記憶を失った天才ギタリスト、パット・マルティーノ絶頂の1970年代と奇跡の名盤たち

ジャズ

マシンガン炸裂!超絶技巧と神がかり的名盤

ジャズギターと聞いて、どんな音を想像しますか?メロウで甘い音色、あるいはブルージーで哀愁漂うフレーズでしょうか。もちろんそれもジャズギターの大きな魅力です。

しかし、「マシンガン・ピッキング」と呼ばれる圧倒的な速弾きで、聴く者の魂を根こそぎ撃ち抜くようなギタリストがいたことをご存知でしょうか。その名は、パット・マルティーノ

この記事を読めば、ジャズギターの奥深さ、そしてパット・マルティーノという孤高の天才の魅力がきっとわかるはずです。初めての方には、まずどこから聴けば良いのかをわかりやすく解説し、筋金入りの愛好家の方には、彼の音楽をより深く味わうための新たな発見を提供します。

今回はマルティーノのキャリアが最初のピークを迎えた、熱く激動の1970年代に焦点を当てます。彼の代名詞である超絶技巧、めまぐるしい音楽的変遷、そして脳動脈瘤による記憶喪失というあまりにもドラマティックな半生を、この時代に生まれた代表的な名盤とともに紐解いていきましょう。

まずはここから!パット・マルティーノ入門

「いきなり専門的な話はちょっと…」という方、ご安心ください。まずはパット・マルティーノがどんなギタリストなのか、そして彼の音楽のどこが凄いのかを、シンプルにご紹介します。

パット・マルティーノってどんなギタリスト?

パット・マルティーノ(1944-2021)は、アメリカ・フィラデルフィア出身のジャズギタリストです。15歳という若さでプロの世界に飛び込み、そのキャリアの初期から圧倒的なテクニックで注目を集めました。

彼の最大の特徴は、なんといってもその超絶技巧。特に、硬く分厚いピックを使い、極太のギター弦を凄まじいスピードとパワーで、しかも一音一音正確無比に弾ききるピッキングスタイルは「マシンガン・ピッキング」と称され、多くのリスナーやギタリストに衝撃を与えました。

しかし、彼の魅力はテクニックだけではありません。その超高速フレーズの中にも、ブルースのフィーリングや歌心あふれるメロディが息づいており、その演奏は決して機械的なものにはならず、聴く者の感情を揺さぶる力強さに満ちています。

まずはこれを聴け!伝説のライブ盤『Live!』収録の「Sunny」

70年代のマルティーノとして最初におすすめしたいのが、1972年のライブ盤『Live!』に収録されている「Sunny」です。

この曲はもともと1966年のR&Bヒット曲で、ウェス・モンゴメリージョージ・ベンソンといった他の偉大なジャズギタリストもカバーしている定番曲です。

マルティーノの演奏は、出だしこそ師と仰ぐウェス・モンゴメリーに敬意を払うかのように、穏やかなオクターブ奏法でテーマを奏でます。しかし、アドリブソロに突入した瞬間、その雰囲気は一変。堰を切ったかのようにマシンガン・ピッキングが炸裂し、キレの良いフレーズが怒涛のごとく繰り出されます

この1曲を聴くだけでも、パット・マルティーノというギタリストの凄まじさと魅力の一端に触れることができるでしょう。

マルティーノの音楽を深く知るための3つのキーワード

マルティーノの音楽をさらに深く理解したい方のために、彼の音楽的背景や理論、そして知られざるエピソードを掘り下げていきましょう。

1970年代ジャズの潮流:フュージョンへの接近

1960年代後半から70年代にかけて、ジャズ界は大きな変革期を迎えていました。マイルス・デイヴィスが『ビッチェズ・ブリュー』(1970年)などでエレクトリック楽器を大胆に導入し、ロックやファンクの要素を取り入れた「ジャズ・ロック」や「クロスオーバー」(後のフュージョン)と呼ばれる新しい潮流が生まれていたのです。

マルティーノもこの流れと、無縁ではありません。彼は早くからジョン・コルトレーンのモード・ジャズに影響を受けていましたが、60年代後半にはインド音楽やロックの8ビートを取り入れるなど、新しい音楽的ボキャブラリーを模索していました。

1970年代に入るとその傾向はさらに顕著になり、エレキピアノやエレキベースを導入したバンド編成で、よりエレクトリックでファンキーなサウンドへと傾倒していきます。常に新しい表現を模索し続けた彼の姿勢が、70年代の音楽的挑戦へと繋がっていったのです。

奏法の核心:「マイナー・コンバージョン」理論

マルティーノの流れるような超絶フレーズを支えているのが、彼が独自に開発した「マイナー・コンバージョン」という理論です。

これは、あらゆるコード進行をマイナー・コードに置き換えて(コンバートして)捉え直すという、非常にユニークなアプローチです。例えば、ドミナント7thコードである「G7」を、その5度上のマイナーコード「Dm7」と見なして、Dドリアンスケールで演奏する、といった具合です。

サウンドの秘密:極太弦とソリッド・ギター

マルティーノの太く、芯のあるトーンも彼の大きな魅力です。その秘密は、常識外れのセッティングにありました。

極太の弦:彼の使用するギター弦は、1弦が0.15インチや0.16インチという、他のギタリストが3弦に使うような太さでした。
硬いピック:プラスチックやべっ甲ではなく、しなりの少ない大理石のピックを使っていたとも言われています。
ギター:1970年代には、ハウリングに強いソリッド・ボディのギブソンL-5Sを愛用しました。これはジャズギターの王道であるフルアコースティックギターL-5CESのソリッド版という、異色のモデルです。

こうしたセッティングを乗りこなすには、強靭な手首と正確無比なピッキング技術が不可欠です。これこそがナチュラルに歪んだ、あの力強くアグレッシブなサウンドの源泉だったのです。

【1970年代】パット・マルティーノ名盤セレクション

それでは、1970年代のマルティーノを語る上で欠かせない必聴の名盤を4枚ご紹介します。この時代は彼のキャリアにおける最初の絶頂期であり、創造性が爆発した傑作が次々と生み出されました。

『Live!』(1972年)- 怒涛のマシンガン・ピッキングが炸裂する最高傑作ライヴ盤

このアルバムはマルティーノのキャリアにおける最初の絶頂期を捉えた、ジャズギター史に残る傑作ライブ盤として高く評価されています。

アルバムの概要と背景

『Live!』は、パット・マルティーノがそれまで所属していたプレスティッジ・レコードからミューズ・レコードへ移籍して最初にリリースした作品です。1972年後半にニューヨークのフェア・シティで行われたライブを収録したもので、当時のマルティーノが自身のギター演奏に絶対的な自信を持っていたことがうかがえます。このライブには、オーネット・コールマンやジョージ・ベンソンといった著名なミュージシャンも駆けつけたとされています。

参加メンバーとバンドの化学反応

この歴史的な演奏を支えたのは、気心の知れた仲間たちによるカルテット編成です。

このカルテットの化学反応は顕著で、特にロン・トーマスのエレクトリック・ピアノはアイデアが豊富で切れ味も良く、マルティーノのギターとの絡み合いは聴きどころの一つです。リズム隊は、フリージャズに接近するようなスリリングな展開の中でも強固なビートを維持し、マルティーノの演奏に見事に追随しています。

音楽的特徴と演奏スタイル

このアルバムは、マルティーノの代名詞である「マシンガン・ピッキング」と呼ばれる超絶技巧を存分に堪能できる作品です。収録された3曲はすべて10分を超える長尺の演奏で、息つく暇もないほど熱のこもったインタープレイが繰り広げられます。

彼の演奏は、ビバップを基盤としながらも、ソウル、ブルース、ファンク、さらにはアヴァンギャルドの領域にまで踏み込んでいます。しかし、その超絶技巧は決して機械的・無機的なものではなく常にメロディアスで、肉体的な躍動感とスイング感に溢れています。
ギタリストの井上銘氏は、このアルバムを16歳で初めて聴いた時の衝撃を「独特の『狂気的な緊張感』にただただ圧倒され、『これは何だ!!』と自分の部屋で一人のけぞり返った」と語っており、その凄まじさを物語っています。

収録曲の解説

わずか3曲ながら、その内容は非常に濃密です。

  1. “Special Door” (17分46秒) マルティーノ作のモード・ジャズ曲で、レコードのA面をすべて使った大作です。テーマ提示後、フリージャズのような混沌とした展開と、怒涛の4ビートジャズが交錯します。マルティーノのソロは序盤の約6分間にわたって弾きまくられ、もはや人間離れした神業レベルです。この曲では珍しく、6弦を1音下げたドロップDチューニングで演奏しています。

  2. “The Great Stream” (10分31秒) こちらもマルティーノ作のモード・ジャズ曲。ワンコーラスが112小節という非常に長い形式で、マルティーノは2コーラス分、約6分にわたってソロを弾き続けます。マシンガン・ピッキングでマイナー・トライアドをクロマチックに重ねていくフレーズは、スリリングで聴く者を圧倒します。

  3. 「Sunny」 (10分27秒) ボビー・ヘブのR&Bヒット曲のカバーで、本作を不朽の名盤たらしめている演奏です。ウェス・モンゴメリーやジョージ・ベンソンも取り上げているジャズの定番曲ですが、マルティーノの演奏は彼らをも凌駕する出来栄えと高く評価されています。
    師と仰ぐウェス・モンゴメリーに敬意を払うかのように、穏やかなオクターブ奏法でテーマを奏でるところから始まりますが、ソロに入った途端、その雰囲気は一変。渾身のマシンガン・ピッキングで、キレの良いフレーズを怒涛のごとく繰り出します。そのあまりの凄まじさに、ソロが終わると客席から大きな歓声と拍手が沸き起こるのが聞き取れます。この演奏は、「マルティーノ史上最高の名演」と称されています。

総評

『Live!』は、パット・マルティーノのキャリアを代表する最高傑作であると同時に、ジャズギターという楽器の可能性を極限まで追求した、歴史的なライブ・アルバムです。彼の音楽の真骨頂である、リラックスとは程遠い、音の奔流がもたらす内なる興奮と緊張感を体験できる一枚と言えるでしょう。ジャズ・ギターファンはもちろん、これからジャズ・ギターを聴いてみたいという人にも必聴の作品です。

『Consciousness』(1974年)- 緊張感と静謐が同居するスタジオ盤の傑作

このアルバムは、マルティーノのキャリアにおける絶頂期を代表するスタジオ盤であり、彼の最高傑作の一つと高く評価されています。前作のライブ盤『Live!』と双璧をなす作品とされ、そのハードな緊張感と集中力において際立っています。

アルバムの概要と音楽的特徴

『Consciousness』は、マルティーノにとって8作目のリーダー作にあたります。このアルバムで聴かれる演奏は息が詰まるような緊張感と切迫感を持ち、一度聴くと中毒になってしまうような強烈な魅力があります。

マルティーノの音楽は、壮絶なテクニックがあって初めて成立するものであり、このアルバムでも「技術と表現」が不可分なものとして存在していることがわかります。彼が得意とする16分音符の弾きまくりは、『Live!』をさらに凌駕するほどの凄みを見せています。しかし、その超絶技巧の中にも繊細で美しいソロ演奏が収録されており、多面的な才能が凝縮された一枚となっています。

参加メンバー

本作のレコーディングには、フィラデルフィア時代からの気心知れた仲間たちが参加しています。彼らは「カタリスト」というバンドのメンバーでもありました。

  • Pat Martino (ギター)
  • Eddie Green (エレクトリック・ピアノ、パーカッション)
  • Tyrone Brown (エレクトリック・ベース)
  • Sherman Ferguson (ドラムス、パーカッション)

収録曲の解説

  1. 「Impressions」 (インプレッションズ) ジョン・コルトレーンの名曲のカバーで、マルティーノの至芸を堪能できるトラックです。ウェス・モンゴメリーの名演と比較しても、マルティーノの「一点強行突破」的な突き詰めたプレイは壮絶なものがあります。リマスターされた音源で聴くと、ピッキングの細部まで完璧であることがわかり、その技術の高さに驚かされます。粒立ちの良いフレーズを連射するソロは圧巻です。

  2. 「Consciousness」 (コンシャスネス) 11分を超えるタイトル曲で、執拗に繰り返されるベースラインとポリリズミックなドラムが特徴です。マルティーノは、ベースラインに対してアウトする(意図的に音を外す)アプローチでソロをとり、緊迫感を高めています。電気的に加工されたささやき声なども加わり、かなり前衛的で「いっちゃってる」サウンドです。

  3. 「Passata on Guitar」 (パッサッタ・オン・ギター) クラシックやフォーク音楽のような美しい旋律を持つギター・ソロ曲です。激しいバンド演奏とは対照的に、パット・メセニーラルフ・タウナーを思わせる繊細で優しい演奏を聴かせます。

  4. 「Along Came Betty」 (アロング・ケイム・ベティ) ベニー・ゴルソンの名曲を軽快なジャズ・サンバ風のリズムで演奏しています。16分音符を連続させて息の長いフレーズを紡いでいく、マルティーノの典型的な奏法が楽しめます。CDには別テイクも収録されており、そちらも遜色ない出来栄えです。

  5. 「Willow」 (ウィロウ) ピアニストのエディ・グリーンがパーカッションに回った、ピアノレスの編成で演奏されています。ボサノヴァのリズムに乗って、シングルノートとオクターブ奏法を織り交ぜながら自在に弾きまくるマルティーノのテクニックが際立つトラックです。

  6. 「On the Stairs」 (オン・ザ・ステアーズ) 速いテンポの変形マイナー・ブルースで、マルティーノのソロは「すげえええええ」の一言に尽きます。すべての音が正確にピッキングされた力強い8分音符が、速いテンポの中で見事に「うたって」おり、人間の能力の凄まじさを感じさせます。

  7. 「Both Sides, Now」 (青春の光と影) アルバムの最後を飾るのは、ジョニ・ミッチェルの名曲のギター・ソロ演奏です。後のアルバム『光と影のギタリズム』(1997年)でも、カサンドラ・ウィルソンのボーカルをフィーチャーして再演しています。

総じて『Consciousness』は、マルティーノのキャリアを代表するスタジオ盤であり、彼の驚異的なテクニック、深い音楽性、そして幅広い表現力を示す、すべてのジャズギター・ファンにとって必聴のアルバムと言えるでしょう。

『We’ll Be Together Again』(1976年)- 珠玉のバラード集

この作品は彼のキャリアの中でも特に異彩を放つ、珠玉のバラード集として高く評価されます。

アルバムの概要と制作背景

『We’ll Be Together Again』は、マルティーノのキャリアにおいて極めて多作だった1976年に録音された4枚のアルバムのうちの1枚です。当時、彼は大手ワーナー・ブラザースへ移籍する直前でしたが、それまで所属していたミューズ・レコードとの契約枚数が残っていました。そのため、先天性の疾患(脳動静脈奇形)の症状が出始めていたにもかかわらず、カルテット編成の名盤『Exit』と共に、本作をわずか2週間で録音したという衝撃的な逸話が残されています。

このアルバムはピアニストのギル・ゴールドスタインとのデュオ作品であり、マルティーノの代名詞である「マシンガン・ピッキング」に代表される超絶技巧のイメージとは一線を画し、瞑想的で思慮深い楽曲を探求しています。彼の作品群の中で最も代表的なものではないかもしれませんが、多くのファンや批評家から「史上最高のお気に入りのアルバムの一つ」と絶賛されています。

音楽的特徴と評価

このアルバムは、マルティーノのリリシズムが最もパーソナルに表現された作品として評価されています。その演奏は「キャリア全体で最もセンシティブで感動的」とも評され、彼の繊細で叙情的な側面が際立っています。

ギル・ゴールドスタインとの完璧な調和: ゴールドスタインの奏でるエレクトリック・ピアノは、マルティーノのギターにとって理想的な色彩のパレットを提供しています。彼の知的でオーケストラルな音色は、マルティーノの巧みで美しい演奏を完璧に引き立てています。

偶然が生んだ名演: 当初、このレコーディングはアコースティック・ピアノで行われる予定でした。しかし、スタジオのピアノの状態が悪かったため、急遽その場にあったフェンダー・ローズ(エレクトリック・ピアノ)を使用して録音されたという逸話があります。この偶然の選択が、結果的にこのデュオ・ミュージックの金字塔を生み出す一因となりました。
マルティーノは『Desperado』や『Live!』、『Consciousness』といった他の作品でもエレピとの相性の良さを示しており、この選択はまさにインスピレーションに満ちたものでした。

抑制された美しさ: 多くのリスナーが、本作を聴いてバラード演奏への考え方が変わったと語っています。ジム・ホールとビル・エヴァンスのデュオ作品と比較されることもありますが、本作はそれに劣らない独自の魅力を放っており、聴き手に深い感動を与えます。

収録曲と参加メンバー

本作のレコーディングは、以下の2人だけで行われました。

  • Pat Martino (ギター)
  • Gil Goldstein (エレクトリック・ピアノ)

収録曲リスト:

  1. “Open Road”: 15分を超える組曲で、アルバムの幕開けを飾る重要なトラックです。ゴールドスタインの明るい和音と、マルティーノの流れるような叙情的な応答が見事に融合しています。
  2. “Lament”: J.J.ジョンソン作の名曲。
  3. “We’ll Be Together Again”: アルバムのタイトルにもなっているスタンダード曲です。
  4. “You Don’t Know What Love Is”: ゴージャスな読後感のある演奏と評されています。
  5. “Dreamsville”: ヘンリー・マンシーニ作の官能的なバラード。ウェス・モンゴメリーの演奏にインスパイアされた可能性が指摘されています。
  6. “Send in the Clowns”: 一般的には少し気取った曲とされがちなこのスタンダードに、マルティーノは真の独創性を吹き込んでいます。
  7. “Willow Weep for Me”: 穏やかでブルージーな解釈が光る名演ですが、録音の最後にエンジニアによるフェードアウトが施されている点を惜しむ声もあります。

総評

『We’ll Be Together Again』は、パット・マルティーノの超絶技巧とは異なる、彼の内面的で深い音楽性に触れることができる、キャリアを代表する名盤です。
32 Jazz Recordsがミューズ時代の作品をCDで再発する際、マルティーノ自身がファンからのメールリクエストが最も多いという理由で本作を選んだという逸話もあり、その人気の高さがうかがえます。

『Exit』(1976年)- キャリアを代表するスタジオ名盤

このアルバムは、マルティーノのキャリアにおける最初の絶頂期に生み出されたスタジオ盤の代表作であり、多くのファンや批評家から高く評価されています。

アルバムの概要と制作背景

『Exit』は、1976年というマルティーノにとって驚異的に多作だった年に録音された4枚のアルバムのうちの1枚です。
この時期、彼は大手ワーナー・ブラザースへ移籍する直前でしたが、それまで所属していたミューズ・レコード (Muse Records)との契約枚数が残っていました。そのため先天性の疾患であった脳動静脈奇形の症状が出始めていたにもかかわらず、デュオ作品の名盤『We’ll Be Together Again』と共に、本作『Exit』をわずか2週間で録音したという衝撃的な逸話が残されています。

このような「急ごしらえ」の状況で制作されたにもかかわらず、その内容は極めて充実しており、『Live!』がマルティーノのキャリアを代表するライブ盤であるとすれば、『Exit』はスタジオ盤の代表作と位置づけられています。アルバムは1976年2月10日に録音され、翌1977年にリリースされました。

参加メンバーとサウンド

本作は、以下の優れたメンバーによるカルテット編成で録音されました。

このカルテットの演奏は非常に評価が高く、特にギル・ゴールドスタインのピアノとリチャード・デイヴィスのベースは卓越しています。
マルティーノの演奏は流麗かつメロディアスで、彼のキャリアを通じて一貫している音楽的発明の高度なレベルが示されています。音楽は躍動感にあふれ(leaps and lopes)、プレイヤーが途中で演奏を中断し、再びシームレスに戻ってくるようなインタープレイが特徴的です。

収録曲と演奏の聴きどころ

急遽制作されたためか、アルバムはマルティーノの自作曲2曲と、スタンダード曲や有名曲のカバー4曲で構成されています。

  1. “Exit” (イグジット) アルバムのタイトル曲であり、マルティーノのオリジナルです。フリー・ジャズやアヴァンギャルドな要素を持つ楽曲で、本作の中では異彩を放っています。

  2. “Come Sunday” (カム・サンデイ) デューク・エリントンの美しいバラード曲です。CDにはLPとは異なるテイクが収録されているとの指摘もあります。

  3. “Three Base Hit” (スリー・ベース・ヒット) マルティーノ作のアップテンポなモード・ジャズ風の楽曲。彼のオリジナル曲の中でも特に演奏が躍動的で高く評価されています。

  4. 「酒とバラの日々 (Days of Wine and Roses)」 ヘンリー・マンシーニ作曲の有名なスタンダード曲で、本作のハイライトの一つです。ウェス・モンゴメリーの名演を超えるほどの出来栄えとも評され、その流麗なソロは「屈指の名演」とされています。この演奏は多くのギタリストによって研究・採譜されています。

  5. “Blue Bossa” (ブルー・ボッサ) ケニー・ドーハム作のセッション定番曲。ここでは初心者泣かせとも言えるアップテンポで演奏され、マルティーノの十八番であるマシンガン・ピッキングが炸裂する、凄まじいソロが繰り広げられます。

  6. “I Remember Clifford” (アイ・リメンバー・クリフォード) ベニー・ゴルソンが夭逝した天才トランペッター、クリフォード・ブラウンに捧げた名バラードです。マルティーノは、楽器がまるでシンガーのように歌っているかのような卓越した表現力で、この曲を見事に演奏しきっています。

総評

『Exit』は、契約枚数を満たすために短期間で制作されたという背景を持ちながらも、パット・マルティーノのキャリアを代表するスタジオ名盤として確固たる地位を築いています。マルティーノの音楽に初めて触れる人にとっても、彼のキャリアの中間点として最適な一枚お薦めです。
スタンダード曲での歌心あふれる名演と、オリジナル曲でのスリリングなプレイが同居しており、ジャズ・ギターファンならば必聴の傑作と言えるでしょう。

嵐の時代が生んだ不滅のサウンド

1970年代のパット・マルティーノはジャズギターの伝統的な奏法を極限まで突き詰め、そのテクニックをもってフュージョンという新しい音楽の波に果敢に挑んだ、真に革新的なギタリストでした。

彼の音楽は、時に聴き手の理解を拒むかのような圧倒的な情報量と緊張感を持ちながらも、その根底にはブルースや歌があり、常に人間的な温かみを失いませんでした。

1976年、彼は4枚もの傑作アルバムを録音するという驚異的な創作活動の直後、脳動脈瘤という病に倒れ、ギタリストとしての記憶のすべてを失います。しかし彼は、自身の過去のレコードを聴き、文字通りゼロからギターを学び直すことで、奇跡の復活を遂げたのです。

70年代の彼の演奏に宿る鬼気迫るほどのエネルギーは、来るべき運命を予期していたかのようにも聴こえます。彼の音楽は、単なる技術の披露ではありません。燃え盛る生命そのものの叫びであり、魂の記録なのです。

今回ご紹介したアルバムをきっかけに、ぜひパット・マルティーノという孤高の天才が遺した深く広大な音楽の海に飛び込んでみてください。そこにはきっとあなたの心を揺さぶる、忘れられないサウンドが待っているはずです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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