「ロンドン・コーリング」:パンクを超越し、時代に警鐘を鳴らしたザ・クラッシュの金字塔

洋楽

不況と終末思想が産んだ名盤

なぜ『ロンドン・コーリング』は時代を超えた名盤なのか?

あなたがもし、パンク・ロックに対して「単調で荒々しい3コードの音楽」というイメージを持っているなら、その認識はザ・クラッシュ(The Clash)のサード・アルバム『ロンドン・コーリング(London Calling)』を聴くことで、根底から覆されることになるでしょう。

1979年12月にイギリスでリリースされたこの2枚組のアルバムは、従来のパンクの枠を超え、レゲエ、ロカビリー、スカ、ジャズ、R&Bといった、当時のパンク・バンドとしては異例なほど多岐にわたる音楽スタイルを貪欲に取り込みました。

では、なぜ彼らはパンクの「スタイル」から逸脱し、その結果として「史上最高のアルバム」の一つとしてロック史に名を刻むことになったのでしょうか?

それは、フロントマンであるジョー・ストラマーが提唱した「パンクとは姿勢(アティチュード)である」という哲学を体現したからです。彼らは、商業的な成功や評論家の意見よりも、ファンに多くの楽曲を安価に届けること、そして社会の矛盾に声を上げ続ける「反骨の姿勢」を貫きました。

本記事は『ロンドン・コーリング』の誕生の背景にある社会的・音楽的・個人的なエピソードを、深く理解していただけるよう掘り下げます。この記事を読めば、あなたは単に名盤を知るだけでなく、困難な時代に立ち向かう勇気と希望を感じることができるでしょう。

まず聴くべき『ロンドン・コーリング』の基本と魅力

『ロンドン・コーリング』はパンクの激しさとルーツ・ミュージックの奥深さ、さらにキャッチーなポップセンスが奇跡的に融合した作品です。

まずはこのアルバムがなぜ画期的なのか、その基礎知識と、最初に聴くべき必聴トラックをご紹介します。

The Clashの基本情報

リリース:1979年12月14日(UK)、1980年1月(US/JP)
形態:LP2枚組(当初はLP1枚分の価格で販売)
メンバー:ジョー・ストラマー (Joe Strummer, Vo, G) / ミック・ジョーンズ (Mick Jones, G, Vo) /ポール・シムノン (Paul Simonon, B) / トッパー・ヒードン (Topper Headon, Dr)
プロデューサー:ガイ・スティーヴンス (Guy Stevens)
ジャンル:パンク・ロック、ニュー・ウェイヴ、ポスト・パンク、レゲエ、スカ、ロカビリー、ジャズ、R&Bなど
ジャケット:ポール・シムノンがベースを叩き壊す写真(ペニー・スミス撮影)、エルヴィス・プレスリーのデビュー作のオマージュ

多様な音楽性の「入門編」として楽しむ

ザ・クラッシュは、セックス・ピストルズと並ぶ「三大パンクバンド」の一つとして登場しましたが、このアルバムではデビュー作の荒削りなパンクサウンドから、大きく進化しています。

彼らがパンクの「衝動」は保ちながらもサウンドを広げたのは、メンバー個々の音楽的な嗜好性と、卓越した演奏技術が結集した結果です。特にドラムのトッパー・ヒードンは、ファンク、ソウル、レゲエといった幅広いジャンルをこなす卓越した技術を持っていました。

このアルバムは激しいパンクとしてではなく、ロックンロール、レゲエ、スカなど、様々なルーツ・ミュージックが絶妙にミックスされた「至高の一枚」として楽しむことができます。

必聴トラック5選と聴きどころ

まず聴くべき、このアルバムの多様性とエネルギーを象徴する5曲をご紹介します。

London Calling (ロンドン・コーリング)

BBCの戦時放送から取られたタイトルであり、核戦争や環境破壊、社会の崩壊といった当時の危機感を煽るマイナー調のメロディが特徴です。曲の終盤にはSOSのモールス信号がフェードアウトします。

Brand New Cadillac (新型キャディラック)

アルバム2曲目にして、早くもロカビリーのカバーというパンクの枠を破った曲です。ヴィンス・テイラーの原曲を荒々しく、勢いのあるロックンロールに仕上げています。

Lost in the Supermarket (ロスト・イン・ザ・スーパーマーケット)

ミック・ジョーンズがリード・ボーカルを担当。消費主義社会における疎外感をテーマにした、繊細で哀愁漂うメロディが特徴的で、インディーロックの源流とも評されています。

The Guns of Brixton (ブリクストンの銃)

ポール・シムノンが初めてリード・ボーカルを担当。彼のレゲエへの愛が反映された、グルーヴィーで印象的なベースラインが楽曲の中心です。ロンドンのブリクストン地区の貧困と社会情勢を描いています。

Train in Vain (トレイン・イン・ヴェイン)

アルバムの「隠しトラック」として収録され、後に全米チャート23位のヒットとなったキャッチーなラブソング。R&Bやブルースの影響を感じさせるポップな曲調で、ミック・ジョーンズの失恋体験が基になっていると言われています。

反骨の精神と知られざる制作の舞台裏

このパートでは、『ロンドン・コーリング』を歴史的傑作に押し上げたより深い背景とエピソードを探ります。

時代背景:サッチャリズムと終末論が渦巻いた1979年

1979年、イギリスではマーガレット・サッチャー政権が誕生し、市場競争を重視する新自由主義的経済政策が採用されました。当時のイギリス経済は、インフレ、低生産性、強力な労働組合などが原因で衰退していると見なされており、サッチャー政府は供給サイド重視の経済政策へと舵を切りました。

この政策の結果、製造業では目覚ましい生産性上昇が見られましたが(「奇跡」と呼ばれた)、これは産出高の停滞と大量の雇用減少を伴うものでした。この社会的混乱と若者のフラストレーションが、パンク・ムーブメントが終焉を迎える中で、クラッシュが抱えた「怒り」の源泉の一つとなりました。

ジョー・ストラマーは、この時代に渦巻く終末論的な不安を、新聞を読み漁ることで得た現実の危機感として歌詞に昇華させました。

「氷河期がやってくる」「太陽が近づいてくる」といった気候変動の懸念や、「Meltdown expected」(メルトダウンが予測される)、「A nuclear error」(原子力事故)といったスリーマイル島原発事故(1979年3月発生)に影響された核の危機。
「London is drowning」(ロンドンは溺死寸前)は、テムズ川の氾濫による水没懸念を比喩として用いて、社会の堕落や腐敗を象徴しています。

ガイ・スティーヴンスの「狂気の演出」がもたらした音楽的解放

このアルバムのサウンドを決定づけたのは、鬼才プロデューサー、ガイ・スティーヴンスの存在です。彼のアルコールや薬物の問題はレーベルのCBSに懸念されましたが、クラッシュのメンバー、特にポール・シムノンは彼と良好な関係を築き、彼の仕事は生産的であると感じていました。

スティーヴンスのプロデュースの目的は、「最大限の感情とフィーリングを引き出すこと」(maximize the emotion and feeling)でした。

彼は通常の型破りなプロデュース技術に加え、ミキシングデスクを爆破したり、ギタリストを梯子で叩いたりする新しい方法も用いたよ。これらは全て耐えられたけど、グランドピアノにワインを注いだときには、彼を殺しそうになったね。彼はアーティストに口頭で挑戦し、時には物理的にタックルして地面に倒すことで、より感情を引き出す「ダイレクト・インジェクション(直接注入)」という手法を使ったんだ。 (エンジニア:ビル・プライス

スティーヴンスは、パンクという狭いジャンルにとどまることを嫌い、彼が愛したR&B、ソウル、スカ、ジャズといった多様な音楽の知識と情熱をバンドに注入し、この歴史的な傑作を生み出す原動力となりました。

Q&A形式で深掘りする制作秘話とパンクの定義

Q1. なぜ2枚組なのに1枚分の価格で売られたのですか?

A1. レコード会社(CBS)を欺きファンへの愛を貫いた、反商業主義的姿勢の表れです。

クラッシュは、LP(1枚)に無料で12インチの「おまけシングル」を同封しても良いかとレコード会社に交渉し、同意を得ました。彼らはこの許可を拡大解釈し、その「おまけシングル」として9曲を収録した2枚目のLPを作成し、結果的に2枚組フルアルバムを1枚分の価格で発売しました。

この作品は2枚組アルバムだが、イギリスではLP1枚の価格で販売された。これは、儲けを生んだり経営陣を喜ばせることよりも、自分たちのファンに可能なかぎり多くの楽曲を届けることを目的としたためであり、クラッシュの反体制的・親リスナー的な姿勢を窺わせる事例の1つである。 — ロンドン・コーリング – Wikipedia

Q2. 「Train in Vain」はなぜ隠しトラックだったのですか?

A2. アルバムのアートワーク印刷に、レコーディングが間に合わなかったためです。

この曲は、アルバム制作の終盤に、元々イギリスの音楽誌NMEのプロモーション用ソノシートとして提供される予定でした。しかし、その企画が中止となり、バンドは急遽この曲をアルバムの最後に収録することにしました。エンジニアのビル・プライスによれば、スリーブがすでに印刷されていたため、トラックリストに記載する時間がなかったのです。

ミック・ジョーンズは、この曲が当時のガールフレンド、ザ・スリッツのギタリスト、ヴィヴ・アルバータインに会いに行ったが無駄に終わった旅をほのめかす失恋の歌であるとされています。ヴィヴ自身も、彼が自分の場所に来たものの「中に入れなかった」時のことを示唆していると認めています。

Q3. 『ロンドン・コーリング』はパンクではないという批判に、ジョー・ストラマーはどう反論しましたか?

A3. 「パンクとはスタイルではない、姿勢だ」と一蹴しました。

多様な音楽性を取り入れたことで、「もはやパンクではない」という批判を受けましたが、ジョー・ストラマーは、ジャンルやファッションに縛られることを否定しました。

ジョー・ストラマーは「Punk is attitude. Not style.(パンクはスタイルではない、姿勢だ)」「Do it your self(自分で考え行動を起こす精神こそがパンクだ)」と反論しました。彼らにとって社会の矛盾に声を上げ、既成概念に囚われず前進し続ける「姿勢」こそが、真のパンク精神でした。 — The Clash – London Calling

伝説のアートワーク:ベース破壊の瞬間とエルヴィス・オマージュ

アルバムの象徴的なジャケット写真は、1979年9月21日にニューヨークのパラディアムで、ベーシストのポール・シムノンがベースを叩き壊した瞬間を、フォトグラファーのペニー・スミスが捉えたものです。

シムノンがベースを破壊したのは、会場の警備員が観客を座らせて踊ることを制止したことに苛立ち、その個人的なフラストレーションが爆発したためです。このピンボケ写真はストラマーの強い推しで採用され、「ロックンロールの最も象徴的なイメージ」と称賛されました。

さらにこのデザインは、エルヴィス・プレスリーのデビュー・アルバム(1956年)のロゴタイプをオマージュしています。「1977年にはエルヴィスもビートルズもローリング・ストーンズも必要ない」と歌ったバンドが、「56年のエルヴィスと同じぐらいの衝撃だろ?」という挑発的な意思表示でもありました。

ザ・クラッシュとルーツ・ミュージックの旅

『ロンドン・コーリング』は、メンバーの技術と感性が高次元で融合した結果生まれたアルバムです。ここでは、彼らの音楽的ルーツや、バンドの進化をたどる関連作品を紹介します。

演奏家(メンバー)個々の魅力

『ロンドン・コーリング』を聴く上で、4人のメンバーがそれぞれ独自の役割を果たしていたことを知ると、さらに深く楽しめます。

ジョー・ストラマー (Joe Strummer)
リードボーカル、リズムギター。政治的、社会的なメッセージ性の強い歌詞を書き、「パンクは姿勢だ」という哲学を体現したカリスマでした。

ミック・ジョーンズ (Mick Jones)
リードギター、ボーカル。楽曲の構成やアレンジの中心を担い、ポップでメロディアスなセンスを発揮。彼がボーカルを務める楽曲(「Lost in the Supermarket」「Train in Vain」など)は、繊細な側面を見せています。

ポール・シムノン (Paul Simonon)
ベース、一部ボーカル。元は画家志望であり、バンドのヴィジュアル面を担いました。レゲエ、スカのルーツ音楽をバンドにもたらし、「The Guns of Brixton」では初のリードボーカルを務めています。

トッパー・ヒードン (Topper Headon)
ドラムス、パーカッション。卓越した技術を持ち、ファンク、ソウル、レゲエといった幅広いジャンルをこなし、バンドの音楽性の拡大に不可欠な存在でした。

クラッシュをさらに深掘りする3枚のディスク

『ロンドン・コーリング』を気に入ったら、彼らの音楽的旅路をたどる以下の作品もおすすめです。

The Clash / 『The Clash(白い暴動)』(1977)

ザ・クラッシュのデビューアルバムであり、直球勝負の荒々しいパンクロックが詰まっています。『ロンドン・コーリング』の多様性とは対照的な、爆発的なエネルギーを感じられる作品です。後の多様性の萌芽として、レゲエ・カバー「Police & Thieves」も収録されています。

The Clash / 『Sandinista!(サンディニスタ!)』(1980)

『ロンドン・コーリング』の翌年にリリースされた実験的な3枚組アルバムです。レゲエ、ダブ、ファンク、ヒップホップ、ジャズなど、さらに多様なジャンルを詰め込みました。この膨大な作品も、ファンへの配慮から価格を抑えるために、メンバーが印税を放棄した逸話が残っています。

Elvis Presley / 『Elvis Presley』(1956)

『ロンドン・コーリング』のジャケットデザインがオマージュした、ロックンロールの「キング」のデビュー作です。クラッシュが象徴的に否定しつつも、その偉大さをリスペクトし、同じ衝撃を放つという挑戦的な意思表示として採用されました。

歴史が証明した「姿勢(アティチュード)」

『ロンドン・コーリング』は1979年のイギリスの不安や経済の混乱、そして終末論的な危機感の中で生まれました。しかしザ・クラッシュは、その絶望的な状況を、単なる破壊やニヒリズムに終わらせることなく、多様な音楽性という「希望の光」に変えてみせました。

彼らはファンに最大限の音楽を届けるためにレコード会社を欺き、印税を放棄してでも安価に作品をリリースしました。この行動こそが、ジョー・ストラマーが定義した「パンクとはスタイルではない、姿勢だ」という哲学の体現です。

『ロンドン・コーリング』はロックの限界、そしてパンクの限界を突破し、単なる音楽ジャンルを超えた「生きる姿勢」を後世に伝え続けています。困難な時代だからこそ、彼らの反骨の精神と挑戦し続ける姿勢は、今なお世界中に鳴り響く「警告と希望のアンセム」なのです。

彼らが遺した「Do it your self」(自分で考え行動を起こす精神)を胸に、ぜひもう一度『ロンドン・コーリング』を再生してみてください。音楽が持つ力、そして困難な時代を生き抜くための「姿勢」を、きっと再確認できるはずです。

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