【永久保存版】小林亜星 6,000曲のメロディ「この木なんの木」から「北の宿から」まで徹底解剖

邦楽

「♪この木なんの木 気になる木、気になる木〜」 「ほーら、チェルシー、もひとつチェルシー♪」 「あなた恋しい、どうしているかしら…」

こんなメロディを、一度は口ずさんだことがある方は多いでしょう。実はこれら国民的名曲の数々を生み出した作曲家こそが、稀代のメロディー・メーカー、小林亜星(こばやし・あせい)です。

しかし小林亜星と聞くと、誰もが知るあのCMソングのイメージと同時に、ドラマ『寺内貫太郎一家』でちゃぶ台をひっくり返す頑固オヤジの強烈な姿を思い浮かべるのではないでしょうか。

生涯で6,000曲以上(一説には8,000曲以上)という膨大な数の楽曲を世に送り出し、作曲家、作詞家、俳優、タレントとしてマルチに活躍した小林亜星氏(1932年8月11日東京生まれ、2021年5月30日心不全のため88歳で死去)。

この記事を読むことで、あなたは以下のベネフィットを得られます。

小林亜星の多岐にわたる功績(CM、アニメ、歌謡曲)を深く理解し、あなたの人生の「BGM」が彼の作品だったことに気づくでしょう。
なぜ彼のメロディが時代を超えて愛されるのか、その創作の秘密や「音楽は役に立てるな」という創作哲学を知ることができます。
小林亜星の世界を深く楽しむための「聴くべき名盤」と「おすすめの歌い手」を知ることができます。

それでは日本の大衆音楽史を語る上で欠かせない巨星、小林亜星の魅力と創造力に迫りましょう。

【小林亜星の三つの顔:誰もが知る「あなたの人生のBGM」】

小林亜星氏の功績を理解する上で、まずは彼が持つ「三つの顔」を押さえることが重要です。それは「作曲家」「俳優」「タレント」という多角的な活動の幅です。

音楽界の巨匠:作曲家・小林亜星のプロフィール

小林亜星氏は東京都渋谷区幡ヶ谷に生まれ、慶應義塾大学経済学部を卒業しました。当初は両親の願いで医学部に入学しましたが、音楽への情熱を抑えきれず経済学部に転部し、卒業後に製紙会社に入社するも、数ヶ月で退社しています。

その後、ラジオ番組の音楽を担当していた服部正氏に弟子入りし、作曲の基礎を学びました。服部氏は当初、音楽大学出身者以外は弟子にとらない方針でしたが、小林氏の自作曲を聴いて入門を認めたとの逸話が残っています。

小林氏の音楽的才能は、誰でも簡単に覚えられ、無意識に口ずさむことのできるメロディを紡ぎだす点にありました。特にCMソングの世界では数多くの名曲を創造し、CMソングに革新をもたらしたメロディー・メーカーとして名を馳せます。

CMソングの王様:生活に溶け込んだ名曲たち

小林亜星氏のCMソングは、企業そのもののブランドイメージを、音楽面から組み上げていくという手法を成功させました。

楽曲名(CM提供社) 時代と特徴
日立の樹(この木なんの木) (日立グループ) 1973年リリース以来、半世紀経た現在も愛される超ロングランCMソングの頂点です。
明治チェルシーの唄 (明治製菓) 1971年の発売以来、「ほーら、チェルシー♪」というフレーズが耳に残る、キャッチーなメロディの代表格です。
ワンサカ娘 / イエイエ (レナウン) 1961年(ワンサカ娘)と1967年(イエイエ)の作品。小林氏の出世作であり、当時のCM表現に革新をもたらしました。
積水ハウスの歌 (積水ハウス) 1970年誕生。長年にわたり企業イメージを支え続けるロングランソングです。
人間みな兄弟 (サントリー・オールド) 1968年の作品。低音の男声スキャットのみで歌われ、大きな流れを持った「歌」としてCMソングの概念を変えました。

