ジャズにおいてベースは、単にリズムを刻む楽器ではありません。その役割は時代とともに大きく変化し、今や音楽の表現を豊かにする中心的な存在となっています。
この記事ではジャズベースがどのように進化してきたのかを、伝説的な巨匠たちの功績から新世代の革新者たちの挑戦まで、詳しく解説していきます。ジャズ初心者の方も、中級者の方も、ベースの奥深い世界を一緒に探求していきましょう。
初期のジャズベース その影の主役
19世紀初頭にアメリカで生まれたジャズは、社会の激動と深く結びついていました。特にアフリカ系アメリカ人の女性アーティストが、音楽を通じて社会的抑圧に立ち向かう表現の場を見出した時代でもあります。
初期のジャズアンサンブルでは、ベースラインはマーチングバンドの影響を受け、通常はチューバで演奏されていました。その後、アップライト(直立)の四弦ダブルベース(コントラバス)がチューバに代わって主流となっていきます。
この時代、ベースはバンドのボトムラインを支え、ドラムと共に音楽のリズム的基盤を担う重要な役割を果たしていました。
アンプがなかった時代にベーシストたちは、「感じられるけれど聞こえない」状況にしばしば直面していました。1946年にエベレット・ハルが初のアップライトベース用ピックアップ「アムペグ」を開発したことで、大音量のバンドスタンドでも音が聞こえるようになり、ベース演奏に大きな音楽的発展がもたらされました。
スウィング時代にベーシストたちは、激しくスラップしてウォーキングベースラインを奏で、音楽の流れを保つ極めて重要な役割を担っていました。デューク・エリントンのオーケストラでアップライトベースを弾いたジミー・ブラントンは、この時代のパイオニアの一人として名を残しています。
ビバップ時代からハードバップへ ベースの台頭
1940年代半ばにビバップが台頭すると、ベースの役割はさらに変化します。
少人数のグループで演奏されることが多かったビバップでは、猛々しく演奏するホーン奏者と同等の技術が求められるようになりました。ハーモニーはより複雑になり、弦をスラップするよりも爪弾く奏法が中心となっていきます。
この頃になるとベーシストたちは主体性を持ち、より自由で対位法的な役割を担い表現の幅を広げました。
ミルト・ヒントンやジミー・ブラントン、オスカー・ペティフォードといった革新的なベーシストが登場し、その見事な技術とハーモニーに対する深い理解で、ジャズ史上最高峰の地位を確立します。
1950年代に入ると、ブルースを基盤にしたタフでアグレッシヴなハードバップの時代へと移ります。
ジャズベーシストはより強いグルーヴで音楽をスウィングさせる、ウォーキングベースラインを演奏しました。
レイ・ブラウンはその的確な演奏で多くの人に親しまれ、現在でも多くのベーシストから尊敬を集める巨人です。彼はオスカー・ピーターソン・トリオでの活躍や、クリスチャン・マクブライド、ジョン・クレイトンとのベース3本編成バンド「スーパー・ベース」の結成でも知られています。
ポール・チェンバースもこの時期に活躍した重要なベーシストです。彼は管楽器の経験に根ざすメロディックなベースラインと、弓弾き(アルコ奏法)をジャズに取り入れたパイオニアとして知られています。
チェンバースは大きな音と完璧なリズム感を持ち、ハーモニーとメロディを深く理解していたため、常に興味深いベースラインを繰り出しました。マイルス・デイヴィスのクインテットで広く認知され、ジョン・コルトレーンが彼に捧げた「Mr. P.C.」などの楽曲からも、その影響力の大きさがうかがえます。
ポール・チェンバースはモダンジャズの本流とも言うべきオーソドックスなスタイルを生涯変えず、多くのミュージシャンが彼の演奏から学びました。
スコット・ラファロはビル・エヴァンスのトリオに参加し、ベースをピアノやドラムと対等に即興演奏できる楽器へと変革しました。
彼の演奏はその早すぎる死にもかかわらず、ジャズベースのプレイスタイルに大きな影響を与え続けています。
チャールズ・ミンガス 革新と社会への問いかけ
チャールズ・ミンガスはジャズベースの歴史において、単なるベーシストに留まらない多才な巨人です。彼はベーシストとしてだけでなく、作曲家、バンドリーダー、そして社会批評家としても革新的な功績を残しました。
ミンガスは幼い頃から音楽に触れ、教会音楽が主流の家庭環境で育ちながらも、デューク・エリントンの作品に強い関心を持っていました。当初はトロンボーン、次いでチェロを学び、そのテクニックを高校で始めたコントラバスに応用しました。ニューヨーク・フィルハーモニックの首席ベーシストから指導を受け、作曲技術も学びます。
1940年代にはルイ・アームストロングのバンドで活動を始め、その後ライオネル・ハンプトンとも共演しました。1950年代前半には、チャーリー・パーカーやバド・パウエルとの共演でベーシストとしての名声を確立し、特にデューク・エリントンとのアルバム『マネー・ジャングル』は彼のキャリアのマイルストーンとなりました。
複雑なリズム、独特なハーモニー、情熱的な演奏で知られ、ジャズの枠を大きく広げます。
ハードバップ、ゴスペル、ブルース、サードストリーム、フリージャズ、クラシック、さらにはメキシコ音楽の要素も取り入れ、クリスチャン・マクブライドは彼の音楽を「エリントンがパーカーのジャケットを着たようなもの」と表現し、エリントンよりも「荒々しく、よりストリート的」だと評しています。
彼の音楽はエリントン、スウィング時代、ビバップ、ブルース、アヴァンギャルドの「奇妙な混合物」であるとも言われます。ミンガスはベースを単なるリズムを刻む楽器から、メロディアスで表現力豊かなソロ楽器へと昇華させた、パイオニアの一人です。
代表作『Pithecanthropus Erectus(直立猿人)』では、「類人猿が人間に進化する過程」という文学的テーマをジャズに持ち込み、複雑なリズムとハーモニー、即興とアレンジの融合を示しました。
『Mingus Ah Um(ミンガス・アー・アム)』には、彼が敬愛するサックス奏者レスター・ヤングに捧げられた感動的な名曲「Goodbye Pork Pie Hat」や、人種差別を批判した社会意識の高い「Fables of Faubus(フォーバス知事の寓話)」が収録されています。
『Tijuana Moods(メキシコの想い出)』では、ジャズにラテンやメキシコの要素をふんだんに取り込み、その大胆な融合から「違法建築」に例えられるほどの創造性を持っていました。
『The Black Saint and the Sinner Lady(黒い聖者と罪ある女)』は、「異形の芸術」とも呼ばれる11人編成のオーケストラによる小宇宙的瞑想組曲であり、「アバンギャルド・ジャズ」「エスニック・フォーク・ダンス・ミュージック」「アブストラクト・ジャズ」など、様々な形容をされる特異な作品です。
彼は曲中に「語りの掛け合い」を挿入して直接的な抗議姿勢を示したり、ハイチの黒人解放闘争を表現するなど、政治的メッセージを音楽に昇華させました。ライブブッキングや自主レーベル設立など、DIY精神で力強く活動します。
自身のジャズ・ワークショップを開催し、多くの若手ミュージシャンを育成・雇用するなど、教育的な観点からもジャズの発展に貢献しました。
ミンガスは「怒れるベーシスト」として知られ、暴力的なエピソードも報告されていますが、その凶暴な外見の裏には深い弱さと悲しみを秘めています。
晩年は筋萎縮性側索硬化症(ALS)に苦しむ姿が記録されていますが、1975年のモントルー・ジャズ・フェスティバルではまだ立ったままベースを弾き、独特の野太いトーンと短く完璧なソロを披露しています。
彼は1979年にメキシコで客死し、その遺骨はガンジス川に流されました。ローリングストーン誌による「史上最高のベーシスト50選」で、チャールズ・ミンガスは2位にランクインしています。
ジャコ・パストリアス エレキベースの革命児
1970年代に登場したジャコ・パストリアスは、エレクトリックベースの可能性を大きく拡大し、ジャズの世界に革命をもたらした存在です。
「オレはジョン・フランシス・パストリアスIII世、世界最高のベースプレイヤーだ」と自ら名乗り、その言葉に見合うだけの革新的なテクニックと表現力を持ち合わせていました。
ジャコは元々ドラマーでしたが、フットボールの試合中の怪我をきっかけにベースに転向し、特にフレットレスベースをジャズの最前線に押し上げました。
