ジャズの聴き方が変わる一枚:レスター・ヤング「The Complete on Keynote」

ジャズ
  1. サックスが物語を歌うとき
  2. まずはここから!レスター・ヤングの「歌心」を体感しよう
    1. レスター・ヤングってどんな人?
    2. 「The Complete on Keynote」の聴きどころ3つのポイント
    3. まずはこの曲!「Sometimes I’m Happy」
  3. レスター・ヤング・カルテット メンバー
    1. レスター・ヤング (Lester Young、1909年8月27日 – 1959年3月15日)
      1. 軽やかでリラックスした音色
      2. ユニークなフレージングとタイム感
      3. ハーモニーへの独自のアプローチ
      4. 楽器の持ち方
      5. 時代を超えた影響力
    2. ジョニー・ガルニエリ (Johnny Guarnieri、1917年3月23日 – 1985年1月7日)
      1. 経歴と演奏スタイル
    3. スラム・スチュワート (Slam Stewart、1914年9月21日 – 1987年12月10日)
      1. 経歴と演奏スタイル
    4. シドニー・カトレット (Sidney Catlett、1910年1月17日 – 1951年3月25日)
      1. 経歴と演奏スタイル
  4. キーノート盤に秘められたジャズ史の奇跡を読み解く
    1. 録音時期が物語る「プレズの運命」
    2. 兵役の経緯と問題
    3. 兵役後の影響
  5. Q&Aで深掘り!キーノート・セッションの裏話
    1. Q1: なぜこのセッションは「キーノート」と呼ばれているのですか?
    2. Q2: このセッションが行われた時期は、ジャズ界にとってどのような状況でしたか?
    3. Q3: このセッションで、レスター・ヤングはどのような状態だったのですか?
    4. Q4: なぜ「Just You, Just Me」のようなスタンダード曲が選ばれたのですか?
    5. Q5: このセッションのメンバーは、なぜこれほど素晴らしいケミストリーを見せたのですか?
  6. もっとレスター・ヤングを知るための名盤3選
    1. カウント・ベイシー楽団時代:『The Lester Young Count Basie Sessions 1936-1940』
    2. ビリー・ホリデイとの共演:『A Musical Romance』
    3. 復活の名演:『Pres and Teddy』
  7. レスター・ヤングがジャズ史に残した「クール」という革命

サックスが物語を歌うとき

楽器がまるで歌っているような、物語を語りかけてくるような演奏を聴いたことがありますか?

ジャズの巨人、レスター・ヤングの音楽は、まさにそんな体験をさせてくれます。彼のテナーサックスは、ただ音を奏でるだけでなく、喜怒哀楽を雄弁に物語るのです。

この記事では、そんな彼の最高傑作との呼び声も高いアルバム『The Complete on Keynote』を徹底的に解説します。

この記事を読めば、

なぜレスター・ヤングが「モダン・ジャズの父」と呼ばれるのかが分かる
ジャズ初心者でも、名盤を聴くポイントが掴める
ジャズ愛好家なら、セッションの裏話を知り、さらに深く音楽を味わえる

ようになります。
レスター・ヤングの絶頂期を捉えたこの奇跡的な名盤を、初心者にも分かりやすく、そしてマニアも唸る深掘り解説でお届けします。彼の「歌声」に、一緒に耳を傾けてみませんか?

まずはここから!レスター・ヤングの「歌心」を体感しよう

「レスター・ヤングって名前は聞いたことあるけど、何がすごいの?」という方のために、まずは彼の魅力とこのアルバムの楽しみ方を簡単にご紹介します。

レスター・ヤングってどんな人?

愛称: 「プレス (Pres)」または「プレズ (Prez)」。歌手のビリー・ホリデイが「サックスの大統領(President)」という意味で名付けました。
スタイル: 当時の主流だったコールマン・ホーキンスの力強く豪快な演奏とは対照的に、リラックスした軽やかな音色が特徴。
功績: 彼の革新的なスタイルは、後のチャーリー・パーカーやマイルス・デイヴィスに影響を与え、「クール・ジャズ」の源流となりました。

彼の音楽は、まるで優しい語り部が話しかけてくるような、温かさと知性に満ちています。

「The Complete on Keynote」の聴きどころ3つのポイント

ジャズに馴染みがない方でも、このアルバムはきっと楽しめます。まずは以下の3つのポイントに注目してみてください。

ポイント①:「歌う」サックスのメロディ レスター・ヤングの演奏は、非常にメロディアスで「歌心」に溢れています。難しい理論は抜きにして、まずは彼のサックスが奏でる美しい旋律そのものを味わってみましょう。彼がいかにメロディを大切にしているかが分かるはずです。

