水原弘「君こそわが命」が映し出した波乱の人生、そして享年42歳での壮絶な最期

邦楽

破滅型スター水原弘の魅力に迫る

水原弘さんの代表曲の一つ「君こそわが命」は、彼の波乱に満ちた人生と深く結びついた、まさに「奇跡」と呼ばれたカムバックソングです。

水原弘の歌手人生と「君こそわが命」

水原弘さん。
愛称「おミズ」 は、1959年(昭和34年)に「黒い花びら」でレコードデビューしました。作詞は永六輔さん、作曲は中村八大さんというゴールデンコンビによるこの曲は、ジャズやシャンソン、ロックのテイストを取り入れた革新的な楽曲で、発表された年に始まった第1回日本レコード大賞受賞という快挙を成し遂げます。
新人デビューの年に大賞を受賞したのは、現在でも水原さんが唯一の存在です。独特の甘い低音で一世を風靡し、20代の女性たちから絶大な人気を得ました。

華々しいデビューの裏で、水原さんの人生は波乱に満ちていました。
取り巻きを連れて夜の街での豪遊、業界屈指と言われる酒豪ぶり、水代わりにレミーマルタンを飲んだという逸話、そして莫大な金額のギャンブル。そうした放蕩生活が原因で多額の借金を抱えるようになり、一時は芸能界から遠ざかる不遇な時代を送ることになります。
昭和41年(1966年)の時点でその借金は、8千万円にも膨らんでいました。

「奇跡のカムバック」への道のり

再起をかけた水原さんのカムバックを支えたのが、作詞家・川内康範さんと作曲家・猪俣公章さんです。当時マネージャーだった長良じゅんさんの奔走もあり、昭和42年(1967年)にリリースされたのが「君こそわが命」です。

川内康範さんはかつて、「君こそわが命」のモデルは原爆の被爆者の方だと語っていました。

「君」とは誰か

単に恋愛の対象ではなく、原爆によって命を奪われた愛する人、あるいは原爆の後遺症で苦しむ人、さらには原爆の犠牲となったすべての人々を象徴しているとも考えられます。川内氏の身近に、そうした経験を持つどなたかがいたのかもしれません。

「わが命」の意味の深化

「君こそわが命」という言葉は、恋愛感情を超えた根源的な結びつきや、失われた命への深い哀悼、その記憶と共に生きる決意を表しているとも解釈できます。生き残った者が亡くなった人の分まで生きる、その人の存在が自分の生きる意味そのものであるという、強いメッセージが込められているのかもしれません。

川内康範氏のメッセージ

川内康範氏は、社会の矛盾や人間の情念を鋭く描く作詞家として知られています。
「君こそわが命」は男女の愛の歌としてだけでなく、戦争の悲劇、特に原爆の非人間性に対する静かな、しかし強烈な抗議と、犠牲者への深い鎮魂歌としての側面を強く帯びています。氏は個人的な愛の歌の形を借りて、より普遍的で社会的なメッセージを込めたのかもしれません。

この曲は12時間ものレコーディングを経て完成したという伝説を持っています。どん底から這い上がろうとする水原さんの、歌への並々ならぬ思いが込められていたのでしょう。
「君こそわが命」は見事に大ヒットを記録し、「奇跡のカムバック」と呼ばれました。この年の第9回日本レコード大賞で歌唱賞を受賞し、再び紅白歌合戦の舞台にも立ちます。

「君こそわが命」には、佳川ヨコさんによる競作バージョンも存在します(残念ながらYouTubeには上がっていません)。
佳川ヨコさんのバージョンは作曲者の猪俣公章さん自身がアレンジを手がけ、ジャズっぽい演奏と、中盤から泣きながら歌う情感が特徴で、「女歌」としての魅力があると評されています。
一方、水原弘さんのバージョンは、持ち前の歌唱力を活かした正統派の仕上がりです。同じ楽曲でありながら、歌い手とアレンジによって全く異なる魅力が生まれているのは興味深い点です。

楽曲の魅力と世間の評価

「君こそわが命」は、作詞・川内康範さん、作曲・猪俣公章さん、編曲・小野崎孝輔さんによる楽曲です。水原弘さんの歌唱力、特にその低音の魅力が存分に発揮された楽曲として知られています。当時の聴衆は、水原さんの歌声に「大人の魅力」や「成熟した色っぽい歌声」を感じ取り、「さすがの歌唱力」と評価しました。

この曲は現在も多くの人に歌い継がれており、カラオケでも人気があります。主要な音楽配信サービスや楽譜販売サイトでも取り扱われており、その根強い人気がうかがえます。Amazonのカスタマーレビューでも、「おミズ、フォーエバー」といった熱いコメントや、入手困難だったがネットで見つけて感謝しているという声が見られます。

「おミズ」と呼ばれた破天荒な素顔

水原弘さんといえば「おミズ」。親しみを込めたそのニックネームを知っているのは、主に昭和の時代を知る年配の方々です。彼の豪快な人物像を示すエピソードは、数多く残されています。

高校の同窓会では会場を借り切って、最後はみんなに土産みやげを買って帰すなど太っ腹にもてなします。その土産というのが、銀座の有名店の高級菓子でした。家庭では食べられないものを口にした感激を、同窓生のお子さんだったお一人は深く心に刻まれたそうです。

