極上の心理サスペンス
1963年に公開された日本映画『白と黒』は、堀川弘通が監督し、名脚本家・橋本忍が手掛けたオリジナル脚本によるミステリーサスペンスの傑作です。
この作品は当時の日本映画界の転換期において、その緻密な構成と深いテーマ性で異彩を放ちます。東京映画が製作し、東宝が配給を担当。全編モノクロ、シネマスコープで撮影され、公開年のキネマ旬報ベスト・テンで9位に選出されるなど、高く評価されています。
この映画は、観客が真犯人を知った状態で物語が始まる「倒叙法」を採用していますが、その展開は一筋縄にいきません。予測不能なストーリーテリングに併せ、人間の良心や社会のあり方に対して鋭く問いかけてくるのです。
物語の幕開けと予期せぬ展開
物語は若き弁護士・浜野一郎(仲代達矢)が、恩師である宗方弁護士会の会長の若妻・靖江(淡島千景)を絞殺する衝撃的なシーンから幕を開けます。
浜野と靖江は不倫関係にあり、浜野に縁談が持ち上がったことで嫉妬に駆られた靖江が関係を暴露すると脅し、口論の末に衝動的に犯行に及んだのです。
浜野は宗方邸を後にし自宅に戻りますが、そこで靖江の死を知らせる電話を受けます。
捜査が進む中、宗方邸近くを徘徊していた前科4犯の脇田(井川比佐志)が宗方邸から盗んだ宝石を所持していたことで、靖江殺しの容疑者として緊急逮捕されます。
脇田は窃盗は認めますが、殺人は否認します。しかし、事件担当検事である落合(小林桂樹)の執拗な追及により、とうとう脇田は殺害を自白し、事件は解決したかに見えました。
良心の呵責と執念の捜査
浜野は当初、脇田が逮捕されたことに安堵します。しかし日が経つにつれ、無実の人間が殺人犯として裁かれることへの良心の呵責に苦しみ始めます。
彼は酒の席でたまたま居合わせた落合検事に対し、脇田の自白のみで殺人犯と断定することの不自然さを必要以上に主張するのでした。
浜野の奇妙な言動に疑問を抱いた落合は、上司である刑事部長・吉岡(小沢栄太郎)の許可を得て、異例の補充捜査を開始します。
この補充捜査により、浜野と靖江の関係が徐々に明らかになっていきます。物的な証拠が浜野に不利な状況を作り出し、ついに浜野は殺人を自白します。落合検事のメンツを捨てて真実を追求する勇気と信念は、マスコミから一斉に称賛され、「時の人」となります。
衝撃の真相と皮肉な結末
物語はここで終わりません。石川公一という見知らぬ男からの一通の手紙が、事件を再び予期せぬ方向へと導きます。
手紙には、事件当夜の午後9時28分頃に宗方邸に電話をかけた際、話し中であったため電話局に調べてもらったところ、女性の声で応答があったという事実が書かれていました。
浜野が靖江を絞殺し、宗方邸を出たのは午後9時です。つまり浜野が殺害したと認識していた時、靖江はまだ生きていたのです。浜野は靖江が失神した状態を、死んだと誤認したにすぎませんでした。
その後、宗方邸に押し入った脇田が、失神から目覚めた靖江に騒がれ殺害したことが判明します。
脇田は「だから初めから俺が殺したと言っただろう」「妙な弁護士が出てきて自分が殺したなんて言い出したから、これ幸いと思っていたのだけどね」と居直ります。
この新たな事実により、検察庁はマスコミから徹底的に批判され、「時の人」から一転し世間から糾弾される立場となった落合は、北海道に左遷となります。そして物語の最後、浜野は自殺し、脇田は求刑通り死刑となるのです。誰一人幸せにならない、皮相な結末を迎えるのでした。
映画を彩る豪華キャストとスタッフ
本作は、当時の日本映画界を代表する実力派俳優たちが顔を揃えています。主演の小林桂樹と仲代達矢の演技合戦は圧巻で、息をのむような緊迫感を生み出しています。
仲代達矢は、黒澤明監督作品『用心棒』『椿三十郎』『天国と地獄』など同時代の名作にも出演していますが、本作での心理的な葛藤を表現する演技は、彼のキャリアの中でも屈指のものです。
小林桂樹も、普段の「社長シリーズ」で見せるコミカルな一面と異なる、執念深い検事役を見事に演じきっています。
脇を固める俳優陣も豪華です。
宗方弁護士には劇団俳優座の千田是也、落合の優しき妻には乙羽信子、浜野の婚約者には大空真弓、そして事件のきっかけとなる靖江には淡島千景が、わずかな出演時間ながら強烈な印象を残しています。