ポイント②:史上最強のリズムセクション このアルバムの後半には、カウント・ベイシー楽団から選抜された「オール・アメリカン・リズム・セクション」が参加しています。彼らが生み出す、弾むように心地よいリズム(スウィング)に乗って体を揺らすだけで、ジャズの楽しさの虜になること間違いなしです。

ポイント③:親しみやすい有名スタンダード曲 収録されている《Just You, Just Me》や《Sometimes I’m Happy》は、ジャズのスタンダード曲として多くのミュージシャンに演奏されてきた名曲です。聴き覚えのあるメロディから入ることで、アドリブの面白さもより分かりやすくなります。

まずはこの曲!「Sometimes I’m Happy」

まず聴いてほしいのが、カルテット編成で演奏されるこの曲です。 レスターのどこまでも優しく、リラックスしたサックスの音色に心が和みます。 途中、ベースのスラム・スチュワートが弓でベースを弾きながらハミングするユニークなソロも聴きどころの一つ。二人の名人による、心温まる会話を楽しんでみてください。

1943年12月28日にニューヨークで録音されたレスター・ヤング・カルテットのメンバーは以下の通りです。

レスター・ヤング・カルテット メンバー

レスター・ヤング (Lester Young、1909年8月27日 – 1959年3月15日)

テナー・サックス モダン・テナーのパイオニアとして知られ、プレジデント(代表)という意味の「プレズ (Pres)」という愛称で親しまれていました。
コールマン・ホーキンスとは対照的な、軽やかで優美な音色が特徴です。彼の演奏スタイルはジャズの歴史において革新的なものであり、後の多くのジャズミュージシャンに大きな影響を与えました。彼の演奏の主な特性は以下の通りです。

軽やかでリラックスした音色

レスター・ヤングの演奏は、当時主流だったコールマン・ホーキンスの力強く重厚なスタイルとは対照的でした。彼はヴィブラートをほとんど使わず、軽やかで柔らかい、まるでフルートのような音色で知られています。この「クール」でリラックスしたサウンドは、後のクール・ジャズの礎を築きました。

ユニークなフレージングとタイム感

彼は、4小節や8小節といった定型的なフレーズに縛られることを嫌い、歌うように自由にフレーズを構築しました。音符のタイミングも独特で、リズムから少し遅れたり、逆に少し突っ込んだりすることで、独自の「スイング」を生み出しました。彼は「歌を吹く」と表現されるほど、メロディーを大切にしました。

ハーモニーへの独自のアプローチ

彼は、コード進行をなぞるだけでなく、ハーモニーの構造を深く理解し、その上で独創的な音使いをしました。これにより、彼のソロは単なる即興ではなく、洗練された音楽的表現として成立していました。

楽器の持ち方

レスター・ヤングは、サックスを斜めに傾けて吹く独特のスタイルでも知られています。興が乗ってくると、さらに水平に傾けることもあったと伝えられています。これは彼の個性を象徴する特徴の一つです。

時代を超えた影響力

彼の音楽は、スウィング・ジャズからビバップへと移り変わる時代の橋渡しとなりました。彼の革新的なフレージングやハーモニーの解釈は、チャーリー・パーカーなどのビバップのパイオニアにも影響を与えました。また、彼の「クール」なスタイルは、後にスタン・ゲッツズート・シムズといったクール・ジャズのサックス奏者たちに多大な影響を与えました。

ジョニー・ガルニエリ (Johnny Guarnieri、1917年3月23日 – 1985年1月7日)

アメリカのジャズピアニストで、特にスウィング時代に活躍しました。彼はクラシック音楽の訓練を受けており、ジャズとクラシックの要素を融合させた演奏スタイルで知られています。

経歴と演奏スタイル

ビッグバンドでの活躍: 彼は1930年代後半から、ベニー・グッドマンアーティ・ショウといった著名なバンドリーダーのオーケストラでピアニストを務め、名声を確立しました。アーティ・ショウの「グラマシー・ファイブ」という小編成バンドでは、ジャズ史上初めてチェンバロを録音で演奏したことでも知られています。

多才なサイドマン: 1940年代には、サイドマンとして非常に多忙な日々を送り、レスター・ヤングロイ・エルドリッジベン・ウェブスターコールマン・ホーキンスなど、数多くの著名なジャズアーティストと共演しました。特に、レスター・ヤング・カルテットとの録音は、ジャズ史に残る名演とされています。

ストライドピアノ: 彼はストライドピアノの名手としても知られており、ジェームス・P・ジョンソンファッツ・ウォーラーといったハーレム・ストライドの巨匠たちから直接影響を受け、そのスタイルを自身の演奏に取り入れました。

後年の活動: 1963年にロサンゼルスに移住し、映画音楽の作曲家を目指しましたが、主にクラブやフェスティバルでのピアノ演奏で活躍しました。彼は晩年まで精力的に活動を続け、1985年に67歳で亡くなるまで多くの録音を残しました。