クラブや料理屋を自分のツケで借り切ったり、関係ない人まで引き連れて、最後は必ず土産を振る舞いました。この豪遊ぶりから「業界屈指の酒豪」と呼ばれ、「水代わりにレミーマルタン」という逸話まであるほどです。博打ばくちにも手を出し、多額の借金を抱えて不遇な時代を送った時期もありました。

俳優としても活躍し、共演者からの評価も高かったようです。東宝映画『皆殺しの歌、拳銃よさらば!』で主役を演じた際には、仲代達矢さんから「この主役の演技ができるのは水原弘だけだ」と褒められたエピソードがあります。

歌手としてだけでなく、アース製薬の殺虫剤「ハイアース」のテレビCMに出演し、由美かおるさんと共にホーロー看板のイメージが強く残っています。彼のホーロー看板は、今でも全国の古い農家の納屋や土蔵などで見かけることがあり、昭和レトロの象徴になりました。

売れて小金が入レバ店を持つか蓄財する人が多い現代の芸能人とは異なり、水原さんは「自分の稼いだ金は、自分についてきてくれる者たちに散財すべきだ」という独自の美学を貫きます。
そうした破天荒な生き方から、「破滅型スター」と呼ばれました。

波乱の歌手人生の終幕 水原弘 最期の時

病に蝕まれながらも歌への情熱は尽きず

「君こそわが命」でのカムバック以降も、水原さんは豪遊や多額の借金といった問題から抜け出せませんでした。借金返済のため、体調が優れない中でも全国を巡業する日々が続きます。1977年1月12日、彼は巡業先の金沢市で体調不良を訴え、緊急入院しました。

この時すでに、アルコール依存症の影響で肝臓が正常に機能しておらず、黄疸や腹水の症状が出ていました。
新宿の病院に約1ヶ月入院し、自宅静養を経て同年7月には仕事に復帰しますが、状況は極めて深刻でした。アルコール性の急性肝炎から慢性肝炎、そして肝硬変へと進行しており、度々極度の貧血などで倒れることもあったそうです。

医師からは「このままの生活を続ければ1年以内の命」と厳しく警告されていました。しかし、莫大な借金返済のため、満身創痍の体でも「馬車馬のように」全国を営業して回らざるを得なかったのです。
厳しい医師の飲酒禁止令にも関わらず、ストレスから隠れてワインを飲んでいたという話も残っています。

最晩年期には、服用していた薬の副作用で顔に吹き出物が目立つようになり、それを隠すために口髭をたくわえ始めます。
病が彼の体を蝕んでいく中でも、水原さんの歌への情熱が失われることはありませんでした。再び「奇跡のカムバック」を果たすことを目指していたのです。

北九州での大量吐血 そして最後の言葉

1978年6月24日未明、水原さんは巡業先の福岡県北九州市小倉北区の宿泊先ホテルの客室トイレで、大量に吐血しました。瀕死の状態だった彼を発見したのは、ホテルでの食事に遅れて駆けつけたマネージャーの美山淳さんでした。

「一晩眠ればよくなるから、明日東京へ帰る」と言い張るのを、救急隊員とマネージャーの説得を受け、北九州市の病院に運び込まれます。その時点で胃の中の血管が切れ、既に血液の3分の1が失われていました。病院に運ばれて一時は意識が回復し、憔悴していたマネージャーの美山さんに「バカ野郎、俺は死なねーよ」と話しかけるなど、小康状態を見せます。

翌日、今度は食道の静脈破裂で吐血。無菌治療室に運ばれたものの、腸の血管まで切れていました。長年の深酒から肝臓はほとんど機能せず、手術は不可能でした。応急処置として出血が肺に入り込むのを防ぐため、歌手の命である喉もとが切開されます。意識を取り戻し口が利けない水原さんは、幼児が使うアイウエオ板に「マ・ダ・ウ・タ・エ・マ・ス・カ」と指でたどったそうです。

最期まで歌を諦めず、再起を願っていた水原さんでしたが、その願いは叶いませんでした。再び意識不明の重体に陥り、大量吐血から11日後の1978年7月5日未明、搬送先の病院で息を引き取ります。

死因は肝硬変の重症化による食道静脈瘤破裂。享年42歳というあまりにも早すぎる死でした。彼の死後、残された借金は当時の額で9000万円とも言われ、それをマネージャーだった長良じゅんさんが長年かけて返済したと言われています。

水原弘さんの人生は、華々しい栄光とその後の転落、そしてカムバックという波乱に満ちたものでした。しかし、彼は最期まで歌を愛し、借金返済のためもありましたが全国で歌い続けました。その壮絶ながらも潔い生き方は、今も多くの人々の記憶に残っています。

時代を超えて愛される圧倒的な歌唱力

水原弘さんの「君こそわが命」は、リリースから半世紀以上経った今もなお多くの人々に歌われ、愛され続けているスタンダードソングです。それは水原弘さんの圧倒的な歌唱力と、波乱万丈の人生が楽曲に深い情感を与えているからかもしれません。カムバックソングとしてのストーリーや、「おミズ」という愛称と共に語られる豪快な人物像も、多くの人々を惹きつける魅力となっています。

歌謡曲の歴史において、「君こそわが命」と水原弘さんの存在は欠かせません。彼の歌声や生き様は今なお多くの人々に感動を与え、語り継がれています。ぜひこの機会に「君こそわが命」を聴いて、水原弘さんの世界に触れてみてください。きっと、その歌声と人生のドラマに引き込まれることでしょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました