時代と境界を超越する探求の序章:エリック・ドルフィー『アウトワード・バウンド』

ジャズ
  1. 普遍的な感動の背景
  2. 『アウトワード・バウンド』の構造分析と歴史的背景
    1. 時代の空気と「ニュー・シング」への傾倒
    2. 演奏者たちとの緊密な対話
    3. 楽曲の分析とバスクラリネットの確立
  3. プロフェッショナルが語る『アウトワード・バウンド』
    1. ロン・エアー(Ron Eyre, 1960年ライナーノーツ):時代の最先端を定義する言葉
    2. ドン・ディマイケル(Don DeMichael, 1960年『ダウン・ビート』誌):才能の優位性と生命力
    3. マーティン・ウィリアムズ(Martin Williams, 音楽評論家):新才能の出現の宣言
  4. 各種盤の特性
    1. オリジナルLP(New Jazz NJLP 8236 / Esquire 32-123, 1960/1961年)
    2. RVGリマスター/拡張版(Prestige PRCD-30083-2, 2006年)
    3. OJC/高音質再発盤(Original Jazz Classics OJC-022 / Analogue Productions 180g Vinyl)
  5. 音楽的な系譜:影響を与え合った類似作品の考察
    1. 「アウト」への探求:『アウト・ゼア』『アウト・トゥ・ランチ!』
      1. 『アウト・ゼア(Out There)』(1960年)
      2. 『アウト・トゥ・ランチ!(Out to Lunch!)』(1964年)
    2. コルトレーン『至上の愛』とオーネット・コールマン『フリー・ジャズ』
      1. ジョン・コルトレーン『至上の愛(A Love Supreme)』(1964年)
      2. オーネット・コールマン『フリー・ジャズ(Free Jazz)』(1960年)
    3. 時代のテーマを共有する他の芸術作品
      1. フランク・ザッパのオマージュ
      2. 文学・思想における「奇抜さ」
  6. 『アウトワード・バウンド』が未来へ繋ぐメッセージ

普遍的な感動の背景

1960年代のジャズ界は、ハード・バップが主流を占めつつもビバップの語法を解体し、フリー・ジャズやサード・ストリームといった新しい音楽の定義が模索され始めた、歴史的な転換期を迎えつつありました。
その激動の時代において、マルチ・インストゥルメンタリスト、エリック・ドルフィー(Eric Dolphy, 1928-1964)は、ジャズの歴史における超新星(supernova)の一人として、短くも強烈な光を放ちました。
彼はわずか36歳で夭折しましたが、その短いキャリアの中で残した作品群は今なお、時代や国境を超えて多くの人々を魅了し続けています。

アルト・サックス、フルート、バスクラリネットを自在に操ったドルフィーは、広範囲の音程(インターバル)の使用や、人間の声や動物の鳴き声を模倣する拡張されたテクニックを駆使し、ジャズの即興の語彙と境界を大胆に拡張しました。
彼の音楽はしばしば「アウト」という言葉で形容され、一見すると無調的で破綻しているように聞こえる瞬間がありますが、その根底には伝統的なビバップ・ハーモニーに対する高度に抽象化された理解と、類まれな知性、そして深遠な抒情性が存在していました。

本作『アウトワード・バウンド(Outward Bound)「いつ何時、事が起きても対処できるだけの準備を」との含意」』は、彼がニューヨークに進出して間もない1960年4月1日に録音された、リーダー作としての記念すべきデビュー・アルバムです。
評論家のロン・エアーはこの音楽を「ジャズの一歩先」だと表現し、その才能が短命で終わることなく、「着実に燃え上がり、激しさを増し続ける」と予言しました。
この作品はドルフィーが後に、より前衛的な傑作『アウト・トゥ・ランチ!』で到達する境地への、「短くも激烈な創造性の爆発」の出発点と位置づけられます。

本稿ではこの歴史的なデビュー作の構造、成立した背景、そしてプロフェッショナルな視点からの価値を深く掘り下げます。
この作品に内包された知性と温かみを兼ね備えたトーンこそが、ドルフィーの音楽が普遍的な感動の源泉であることを明らかにしてくれます。

『アウトワード・バウンド』の構造分析と歴史的背景

時代の空気と「ニュー・シング」への傾倒

『アウトワード・バウンド』が録音された1960年は、ジャズがエンターテイメントからより実験的なアートへと変化していく過渡期でした。
ドルフィーは1958年にチコ・ハミルトンのクインテットの一員として東海岸に登場し、ニューヨークに移住した後、チャールズ・ミンガスのグループで活動を始めます。このアルバムの録音は、彼がニューヨークで頭角を現してから数カ月後に行われました。

当時のジャズ界では、オーネット・コールマンがコード進行に依存しない即興演奏で賛否両論を巻き起こしていました。ドルフィーは1954年にロサンゼルスでコールマンと出会い、「方向性」を学んでいます。
ライナーノーツではドルフィーの音楽を、「コールマン王朝の直系」と見なす見解が示されています。しかしドルフィー自身は、「オーネットとは長い付き合いで多くのことに同意しているが、私は彼と同じように、ただ自分自身を演奏しているだけだ」と語り、模倣ではなく自己表現であることを主張していました。

本作はドルフィーの後の前衛的な作品群と比較して「ストレートなビバップ」に近く、「従来の基盤(conventional base)」を持っています。これはドルフィーが「新しい景色を求めてはいるが、ジャズの概念をしっかりと把握しながら前進している」という、伝統への確固たる拘束力(firm hold on jazz conception)を示しています。
この作品がアクセスしやすい性質は、ジャズの即興において「アウトサイド・プレイ」の概念を探求し始めたドルフィーの、初期段階を捉えているからかもしれません。

演奏者たちとの緊密な対話

この作品の成功は、ドルフィーを支えた一流の共演者たちの貢献なくしては語れません。クインテットはドルフィー(アルト・サックス、バスクラリネット、フルート)、フレディ・ハバード(トランペット)、ジャッキー・バイアード(ピアノ)、ジョージ・タッカー(ベース)、ロイ・ヘインズ(ドラム)という強力な布陣です。

特にフレディ・ハバードとは、ニューヨーク移住時にルームシェアをしていた親密な関係であり、その後のオーネット・コールマンの『フリー・ジャズ』やコルトレーンの重要作でも共に名を連ねることになります。
評論家はハバードのオープンなトランペットが聴衆に響き、そのソロは「マイルス・デイヴィス的」な要素も見られると指摘しています。

ドラマーのロイ・ヘインズは単なる伴奏者ではなく、他のメンバーが「活力を引き出す源泉、生命の泉のようなもの」と形容されており、ファンクショナルかつ情熱的なドラミングが、ドルフィーの自由なフレーズをしっかりと支える「揺るぎないリズムの基盤」を提供しています。
このバンドの「素晴らしい充実したサウンド」は、ドルフィーの曲がビッグバンドのアレンジにも適しているという印象を与えてくれます。

楽曲の分析とバスクラリネットの確立

収録曲はドルフィーのオリジナル3曲と、スタンダードや他者の曲3曲で構成されています。

「G.W.」: ドルフィーの初期の師、ジェラルド・ウィルソン(Gerald Wilson)に捧げられた曲です。曲名が示す通り、歌い上げるようなスウィング感のある性質を完璧に捉えています。ドルフィーの雷鳴のような指使いのアルト・ソロが、いつでも虚空に飛び出しそうな勢いで聴衆を圧倒します。

「245」: ブルースを基盤とした曲で、ドルフィーのブルックリンの住所(245番地)から名付けられました。この曲では、ドルフィーがアルト・サックスのソロで「古いものと新しいものが融合」した演奏を披露し、ブルースの基盤の強さを示しています。この「245」という数字が、曲のメロディのインターバル構造に暗号化されているという、高度な音楽分析も行われています。

バスクラリネットの功績: このアルバムの最も重要な功績の一つは、ドルフィーのバスクラリネットの演奏です。彼はこの当時、ジャズでは軽視されていた楽器をソロ楽器として確立し、特に「オン・グリーン・ドルフィン・ストリート」や「ミス・トニー」では、その音色が「アウトワード・バウンド」な探求の方向性を示しています。
後述するドン・ディマイケルは彼のバスクラリネット演奏について、「この軽視されがちな楽器で、彼ほどの響きが披露された例はない」と評しました。

このデビュー作は、ドルフィーがジャズの伝統(ハード・バップ)のコンテクスト内で、いかに自己の革新的なヴィジョンを導入し始めたかを示す、短いが激しい創造的才能の始まりなのです。

プロフェッショナルが語る『アウトワード・バウンド』

『アウトワード・バウンド』はエリック・ドルフィーが自身の芸術的探求の門戸を開いた作品として、当時のジャズ界のプロフェッショナルたちから、その革新性と卓越した才能について多くの言及を引き出しました。
これらの言葉は彼のデビューアルバムが、歴史的な転換点であったことを示唆しています。

ロン・エアー(Ron Eyre, 1960年ライナーノーツ):時代の最先端を定義する言葉

オリジナルLPのライナーノーツを執筆した評論家ロン・エアーは、ドルフィーの音楽の登場をジャズの歴史における必然的な前進として捉えています。

「『G.W.』を聴いて、私たちは思った。『これこそが私たちが待ち望んでいたものだ、これはジャズの一歩先だ』と」

この言葉はドルフィーの音楽が、当時のファンや批評家にとってどれほど新鮮で刺激的なものであったかを雄弁に物語っています。エアーはさらに、この音楽の出現に対する世間の「批判と驚愕の声」を予期し、その反応をパーカー、モンク、コルトレーン、オーネット・コールマンといった過去の偉大な革新者たちが直面した反応になぞらえています。
これはドルフィーがトレンドの追随者ではなく、ジャンルの未来を担う「発見者」であるという、制作側からの強い確信を表明したものです。
ドルフィーがニューヨークに来て以来、彼の名はジャズが話題になる場所では「着実に燃え上がり、激しさを増し続ける」だろうと、彼の持続的な影響力を予言しました。

ドン・ディマイケル(Don DeMichael, 1960年『ダウン・ビート』誌):才能の優位性と生命力

ドルフィーの音楽がオーネット・コールマンと頻繁に比較された時代に、評論家ドン・ディマイケルは『ダウン・ビート』誌で『アウトワード・バウンド』に満点を与え、その才能を高く評価しました。

「ドルフィーのメッセージは首尾一貫しており、彼の才能は段違いに偉大だ」

ディマイケルが指摘するように、ドルフィーの即興はコールマンと「類似したハーモニーの概念」を持ちながらも、より論理的かつ明確な表現構造を持っていると見なされていました。
彼はドルフィーが「来たる十年で最もやりがいのあるジャズマンの一人になるだろう」と断言し、さらに共演者たちの貢献にも触れ、このアルバムの根源的なエネルギーを以下のように表現しました。

「ロイ・ヘインズ! 彼について何が言えるだろう。スウィングしている? この日のメンバーを鼓舞している? いや、そんな常套句では足りない。彼は他のメンバーが活力を引き出す源、生命の泉のようなものだ。これだ。このアルバムは生命(Life)そのものだ」

このコメントは、ドルフィーの革新的な音楽が単に技術的な実験ではなく、演奏者たちとの緊密な相互作用(グループ・インタラクション)とヘインズのような巨匠のドラミングによって、生々しい生命力として昇華されていたことを示しています。

マーティン・ウィリアムズ(Martin Williams, 音楽評論家):新才能の出現の宣言

ジャズの伝統と歴史的系譜に精通した評論家マーティン・ウィリアムズは、ドルフィーが自身の名義でリリースした最初の作品の重要性を、簡潔かつ力強く評価しています。

「ドルフィーの自作アルバムの最初のセレクションから… 新しく重要な才能が到来したことは明らかだった」

この言及は『アウトワード・バウンド』がハード・バップの文脈に則りながらも、その奥深くに新たな表現の可能性を秘めていることを、当時の批評界が即座に認識したことを示しています。
ウィリアムズの言葉は、このアルバムがドルフィーの個人的なキャリアの始まりに留まらず、ジャズの系譜全体にとって不可避の転換点であったことを再確認させてくれます。

ドルフィーは自身の音楽について、「和音の変化を離れることはない」「私が演奏するすべての音には、その曲のコードとの何らかの関連性がある」と語っており、これらのプロフェッショナルたちの言葉とドルフィー自身の客観的な分析は、彼の音楽が「アウト」でありながらも、深い論理と構造の上に築かれていた事実を裏付けています。

各種盤の特性

エリック・ドルフィーの『アウトワード・バウンド』は、半世紀以上にわたり数多くの再発を重ねてきました。その再発の歴史は、このアルバムの音楽的な価値が、いかに時代を超えて普遍的に評価されているかを物語っています。ここでは、歴史的、芸術的に価値の高い三つの「お薦めの演奏/バージョン」を比較し、その特異性に焦点を当てます。

オリジナルLP(New Jazz NJLP 8236 / Esquire 32-123, 1960/1961年)

ドルフィーのリーダー・デビュー作としての歴史的価値と、当時の空気感を伝えるオリジナルのアートワーク

本作は、プレスティッジのサブ・レーベルであるニュー・ジャズからリリースされ、UK盤はEsquireから1961年に発売されました。オリジナルのカヴァーアートはドルフィーの友人であったリチャード・“プロフェット”・ジェニングスによる絵画が用いられており、初期のドルフィー作品の視覚的なイメージを特徴づけています。

収録された6曲(「G.W.」「グリーン・ドルフィン・ストリート」「レス」「245」「グラッド・トゥ・ビー・アンハッピー」「ミス・トニー」)は、当時の標準的なジャズの楽曲時間(約3分半から8分)に収まっており、その形式はハード・バップの慣習に従っています。
このバージョンはドルフィーの爆発的な創造性が「公式に始まった場所」であり、「アウト・トゥ・ランチへの良いウォーミングアップ」として、ドルフィー入門者に推奨されるバージョンです。

RVGリマスター/拡張版(Prestige PRCD-30083-2, 2006年)

未発表トラックと別テイクの追加により、セッションの全貌とドルフィーの創作過程に迫る資料的価値

著名な録音エンジニア、ルディ・ヴァン・ゲルダー(RVG)によるリマスターが行われ、音質の改善が図られただけでなく、オリジナルLPには未収録だった3つのトラックが追加されました。
追加されたのは、セッションがエイプリル・フールに行われたことにちなんで即興的に作られたとされるドルフィー自作曲「エイプリル・フール」、および「G.W.」と「245」の別テイクです。

「エイプリル・フール」では、ドルフィーがフルートを披露しており、彼のフルート奏者としての卓越した才能が際立っています。別テイクはオリジナルとは「微妙に異なる方向性」を探っていたことが示されており、ドルフィーが常に演奏の新しい方法、音色、探求を求めていたという彼の哲学を裏付けるものです。
この拡張版は、原曲の解釈の差異を深く理解したい聴衆にとって、不可欠な情報源となります。

OJC/高音質再発盤(Original Jazz Classics OJC-022 / Analogue Productions 180g Vinyl)

Amazon.co.jp: Outward Bound: ミュージック

高い音質とコストパフォーマンスを両立し、この歴史的名盤を現代のリスナーに「ありのまま」の迫力で届ける聴覚的価値

 OJCやAnalogue Productionsによる再発盤は、その音質の良さで知られています。例えばOJCのLPは、非常にクリアでダイナミックなサウンドを持ち、一部のレビューでは「高価なハイエンド再発盤と同じくらい、あるいはそれ以上に良い音がする」と絶賛されています。また、Analogue Productionsの180gビニール盤は、バスクラリネットの音が驚くほど素晴らしいと評価されており、当時のヴァン・ゲルダー・スタジオでの録音の質を最大限に引き出しています。

高音質化は、ドラムのロイ・ヘインズの「生命の泉」のようなエネルギーやフレディ・ハバードの「開かれたホーン」、そしてドルフィー自身の多面的な木管楽器の音色を、より鮮明に聴衆に伝えます。このバージョンは混沌と調和の繊細なバランスを持つドルフィーの音楽を、技術的な制約なしに体験したい聴衆に、最高の感動を提供します。

音楽的な系譜:影響を与え合った類似作品の考察

『アウトワード・バウンド』は、エリック・ドルフィーという特異な才能が伝統から前衛へと向かう道のりの第一歩を記した作品であり、その後のジャズの自由化と、他の芸術分野の探求にまで影響を与える端緒となりました。

「アウト」への探求:『アウト・ゼア』『アウト・トゥ・ランチ!』

『アウトワード・バウンド』は、ドルフィーが「アウト」という概念をタイトルに冠した作品群の始まりです。この系譜を追うことで、彼の音楽的アイデンティティがどのように確立されていったのかが明確になります。

『アウト・ゼア(Out There)』(1960年)

本作のすぐ後に録音されたセカンド・アルバムであり、ドルフィーは「リード楽器とチェロのサウンド」を個人的な表現のために用いることを決意しました。
ロン・カーターがチェロで参加したこの作品は、サード・ストリーム(ジャズとクラシックの融合)の方向性に傾倒しており、『アウトワード・バウンド』よりもさらに「風変わりで、計り知れない驚異」を持つと評されています。
この作品はドルフィーがチコ・ハミルトン時代に学んだ管弦楽的なサウンドを、より深く個人的な表現へと昇華させた結果です。

『アウト・トゥ・ランチ!(Out to Lunch!)』(1964年)

ドルフィーの最高傑作であり、彼の「完全に発達したアヴァンギャルドでありながら構造化された作曲スタイル」の到達点です。
このアルバムのタイトル曲は「スウィングしながらもスウィングせず、根ざしながらも実験的で、推進力がありながらもニュアンスに富み、豊満でありながらも角張っている」というアンビバレンス(両義性)を体現しています。
『アウトワード・バウンド』で示唆された「アウトネス」の探求は、このアルバムではピアノをヴィブラフォンに置き換え、リチャード・デイヴィス、トニー・ウィリアムズといった精鋭たちと共に、混沌と調和の狭間に存在する新たな音の領域を切り開きました。

コルトレーン『至上の愛』とオーネット・コールマン『フリー・ジャズ』

ドルフィーの音楽は、同時代の革新的な作品と、構造的および哲学的な共通点を持っています。

ジョン・コルトレーン『至上の愛(A Love Supreme)』(1964年)

1964年のジャズ界を定義する傑作の一つであり、ドルフィーの『アウト・トゥ・ランチ!』と並び称される作品です。
パート1:承認 (Acknowledgement)」の特定のセクション(137-172小節)に見られるモチーフの移調には、高度に系統的な手法が用いられており、これはドルフィーが自作曲「245」で住所の数字を音のインターバルにエンコードした手法と、モチーフを用いた構造的なアヴァンギャルド探求という点で共通しています。
コルトレーンもまた、ドルフィーと同様に伝統的なジャズの限界を超え、スピリチュアルな「旅」や「巡礼」を音楽で表現しようとしました。

オーネット・コールマン『フリー・ジャズ(Free Jazz)』(1960年)

『アウトワード・バウンド』が録音された8ヶ月後に、ドルフィーとフレディ・ハバードがサイドマンとして参加した作品です。
オーネットのこの作品は、延長されたルバート(テンポの自由な変動)やコード進行の放棄、そして各楽器を倍にしたダブル・カルテット編成という点で、ジャズの即興の構造を劇的に変えました。
『アウトワード・バウンド』がビバップの枠内から「一歩先」を示したのに対し、『フリー・ジャズ』は「リズムや調性といった通常の構造」から完全に逸脱した、より根本的な革命でした。
しかしドルフィーはコールマンとの比較に対し、「私は自分自身を演奏している」と述べています。

