この記事は、ナチス・ドイツというあの時代の暗い影の中で、権力によって「有害である」と烙印を押され、演奏や出版を禁じられてしまった音楽たち、「退廃音楽(Entartete Musik)」について深く掘り下げていきます。
🎼 芸術家たちの命がけの抵抗の記録
皆さんは、好きな音楽を自由に聴くことができない世界を想像できますか? 好きな曲を聴くだけで「道徳的に堕落している」「民族感情に害を及ぼす」と決めつけられ、排除されてしまうのです。
第一次世界大戦と第二次世界大戦の間に、ヨーロッパで何が起きていたのでしょうか。 政治的なイデオロギーや人種的な偏見によって、美しい芸術がゴミのように扱われる。 しかしその抑圧された闇の中にこそ、真に光を放つ音楽の力が隠されていました。
「退廃音楽」は、自由な表現を求める芸術家たちの命がけの抵抗の記録なのです。 ユダヤ人であるという理由だけで、あるいは実験的な和音を使ったという理由だけで、ステージから引きずり降ろされた音楽家たちの訴えるメッセージが、この音楽には詰まっています。
この旅を通じて、私たちは抑圧された情熱がどのようにして時代を超えた芸術となり、今なお私たちに感動を与え続けるのかを知ることになるでしょう。 音楽が持つ自由への渇望と決して屈しない精神の強さを、一緒に感じてみませんか。
📜 【退廃音楽】が生まれた「戦間期の熱狂」:秩序の破壊と革新的な和音
この音楽が誕生した背景には、19世紀末から第一次世界大戦を挟んだヨーロッパの激しい社会の変化があります。
第一次世界大戦の疲弊と革新
19世紀の終わり、ヨーロッパの芸術界はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』に見られるような極端な半音階主義によって、「調性(キー)」が拡張される時代を迎えていました。第一次世界大戦によってヨーロッパのブルジョワ階級は崩壊し、人々の感性や物事の考え方が根本から変わってしまいます。
この激動の時代、従来の「ロマン派的」な手法で音楽を書き続けた作曲家たちは「もう終わった」「時代遅れの老人たち」と酷評され、新しい時代の音楽が求められました。
その結果、調性という従来の音楽のルールを完全に破壊した「無調音楽」という考え方に、芸術音楽界は辿り着きます。 新ウィーン楽派と呼ばれるシェーンベルクやその弟子たち、ベルク、ヴェーベルンが提唱したこの音楽は、オクターブ内の12個の音をすべて平等に扱い、協和音を意図的に避けるという数学的な処理が施されました。
シェーンベルクはこの理論的に無調を作り出す方法として、1921年に「十二音技法」を発明します。これはそれまでのドイツ音楽が目指していた「可能性の拡大」ではなく、「過去の手法は禁止」という過激な「否定の論理」によって、調性音楽を迫害し始めたとも言える、大きな転換点だったのです。
混沌と実験の時代
一方でこの混沌と実験の時代には、アメリカから伝わった新しいリズム、ジャズがヨーロッパを席巻します。
第一次世界大戦後のドイツ(ワイマール共和国時代)は、政治的に不安定で経済も混乱していましたが、文化的には非常に自由で創造的な時期でした。 若者たちは軍隊のような古い秩序を嫌い、「理由なき陶酔」や「人生への渇望」を求め、ジャズという「ワイルドで新しい音楽」に熱狂しました。 このシンコペーションに溢れた軽やかなリズムは、古いヨーロッパの音楽伝統にはなかったものです。
しかし、ナチスが政権を握ると、この「自由で軽快な音楽」はたちまち「道徳的・人種的に堕落した」芸術と見なされ、排除の対象となります。
ナチスによる弾圧の論理
1933年にヒトラー内閣が発足すると、彼らは国家第一主義を掲げ、ユダヤ人排斥を推し進めます。 音楽もその統制の道具とされました。
ナチスが「退廃音楽」と呼んで禁止した対象は、以下の3点に集約されます。
ユダヤ系作曲家の作品:才能や作風に関係なく禁止。
無調音楽や実験的な現代音楽:調性を否定する芸術は、ドイツ文化を破壊するものだと見なされました。
ジャズやブルースの影響を受けた音楽:これらは「ニーガームジーク」(Negermusik)という蔑称で呼ばれ、「人種的に堕落している」と非難されます。 ジャズのシンコペーションは「未開人種のヒステリックなリズム」として厳しく禁じられました。