これらは文字通り、テレビの創生期から高度経済成長期にかけて、私たちの生活に深く根ざしたメロディです。

俳優・タレントとしての「頑固オヤジ」

小林氏は作曲家業だけでなく、その巨体を買われて俳優としても大活躍しました。

『寺内貫太郎一家』 (TBSドラマ、1974年)
頑固親父・寺内貫太郎役で主演し、強烈な印象を残しました。原作者の向田邦子氏も最初は起用に難色を示したものの、久世光彦プロデューサーの演出による坊主頭への変身で「ああ、これが貫太郎よね!」と納得したという逸話は有名です。
『象印クイズ ヒントでピント』
3代目男性軍キャプテンとして出演し、「16分割の鬼」と呼ばれるほどの高い正答率で知られました。
『わくわく動物ランド』
クイズ解答者としても活躍し、その知識を披露しました。

アニメ・歌謡曲の金字塔

小林亜星氏のメロディは、子供から大人までも魅了しました。

「北の宿から」 (都はるみ)
1976年に日本レコード大賞を受賞した国民的演歌。作詞は盟友、阿久悠氏。
「野に咲く花のように」 (ダ・カーポ)
ドラマ『裸の大将放浪記』の挿入歌として広く知られています。
「魔法使いサリー」 (1966年)
「マハリクマハリタ ヤンバラヤンヤンヤン♪」のフレーズは誰もが知る呪文です。
「ひみつのアッコちゃん」 (1969年) 、「科学忍者隊ガッチャマン」 (1972年) の主題歌。
「にんげんっていいな」 (まんが日本昔ばなしED)
優しいメロディが郷愁を誘います。
「ピンポンパン体操」 (1972年)
200万枚を超える大ヒットを記録し、日本レコード大賞童謡賞を受賞しました。
「地平を駈ける獅子を見た」
埼玉西武ライオンズの球団歌として愛されています。

聴き方のポイント:無意識に口ずさめる「グルーヴ」を意識する

小林氏の曲は、「パパッと覚えられる曲」であることが最大のヒットの秘密だと、ご自身が語っています。

音楽学の分析によると、人が「心地よいノリ(グルーヴ)」を感じるテンポは1分間に約120拍(bpm c.120)前後だという研究結果があります。これは速めにウォーキングしているときのテンポに近く、身体運動のテンポと音楽が同期することで、「快適さ」「楽しさ」「躍動感」を感じるのです。

小林氏の代表曲は、このBPM 120前後のテンポを持つものが多いことで知られています。理屈抜きで身体が動き出すこの「ノリの良さ」こそが、小林メロディを楽しむ第一歩です。

創作の深層:稀代のメロディーメーカーの創造哲学

ここでは、小林亜星氏がなぜこれほどまでに普遍的な名曲を生み出せたのか、その知られざる創作哲学と時代背景、そして波乱に満ちたエピソードを掘り下げます。

「音楽を何かの役に立てようとするから間違う」〜即興と哲学

小林亜星氏の創作は理論よりも直感、そして強い哲学に裏打ちされていました。

「だいたい、音楽を何かの役に立てようとするから間違う。僕も役に立つ音楽ばかり作ってきたから余計そう思うのかもしれないけど……むしろ、すべての物事が音楽に奉仕してほしいよね!」 (小林亜星氏の言葉 – 家庭画報・ONTOMOより)

小林氏はCMソングを多く手がけていながら、音楽そのものの「芸術の進化の幻想」に警鐘を鳴らし、音楽の本質は「官能とロマン」にあると考えていました。彼は流行に乗るのではなく、「ヌードで最高」という、永遠に残る普遍的な音楽を目指していたのです。

この哲学は、彼の作曲スタイルにも表れています。

「考えて作ったものはぜんぶダメ」
「全体像(アレンジまで含めた全て)が、自然といっぺんに湧いてこないとダメ」

「ここまで作って次をどうしようかなってやってたら、こんなものはぜんぜん… ボクに言わせると、ぜったいヒットしない」

最盛期には1日3〜4曲も作曲していましたが、夢の中で曲の全体像が浮かび、起きてすぐに書き上げたこともあったといいます。

専門家が語る小林メロディの秘密

小林氏の音楽は特定のジャンルに偏らず、誰が歌ってもその良さが出る「素材」としての普遍性を持っていました。

「小林亜星さんの曲は誰が歌っても良さが出るんです。そして、(中略)どんなジャンルの音楽でも輝ける素材を生む術(すべ)に長(た)けていました。純粋に、作曲家という存在の方でした」 作曲家・井上鑑氏の分析 – withnewsより)

特にCM音楽においては、

「短い時間で明快に伝えることが必要なCM音楽は、小林亜星さんを作ったと言えると思います」 (作曲家・井上鑑氏の分析 – withnewsより)

と評されるように、限られた時間で最大限のインパクトを与える能力に長けていました。これは彼のメロディが、「日本人の心の中で追認しやすいメロディー」であり、言葉とメロディーの流れに一体感があったからでしょう。

小林亜星氏は自身の経験から、「流行る曲を作る方法」を編み出していました。しかし、それを教えようとしても、「つまんないこと言ってる」と誰も本気にしないことを嘆いていたそうです。ここではその秘伝ともいえる法則を、Q&A形式で紹介します。

 

小林亜星氏のユニークな創作哲学 Q&A

【根本的な哲学】歌とは何か?

Q1: 小林亜星氏は「歌を音楽だと思ったらダメ」と述べていますが、では歌は何から成り立っていると考えていたのでしょうか?

A1: 亜星氏は、師事した服部正氏から「歌を音楽だと思ったらダメ」と教わったとして、歌は以下の三つの要素で成り立っていると定義しています。

  1. 演劇的要素(歌い手)
  2. 文学的要素(歌詞)
  3. 音楽的要素

Q2: ヒット曲を生み出すために、これら三要素はどのように関係する必要があると考えましたか?

A2: 亜星氏の考えでは、これら三つの要素のうちどれか一つでも欠けてはならず、すべてが100点満点でないとヒットは出ない、としています。

【創作プロセス】ひらめきと制作時間

Q3: 創作活動において、最も重要視していたのはどのようなプロセスですか?

A3: 亜星氏は「考えて作ったものはぜんぶダメ」だとし、曲の全体像が自然と一辺に湧いてこなければならないと語っています。途中で「ここまで作って次をどうしようかな」と考えるような作り方では、絶対にヒットしないと述べていました。

Q4: 実際の作曲には、どのくらいの時間をかけていましたか?

A4: 詞をいただいて頭に入れた後、「いま作るといいぞ」という瞬間が来るまで、放っておくスタイルでした。実際に曲を作る際は、20分か30分でできてしまうこともあったそうです。最盛期には夢の中に、CM、作詞、アレンジの全体像のすべてが出てくることがあったと明かしています。

Q5: 少女向けのアニメソング(例: 『花の子ルンルン』)を作曲する際、どのような工夫をしていましたか?

A5: 歌詞を頭に入れた後、ルンルンになったつもりで過ごし、「あっ、いまだ」というひらめきを待ったと語っています。

【技術的法則】売れるメロディーの秘密

Q6: 亜星氏が音楽学校の学長時代に伝授していた「流行る曲を作る方法」(ヒットの法則)には、具体的にどのようなものがありますか?

A6: 亜星氏が提唱した技術的な法則には、主に以下の三つがあります。

曲の出だし(アウフタクト)
みんなで歌う歌は「せーの、パン」と1拍目から始まる方が良い。
一人で歌う歌は面白くないため、アウフタクト(裏拍から入る)で始まるほうが良い。

音程の頂点(最高音)
曲の中で最も高い音程を1カ所だけ入れるべきである。
最も高い音から一番低い音までいくことで、曲に深みと面白みが生まれるとされています。

終止音(フレーズの終わり)
フレーズの終わりや息をつくところの音を、素人がいきやすい「レ」や「ソ」にしないことが大切です。「シ」やフラット(♭)やシャープ(#)のついている音へいくと、「高度で面白い」と語っています。

【CMソング創作論】ビジネスと音楽

Q7: CMソングの創作を、亜星氏はどのように捉えていましたか?

A7: CMソングは商品から発想を広げ、感動に似たものを作り出し、それが消費者の心を動かし商品を動かすという点で、一種のデザインワークであると捉えていました。

Q8: CMソングを作る上で、最も必要とされる要素は何ですか?

A8: 耳に飛び込んだら忘れられない、強烈なインパクトが最も必要だとしています。CMソングには誰もが簡単に覚えられ、無意識に口ずさむことのできるメロディを紡ぎだす天才的な能力が発揮されました。

Q9: CMソングの依頼を受けた際、なぜ企業のトップに会うことを重視していたのですか?