時代のテーマを共有する他の芸術作品

ドルフィーの音楽が持つ「アウトネス」や「奇抜さ(eccentricity)」は、当時のアメリカ社会が抱えていた人種的・社会的な緊張と不可分です。

フランク・ザッパのオマージュ

フランク・ザッパはドルフィーからの音楽的影響源を認めており、1970年のアルバム『ウィーズルズ・リップド・マイ・フレッシュ(Weasels Ripped My Flesh)』に「エリック・ドルフィー・メモリアル・バーベキュー(The Eric Dolphy Memorial Barbecue)」という曲を収録しました。
ザッパが後に好んで用いた変拍子や実験的なサウンドは、ドルフィーが『アウトワード・バウンド』で示した「混沌と調和のバランス」、そして『アウト・トゥ・ランチ!』で追求した「ねじれたリズム」や「角度のあるテーマ」といった非伝統的な要素との共通性を感じさせます。

文学・思想における「奇抜さ」

ドルフィーの音楽は、白人中心の批評機構から「アンチ・ジャズ」「クレイジー」と見なされることもありましたが、これは当時の黒人アヴァンギャルドが既存の美意識への挑戦として、意図的に「奇抜さ」を表現していたことと関連しています。
この「奇抜さ」は「認識と自由への矛盾した願望」に根ざしており、社会的な境界(人種や階級)によって抑圧される創造性を解放しようとする、1960年代のカウンターカルチャー的なエネルギーを共有していました。

『アウトワード・バウンド』はジャズの伝統の最良の部分から踏み出し、自己の独創性を社会の矛盾の中で探求したドルフィーの偉大な道のりの出発点として、多方面の芸術に影響を与え続ける普遍的な作品なのです。

『アウトワード・バウンド』が未来へ繋ぐメッセージ

エリック・ドルフィーの『アウトワード・バウンド』は、彼がジャズという表現形態を通じて自己の完全な才能と哲学を世界に初めて提示した、短くも濃密なキャリアの始点です。
ハード・バップという伝統的なフォーマットの中で、トランペットのフレディ・ハバード、ピアノのジャッキー・バイアード、ドラムのロイ・ヘインズといった屈指のプレイヤーたちと共演し、その音楽は「生命(Life)そのもの」とまで称賛されました。

このアルバムの持つ最大の価値は、ドルフィーの音楽が持つ「二つの世界における矛盾」を聴衆が最も理解しやすい形で提示した点にあります。
彼のアルト・サックスの鋭いソロは、ビバップの基盤の上に立ちながら常に新しい景色を求め、当時は異端とされたバスクラリネットの可能性を、叙情性と技術力をもって世に知らしめました。
ドルフィーの音楽的メッセージは、同時代のアヴァンギャルドと比較してもより首尾一貫しており、確固たる構造的論理に裏打ちされていました。

ドルフィーの死は『アウト・トゥ・ランチ!』を録音してからわずか数ヶ月後の悲劇であり、彼が目指した音楽の方向性の完成を見届けることは叶いませんでした。
しかし彼は、「音楽を聴くとき、終わった後には、それは空気の中に消えて、二度と捉えることはできない」という、音楽の刹那性と創造性への深い洞察を持っていました。

『アウトワード・バウンド』は、「一歩先のジャズ」という評価の通り、ドルフィーの尽きることのない探求心と、自己表現への情熱を凝縮した作品です。
この音楽が今後も変わらず人々の心を動かし続けるであろう普遍的なメッセージとは、「伝統を深く理解しつつも現状に満足せず、良きものは大事にしながら、常に未知なる表現の地平へと向かう勇気」なのです。
それは彼の音楽のように、熱意と知性を兼ね備えた普遍的な創造性の証として、未来へと語り継がれていくでしょう。

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