてくれる政党に、一票を投じたいものです。

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