プロコル・ハルム「青い影」不朽の名曲が持つ深遠な歴史と多層的な魅力
プロコル・ハルムのデビューシングル「青い影(A Whiter Shade of Pale)」は、1967年のリリース以来、半世紀以上にわたって世界中で愛され続けている不朽の名曲です。発表されるやいなやイギリスで6週連続1位を記録し、アメリカでもトップ5に入る大ヒットとなりました。
ソウルフルなボーカル、バッハに影響を受けたオルガンパート、そして謎めいた歌詞が織りなす独特の雰囲気は、多くのリスナーを魅了し、「サマー・オブ・ラブ」を象徴するアンセムの一つとなりました。
この曲は単なるヒット曲にとどまらず、その後の音楽シーンに大きな影響を与え、プログレッシブ・ロックやバロック・ポップといったジャンルの先駆けになっています。
楽曲の誕生と唯一無二のサウンド
プロコル・ハルムはピアニスト兼ボーカリストのゲイリー・ブルッカーと作詞家のキース・リードが中心となって、1967年初頭に結成されました。
彼らは当初、他のアーティストに楽曲を提供することを考えていましたが、最終的に自身のグループを結成することになります。
この曲のサウンドを決定づけたのは、マシュー・フィッシャーによるハモンドオルガンの印象的なパートです。
このオルガンパートは、J.S.バッハの「G線上のアリア(管弦楽組曲第3番ニ長調BWV1068)」やコラール前奏曲「目覚めよ、と呼ぶ声あり(BWV645)」との類似性が指摘されています。
直接的な引用ではなく、バッハの音楽が持つ「魂のこもった憧れ」や「強力なメランコリー」を喚起するものです。
当時のポップミュージックには、チェンバロのようなバロック調の音色や対位法的なメロディーが取り入れられる「バロック・ルネサンス」と呼ばれる動きがあり、「青い影」もその一環として、クラシックとR&Bの要素を融合させた独自のスタイルを確立しました。
レコーディングは1967年4月、ロンドンのオリンピック・スタジオでわずか2テイク、オーバーダブなしで行われました。
当時の技術的な制約も相まって、この迅速な制作が曲の持つオーガニックでタイムレスな雰囲気を生み出す一因となったと言えます。
不朽の名曲に秘められた深遠な詩の世界
プロコル・ハルムの代表曲「青い影」は、その印象的なメロディーだけでなく、謎めいた歌詞によっても多くの人々の心を捉え続けてきました。
この曲の歌詞は、発表以来半世紀以上にわたって、様々な解釈がなされ、その難解さから聴き手の想像力をかき立ててきました。
作詞家のキース・リード自身も、具体的な意味を明確に語るのではなく、聴き手の感情的なムードを喚起することを意図したと述べています。
ここでは歌詞が持つ多層的な魅力と、それに込められた意味を探っていきます。
タイトル「A Whiter Shade of Pale」の本当の意味
原題の「A Whiter Shade of Pale」は直訳すると、「より青白くなった色合い」や「白に近い色調」となります。
ここでの「shade」は「影」ではなく、「色合い、色調」を指します。歌詞に登場する女性の顔色が青白くなった様子を表現しており、このフレーズはその後、英語圏で広く使われる一般的な表現となりました。
作詞家のキース・リードがあるパーティーで「You’ve gone a whiter shade of pale(君、ひどく青ざめてるね)」というフレーズを耳にしたことから、このタイトルを着想しました。そこから楽曲の世界を広げていったのです。
歌詞と日本語訳
この曲は通常2つのヴァースとコーラスで構成されていますが、作詞家キース・リードは元々4つのヴァースを書いており、後の2つはライブパフォーマンスで歌われることが多いです。
A Whiter Shade of Pale
ヴァース1 We skipped the light fandango Turned cartwheels ‘cross the floor I was feeling kinda seasick But the crowd called out for more The room was humming harder As the ceiling flew away When we called out for another drink And the waiter brought a tray
日本語訳 僕たちは楽しくファンダンゴを踊っていた。どたばたと床を転げ回って、船酔いみたいに気持ち悪くなった。皆がもっともっとと囃し立て、部屋はいっそう騒がしくなっていった。 天井なんか抜けちゃうんじゃないかってくらいさ。もう一杯、と思って呼んだその時、ちょうどウェイターがトレイを持ってきた。
コーラス And so it was that later As the miller told his tale That her face, at first just ghostly, Turned a whiter shade of pale