A9: 会社の宣伝であるため、何がいちばん重要で、どういうことが言いたいのか分かっているのは結局、社長であると考えていたからです。トップと話すことで「お客さんが見える」ため、社長とお客さんを一直線につなぐ音楽を作れば、その音楽もヒットすると話していました。

Q10: 亜星氏の楽曲が誰にでも歌いやすい理由は何だと分析されていますか?

A10: 亜星さんの曲は誰が歌っても良さが出ます。「積水ハウスの歌」がボサノバ、ウィンナワルツ、歌謡曲、ジャズなどどんなジャンルの音楽でも輝ける素材を生む術(すべ)に長けていたからだと評価されています。短時間で明快に伝えることが必要なCM音楽が、小林亜星という存在を作ったとも言えます。

波乱万丈なエピソード

寺内貫太郎一家:西城秀樹との「本気の喧嘩」

小林亜星氏が俳優としてブレイクしたのが、ドラマ『寺内貫太郎一家』です。頑固な石屋の親父役は、当時長髪だった小林氏が久世光彦プロデューサーの指示で坊主頭にしたところ、原作者の向田邦子氏が「ああ、これが貫太郎よね!」と即座に採用を決めたことで実現しました。

「地下にね、床屋があったんですよ。『そこへ行って頭、刈ってこい』って。刈って出てきたんですよ。向田さんに見せてね、ボクの顔を見たら『ああ、これが貫太郎よね!』って言っちゃったんですよ。それでこっちは逃げられなくなって。冗談じゃなかった(笑)」 (小林亜星氏 – 『ザ・インタビュー ~トップランナーの肖像~』より)

このドラマの有名なエピソードとして、貫太郎(小林)と息子・周平(西城秀樹)の激しい乱闘シーンがあります。第2シリーズ第1話の撮影で、小林氏が西城氏を中庭まで投げ飛ばした際、西城氏は実際に左手を骨折してしまいました。

この大怪我にもかかわらず、西城秀樹氏は小林氏を恨むどころか後に小林氏の指名によりアニメ『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」を歌唱し、コンビを復活させています。この事件をきっかけに二人は、「心が通い合って本当の親子喧嘩のように」演技できるようになったと言われています。

「どこまでも行こう」と「記念樹」〜盗作裁判の執念

小林氏の晩年の大きな出来事として、1998年に服部克久氏を相手取って起こした「記念樹事件」と呼ばれる盗作裁判があります。

小林氏は服部氏作曲の「記念樹」(1992年発表)が、自身のCMソング「どこまでも行こう」(1966年発表)に酷似していると主張し、提訴しました。

この裁判は音楽界の大御所同士の争いとして大きな話題となりましたが、一審では小林氏の請求は棄却されています。しかし小林氏は諦めず、主張を「編曲権侵害」に移して控訴審に臨みます。

「ここまで似るのは何億分の1の確率。つまり、盗作だということ。どうしてこんなことをするのか、本当に悔しいし、残念でなりません」 (小林亜星氏 – 記者会見にて)

小林氏は「提訴して最高裁まで争う覚悟。この闘いは私のライフワークになる」と執念を燃やしました。結果、控訴審で裁判所の判断は一転。両曲には「表現上の本質的な特徴の同一性」があるとして小林氏側の主張が認められ、最終的に最高裁で判決が確定しました。

この裁判は、著作権法における「編曲」の意義について裁判所が解釈を示した点でも重要とされています。小林氏の「正義感が強く、愛すべきキャラ」の一面が垣間見えるエピソードです。

小林亜星の世界を堪能する名盤と歌い手たち

小林亜星氏の楽曲はジャンルが多岐にわたるため、その業績を網羅した楽曲全集を聴くことを強くおすすめします。

決定版!『小んなうた 亞んなうた 〜小林亜星 楽曲全集〜』

小林亜星氏の87歳の誕生日である2019年8月11日に発売された、全4ジャンルからなる作品集です。ナンシー関氏の消しゴム版画をあしらったジャケットも印象的です。

1. コマーシャルソング編

特徴:ロングヒットを記録した「日立の樹」「チェルシーの唄」など、CMソングの歴史を体感できます。小林氏曰くCMソングは、「強烈なインパクトが最も必要とされるデザインワーク」とのことです。
聴きどころ:「ワンサカ娘」「人間みな兄弟」など、CMソングの歴史を塗り替えた名曲が多数収録されています。

2. 歌謡曲編

特徴:都はるみ「北の宿から」など、日本レコード大賞受賞曲や隠れた名曲が詰まっています。小林氏は、歌謡曲には「様式美による安心感」が大切だと語っています。
聴きどころ:ダ・カーポ「野に咲く花のように」や、大原麗子「ピーコック・ベイビー」など、ジャンルの幅広さを感じられます。

3. アニメ・特撮主題歌編 (CD2枚組)

特徴:「魔法使いサリー」「ガッチャマンの歌」など、子供たちの歌いたい気持ちを強く意識して書かれた、難しい曲も多いことが特徴です。
聴きどころ:西城秀樹が歌う「ターンAターン」や、「コン・バトラーVのテーマ」など、特撮・巨大ロボット系まで網羅しています。

4. こどものうた編

特徴:「ピンポンパン体操」「にんげんっていいな」など、子供たちが歌うことを楽しむための曲が収録されています。
聴きどころ:童謡「あわてんぼうのサンタクロース」も小林氏の作品です。

おすすめの歌い手・演奏家 5選

小林亜星メロディは、その素材の良さゆえに、歌い手を選びません。ここでは小林亜星の世界を深く理解するために、欠かせない歌い手・演奏家を紹介します。

都はるみ

小林氏の代表曲「北の宿から」を歌い、1976年の日本レコード大賞受賞を果たしました。小林氏と作詞の阿久悠氏とのゴールデンコンビが生んだ国民的演歌を、彼女の表現力豊かな歌声で堪能できます。

西城秀樹

ドラマでの共演から、アニメ『∀ガンダム』の主題歌「ターンAターン」で歌手として指名を受けるなど、小林氏との絆が深かった歌手です。アイドルという枠を超えた力強い歌唱で、「亜星メロディ」の魅力を引き出しました。

弘田三枝子

小林氏の出世作「ワンサカ娘’64」を歌唱した歌手の一人。彼女のリズミカルでパンチの効いた歌声は、初期の小林CMソングが持つモダンで若々しいエネルギーを象徴しています。

ダ・カーポ

「野に咲く花のように」を歌唱。彼らの清らかで美しいコーラスワークは、シンプルなメロディに「覚えやすく、歌いやすい」という普遍的な力を与えました。

天満敦子

近年、世界的ヴァイオリニストの天満敦子氏に「ロマンティックをもう一度」など複数の曲を書き下ろしました。クラシックから演歌まで多岐にわたる小林氏の音楽性が、クラシック界にも認められた証しと言えます。平成22年には、天満氏への提供作品の集大成アルバムも発表されています。

【小林亜星が遺した「永遠のメロディ」の価値】

小林亜星氏が日本の音楽史に遺した功績は計り知れません。CMソング、アニメソング、歌謡曲、俳優業にわたるマルチな才能と、6,000曲以上という圧倒的な創作量、そしてそのどれもが人々の心に響く普遍的なメロディでした。

彼の創作の根底にあったのは、音楽を「何か(商品や芸術的進化)の役に立てようとするから間違う」という強い哲学です。そして、聴く者が無意識に口ずさめる「グルーヴ」(BPM c.120)や、理屈を超えた「ひらめき」と「即興」を重視するスタイル でした。

小林メロディが時代やジャンルを超えて愛され続けるのは、彼の音楽が聴く者の「身体感覚」と「心の奥にあるロマン」に直接訴えかける、普遍的な「素材」として生み出されていたからです。

彼の死は「テレビの時代」の一つの終焉を象徴しているとも言えますが、その音楽は私たちの生活の中に、今もなお息づいています。

この記事を読んで、もしあなたが少しでも小林亜星氏の音楽に心を動かされたのなら、ぜひ一度、懐かしい「小林亜星ソング」を改めて聴き直してみてください。きっと、あなたの人生のさまざまな瞬間に寄り添ってくれていたことに気づき、新たな発見があるはずです。

稀代のメロディー・メーカーが遺した「永遠のメロディ」を、これからも大切に楽しんでいきましょう。 ありがとうございました。

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