【ピチカート・ファイヴ】「東京は夜の七時」の裏側:煌めく都会の孤独と「編集の魔法」が暴く90年代の虚無

邦楽

🎼 【ピチカート・ファイヴ】夜が明ける前に知るべき秘密

なぜ私たちは、ピチカート・ファイヴの音楽が描く「煌めく都会の孤独」、今も深く共感してしまうのでしょうか。

彼らの音楽はまるで宝石を散りばめたかのように華やかで、聴けば自然と心が浮き立つようなポップさに満ちています。けれどもその輝きの裏側には、常に「根源的な陰鬱さ」が立ち込めているのです。彼らの音楽の闇は、暗さや鬱っぽさといった分かりやすいものではありません。もっと深い、誰もが避けられない憂鬱を抱えているのです。

ピチカート・ファイヴは1984年に活動を始め、2001年に解散しました。特に1990年代には、「渋谷系」というムーブメントの中心にいました。

彼らの音楽はダンスミュージックやジャズ、ソウル、そして古い映画やポップスなど、古今東西のカルチャーを巧みに「編集」し、新しい「形」として提示しました。それは当時の若者たちの間で流行した、「スタイリッシュ」「おしゃれ」なイメージと結びついたのです。

この音楽は日本国内だけでなく、遠くアメリカやヨーロッパ、さらにはフィリピンといった国々でも熱狂的な支持を集めたといいます。フィリピンでは彼らの曲を、国歌みたいだと感じた90年代の子供たちもいたそうです。

リーダーの小西康陽さんは自分たちの音楽を、「ハッピー」「キャッチー」「グルーヴィー」「ファンキー」といった言葉で形容することが多かったそうです。たしかに「東京は夜の七時」や「スウィート・ソウル・レヴュー」といったヒット曲は、聴く人を明るい気分にさせてくれます。

しかしもし、この音楽を深く突き詰めるように聴いてみると、明るさの奥に潜む「突然襲い来る虚無感」「愛する人との別離」といった、誰もが向き合いたくない真実が見えてくるでしょう。

まるで真っ白なシャツに滲む一滴の血痕のように、ピチカート・ファイヴの音楽は恵まれた地位にいる人々でさえも、「憂鬱から本質的には逃れられない」という真実を伝え続けたのです。

この記事はそんな彼らの音楽が持つ、陽気さと哀しさ、そして遊び心とシリアスさが複雑に絡み合った「偽りのない心の風景」を辿る旅です。
さあ、ご一緒に20世紀末の「経済成長の陰で」生まれた、特別なポップミュージックの秘密を探ってみましょう。

📜 【ピチカート・ファイヴ】が生まれた「静かなる抵抗の音」

ピチカート・ファイヴの歴史は、「傍流ポップスへの偏愛」という強いこだわりから始まりました。グループは1984年に小西康陽さんを中心に結成され、翌1985年にメジャーデビューします。しかしその道のりは、常に変化と試行錯誤の連続でした。

初期のピチカートは、1960年代のアメリカン・ポップスや1970年代のソウルミュージックなど、過去の洋楽からの強い影響を色濃く反映していました。彼らはそれまでのロックカルチャーが持つ「俺が、俺が」というエゴから距離を置き、匿名的な音楽を目指します。

1988年に発売されたセカンドアルバム『Bellissima!(ベリッシマ)』は、当時のヴォーカリストだった田島貴男さんのソウルフルな歌声が特徴的です。

このアルバムのキャッチコピーは「汗知らずスーパースウィートソウル」。これは、当時のクールで都会的な態度を、見事に言い表していました。しかし、この『Bellissima!』はセールスが芳しくなく、小西さん自身が「暗すぎて失敗作だと思った」と語るほどシリアスな曲が並んでいます。

1990年、3代目のヴォーカリストとして野宮真貴さんが加入します。ここからピチカート・ファイヴは、世間に広く知られるようになります。小西さん、高浪慶太郎さん、野宮真貴さんの3人体制となった彼らは、CBSソニーから日本コロムビアへと移籍しました。活動は急速に広がりを見せました。