「退廃音楽」とは、音楽そのものが「頽落」しているというよりも、作曲家や作品が持つ人種的、政治的、あるいは文化的背景や連想によって、そのレッテルを貼られてしまいます。 ナチスにとって音楽は、人々を扇動し統制するための道具でなければならなかったからです。
🎤 抑圧を乗り越えた当事者たちが明かす「技術と孤独の裏側」
退廃音楽の背景には、芸術家たちの激しい葛藤と自らの信念を曲げない静かな抵抗がありました。 彼らが残した言葉は、その時代の音楽の持つ価値を今に伝えてくれます。
シェーンベルクが賭けた音楽の未来
無調音楽を完成させ、十二音技法を発明したアルノルト・シェーンベルク。 ユダヤ人であった彼は、ナチスの台頭によりベルリンからアメリカへの亡命を余儀なくされました。 彼は十二音技法を発明した時、「これで今後100年間、ドイツ音楽の優位が保たれるだろう」と語ったそうです。
この言葉は一見すると、ドイツ中心主義的な考え方にも見えます。 実際、彼は自分の音楽を理解できない大衆を「排除」するような、孤高の精神を持っていました。 しかし彼の真意は、伝統を破壊しつつ同時に音楽理論を進歩させるという、使命感にあったと言えます。 彼は自分の作曲活動を「喜び」ではなく、「義務」だと感じていました。
アドルノの冷徹な進歩主義
シェーンベルクの弟子であるアルバン・ベルクに師事し、ナチスのファシズムを批判したテオドール・アドルノ。 彼はユダヤ人としてドイツからアメリカへ亡命しましたが、この時代、芸術音楽界における進歩を強く支持していました。
アドルノは調性のある音楽やポピュラー音楽を、強く批判しています。 彼は、協和する和音や分かりやすい音楽を「野蛮」であり、「ロマン派の残りかす」だと断じました。
彼はシベリウスのような調性音楽を、大衆に迎合する「物神化された音楽」として攻撃しました。 彼から見ればシベリウスの音楽は、「分かり易さ」のために陳腐な素材の残骸を使っているに過ぎず、深遠なものの幻想を誤って生み出している、というのです。
アドルノは音楽の本質的な意味内容が忘れられ、商品として消費される大衆の聴取態度を「退化」と見ていました。 批判は非常に厳しく、アメリカでシベリウスを熱狂的に支持する聴衆に対し、シベリウスの交響曲は「千の穴に満ちているとしても、千の湖ではない」と皮肉を込めて言い放ったこともあります。
「アウシュヴィッツのあとで詩を書くことは野蛮である」
「アウシュヴィッツ以降、文化はすべてごみ屑となった」
アドルノが残した有名な言葉です。
アウシュヴィッツでガス室が稼働し始めたのは1942年3月という過去ですが、この時代を現代よりも一律に「野蛮」な時代だったと断じるのは適切ではありません。なぜなら当時でさえ、ドイツはベートーヴェンやブラームスに代表されるような高度なクラシック音楽と伝統的な美術を生み出してきた国だったからです。
この事実はロマン主義的で教養に満ちた「文化」の側面と、ナチズムやホロコーストといった独裁と惨事に満ちた「野蛮」の側面が必ずしも対立するものではなく、むしろ表裏一体の関係にあることを示唆しています。
すなわち「文化」とは、「野蛮」を抑止する力として働くとは限らず、一国の洗練された伝統や芸術が同時に最も非人道的な行為と並存しうるという、歴史の複雑な真実を浮き彫りにしているのです。
ラヴェルが認めた「ジャズ」の才能
退廃音楽のもう一つの重要な要素は、ナチスが憎んだジャズです。
クラシックとポピュラー音楽の狭間に立ち、双方に名を残す唯一の作曲家とされるジョージ・ガーシュウィン。 彼はクラシックのスタイルを意識し、長年「クラシックを本質的に勉強していない」というコンプレックスを抱えていました。
ガーシュウィンは当時、フランスを代表するクラシック作曲家だったモーリス・ラヴェルに弟子入りを直訴します。そのときラヴェルは、こう言って断ったという逸話が残されています。
あなたは既に一流のガーシュウィンなのだから、二流のラヴェルになる必要はない
ラヴェルのこの言葉は、クラシック音楽の伝統に縛られず、ポピュラー音楽という新しい表現を切り開いたガーシュウィンの固有の価値を認めています。 この自由な創造性こそが、ナチスが否定しようとした「音楽の多様性」そのものだったと言えます。
この逸話は、権威や伝統ではなく、個人の創造性こそが芸術の核心であると、時代を超えて訴えかけてきます。ナチスがジャンルの垣根を軽々と飛び越えるこのエネルギーを恐れたのも、無理はないでしょう。
