不朽の傑作『フレンチコネクション』
ウィリアム・フリードキン監督による1971年のアメリカ映画『フレンチコネクション』は、公開から半世紀以上経った今も多くの映画ファンに語り継がれる傑作です。第44回アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、編集賞の主要5部門を受賞し、その評価は揺るぎないものとなっています。
トルコからフランスを経由しアメリカへとヘロインが密輸される巨大な麻薬ルート「フレンチコネクション」を背景に、ニューヨーク市警の刑事たちが事件の真相に迫るこの作品は、後の多くの刑事ドラマやアクション映画に多大な影響を与えました。
型破りな刑事たちの追跡劇
この映画の物語は、1961年に実際にニューヨーク市警の刑事たちがフランスから密輸された麻薬約40キログラムを押収した事件をモデルにしています。
主人公は「ポパイ」というニックネームで知られるジミー・ドイル刑事(ジーン・ハックマン)と、その相棒バディ・ルソー刑事(ロイ・シャイダー)です。ポパイことドイルは麻薬組織壊滅に執念を燃やすベテラン刑事ですが、その捜査手法は非常に強引で型破りです。
冒頭のサンタクロース姿での追跡シーンからもわかるように、彼の人間性は激しく、時に人種差別的な発言をするなど、人に対する偏見も鋭く描かれています。
相棒のルソーはそんなドイルをフォローする役割を担い、二人のユーモア溢れるやり取りも魅力の一つです。
物語は、ドイルがナイトクラブで羽振りの良い若い夫婦に目をつけることから始まります。彼の刑事の勘は鋭く、この夫婦が巨大な麻薬ルートに関わっていることを突き止めます。
やがて捜査線上に浮かび上がるのは、麻薬ルートの黒幕であるフランス人のアラン・シャルニエ(フェルナンド・レイ)です。ドイルとルソーは、狡猾なシャルニエを執拗に追跡していきます。映画は彼らの地道で執念深い捜査の過程を、徹底したリアルな描写で映し出していきます。
徹底的なリアルさが生む緊張感
『フレンチコネクション』の最も特徴的な点は、ドキュメンタリータッチの演出です。監督のウィリアム・フリードキンはテレビでドキュメンタリー制作の経験があり、その手法をこの劇映画に取り入れました。
セットは一切使用せず、ニューヨークの実際の街でオールロケ撮影を行っています。しかも多くのシーンは、許可を取らないゲリラ撮影でした。歩いている人々や街に落ちたゴミなど、生々しい街の姿がそのまま映し出されています。
フリードキン監督は原作のモデルとなった実際の刑事たちと共に事件現場を巡り、その場所で撮影を敢行したそうです。
ヌーヴェルヴァーグからも影響を受けており、手持ちカメラによるアドリブ撮影が多く取り入れられています。
これは役者がアドリブで演じるのではなく、カメラマンがアドリブで撮る手法です。俳優の動きを事前に知らされないカメラマンは、その場の判断で被写体を追いかけます。時には役者がフレームからはみ出たり、会話の途中でいきなりズームされたりすることもあります。
映像にある種の自然さが生まれ、「密着警察24時」のようなハラハラする迫力と緊張感が生まれました。
ブルックリン橋での交通渋滞のシーンは、友人や非番の警官の車を使って意図的に渋滞を引き起こして撮影されたというエピソードも残っています。
徹底したリアルさの追求が、この映画を他に類を見ない生々しい刑事ドラマにしました。
映画史に残る伝説のカーチェイス
『フレンチコネクション』を語る上で外せないのが、映画史に名を刻む伝説的なカーチェイスシーンです。このシーンは、逃げる殺し屋ニコリ(マルセル・ボズフィ)が地下鉄に逃げ込み、ドイルがその電車を車で追跡するという驚きの展開で描かれます。電車が走る高架下で、ドイルが車で猛スピードで追う様子は迫力満点です。
このカーチェイスは、実際の事件に基づいて描かれています。
ドイルが電車を追うために通りがかりの一般人の車を強引に奪うシーンは、その後の刑事アクション映画で定番となる描写のルーツと言われています。
さらに驚くべきことにこのシーンの撮影では、スタントマンの運転に加え、ジーン・ハックマン自身も時速140キロものスピードを出して運転していました。
この危険な撮影について後に監督のウィリアム・フリードキンは、「今ならあんなことはしない」と語り、人の命を危険にさらしたことを後悔している様子を見せています。ハックマンもこのカーチェイスシーンをリアルだと述べています。
実際の道路を逆走する箇所もあり、本当に大事故寸前だったと監督は語っています。
スタントマンのミスで車同士が衝突した際も、その迫力ある映像がそのまま採用されました。
真冬の極寒の中で行われた撮影では、カメラや機材が凍ることもあったとされています。
ベビーカーをよけるシーンは綿密な打ち合わせの上で撮影された一方で、他の多くのシーンは無許可で撮影され、実際に他の車との事故も発生し、車の修理代はプロデューサーが負担したそうです。
このカーチェイスはスティーブ・マックイーン主演の『ブリット』と並び称される本格カーチェイスの元祖として、後のカーアクション映画に計り知れない影響を与えました。
人間ドラマとしての魅力とシニカルな結末
ドイル刑事のキャラクターは、法の番人として品行方正とは言えませんが、ジーン・ハックマンの演技により、人間味あふれる魅力的な人物像が生まれています。
彼は刑事である前に、「悪いことして儲けてる野郎は逃がさねぇ」という人間としての気概を強く感じさせ、観る側はそこに感情移入できます。
ハックマンは走りに走り、車で暴走するドイルの熱さを体現してみせました。相棒のルソー刑事との軽妙なやり取りも、人間ドラマに深みを与えています。
徹底したリアリズムを追求した本作は、それまでの劇映画のような説明的なセリフを排し、意図的に分かりにくい描写も含まれています。
例えば、冒頭でドイルが麻薬の売人にする尋問は常識的には意味不明なものですが、これは容疑者を混乱させるための策略であり、「職務質問のテクニック」の一種として描かれています。
こうした分かりにくさこそが当時の観客にとっては斬新であり、従来の親切すぎる映画にはないリアルさを生み出しました。
物語は執念の捜査の末に大量の麻薬を押収し、シャルニエを追い詰めるドイルを描きます。
ラストは実にシニカルで、シャルニエを逮捕できたのかも不明なまま映画は唐突に終わります。
エンドロールではシャルニエが依然逃亡中であることが示唆され、観客には何とも言えない後味が残るのです。このような結末は70年代らしく、いま見ても斬新に感じられます。
完璧な解決や勧善懲悪ではなく、現実の厳しさを映し出すこのシニカルさも、本作が単なるアクション映画に留まらない理由の一つです。
名優ジーン・ハックマン
ジーン・ハックマンが演じたポパイ刑事は、麻薬密輸ルートの壊滅に執念を燃やす「鬼刑事」です。捜査のためならば強引な手法も厭わない型破りな性格で、犯罪者たちから恐れられていました。
ドイルのモデルとなったのはニューヨーク市警の麻薬捜査官で、映画にドイルの上司役として出演もしているエドワード・イーガンという実在の刑事です。イーガンは捜査においてしばしば人種差別的な言葉を口にしたとされており、これは相手を動揺させ、主導権を握るための尋問テクニックであったと説明されています。
ハックマンはこのような台詞せりふを演じることに、最初は強い抵抗を感じていたそうです。
ハックマンはこのポパイ役で、第44回アカデミー賞の主演男優賞を受賞しました。また、第29回ゴールデングローブ賞でも最優秀主演男優賞(ドラマ部門)を受賞しています。この受賞により彼は、一躍有名になりました。
ハックマンは『フレンチ・コネクション』の完成後、制作会社の小さな試写室で一度観たきりであり、その後50年経っても再鑑賞していないと明かしています。彼はこの映画に「遺産」があるかどうかは分からないと述べました。
ジーン・ハックマンは『フレンチ・コネクション』以降も、数々の映画で活躍しました。代表作としては、豪華客船の転覆事故を描いたパニック映画で破天荒な牧師を演じた『ポセイドン・アドベンチャー』(1972年)、アル・パチーノと共演し、自身が特にお気に入りの作品だと述べているロードムービー『スケアクロウ』(1973年)、寡黙な盗聴のスペシャリストを演じたサスペンス『カンバセーション…盗聴…』(1974年)などがあります。クリント・イーストウッド監督作『許されざる者』(1992年)では、アカデミー助演男優賞を受賞しています。
どのような役柄でも人間味あふれるナチュラルな表現で、キャラクターを観客に分かりやすく、身近に感じさせることに長けていると評価されています。悪役を演じた際にも、その人間味は減じたりしません。
ドン・エリスの音楽
映画「フレンチ・コネクション」の音楽は、ジャズのトランペット奏者・作曲家であるドン・エリスが担当しました。彼はジャズの世界ではビッグバンドのリーダーとしても知られており、本作の音楽も20人以上のビッグバンドによるジャズを中心に構成されています。