この時期、彼らの音楽的特徴を決定づけたのは、サンプリング技術クラブ・ミュージックへの傾倒でした。彼らは、「過去の音楽から新しい音楽を生み出す」という「編集者」的な手法を巧みに用いました。

小西さんは、筒美京平さんのような歌謡曲的な「音楽の芯」を持ちながら、90年代のクラブカルチャーの刺激を受けてアレンジを施していったのです。
例えば彼らの代表曲「東京は夜の七時」は、4つ打ちのリズムと重低音のループが特徴的なハウスビートで、聴く者に「陶酔感」を与えるように構築されています。

この音楽的スタイルは、彼らが体現した「渋谷系」というムーブメントと密接に結びついていました。渋谷系は音楽ジャンルというよりも、「渋谷を発信地として1990年代に流行した文化的なムーブメント」であり、「おしゃれな音楽」を指す言葉として広まりました。

長らくレコード会社に「何と例えたら良いのか分からない音楽」と冷遇されていたピチカート・ファイヴにとって、「渋谷系」という見出しを付けてもらえることは、とても喜ばしいことだったそうです。

しかし、その享楽的でポップなサウンドの裏で小西さんの歌詞は、「孤独や焦燥、虚無感」を浮き彫りにすることが多かったのです。
小西さんの作詞の特徴は、特定の単語を繰り返し使うことで独自の孤独な世界観を作り上げることでした。例えば彼は「愛してる」という言葉を多用し、登場人物をタクシーによく乗せます。

「ハッピー・サッド」は「うれしいのに 悲しくなるような あなたはとても不思議な恋人」と歌います。その裏には、表面的な明るさと歌詞から感じる不安の感情が共存しています。これはバブルを引きずりつつも、徐々に不安が増していく当時の世相を音で捉えていたのかもしれません。

「メッセージ・ソング」には「忘れないで ぼくはきみを ほんとうに愛している」という、切実なメッセージがあります。しかし彼らの描く愛は、しばしば「恋などしょせんは儚く脆いもの」というドライな態度で表現されます。

この「狂熱と憂鬱、戯れ、コミュニケーション不通」の複雑な感情こそが、ピチカート・ファイヴの音楽的核です。彼らのサウンドが持つ、どこか冷めた「静寂を破る感情の爆発」のような魅力だったのです。

🎤 「偽りのない心の風景」:愛と皮肉の設計図

ピチカート・ファイヴの音楽は、中心人物である小西康陽さんを筆頭に関わったプロフェッショナルたちの確固たる美意識によって成り立っていました。その言葉からは、作品に込められた「偽りのない心の風景」の設計図が見えてきます。

リーダーであり作詞・作曲・プロデューサーを務めた小西康陽さんは、音楽への強い信念を語っています。彼は「暗くて陰鬱な音楽が好きではない。その目的が理解できない」と述べています。
小西さんは、音楽は「現実を反映すべきではなく、魔法のような存在であるべき」であり、「現実から逃避できるようなものだ」と考えていました。この思想がピチカート・ファイヴの表面的な明るさや、享楽的なサウンドの根底にあるのです。

小西さんは自分の音楽が、いかに歌謡曲の延長にあるかということにも気づいたそうです。彼は筒美京平さんのような音楽が作りたいという思いを持ち、そのメロディの「芯」に、90年代のクラブカルチャー(DJ、ダンス、音楽などを通して発展したサブカルチャー)の刺激を受けてアレンジを施しました。
小西さんには「僕はいつも美しいもの、ちっぽけなものが大好きなんだ。でも、一番美しいのは女の子だと思うんだ」と、女性への愛が根底にあります。

カーネーションの直枝政広さんは、小西さんの曲を「誰かに歌ってもらうためにちゃんと音符が聴こえる音楽だ」と評価しました。小西さんはこの言葉が「すごくうれしかった」と語っています。彼の曲は「アレンジ(洋服)が時代やファッションによって変わる」けれど、「裸になったら同じ」で、メロディの構造は不変なのです。