✨ 【退廃音楽】の魂を呼び覚ます演奏:強制収容所の調べと熱狂のリズム
「退廃音楽」はナチスの弾圧により一度は歴史の闇に葬られかけましたが、戦後、特に1990年以降、DECCAレーベルが「退廃音楽(ENTARTETE MUSIK)シリーズ」として、採算度外視でその作品群を世に送り出しました。
このシリーズは教育的な意図をもって作られた、真に尊ぶべき企画と言われています。 ここでは、その中でも特に芸術的な価値が高く、当時の悲劇的な背景を伝える作品を3つ、厳選してご紹介します。
エーリヒ・W・コルンゴルト:歌劇『ヘリアーネの奇跡』より
作曲家の背景: オーストリアの神童と呼ばれたコルンゴルト。彼の作品は後期ロマン派的な豊潤で重厚な響き(後期ロマン派的作風)を特徴としており、ユダヤ人であったため、ナチスによって即座に上演を禁止されてしまいました。
音楽の特質と情感: 歌劇『ヘリアーネの奇跡(Das Wunder der Heliane)』 のスコアは、幻想的で痛々しいほど感情的であり、暗く官能的な響きに満ちています。 ナチスが排除しようとした「デカダンスの美意識」の系譜に連なる、濃密なロマン主義を感じさせます。
彼の音楽は、ワーグナーからマーラーへと続くドイツの伝統的な手法を受け継いでいますが、ナチスによってそのロマン派的手法自体が「前衛」とは反対の「古き良きもの」としてディスられていた中で、ユダヤ人であるという理由で禁じられたのは、まさに不条理な抑圧の象徴です。
エルヴィン・シュルホフ:『ホット・ソナタ』ジャズに触発されたピアノ作品
作曲家の背景: チェコのユダヤ系作曲家エルヴィン・シュルホフ。彼はダダイスムに感化された前衛的な作曲家でしたが、同時にジャズを積極的に取り入れ、1920年代半ばにはヨーロッパ中で人気を博していました。 しかし彼は、ソビエト市民権を得た共産主義者でもあり、ナチスによって強制収容所に送致され、病死するという悲劇的な最期を遂げています。
音楽の特質と情感: 彼の作品は、ナチスが最も嫌ったジャズの要素を真正面から取り入れています。 彼の『ホット・ソナタ』や『ジャズ様式の5つの練習曲』は、シンコペーションに富んだ熱狂的なリズム(ホット・ジャズ)と肉体的な至福感 を重視しています。 サクソフォンやパーカッシブなピアノを用いた演奏は、まさに「退廃音楽展」で危険視された、「野蛮で堕落した」とされた音楽そのものの生命力を爆発させています。
彼の音楽を聴くと抑圧された自由な魂が、リズムに乗って立ち上がり、熱狂的なエネルギーを放っているように感じられます。
テレージエンシュタットの作曲家たち:ウルマン、ハース、クライン
作曲家の背景: ナチスによって「模範収容所」として利用されたテレージエンシュタット強制収容所。 ここにはヴィクトル・ウルマン、パヴェル・ハース、ギデオン・クライン など多くのユダヤ系音楽家が収容され、過酷な状況下にもかかわらず、限られた期間ながら芸術活動が推奨されました。
音楽の特質と情感: 彼らが残した作品は人間性の尊厳と、絶望の中でも失われない静かな創造の光を伝える魂の記録です。
ウルマンの『アトランティスの皇帝』 や、ハースの『猿の山から』、クラインの『弦楽三重奏曲』 などは、ヤナーチェクやシェーンベルクに学んだ高度な作曲技術と、ボヘミアやユダヤの民俗的な情緒が混ざり合っています。
クラインの作品は、ベルクの作風を彷彿とさせる響きを持っていると評され、ハースの作品はモラヴィアの民俗音楽に根差した趣があります。
聴き比べの視点: コルンゴルトの豊潤なロマン」、シュルホフの「打楽器的な熱狂」に対し、テレージエンシュタットの作曲家たちの作品は、極限状態の中で生み出された「研ぎ澄まされた静かな調べ」です。
彼らの室内楽は過度な感情表現を排しつつも、一つ一つの音が深い意味を帯びて響きます。聴き手はこの極限の美しさに触れることで、音楽家たちが守り抜こうとした自由な魂を感じることができるのです。
🔗 【退廃音楽】の「世紀末の病」が共鳴する:禁断の美を追い求めた文学と舞台芸術
「退廃音楽」がナチスによって弾圧されたのは1930年代以降ですが、その音楽的、文化的ルーツは、19世紀後半のヨーロッパで花開いた「デカダンス(退廃主義)」という芸術運動に深く根ざしています。
この運動が持つ「世紀末の病」や「禁断の果実への渇望」といった精神性は、多くの音楽、文学、映画に共鳴し、ナチスが否定した「モダニズム」の土壌を作り上げました。
文学:オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの肖像』が描く頽廃の美学
デカダンス運動を代表する作家の一人がオスカー・ワイルドです。 彼が提唱した「芸術のための芸術(アート・フォー・アート・セイク)」*の思想は、芸術が道徳的な制約から解放されるべきだと主張しました。
彼の小説『ドリアン・グレイの肖像』は、まさに「頽廃の美学」を体現しています。 主人公ドリアンが、美の追求と道徳の崩壊という禁断の快楽に溺れていく姿は、「退廃音楽」が持つ協和音や伝統的な形式をあえて避ける「悪趣味の肯定」という感覚と共鳴します。
ワイルドの小説は現世の醜さや退屈さからの逃避、そして人工的な美への執着を描き出し、ナチスが掲げた「健全な民族芸術」とは真逆の、精神的な孤立と過剰な耽溺を賛美しました。
オペラ:リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』に潜む官能と破滅
デカダンスのテーマを最も劇的に音楽化した作品の一つが、リヒャルト・シュトラウスのオペラ『サロメ』です。
この作品は、ワイルドが戯曲化した物語に基づいています。 主人公サロメは神話的な「ファム・ファタール(宿命の女)」の典型として描かれ、その魅惑と破滅のテーマは、デカダンスが好んだ「死と退廃に結びついた美」を象徴しています。
音楽的な面では、ワーグナーの半音階的な拡張をさらに推し進めた極端な和声や、形式を意図的に歪める「倒錯的な快楽」を感じさせる革新的な響きに満ちています。
シュトラウスはワイルドの詩的な表現に応えるために、意図的に「正常な」音楽的構造を溶解、歪曲させていると分析されることもあります。
このように、聴く者の感性を極限まで刺激する後期ロマン主義の持つ濃密な表現は、「退廃音楽」が持つ実験的な探求心の系譜に位置づけられます。
舞台芸術:クルシェネクのオペラ『ジョニーは演奏する』のジャズの反抗
ナチスによって「退廃音楽」のセクションで名指しされた作曲家の一人、エルンスト・クルシェネク。 彼のオペラ『ジョニーは演奏する (Jonny spielt auf)』は、ジャズを主要な要素として取り入れた作品です。
このオペラの登場人物ジョニーは、セクシュアライズされたアフリカ系アメリカ人のヴァイオリン奏者として描かれており、そのジャズ的な特質と人種的な連想が、ナチスにとって「退廃」の象徴となりました。
劇中、ラジオ放送やダンスホールで流れる「シミー・フィギュアと呼ばれるジャズのリズムや、サクソフォンを使った滑るような音色(スミアリング効果) は、クラシック音楽が重んじる「音の静謐さ」を乱す「汚れた」状態と見なされたのです。
この作品は、第一次世界大戦後のワイマール時代の混乱した社会情勢の中で、ジャズや社会主義、エロスや前衛芸術といった、ナチスが最も嫌った要素が混ざり合った「新しい野蛮」を具現化するものでした。 この舞台の持つ「革命的な和音」と「社会への風刺」こそが、ナチスに激しい憎悪を抱かせたのです。
🕊️ 【退廃音楽】が未来へ繋ぐ「静かな抵抗の遺産」:私たちが聴き継ぐべき理由
退廃音楽の物語は、悲劇的な亡命と死の記録でもあります。
ユダヤ人作曲家たちは、ナチスの台頭によりドイツからアメリカなどへ亡命しました。 映画産業の中心がユダヤ人だったハリウッドでは、亡命した音楽家たちによって後期ロマン派的な手法が映画音楽という新しい分野で受け継がれます。
たとえばコルンゴルトは、ハリウッドで映画音楽の基礎を作り上げ、その作風は酷評の的だった後期ロマン派をドラマチックなシンフォニック・スコアとして生き永らえさせました。
クラシック音楽史に描かれることのない、分野を変えて継承された大切な音楽文化と言えます。
一方で、ヴィクトル・ウルマンやパヴェル・ハース、ギデオン・クラインといった作曲家たちは、テレージエンシュタット収容所に送られ、その地で最期を遂げています。 エルヴィン・シュルホフも強制収容所で病死しました。
彼らは「文化を守れ!」と叫ぶ一方で人々が殺されていく当時の状況を、「痛ましく悪趣味」だと日記に残しています。