さらに当時を代表する評論家である大宅壮一と、「社会派ミステリー」の旗手として知られる松本清張がテレビ番組の司会として特別出演している点も、本作の時代性を色濃く反映しています。
1960年代日本映画の特徴と社会派ミステリーの隆盛
1960年代の日本映画界は1964年の東京オリンピックを契機に、人々の娯楽の中心が映画館からテレビへと急速に移行する転換期を迎えていました。
同時に、年間547本(1960年)もの作品が製作されるなど、日本映画史上最高の製作本数を記録した「邦画の宝庫」とも言える時代でもあります。
松竹、東宝、大映、新東宝、東映といった大手映画会社がしのぎを削り、多くの名作とスターを世に送り出していました。
本作が公開された1963年は観客動員数がピーク時の半分以下に落ち込むなど、映画産業としては縮小傾向にありましたが、黒澤明監督や小津安二郎監督といった巨匠たちの作品も数多く作られていました。
またこの頃から、「松竹ヌーベルバーグ」のような政治や犯罪、性をテーマに、従来の映画の文法にとらわれない作品を発表する若手監督たちの動きも活発になります。
橋本忍によるオリジナル脚本
高度経済成長の日本
『白と黒』は、そのタイトルや社会派サスペンスというジャンルから、松本清張の原作だと思われることもありますが、実際は橋本忍が書き下ろした脚本です。
しかし映画は、限りなく経済成長していく世界観を内包しており、松本清張自身もテレビ番組の司会役として特別出演しています。このため、観客が松本清張作品と勘違いするのも無理はないでしょう。
※ ちなみに、横溝正史「金田一耕助シリーズ」には『白と黒』という同名の長編推理小説がありますが、本作とは無関係です。
松本清張の社会派推理小説は、事件の舞台の現実性、捜査の現実性、そして動機の重視を特徴とします。従来のミステリーがトリックに重点を置いていたのに対し、清張は殺人に至る動機や、それに伴う社会問題を重視しました。
『白と黒』もこの社会派ミステリーの潮流の中で、橋本忍独自の巧妙なストーリーテリングを展開しています。
橋本忍によるオリジナル脚本の独自性
『白と黒』の脚本は、いわゆる「倒叙形式」のミステリーとして始まります。これは『刑事コロンボ』や『古畑任三郎』のように冒頭で犯行シーンが描かれ、観客は犯人が誰であるかを知った上で、その真相がどのように暴かれるかを見る形式です。
ところが橋本忍の脚本は、単純な倒叙形式に留まらない複雑な捻りを加えています。
多重な「犯人」の設定
物語は、仲代達矢演じる弁護士・浜野が不倫相手の女性を絞殺する場面から始まります。しかしすぐに、別の男である前科者の脇田が現場近くで逮捕され、宝石を所持していたことで強盗を自白し、さらに検事の執拗な尋問によって殺人も自白してしまいます。
この展開に、観客は浜野が犯人だと知っているため、「なぜ別の人物が捕まり、自白までしたのか?」という「冤罪モノ」の設定を頭に描きます。
「真実」と「事実」の葛藤
浜野は自分の犯行と知っていながら、脇田の弁護人として法廷に立つことになり、良心の呵責に苦しみます。
一方、小林桂樹演じる落合検事は脇田の自白に徐々に疑問を抱き始め、真実を追求するために再捜査を開始します。
この過程で事件の真相は二転三転し、「事実」と「真実」の間の複雑な人間心理が、深く描かれていくのです。
音響と映像による心理描写
武満徹が音楽を担当した本作では、足音のエコーや電話の音、電車の走行音といった繊細な音響効果が、登場人物の心理的な不安感や物語の緊張感を高める上で重要な役割を果たしています。
電話の受話器が落ちる音は、物語のラストで衝撃的な事実を明らかにする決定的な伏線となります。
モノクロ映像のコントラストの強さや照明の使い方も、心理サスペンスとしての雰囲気を際立たせています。
「白と黒」の多層的な意味
タイトル『白と黒』は単にモノクロ映画であるだけでなく、真実が白か黒かでは割り切れない複雑な世の中、人間の心の曖昧さ、そして物語の二転三転する展開そのものを象徴しているようです。
映画『白と黒』は既存の原作を持たないものの、社会派ミステリーとしてのテーマ性を深く掘り下げ、橋本忍の卓越した脚本術によって観客を何度も驚かせ、登場人物たちの心の動きを巧みに描いた傑作として評価されています。
武満徹の繊細な音響と心理サスペンスへの貢献
映画音楽の傑作