彼は1962年製のフェンダー・ジャズベース(通称「Bass of Doom」)のフレットをバターナイフで抜き、エポキシ樹脂で指板をコーティングするという改造を自ら行い、その独特の音色を確立します。
このフレットレスベースと英国ロトサウンド社製RS-66 SWING BASSのラウンドワウンド弦、そして米国アコースティック社製360アンプの組み合わせが、独特の「うなるようなトーン」を生み出しました。アンプのVariamp EQを使いミッドレンジをブーストし、独特のグロウを強調しています。
1975年にはパット・メセニーのデビューアルバム『Bright Size Life』に参加し、翌1976年には自身のソロデビューアルバム『ジャコ・パストリアスの肖像』を発表します。
同年、ジャズフュージョンバンドのウェザー・リポートに加入し、ジョー・ザヴィヌル、ウェイン・ショーターらと共にその中心メンバーとして活躍しました。ウェザー・リポートでは単なるベーシストに留まらず、曲提供や共同プロデュースも手がけ、『ヘヴィ・ウェザー』収録の「ティーン・タウン」では父親譲りのドラミングも披露しています。彼の加入により、ベースは単なるリズム楽器からメロディックで表現力豊かな花形楽器へと昇華しました。
ジャコはジョニ・ミッチェルのアルバムやコンサートツアーにも参加し、その革新的なベースプレイが高く評価されました。
ライブ中にはMXRデジタルディレイを使い、フレーズをループさせてソロを弾くなど、パフォーマンスでも観客を魅了します。
興奮すると雄叫びをあげたり、「ジャコのカニ歩き」と呼ばれる素早い横歩きでステージ上を動き回るなど、そのパフォーマンスはファンを熱狂させました。彼は自身のビッグバンド「ワード・オブ・マウス」を結成し、来日公演も成功させています。
晩年は双極性障害や薬物・アルコール依存に苦しみ、その奇行や荒れた生活が知られていますが、音楽への情熱は衰えませんでした。
1987年、35歳という若さでナイトクラブの警備員に殴られた後に亡くなりましたが、その影響力はジャズ、ロック、ファンクなど多岐にわたり、現在活躍するベーシストの多くが彼の影響を受けていると言われています。
ローリングストーン誌の「史上最高のベーシスト50選」では、彼が1位に選ばれています。彼の死後、フェンダー社は彼のベースをモデルにした「Fender Jaco Pastorius Jazz Bass」をアーティストシリーズでリリースしています。
フュージョンと多様化 新たな表現の時代
1970年代にはジャコ・パストリアスの登場と並行して、ジャズはフュージョンやフリージャズへと多様化が進みました。
女性アーティストも従来の役割から脱却し、楽器演奏者、バンドリーダー、作曲家としての地位を確立し始めます。
この時代のエレキベースは単なる伴奏でなく、ソロ楽器としての可能性を大きく広げました。
スタンリー・クラークはその象徴的な存在です。彼はチック・コリアとリターン・トゥ・フォーエヴァーを結成し、フュージョンバンドの先駆けとして活躍しました。ウッドベースとエレキベースの両方を高い水準で弾きこなす「二刀流」のパイオニアとされており、特にスラップ奏法とコードストロークを大胆に使う独自のスタイルを確立しました。
彼の使用するアレンビック社のベースは、世界初のアクティブサーキット内蔵のエレキベースとして知られており、その洗練されたエレクトロニクスと芸術的な木工技術は、後のカスタムビルダーに大きな影響を与えました。
ラリー・グラハムはスライ&ザ・ファミリー・ストーンで「スラップベース」の奏法を世に広め、ポピュラー音楽におけるベースの役割を刷新しました。彼の正確無比でパーカッシブなアプローチは、後の世代のミュージシャン、特にプリンスに大きな影響を与えています。
マーカス・ミラーもその極めて洗練されたスラップテクニックと、ロジャー・サドウスキーによってアクティブエレクトロニクスを後付け改造された1977年製フェンダー・ジャズベースで知られています。
彼は作曲家やレコードプロデューサーとしても成功を収め、マイルス・デイヴィスのアルバム『Tutu』や『Amandla』をプロデュースするなど、ジャズベースの可能性をさらに広げました。