エリスは、ウィリアム・フリードキン監督のドキュメンタリータッチの演出アプローチに合わせて、映画にリアリティと緊張感を与える音楽を作り上げました。彼の音楽は通常の劇映画のスコアとは異なり、抽象的で実験的なジャズとオーケストラ(特にストリングス)の要素を融合させたスタイルが特徴です。特に変拍子(5/4や10/8など)を多用したリズムアプローチは彼の音楽の核となっています。
この独特なアプローチは、映画全体のざらついた、生々しい雰囲気に貢献しています。
ドン・エリスの作曲した楽曲には、「Main Title」、「Charnier」(フランスの悪役シャルニエのテーマで、よりロマンチックな曲でしたが、最終的に映画からほとんどカットされました)、「Copstail」(ナイトクラブのシーン)、「Hotel Chase」(ホテルの追跡シーン)、「Subway」(地下鉄のテーマで、彼の1973年のアルバム「Connection」にも収録されています)、「The Shot」(射殺シーン)、「The Last Roundup」(クライマックス後のシーン)、「Popaye’s Montage」(ポパイのモンタージュシーン)、「Revenge」(復讐のシーン)、「Big Chase」(カーチェイス)などがあります。
ドキュメンタリータッチを重視した監督の編集により、エリスが作曲したスコアの一部は最終的に映画で使用されなかったり、短くカットされたりしました。しかしその残された音楽は、映画のリアルな描写と相まって他に類を見ない独特な臨場感を生み出しています。
ちなみに1975年に制作された続編「フレンチ・コネクション2」の音楽も彼が担当していますが、こちらは前作に比べてより伝統的な映画音楽に近いスタイルになっています。
デジタル時代の「異本」問題
公開から長い年月が経ち、映画の鑑賞方法も変化しています。劇場公開やDVD、Blu-rayだけでなく、現在は様々な動画配信サービス(VOD)で視聴することが可能です。しかし、デジタルメディアの特性上、作品に「異本」、つまり複数のバージョンが存在する問題が生じています。
エリスは、ウィリアム・フリードキン監督のドキュメンタリータッチの演出アプローチに合わせて、映画にリアリティと緊張感を与える音楽を作り上げました。
彼の音楽は通常の劇映画のスコアとは異なり、抽象的で実験的なジャズとオーケストラ(特にストリングス)の要素を融合させたスタイルが特徴です。特に変拍子(5/4や10/8など)を多用したリズムアプローチは彼の音楽の核となっています。
この独特なアプローチは、映画全体のざらついた、生々しい雰囲気に貢献しています。
問題とされるのは差別的な表現自体だけでなく、作品がPay-Per-Viewの商品として提供されているにも関わらず、内容が編集されていることや、その事実や理由が明確にアナウンスされていないことです。
物理メディアであるDVDやBlu-rayでは作品データが手元に残り、オリジナル版を確認できますが、VODのような非物理メディアではそれが困難です。
差別表現に対する懸念は現代社会において重視されますが、作品の歴史的・社会的な文脈を無視して表現を削除することについては議論があります。
差別表現を消し去るのではなく、『風と共に去りぬ』や日本の漫画『はいからさんが通る』のように、作品に解説や注意書きを加えることで、その表現が生まれた時代の背景やそれがなぜ問題とされるのかを提示し、鑑賞者に問いかける「リフレーミング」という向き合い方も提唱されています。
デジタルメディアにおける表現修正は、このような作品の同一性や歴史との向き合い方について新たな課題を投げかけています。
色褪せない魅力
『フレンチコネクション』は、その徹底したドキュメンタリータッチの演出、生々しい街の描写、そして映画史に残る迫力のカーチェイスによって、公開当時革新的な作品として大きな衝撃を与えました。型破りながら人間味溢れる刑事ドイルのキャラクター、そしてシニカルな結末は、単なるアクション映画とは一線を画す深みを持っています。
現代において、作品に含まれる過去の差別的な表現が問題視され、デジタル配信版に修正が加えられるという新たな課題も生じています。そうした議論も含めて、この映画が持つ歴史的な意義や、時代を超えて響く「人間のリアル」「人間の本質」という普遍的なテーマについて考える機会を与えてくれます。
今見ても色褪せない『フレンチコネクション』の緊迫感とリアリティは、映画の力を改めて感じさせてくれます。まだ観たことがない方も、以前観たことがある方も、ぜひこの傑作を体験し、その奥深さに触れてみてください。
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