日本語訳 だからそれは後のことだった、粉屋が彼の話をしたのは。彼女の顔は最初呆然としていたが、だんだん青ざめていった
ヴァース2 She said, ‘There is no reason And the truth is plain to see.’ But I wandered through my playing cards And would not let her be One of sixteen vestal virgins Who were leaving for the coast And although my eyes were open They might have just as well’ve been closed
日本語訳 彼女は言う。「理由なんて無いのよ 真実は見ての通りよ」と。僕はどうしていいのやらわからなかった。とにかく、彼女にそうはさせたくなかった。彼女はまるで沖に流されたヴェスタの巫女の、新しい1人みたいだ。僕は目を開いていたけれど、何も見えてなかったも同然だった。
ヴァース3 (ライブで歌われることが多い歌詞) She said, ‘I’m home on shore leave,’ Though in truth we were at sea So I took her by the looking glass And forced her to agree Saying, ‘You must be the mermaid Who took Neptune for a ride.’ But she smiled at me so sadly That my anger straightway died
日本語訳 彼女は言った「私は家にいるわ」。でも、実際は沖にいるんだ。だから僕は彼女に仔細を説明し、「君は人魚に違いないよ、 海の神ネプチューンを手玉にとる人魚だ」 という話に同意させた。彼女がとても悲しそうに僕に微笑んだので、 僕の怒りはあっという間に消えた。
ヴァース4 (ライブで歌われることが多い歌詞) If music be the food of love [注:原稿では ‘life’] Then laughter is its queen And likewise if behind is in front Then dirt in truth is clean My mouth by then like cardboard Seemed to slip straight through my head So we crash-dived straightway quickly And attacked the ocean bed
日本語訳 もし、音楽が愛(を感じるため)の糧なら、笑い声とは(愛を最も感じる)クイーンなんだよ。そして更に言えば、もし後ろ前が逆ならば (=鏡の国のさかさまの世界ならば) 実は卑猥なことだって、清く正しいんだ。その時までの僕の言葉は、(厚紙のように)薄っぺらくて、頭で考えたことをすぐさま口に滑らせていたように思う。だから僕らは、即座に、まっしぐらに潜り込んで、(=虚構の愛の世界に、逃げ込んで)そして、海底に突撃したんだ(=セックスに没頭した?)
パーティーの情景と錯覚の世界
歌詞の冒頭は、活気あるパーティーの情景から始まります。
「We skipped the light fandango」というフレーズは、17世紀イギリスの詩人ジョン・ミルトンの田園詩「L’Allegro」に登場する「trip the light fantastick(軽やかに踊る)」という表現をもじったものだという見解があります。
楽しげなダンスパーティーで、踊り手はめまいを感じるほどに高揚し、周囲の喧騒が「部屋の天井が吹っ飛ぶほど」に激しくなっている様子を描いています。
「船酔いみたいに気持ち悪くなった(I was feeling kinda seasick)」や「天井が吹っ飛んでいくようだった(As the ceiling flew away)」といった描写は、飲酒による酩酊状態や薬物による幻覚、あるいは感情的な混乱や高揚を示唆するものと解釈されることがあります。
リード自身はこれらのイメージが神秘性を強調しようと意図したものではなく、感情を喚起する情景を描写したのだと語っています。
「粉屋の話」と文学的示唆の謎
この曲の歌詞で最も多くの議論を呼んできたのが、サビに登場する「As the miller told his tale(粉屋が彼の話をしたように)」というフレーズです。
このフレーズは多くの聴き手や批評家によって、14世紀の詩人ジェフリー・チョーサーの『カンタベリー物語』の中の「粉屋の話」への言及だと解釈されてきました。「粉屋の話」は姦通や下世話な内容を含む物語であり、これが女性の顔が青ざめる(a whiter shade of pale)原因になったと推測されたのです。
作詞家のキース・リード自身はチョーサーを読んだことがなく、意図的に「粉屋の話」を引用してはいないと繰り返し否定しています。
彼にとってこのフレーズは、あくまで作詞の過程で自然に浮かんだものであり、特定の文学作品からの引用ではないと語っています。
それにもかかわらず、聴き手がこのフレーズからチョーサーを連想し、多様な意味を読み取ることは、この曲の持つ文学的な奥深さを物語っているようです。
歌詞に散りばめられた深遠なイメージ
「青い影」の歌詞は、他にも文学的、神話的な示唆に富んだ表現が散りばめられています。
男性が女性の言い分(「私は家にいるわ、つまり一時的な関係)に対し、「実際は沖にいるんだ」(つまり真剣な関係)だと反論する様子を描写しています。
「人魚(mermaid)が海の神ネプチューン(Neptune)を手玉にとった」という表現は、ギリシャ神話に登場する海の神と人魚を組み合わせたものです。これは女性が男性を誘惑し、あるいは翻弄した状況を示唆すると解釈されます。
男性が女性に裏切られたと感じ、怒りを覚えるもののその女性の悲しげな微笑みによって怒りが消え去るという、複雑な感情の機微が表現されているのです。
歌詞の中には「one of sixteen vestal virgins who were leaving for the coast(海岸に向かう16人のウェスタの巫女の一人)」というフレーズも登場します。
ウェスタの巫女は古代ローマの処女の巫女であり、この表現は純粋さや性的な経験の喪失、あるいは女性の貞淑さを巡る葛藤を示唆すると解釈されてきました。
「16人」という具体的な数字や「沖に流された」という状況の正確な意味についてはいまだに諸説あり、明確には判明していません。
失恋と受け入れの物語
キース・リードは、この曲の核心は「女の子が男の子のもとを去る物語」、つまり失恋の歌であると説明しています。
歌詞全体は具体的な出来事を順序立てて語るものではなく、感情的な混乱や酔いや薬物による幻覚を示唆するような、抽象的な描写を多用しています。
「もし音楽が愛の糧であるなら(If music be the food of love)」というフレーズは、ウィリアム・シェイクスピアの『十二夜』からの引用が指摘されています。これは、愛に飢えた登場人物の言葉であり、その後の「そしてもし後ろが前なら、汚物も真実、きれいになる(And likewise if behind is in front / Then dirt in truth is clean)」といった逆説的な表現は、主人公の感情が裏返り、世界がひっくり返ったような混乱した状態を示唆しています。
「私たちはすぐに海底に突撃した(So we crash-dived straightway quickly / And attacked the ocean bed)」という最後のフレーズは、関係の終わり、あるいは性的行為への没頭、現実からの逃避など、様々な解釈が可能です。
歌詞は失恋に伴う感情的な混乱、自己欺瞞、そして最終的な受け入れに至るまでの複雑な心理状態を、詩的で抽象的なイメージを通して描いています。
具体的な意味が曖昧だからこそ、聴き手は自身の経験や感情を投影し、多様な意味を創造する余地が生まれます。それがこの曲の普遍的な魅力につながっているのでしょう。
バッハの影響
ヨハン・セバスチャン・バッハの音楽は、現代のポピュラー音楽に多大な影響を与えています。
バッハ本人が自作の音楽を再利用することの名手であり、お気に入りの音楽素材をさまざまな作品や音楽の文脈で「サンプリング」していました。
300年経った今でも、彼の音符やアイデアが世界の人気音楽に取り入れられているのは、この伝統が続いている証拠と言えるでしょう。
特に英国のロック音楽は、常にクラシック音楽と密接な関係を保ってきました。
「青い影」はバッハに由来する、あるいはバッハにインスパイアされた器楽的なメロディとバロック調の伴奏を特徴としています。
特にオルガンパートは、バッハの「G線上のアリア」(管弦楽組曲第3番ニ長調 BWV1068の「アリア」)や、コラール前奏曲「目覚めよ、と呼ぶ声あり」(Wachet auf, ruft uns die Stimme, BWV645)との類似性が指摘されています。
ゲイリー・ブルッカーはこの曲のコード進行が、バッハの「G線上のアリア」の数小節に似ていると述べていますが、意図的にロックとクラシックを融合させようとしたわけではないとしています。
作家のアラン・ムーアは、この類似性がバッハの音楽を引用することなく「バッハの音楽の感覚を生み出している」と指摘しています。