次に、3代目ヴォーカリストとしてグループの「顔」となった野宮真貴さんの言葉があります。
彼女はピチカート・ファイヴでの活動を「子供の頃に夢見ていた、『歌とおしゃれ』を思いっきりできる環境にあった10年間だった」と振り返ります。世界進出など想像を超える広がりがあり、とても充実していて楽しかったそうです。還暦を迎えても「『歌とおしゃれ』の旅路はまだまだ続く」と意欲的です。

野宮さんは小西さんの求める「形」への執着を体現する存在でした。小西さんは、野宮さんが「アーティスト写真の中央にいれば何をやっても大丈夫だろう」という気持ちがあったといいます。
野宮さんの歌声は一音のズレもなく完璧で、小西さんの要求をすべて受け入れ、個性を消してプロデューサーのパペットとして動くことを重要視していました。

そして、ピチカート・ファイヴのセカンドアルバム『Bellissima!』でヴォーカルを務めた田島貴男さん(ORIGINAL LOVE)はアルバム発売直後の音楽雑誌で、自身のヴォーカルが「魂のないヴォーカリスト」と批判された経験について「おそらく一生忘れません」とコメントを寄せました。
当時の音楽業界の厳しさと、彼らが作り出す音楽が持つ「ソウル(魂)」の有無についての複雑な議論を浮き彫りにしています。

田島さんの言葉は、彼がメジャー初レコーディングで受けた厳しい評価を反映しています。しかし彼は経験をバネに、その後ORIGINAL LOVEとして活躍の場を広げました。

これらの言葉を通して、ピチカート・ファイヴの音楽が「おしゃれ」な表面的なものではなく、緻密に計算された「編集」の技術と、「ポップスとは何か」という哲学に裏打ちされていたことがわかります。

彼らの作品に触れた聴き手は、この緻密な構造の裏側にある小西さんの純粋なメロディへの愛と、皮肉を込めた都会的な表現に気づき、これまでの音楽にはない感情の波が押し寄せたのです。

✨ 光と影を映す名曲「東京は夜の七時」徹底比較

ピチカート・ファイヴの楽曲は、時代や演奏者の解釈によってその姿を変えてきました。彼らの多面的な魅力を理解するには、一つの楽曲の異なるバージョンを聴き比べるのが一番です。

代表曲の一つである「東京は夜の七時」は、1993年に子供番組のテーマソングとして起用され、世間に広く知られるきっかけとなりました。小西康陽さんが「まさかこんなに残る曲になるとは思っていなかった」と語る、彼らにとっても特別な一曲です。

ここではこの名曲が持つ、光と影を映し出す三つの異なる演奏を比較してみましょう。

1. オリジナル・アルバム『overdose』収録版(1994年)

このバージョンは、ピチカート・ファイヴの中期、野宮真貴さん、小西康陽さん、高浪慶太郎さんの3人体制の絶頂期に発表されました。サウンドは4つ打ちのリズムと重低音のループが特徴的で、ハウスビートを基調としています。当時のクラブミュージックの影響を強く受けて、洗練されたクールな印象を与えます。

小西さんはこの曲について、リミックスが多数存在する中でも「やはりオリジナル・ヴァージョンには強い説得力がある」と述べています。都会の喧騒と孤独をビートに乗せて軽やかに歌い上げる野宮さんの歌声が、まさしく「煌めく都会の孤独」を体現しているかのようです。

ただしこの曲は、「ふつうの歌謡曲、あるいはポップスのABC構成」という堅牢な構造を持っていながら、編曲はクラブ・ミュージック的で、「短くエディットすることがムズカシイ」という側面がありました。
アルバムに収録されたものはその洗練されたスタイルを保ちつつも、都会の「陶酔感」を最大限に引き出しています。