武満徹は日本の現代音楽を代表する作曲家であり、映画音楽においても数多くの傑作を生み出しました。背景音楽に留まらず、映像の持つ心理的な深みや物語の緊張感を高める上で、極めて重要な役割を果たしています。
武満徹は、当時の現代音楽の手法を積極的に取り入れています。
例えば『白と黒』では、足音のエコーや電話の音といった極めて繊細な音響効果が、登場人物の心理的な不安感を高め、観客の神経を刺激する効果を生み出しています。
監督の堀川弘通も、音響の繊細さに非常にこだわる人でした。わずかな音や間を神経質なまでに計算して作り込んでおり、それが映画全体の雰囲気を形成しています。
登場人物が路地を曲がる際の足音や、井川比佐志演じる脇田が連行される際の足音に強いエコーがかかり、その後セリフになるとデッドな音に切り替わるなど、音響の使い分けが緻密に行われます。
電話の受話器が落ちる音や、電話局の職員がわずかなセリフを言う際の無表情なトーン、そして電車の走行音などが、物語の重要な転換点や心理描写に深く関わっています。
これらの音響演出は、観客の神経を刺激し、作品を心理サスペンスとしてより一層際立たせます。抽象的な響きと映像・音響効果が映像に馴染むことで、物語の究極的な心理サスペンスとしての側面を強調しているのです。
映画音楽と芸術音楽の相互浸透
武満徹の創作活動においては、映画音楽と芸術音楽(演奏会用音楽)との間に「相互浸透」が見られれます。
『白と黒』で用いられたサウンドは、武満が同時期に作曲したオーケストラ曲「樹の曲」(1961年)に類似していると指摘されています。単に既存の楽曲を転用するだけでなく、映画音楽の経験が彼の芸術音楽の創作に影響を与え、その逆もまた然りという関係性を示しているようです。
武満は自身の映画音楽の中で、日本の伝統楽器を積極的に用いました。
小林正樹監督の『切腹』(1962年)では、筑前琵琶や薩摩琵琶、プリペアド・ピアノを電子変調した響きを取り入れ、『暗殺』(1964年)ではプリペアド・ピアノと尺八を使用しています。
これらの経験は全編を邦楽器で構成した『怪談』(1965年)へと結実し、胡弓、打楽器的な電子変調音、サヌカイト、尺八、琵琶、三味線、義太夫の掛け声などを駆使して、国際的に高い評価を得ました。
1980年代以降、武満の音楽は「新ロマン主義」や「ニュー・トナリティ」といった世界的な潮流と呼応するように、「調性化」「保守化」の傾向を見せます。
彼は単なる郷愁から調性を選んだのではなく、調性を「世界の音楽大家族の核にあるもの」と捉え、積極的に用いました。
晩年には邦楽器とジャズを融合させた『写楽』(1995年)など、自身の音楽人生の集大成ともいえる作品を手掛けています。
時代の潮流と武満音楽の評価
1960年代の日本の音楽界では、ジョン・ケージの偶然性の音楽が日本を席巻する「ケージ・ショック」と呼ばれる現象が起きていました。武満徹の映画音楽もまた、この前衛音楽の動向と直接交差するようになります。
彼は映画音楽においても、プリペアド・ピアノや電子変調といった現代音楽の「徴(しるし)」を混入させることで、新たな表現を追求しました。
武満徹の作品はその斬新なサウンドデザインと深いテーマ性から、長らく「隠れた傑作」とされてきた『白と黒』が近年再評価されているように、時代を超えて観客や研究者を魅了し続けています。
彼の音楽は作品の魅力の一部であるだけでなく、物語の核心に迫るための重要な「仕掛け」として機能しており、多層的な魅力になっています。
現代に通じる普遍的なテーマ
『白と黒』は長らく「隠れた傑作」とされてきましたが、近年その予測不能なストーリーテリングと、深く掘り下げられたテーマ性から再評価が進んでいます。
本作品が描く、「真実」とは何か、「正義」とは何かという問いは、現代社会においても変わらず重要な意味を持ちます。
社会の「闇」や人間の「欲」といった普遍的なテーマに果敢に挑んだ本作は、日本映画の黄金期に生まれた、まさに珠玉の一本と言えるでしょう。
この映画は、DVDやストリーミング配信で鑑賞が可能です。当時の社会情勢や人々の価値観を感じながら、息詰まる心理戦と予測不能な結末をぜひご自身の目で確かめてみてください。
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