この曲のコード進行は典型的なバロック音楽の進行であり、そのバロック的なハーモニーをロックというジャンルに取り入れ、普及させたことが彼らの功績とされます。
1960年代には「バロック・ルネッサンス」と呼ばれる現象があり、人気音楽にハープシコードのようなバロック的な音色や、対位法的なメロディ、バロック的な装飾といった作曲技法が取り入れられました。バッハの芸術的系譜と結びつけ、過去への入り口として機能させ、感情的に喚起させると同時に知的に引きつける効果を生み出しています。
ソングライターが意図せずに、300年前の音楽家によく知られた音楽的なアイデアを再発見した可能性もあります。
著作権を巡る長年の争い
著作権争いの発端
長年にわたりこの曲の作曲は、リードボーカルとピアノを担当したゲイリー・ブルッカーと作詞のキース・リードにクレジットされていました。しかし2005年、元オルガン奏者のマシュー・フィッシャーが、自身が演奏した特徴的なハモンドオルガンパートが楽曲の重要な要素であり、その作曲に貢献したと共同著作権を求めて、ブルッカーと彼の出版社を相手に訴訟を起こしました。
フィッシャーは、自身のオルガンパートがJ.S.バッハの『管弦楽組曲第3番「G線上のアリア」』に「緩く基づいている(loosely based on)」と指摘されるなど、その音楽的な独創性を主張しました。一方、ブルッカーは、フィッシャーがバンドに加入する前に曲は作られており、フィッシャーは単にアレンジを加えただけだと反論しました。
法廷での展開
2006年12月20日、高等法院はフィッシャーの主張を原則として認め、彼に著作権の40%を認める判決を下しました。
しかし2008年4月4日、控訴院は2006年の判決を一部覆し、フィッシャーの共同著作権は認めるものの、請求までに38年もの「過度の遅延(excessive delay)」があったため、印税を受け取る権利はないと判断しました。
この判断に対し、フィッシャーは英国の最高裁判所である貴族院(House of Lords)に上告しました。
2009年7月30日、貴族院はフィッシャーの主張を全面的に認め、彼に将来の印税を受け取る権利があるとの最終判決を下しました。貴族院は遅延がブルッカー側に害を与えておらず、むしろフィッシャーの印税分を支払わなかったことで経済的な利益をもたらしたこと、そして英国の著作権法には時効がないことを指摘しました。
結果と影響
この判決により、長期間にわたる法廷闘争に終止符が打たれました。
曲の正式なクレジットは、ゲイリー・ブルッカー、マシュー・フィッシャー、キース・リードの3名となりました。
この裁判は音楽業界における共同著作権の認識において重要な判例となり、特にコラボレーションによって生まれた作品の著作権の複雑な性質を浮き彫りにしました。
時代を超えて愛される影響力と受容
「青い影」はそのリリースから半世紀以上が経過した現在も、色褪せることなく多くの人々に愛され続けています。
その人気は数々の賞や記録によっても明らかです。
1977年にはクイーンの「ボヘミアン・ラプソディ」と並んで「ザ・ベスト・ブリティッシュ・ポップ・シングル 1952-1977」に選出され、1998年にはグラミー殿堂入りを果たしました。
2009年には英国の公共の場所で、過去75年間で最も多く演奏された曲として認定されています。
この曲は映画やテレビ番組でも頻繁に使用されており、その度に新たな世代のリスナーに発見されたり、特定の時代やムードを喚起する役割を担っています。
例えば、『ハウス』、『ビッグ・チル』、『ウィズネイルと僕』、『ニューヨーク・ストーリーズ』、『第10王国』などの作品で使用されてきました。
近年ではTikTokのようなソーシャルメディアプラットフォームでも、そのアイコニックなイントロが活用され、新しい命を吹き込まれました。楽曲の寿命はさらに伸び、多様な形で聴き手の耳に届いています。
多くの著名なアーティストがこの曲をカバーしています。
ジョー・コッカー、アニー・レノックス、マイケル・ボルトン、サラ・ブライトマンなど、ジャンルを超えたアーティストがそれぞれの解釈でこの名曲を歌い継いできました。
ジョン・レノンが「人生でベスト3に入る曲」と絶賛し、松任谷由実や山下達郎といったトップミュージシャンが、この曲から多大な影響を受けたと語っています。松任谷由実に至っては、ゲイリー・ブルッカーを招いて共演を果たしたほどです。
タイムレスな探求の物語
プロコル・ハルムの「青い影」は時代やメディアの変化に適応し、これからも多くの人々の心を揺さぶり続けることでしょう。この曲が問いかける曖昧な問いかけは、私たち自身の想像力を刺激し、それぞれにとっての「タイムレスな探求の物語」へと誘います。
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