2. ベストアルバム『PIZZICATO FIVEーJPN Big Hits and jet Lags 1994-1997』収録のリミックス版

1997年に発表されたベストアルバムに収録された「東京は夜の七時(レディメイド mfsb ミックス)」は、オリジナルとは一味違った魅力を放っています。このベストアルバムは、ピチカート・ファイヴの全盛期から選りすぐられた楽曲が集められており、リミックス版とはいえ、曲の持つハッピーでポップな側面が強調されています。

リミックスという手法は、ピチカート・ファイヴの**「編集」という音楽的姿勢を象徴しています。オリジナルが持つ疾走感を保ちつつも、さらにダンスフロアを意識したアレンジが施され、この曲が持つ「楽しさ」という感情を、よりダイレクトに感じさせてくれるでしょう。このアルバムは「これ1枚で満足できる構成」となっており、彼らの音楽を初めて聴く人にも、「あれ?なんか聴いたことある」**と、すんなりハマる事ができちゃうのです。

3. 小西康陽さんボーカル版(PIZZICATO ONE『失恋と得恋』収録、2024年)

東京は夜の七時 / 小西康陽
東京は夜の七時 / 小西康陽詞・曲 小西康陽New Album『失恋と得恋』2024年10月30日リリースYasuharu-Konishi.lnk.to/LoveLostAndFound<MVクレジット>Director:川島真美 KAWA...

最新の比較対象として、2024年に小西康陽さんが自身で歌ったボーカルアルバム『失恋と得恋』に収録されたバージョンがあります。小西さんがキャリア約40年で初めてリリースした本人名義のボーカルアルバムです。

このバージョンは、小西さんの「ささやくような」歌声と、「とても静かで優しいアレンジ」が特徴です。オリジナルの賑やかなハウスビートとは対照的に、曲の持つメロディラインの美しさ、そして歌詞の根底にある「孤独」や「内省」といった感情が際立っています。
小西さんはこのアレンジについて、「わりとピチカート・ファイヴを始めた頃から、アレンジを全部はぎ取って、ちゃんとした曲として成立するものを書こうと思って作ってきました」と語っています。

この静かな演奏は、派手なアレンジという装飾を剥がした曲本来の「偽りのない心の風景」を見せてくれます。三つの演奏を聴き比べることは、一つの楽曲が時代や演奏者の解釈によっていかに多彩な「感情の発露」を内包し得るのかを教えてくれるでしょう。

🔗 過去と未来を結ぶアーバンな憂鬱

ピチカート・ファイヴの音楽は単体で完結しているのではなく、様々な芸術作品との繋がりの中で、その「静かなる抵抗の音」を響かせています。
彼らは過去の音楽や映画からの引用や当時の都市生活者の心理を描くことで、特有の「アーバンな憂鬱」を生み出しました。

ピチカート・ファイヴの音楽が持つ編集的なスタイルや都会的で洗練されたサウンド、そしてその裏に潜む孤独感といった特徴は、日本の「シティ・ポップ」の系譜の上に位置付けられます。
シティ・ポップは1970年代後半から1990年代前半にかけて日本で制作された、「都会的な雰囲気を持つ楽曲群」です。「熱狂や没入を忌避する対象と一定の距離を置く、冷笑的とも言える態度」が共通しています。

この「都会的な憂鬱」を共有する作品として、まず竹内まりやさんの「Plastic Love」(1984年)が挙げられます。この曲はシティ・ポップのアンセムとも呼ばれる圧倒的な人気を誇り、その歌詞は「恋などしょせんは儚く脆いものであり、大量生産が可能なイミテーションのようなものに過ぎない」というドライな内容です。

ピチカート・ファイヴが描く愛や消費に対するドライな態度は、「Plastic Love」の持つ「都会人特有の自意識」と深く共鳴しています。
ピチカートの楽曲「悲しい歌」で表現される、強い悲しみの後に訪れる「巨大な虚無感」、そして「神の御業」で示されるどうにもならない破局を既に諦めている感覚は、この「儚い恋」のテーマに繋がっているのです。

彼らの音楽が体現した「未来への希望の喪失」というテーマは、現代のデジタルカルチャーにも共鳴しています。2010年代初頭からインターネット上で広まった音楽ジャンル「Vaporwave(ヴェイパーウェイヴ)」は、その好例です。

Vaporwaveは、インターネット上を漂流する音源をサンプリング・リミックスし、消費社会の理想郷としての1980年代の日本(≒東京)というイメージを頻繁に使用します。
彼らは「成長や進歩をもう信じることができず、未来への希望を抱けなくなった」という感情から、過去を理想化することで現在をやり過ごそうとします。
ピチカート・ファイヴが描いた「経済と文化の両面における繁栄に彩られた1980年代の日本、とりわけ東京」の空気感は、まさにVaporwaveのアーティストたちが追い求める「失われた理想郷」そのものだったのです。

さらに、ピチカート・ファイヴが追求した「形」「匿名的な音楽」という概念は、後の日本のポップミュージックに大きな影響を与えました。

特に中田ヤスタカさんや初音ミクといった存在は、ピチカート・ファイヴが作り上げた「プロデューサーのパペットとして動く」というポップアイコンの概念を継承していると考察されています。
小西さんが「エゴを押し付けることへの嫌悪感」から「より匿名的な音楽を」志向した姿勢は、中田ヤスタカさんが作り出す「乙女のような繊細さの普遍性」や、初音ミクという架空のキャラクターが歌う音楽の形に、確かに受け継がれているのです。

ピチカート・ファイヴの音楽は過去のポップスを引用しつつ、同時に未来のクリエイターたちに「編集という手法」「クールで都会的な態度」という武器を与えました。
彼らの音楽は陽気でキャッチーなメロディの中に、「何事にも終わりがある」という諦念や「何もやること/やりたいことがない」という無気力を滲ませ、現代人が抱えるアーバンな虚無感を、「静かなる抵抗の音」として表現し続けたのです。

🕊️ 【ピチカート・ファイヴ】が届ける「静寂を破る感情」

ピチカート・ファイヴが2001年に「お葬式」と称した最後のライブをもって解散してから、随分と時間が経ちました。しかし彼らの音楽は、今もなお世界中で再生され続けています。彼らは自らを「20世紀のバンド」と明確に位置づけ、その活動を終えました。

彼らが残した最大の功績は、「歌とおしゃれ」という楽しさの裏側に、「編集」という批評的な姿勢と「形への執着」という美学を埋め込んだことでしょう。小西康陽さんはロックの「エゴを押し付ける」姿勢を嫌い、野宮真貴さんという「最高の楽器」をフロントに立てて、「より匿名的な音楽」を追求しました。

その匿名性こそが、時代や国境を超えてリスナーの心に響く「静寂を破る感情」を生み出した鍵です。彼らの楽曲はどこまでもハッピーでグルーヴィーでありながら、その歌詞は「人生で出会った中で少しでもポジティブな関わりを持った人なら誰でも『きみ』になり得る」ような、普遍的な「別れ」「虚無」を歌っていました。

私たちは彼らの音楽を通して、「忘却することを忘却してしまった」現代において、過去のアーカイブから光を見出そうとしています。ピチカート・ファイヴの音楽は、まさに「未だ開拓されていない『過去』に可能性を見出す」という、現代の複雑な心理を先取りしていたと言えるでしょう。

彼らが私たちに届けたのは、「万事快調って訳には行かないみたいね」という能天気な明るさの裏側にある、真の孤独でした。この正直で、時に残酷な「心の奥底からのメロディ」は、これからもきっと、新しい世代のクリエイターやリスナーにインスピレーションを与え続けることでしょう。

彼らの音楽は未来を想像するのが難しくなった時代に、「失われた理想郷」の片鱗を映し出し、一筋の光明となって私たちの足元を照らしてくれているのです。

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