ナチスが十二音音楽を弾圧したことは、逆に「ヒトラーの嫌った音楽こそ重要だ」という戦後の音楽界の風潮を生み出し、調性音楽を書くことが「悪行」とされるほど、また別の「否定の論理」を生み出す結果にもつながりました。
しかし、私たちがこの「退廃音楽」から受け取るべきメッセージは、芸術の分断や価値差別への疑問です。
この音楽が私たちに教えてくれるのは、「創造性とは抵抗である」ということです。 音楽はイデオロギーやプロパガンダに閉じ込められる表現であり、即興的なソロや意図的な不協和音の中に、静かな反抗が生き続けています。
ナチス政権下で「映画に魂を売った下等な作曲家」とレッテルを貼られたコルンゴルトのように、芸術の価値はその時代の権威や学問的な進歩史観によって、いとも簡単に貶められてしまいます。
だからこそ私たちは、一度忘れ去られ抑圧された音楽に耳を傾け、その固有の価値を再確認する必要があります。 ユダヤ系作曲家の流麗なロマン、ジャズのリズムに託された魂の自由、強制収容所の静かな調べの一つ一つが、人間が持つ自由への渇望を今を生きる私たちに力強く伝えてくれるのです。
【退廃音楽】が未来へ繋ぐメッセージは「文化の多様性を尊重すること」、そして「抑圧に対して声を上げ続けること」の重要性ではないでしょうか。
この音楽の感動を、どうか未来の世代に受け継いでいってください。
参考文献一覧
本記事の作成にあたり、以下の資料を参照しました。
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- ~:DECCAレーベル「退廃音楽」シリーズ|HMV&BOOKS onlineニュース
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- ~:SWING INTO ACTION: THE POLITICAL AND AESTHETIC ROLE OF JAZZ
- ~:Schenker, Schoenberg e Entartete Musik – Hugo Ribeiro
- ~:The Paradox of Commodified Music in Decadence – Cornell eCommons
- ~:“DEGENERATE” MUSIC: JONNY STRIKES UP THE NAZIS’ DISAPPROVAL – Journal of Student Scholarhip
- ~:『ブルンディバール~テレージエンシュタットの作曲家たち~クラーサ、ウルマン、クライン、ハース』 ナッシュ・アンサンブル | HMV&BOOKS online
- ~:【CD輸入版 中古】退廃音楽 Entartete Musik« – Meisterwerke Einer Verlorenen Epoche 2005 Decca
- ~:【日本音楽史】⑭1940年代の凋落「戦時下」から「占領下」へ – note
- ~:アドルノのシベリウス批判 Adorno’s Gloss on Sibelius: Its Background and Problems 神部 智 KAMBE Satoru – 国立音楽大学リポジトリ
- ~:エルヴィンシュルホフとは? わかりやすく解説 – Weblio辞書
- ~:エルヴィン・シュールホフ 交響曲作家 | かばの漬け物 (じゃあ、ヴィオラでもやるか)
- ~:ギデオン・クライン – Wikipedia
- ~:ドイツ占領期(1945-49)における オペラ《画家マティス》
- ~:ナチ時代のドイツ音楽界:20世紀の音楽(54)
- ~:ニーガームジーク – Wikipedia
- ~:パヴェル・ハース – Wikipedia
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- ~:世紀末ウィーンのデカダンス〜滅びの美学〜| シン・リーディング・コンサート「カフカの手紙 – note
- ~:論文 (ナチスドイツと音楽の関係)
- ~:退廃芸術 – Wikipedia
- ~:退廃音楽 – Wikipedia
- ~:退廃音楽とは? わかりやすく解説 – Weblio辞書

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