その苦しさは、あなただけのものじゃない

今、この文章を読んでくれているあなたは、もしかしたら少し疲れていませんか?
SNSを開くたびに、誰かのきらきらした生活を見て「自分だけがんばれていないんじゃないか」と焦ったり、勇気を出して投稿したのに「いいね」の数が少なくて一日中気分が沈んでしまったり。
楽しむための場所だったはずなのに、いつの間にか、自分を責める「鏡」になってしまった。その鏡に映るのは本当のあなたではなく、他人と比べて「足りない自分」ばかり。
実はこの「SNS疲れ」や「いいね」に振り回される感覚は、あなた一人の弱さなんかじゃありません。世界中で、49億人の人たちがSNSを利用し、多くの人が同じように「みえないプレッシャー」を抱えています。
私たちがこんなにも「誰かに認められたい」と願うのは、人間ならだれもが持つ、自然で根源的な欲求だからです。
心理学の有名な考え方では、承認欲求はごはんを食べたい(生理的欲求)や安全に暮らしたい(安全の欲求)といった基本的な欲求が満たされた次にくる、とても大切な心の栄養だとされています。
その大切な栄養が、ネットの世界では「魔法のクスリ」のように強力になりすぎ、ときに私たちを中毒のような状態にしてしまうのです。
この記事では、私たちがどうしてSNSの「すごい地獄」に引きずり込まれてしまうのか、その仕組みを一緒にひも解いていきましょう。そしてこの「苦しいループ」から抜け出し、他人の評価に揺るがない、あなた自身の心地よい居場所を見つけるための具体的な方法を伝えます。
これは、誰かへの批判ではなく、「あなたの心が軽くなるための物語」です。最後まで読めばあなたはきっと、SNSとの付き合い方について、もう一度「じぶんのペース」を取り戻せるはずです。
さあ、心の深呼吸をして、一緒にこの「承認欲求」という名の迷路の出口を見つけにいきましょう。
「いいね」に溺れた駐在妻の告白:たった720文字の投稿がくれた「甘い蜜」

まず、SNSの「魔力」を体感してしまった、ある女性の物語から始めたいと思います。
上海で暮らす「安娜(あんな)さん」は、結婚を機に夫が赴任する異国の地で生活を始めました。慣れない外国での生活は言葉の壁や文化の違いもあり、毎日が不安でいっぱいだったといいます。
「さっきの店員さん、なんて言っていたのかな?たぶんこういうことだろうと思って返事しちゃったけど、本当に合っていたかな?外国人めんどくさいと思われたかな?」
そんなふうに小さなことで自信を失い、「私はここに居てもいい」という感覚がもてない日々。さらに駐在妻としての生活には、誰からも「期待」されているミッションがない。真面目に生きようがサボろうが、誰も興味がない。
そんな「他者からの承認」に飢えた彼女にとって、ある日始めた「ノート(note)」というSNSからの反応はまるで「蜜のように甘く、身体中にエネルギーを漲らせる魔法薬」のようでした。
初めて投稿したたった720文字程度の自己紹介記事。それなのに投稿から数10分後には、「○○さんにスキされました!作品が読者に届いています!」という通知が、メールボックスに10数件も飛び込んできたのです。
まさに「ビギナーズラック」。運営側が始めたばかりのクリエイターに成功体験を味わってもらうために、意図的に表示させているのだと安娜さんは推察しています。
でも、承認に飢えていた安娜さんにとってその刺激は強すぎました。
数えるほどでも「スキ」がもらえたらありがたいはずなのに、気がつけば承認のハードルが上がって、「もっと!!もっと・・・!!」と欲するようになっていました。
彼女の関心は「書きたいネタ」から「読者にハマりそうなネタ」へと変わり、記事の出来ではなく、数時間おきにダッシュボードの「ビュー数」を確認する日々。
しかしその「ビュー数」も、純粋に記事が読まれた回数(ページビュー)ではなく、おすすめなどでタイムラインに表示された回数も含む「非常に不明確な数字」であることが判明します。
安娜さんはこの経験を通じて、SNSが持つ「魔力」の恐ろしさを初めて体感したのです。
安娜さんの物語はSNSの承認がもたらす「依存性」と「幻」を、とても正直に、生々しく示してくれています。現実で満たされない心をSNSの「甘い蜜」で満たそうとすれば、かえってその刺激を「もっと、もっと」と求めるようになり、最終的には数字という「幻」に振り回されてしまうのです。
データが示す「承認中毒」の構造:大学生の51.8分がさまよう心理の沼
なぜ、私たちはSNSの「いいね」や「ビュー」という数字に、これほどまでに心が揺さぶられてしまうのでしょうか? それは現代社会の構造と人間の持つ根源的な心理が、SNSという場で絡み合っているからです。
「いいね」は、マズローの欲求をみたす「直接的な承認」

心理学者のマズローは、人間は誰でも「自分という存在を認められたい」という欲求を持っていると説きました。これを「承認欲求」といいます。
SNS、特にインスタグラムなどのプラットフォームは、この承認欲求を直接的な形で満たします。アンケート調査の結果でも、「いいね」をもらった後の心境として、どの年代でも「うれしい」という結果が圧倒的に多いことがわかっています。
「いいね」の数やフォロワー数は、私たちが発信した情報が「承認された」証となり、「誰かが私を承認してくれている」という感情を、とても直接的に得ることができます。
この肯定的な反応を受け取ることで、自己評価が上がり、承認欲求を満たすことで自己肯定感を高め、自分の存在価値を見出すというメカニズムが働きます。
しかし、この承認の基準が「いいねがいくつ付いたか」や「フォロワー数が何人になったか」という可視化された数字に依存しすぎることで、承認欲求はどんどん「肥大化していく傾向」にあるのです。
インスタグラム利用者は「賞賛獲得欲求」が高く、比較に弱い
大学生を対象にした研究データを見ると、この承認欲求の強さとSNSの利用傾向との間に、明確な関係が見て取れます。
ある調査では、回答者の81%がインスタグラムを利用しており、平均して1日に51.8分もの時間を費やしていることがわかっています。
この調査で、インスタグラムを利用しているグループ(ユーザー)は、利用していないグループ(ノンユーザー)と比べて、「賞賛獲得欲求」が有意に高いことが確認されました。賞賛獲得欲求とは、「人から認められたい、称賛されたい」という、積極的に承認を求める欲求です。
賞賛獲得欲求が高い人は、SNSを使うことでその欲求を満たせるため、SNSを利用している時は「楽しい」と感じていることもわかっています。しかしその裏返しとして、「いいねが少ないと不安になる」傾向も強く見られます。
「上方社会的比較」が引き起こす心のかげり

SNS疲れの大きな原因は、この「承認欲求の肥大化」と「社会的比較」のセットにあります。
SNSに映し出されるのは、他人の人生の「ハイライト集」や「切り取られた一瞬」だけです。誰も泥臭い努力や、人生を辞めたくなるようなしんどい時期、失敗やネガティブな部分をわざわざ投稿しません。
それなのに、私たちはその華やかなハイライトを見て、「上方社会的比較」をしてしまうのです。上方社会的比較とは、自分より優れていると認識している他人と自分を比べることです。
この上方比較の傾向が強い人ほど、他者からの反応に敏感になり、「いいね!」が多く付くと大きな喜びを感じる一方で、他者の投稿を見て「羨ましい」と感じたり、さらには「自分を惨めに感じたり、気分が落ち込んだりする」傾向があることが、研究で示されています。
SNSで幸福感が下がるのは、「他人との比較」が増えてしまったことに尽きます。そして、比較対象がインターネットを通じて世界中に「無限に広がった」結果、マウンティングの頂は誰も到達できないほど高くなり、「もっと頑張らなきゃ」という重圧と、「自分だけ取り残されている」という焦りに苦しめられることになるのです。
「ナルシシズム」と「偉そうな人」の正体
承認欲求の裏には、「自己愛(ナルシシズム)」の存在があります。自己愛というと「自分のことが大好き」というイメージがありますが、実はマウントをとる人の心理の根底にあるのは「自分に自信がない」という特徴です。
彼らは他人を下げることによって相対的に自分を高く見せよう、つまり「自分に自信を感じたい」という願望の現れとして、マウンティングという行為に出てしまいます。
この「ナルシシズム(自己愛)傾向」が高い人ほど、ソーシャルメディアでのトラブルや潜在的リスクとの関係性が存在することが、調査で明らかになっています。実際にある調査でSNSのトラブルを経験している割合は、自己愛傾向が低い層と高い層とで、「4倍近い差」が見られました。
自己愛傾向が高い回答者は、業務中の仕事関連の話題の投稿率が高いこともわかっています。
SNSで目につく「妙に偉そうな人たち」も、その根拠のない自信は「自己効力感という形でみるみる肥大化していく」万能感の幻想が原因で、相手の立場に立つという姿勢(共感性)の欠如が見られます。
ネット上では顔や実名がない「匿名性」や、相手の表情や声のトーンが欠落している「コミュニケーションの隔たり」があるため、現実世界よりも攻撃的で、マウンティング的態度をとりやすくなるのです。
知者たちが気づいた「比較の外」にある本当の価値

私たちを苦しめる承認欲求とマウンティングの「すごい地獄」。このループから抜け出すヒントは、私たちが生きる「社会の構造」と、それを超越し自分の価値基準を築いた人々の言葉にあります。
承認のゴールなき「マウンティングマウンテン」
現代社会はSNSやメディアのおかげで、比較対象が世界中の「上」に可視化されてしまいました。
政治哲学者チャールズ・テイラーは、現代のアイデンティティは他者からの認識(recognition)によって深く影響されており、認識されないことは「抑圧の一形態」であると指摘しています。つまり人は、「あなたはここにいてもいい」と誰かに認めてもらえないと、存在意義が揺らいでしまうのです。
自由に生きられるようになったはずなのに、多くの人が「他人より上であること」を、手っ取り早い「正解」のように見てしまう。
結果として私たちは「無限の比較」にさらされ、安娜さんのように「もっと!!もっと…!!」と承認を求め続けても、その頂(マウンティングマウンテン)は誰も到達できないほど高くそびえ立っています。
この無限の承認の競争は私たちが「内なる価値」、つまり「自分自身の価値基準」を見失ってしまったことから生まれているのかもしれません。
「負の体験談」こそ人を惹きつけ、偉そうな言葉は響かない
他人からの賞賛を求める人は、自分の成功や実績を過度にアピールしがちです。しかし本当に人を惹きつけ心をつかむのは、そうした「上から目線の言葉」ではないと、識者は説きます。
ビジネスの現場では、自分の扱う商品の「説明」ばかりする営業マンは結果が出せません。なぜなら人は、興味がない商品の説明をいくらされても買う気が起こらないからです。
教育改革実践家の藤原和博氏は、部下や取引先に真剣に話を聞いてもらい、行動につなげてほしいと願うなら、最初に「自分から質問する」ことが大切だとしています。
成功者たちのコミュニケーションをひも解くと、偉そうな言葉や自慢話よりも、むしろ「負の体験談」や「葛藤の過程」を語ることの重要性が見えてきます。
豊臣秀吉を例に見てみましょう。
彼は「信長の草履を懐で暖めた」という美談で知られていますが、この話は作り話であったとも言われます。
謎に包まれた「スピード出世男」の成功の裏には、15歳のとき父の遺産として1貫文(現在の価値で10万円)をもらい、その後、針を売って歩いたという庶民的な苦労や初期の商売経験があったのです。
秀吉が持つ「負の体験談」(針を売って歩いた経験など)は、彼が自身の成功を語る際に、人間的な深みや共感性を伝える役割を果たした可能性があります。
偉そうな態度は「自分は正しくて優秀」と思い込む過信や、自信のなさの裏返しであり、結局は信頼を失い、孤立につながります。
「禅」と「自分軸」が教えてくれる心の平穏
では、他者からの評価に揺さぶられずに心の平穏を保つには、どうすればいいのでしょうか。
哲学者や禅の教え
カナダの哲学者チャールズ・テイラーは、現代のアイデンティティが他者からの「認識」に深く影響されていると指摘しましたが、この呪縛から解放されるには「比較の外に出る」こと、つまり「何を欲し、何を良しとするか。その判断を“自分の内側”から始めること」が重要と説きます。
禅僧の大愚和尚は私たちがSNSにのめり込んでしまう理由の一つとして、企業が私たちの時間や情報空間を奪い合い、「貪瞋痴(とんじんち)」という煩悩(貪り・怒り・愚痴)を繰り返し刺激している状況を挙げています。
妄想を防ぐためにはこの煩悩から離れ、「実体を見ること、真実を見極めること」が大切だとされています。SNS上のきらきらは往々にして、「妄想にすぎない」のです。
成功者たちの視点
「ホリエモン」こと堀江貴文氏は、仕事のできない人が惜しんでいる「人生の必要経費」について言及し、パフォーマンスに差が出る1回30円の「投資」といった小さな費用を惜しまないことが重要だとしています。これは、目先の承認や自慢ではなく、「自分の成長」という本質的な価値に投資することの重要性を示唆しています。
バンドUVERworldの言葉には、SNS時代を生きる私たちへの強いメッセージが込められています。
「僕らは美しいものを探すくせに、隣にいる人の美しさに気づけない」
上を見ればいくらでも上はいるけれど、そんなものを見続けても人生は何も変わりません。焦らず「あなたの隣にいてくれる人、近くにいる人の美しさに気づこう」、つまり、リアルな人間関係と「自分の世界」を大切にすることの重要性を教えてくれています。
あなたが本当に満たされるのは、画面の向こうの不特定多数の「いいね」ではなく、自分の内側から育んだ「私なりの正解」と、現実の生活の中で得られる安心感や充実感なのです。
未来への道標:他人の“正解”に振り回されない5つの心のメンテナンス

SNSは情報収集や新しいつながりを得るための素晴らしい「道具」です。完全に手放す必要はありません。大切なのはその道具に「あなたの心を奪われない生き方」を選ぶことです。
心理学の知見とSNSを上手に使いこなす人たちの知恵から導き出された、すぐにできる「心のメンテナンス術」を5つ紹介します。
「心のざわつき」をラベルづけする深呼吸の習慣
SNSを見ているとに、羨ましさ、焦り、怒りといったネガティブな感情が湧き上がったら、その場で「一度深呼吸」をしてください。
感情が動いた瞬間に「あ、今ちょっと焦ったな」「羨ましい気持ちが出てきたな」と、自分の感情を「ラベルづけ」して観察するのです。感情に「反応」するのではなく、一歩引いて「観察」する時間をつくることで、心が落ち着きを取り戻します。感情を抑え込むのではなく、「見つめて流す」ことが大切です。
「不快な相手」を徹底的にブロックし、環境を整える
SNSは現実の人間関係とは違い、「関わるのも自由、関わらないのも自由」な場所です。自分のメンタルを守るために、不快なコメントやメッセージはブロックやミュート、非表示機能を積極的に活用しましょう。
偉そうなコメントや荒らし(ネットトロール)は、あなたの人生に一ミリも必要ない情報です。彼らはたいがいごく少数であり、論理的ではない意見に論理的に返しても無駄です。
心理学の知見でも、ネットトロールはブロックが推奨されています。フォローアカウントを定期的に見直し、見ていて心がざわつくものは思い切ってミュート・非表示にする「フォローを選び直す勇気」を持ちましょう。
「自己満足」を最優先し、投稿の目的を「記録」に変える
承認欲求に振り回されないために、投稿の目的を「反応」から「記録」や「表現」に変えてみましょう。
誰かに評価されるためではなく、「自分の気持ちを整理するため」、あるいは「記事を置いておくことに意味がある」と捉えるのです。
例えば、安娜さんが最終的に決めたルールの一つは、「あくまで“自己満足”を優先すること」でした。「自分が書きたいネタ」を優先し、たとえ反応が薄くても「そっか~笑、マニアックなネタだもんな~」くらい気軽に受け止めることが、心を消耗させない秘訣です。
情報の「出典」を確認する 「横読み」であやしい情報にだまされない
SNS上には偉そうなコメントや、根拠のない「お気持ち」にすぎない情報が溢れています。
これらを見分けるための対処法として、心理学の研究では「横読み(ラテラルリーディング)」が推奨されています。これはその情報が個人の「お気持ち」なのか、それとも何か「根拠があって言っているのか」を調べることです。
まずは、その意見や情報に「出典、引用」があるかどうかを確認するだけでも、情報の信頼性をふるいにかけることができます。出典がない場合、それはあくまで「一意見」として頭の片隅に置く程度で十分です。
「デジタルオフデー」をつくり、リアルで五感を満たす時間を持つ

SNSはあなたの生活の主人公ではありません。「見ない時間」を意識的につくることは、心のメンテナンスです。
週に一度、SNSを見ない日を「デジタルオフデー」として設けてみる、あるいは朝起きてすぐや寝る前のチェックをやめるなど、「オフ時間」をつくる習慣が大切です。
SNS以外で自分の心を潤せるようになると、オンラインの刺激に過剰に反応しなくなります。散歩に出かけたり、手帳に本音を書き出したり、「五感を使うリアルな時間」の中に、本当の充足感を見つけましょう。
つながりを断つのではなく、あなた自身を取り戻すこと

私たちはSNSが急速に発達した「一億総SNS時代」を生きる中で、承認欲求という名の波に翻弄され続けてきました。
誰かの投稿を見ては「自分は劣っている」と感じ、「いいね」の数に一喜一憂し、気づけば「他人の人生の正解」を追い求めて、自分らしさを見失いかけていたかもしれません。
この苦しさは、あなたが弱いからではありません。SNSは私たち人間が持つ「誰かに認められたい」という根源的な欲求を、あまりにも簡単に、かつ無限に満たせるように設計されてしまったからです。
私たちが本当に求めているのは画面上の一時的な喜び(いいね!)ではなく、「自分は自分でいい」と思える、揺るぎない「自己肯定感」です。それは他者からの評価に依存するのではなく、「行動」と「実績」、そして「自分自身の価値基準」を明確にすることによって得られます。
SNSとの「ちょうどいい距離感」とは、完全に「断つこと」ではありません。
「自分が心地よくいられる範囲で使うこと」であり、SNSを人生を豊かにするための「道具」として賢く使いこなす「リテラシー」を身につけることです。
あなたが今、SNS疲れを感じているのなら、立ち止まってください。あなたの人生はスマホの外にある「リアルな幸せ」で満たされています。
誰かの「ハイライト」ではなく、あなたの日常という「物語」を愛してください。そしてあなたの隣にいる大切な人、そして何よりも世界にたった一人のあなた自身の「美しさ」に気づいてあげてください。
「どんな人であれ、存在には価値がある。居なくなっても構わない人などいません」
もちろん、あなたもその一人です。
SNSに心を奪われない生き方を選んだとき、あなたは初めて他人の評価という名の「マウンティングマウンテン」から降りて、自分のペースで穏やかに人生を歩んでいくことができるのです。
さあ、スマホを置いて、深呼吸をしましょう。あなたの世界はあなたが思っているよりもずっとやさしく、あたたかい光に包まれています。



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