この時期には、ベースの機材も進化しました。 Thomastik(トマスティック) Spirocores(スピロコア)コントラバス弦のようなスチール弦の登場は、アップライトベーシストにグロウとサステインをもたらしました。
エレキベースではRotosound RS66 Swing Bass Stringsのようなラウンドワウンド弦が、よりソロイスティックな表現を可能にしました。
アンプ技術も、ポリトーンのミニ・ブルートやアコースティック・イメージのAIコントラのように、アップライトベースの生音を忠実に再現し、ライブでの音量を確保するための進化を遂げました。これらのアンプはそれぞれ、レイ・ブラウンやラリー・グラハムといった伝説的ベーシストとの協力によって開発されました。
さらにアンソニー・ジャクソンやジョン・パティトゥッチといったプレイヤーによって、5弦や6弦といった拡張レンジのベースも登場し、ベーシストに新たな音域と表現の自由をもたらします。ケン・スミスは、モダンな6弦ベースのデザインと技術革新において重要な役割を果たしています。
現代ジャズベースの進化と展望
21世紀に入り、ジャズベースはさらなる進化を続けています。
デジタル化とインターネットの進展により、アーティストは自身の音楽を世界に発信しやすくなり、多様な背景を持つ女性アーティストも増えました。
音楽配信サービスの台頭は、アーティストにレコード会社を通さずに作品を公開するチャンネルを提供し、芸術的なビジョンに忠実なまま、より広い聴衆にアプローチすることを可能にしました。
エスペランサ・スポルディングはその卓越したベース演奏とボーカルで知られ、バークリー音楽大学の最年少教授を務めるなど、音楽と教育を融合させています。
彼女の音楽はロック、ファンク、ラテン、フュージョン、アヴァンギャルドなどジャンルを超え、ジャズの可能性を広げています。
彼女のアルバム『Radio Music Society』は社会的な認識と変化を促進するメッセージを含み、特に若者への音楽教育の重要性を訴えかける内容で社会的な影響を与えています。
現代のジャズシーンでは、ベースの役割がますます多様化しています。
例えば、Kneebodyというバンドではベーシストが脱退した際、ドラマーのネイト・ウッドがドラムとベースを兼任するというユニークな編成で活動を続けています。キーボーディストのアダム・ベンジャミンも左手でベースの役割をカバーするなど、バンド全体で低音を支える新しいアプローチが生まれています。
サンダーキャットは6弦ベースを駆使し、ヒップホップ、ジャズ、R&B、エレクトロニカを融合させた独自のスタイルで、ベース界の英雄として知られています。彼は「一般的な使い方に囚われなければ、どんな楽器も無限の表現力を発揮する」と語っています。
ベース・マガジンが特集した「新世代ジャズ」では、サム・ウィルクス、TJコレオソ、アドリアン・フェロー、モヒニ・デイといったベーシストたちが、現代のジャズに新たな動きをもたらしていると紹介されています。
日本の若手ベーシストでは、石川紅奈さんが注目されます。彼女はウッドベースを繊細に歌わせ、自らも温もりある声で歌うという独自のスタイルで、マイケル・ジャクソンの「Off The Wall」の弾き語り動画が186万回以上再生されるなど、国内外から絶賛されています。彼女のようにジャズの伝統的な枠組みを超え、新しい表現方法を模索するアーティストが増えているのです。
アヴィシャイ・コーエンのように、ユダヤ音楽からラテン音楽、中世ヨーロッパの古謡まで多様な音楽文化を取り入れ、唯一無二の音楽を生み出すアーティストもいます。
現代のジャズはジャンルの垣根を越え、あらゆるリスナーやプレイヤーが自分との接点を見出せる、非常に開かれたジャンルとなっています。
ジャズベースはその歴史の中で常に進化を続け、音楽の土台を支えながらも、自ら積極的に表現を切り拓いてきました。これからもその革新的な精神は受け継がれ、ジャズの未来を形作っていくことでしょう。
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