スラム・スチュワート (Slam Stewart、1914年9月21日 – 1987年12月10日)

アメリカのジャズベーシストです。彼の最も有名なトレードマークは、弓弾きでベースを演奏しながら、同時に1オクターブ高い音でハミングまたは歌を合わせる独特のスタイルでした。

経歴と演奏スタイル

「スリム&スラム」: 1937年、彼はギタリスト兼ボーカリストのスリム・ゲイラードとデュオ「スリム&スラム」を結成しました。このデュオは、コミカルなパフォーマンスで人気を博し、1938年のヒット曲「Flat Foot Floogie」で広く知られるようになりました。

サイドマンとしての活躍: 1940年代には、サイドマンとして多忙なセッションミュージシャンとなり、レスター・ヤングアート・テイタムコールマン・ホーキンスディジー・ガレスピーチャーリー・パーカーなど、数多くのジャズ界の巨匠たちと共演しました。特に、1945年のディジー・ガレスピーのグループとのセッションでは、ビバップの古典となる「Groovin’ High」などの録音に参加しました。

演奏テクニック: ベースを弾く前はバイオリニストであり、その経験が彼の弓弾きスタイルに影響を与えました。彼のユニークな演奏スタイルは、多くのジャズファンを魅了し、ジャズベースの歴史にその名を刻みました。

シドニー・カトレット (Sidney Catlett、1910年1月17日 – 1951年3月25日)

「ビッグ・シッド (Big Sid)」の愛称で知られるアメリカのジャズドラマーです。スウィング・ジャズを代表するドラマーの一人でありながら、ビバップという新しいジャズスタイルにも適応した、ジャズ史上でも特に多才で柔軟なドラマーとして評価されています。

経歴と演奏スタイル

キャリアの始まり: インディアナ州エバンズビルで生まれ、シカゴで育ちました。1928年にプロとしてのキャリアをスタートさせ、1930年にニューヨークへ進出しました。

著名なバンドとの共演: 彼は数々のビッグバンドで活躍しました。特に、ベニー・カーターフレッチャー・ヘンダーソンのバンドで経験を積んだ後、1938年から1942年までルイ・アームストロングのお気に入りのドラマーとして彼のビッグバンドで重要な役割を果たしました。また、ベニー・グッドマンのバンドにも一時的に参加しています。

スウィングからビバップへ: 彼はスウィング時代に名を馳せましたが、その強力なスイング感と適応力により、ビバップの初期の録音にも参加しました。1945年のディジー・ガレスピーチャーリー・パーカーとの歴史的なセッションでも、その才能を発揮しています。

音楽性: カトレットは、非常に安定したタイムキーピングと、グループ全体に溶け込むような繊細で支持的な演奏スタイルで知られています。同時に、ソロではテーマの探求や装飾を凝らし、ダイナミクスを幅広く使うなど、高い技術と音楽性を示しました。彼はドラムを単なるリズム楽器ではなく、メロディや構成を持つ楽器として捉えていました。

晩年: 1947年から1949年まで再びルイ・アームストロングのオールスターズで活動しました。しかし、健康上の理由から1949年にツアーを引退します。その後もシカゴで演奏活動を続けましたが、1951年に心臓発作で亡くなりました。41歳という若さでした。

キーノート盤に秘められたジャズ史の奇跡を読み解く

このキーノート・セッションがなぜ「奇跡」と呼ばれるのか。それは、録音された時期と、そこに集ったミュージシャンたちの「物語」に深く関わっています。

録音時期が物語る「プレズの運命」

このアルバムの録音は、1943年12月と1944年3月に行われました。これは、レスター・ヤングが第二次世界大戦で陸軍に徴兵されるわずか半年前のことです。

レスター・ヤングが経験した兵役は、彼の人生と音楽に決定的な影響を与えた、非常に苦しく複雑な出来事でした。彼の兵役の詳細について、より深く掘り下げて説明します。

兵役の経緯と問題

1944年、第二次世界大戦の最中に、レスター・ヤングは35歳で徴兵されました。当時、彼はジャズ界のスターであり、最も影響力のあるサックス奏者の一人です。しかし、軍隊での現実は、彼の名声や芸術性とはかけ離れたものでした。

人種差別: 当時のアメリカ軍はまだ人種隔離されており、黒人兵士は白人兵士とは異なる扱いを受けました。ヤングは、軍内で露骨な人種差別に直面し、精神的に大きな苦痛を味わいます。さらに彼の妻が白人であったことも、立場をより困難なものにしました。
組織的な虐待: レスター・ヤングは軍隊での過酷な訓練や環境に加え、上官から組織的な暴力や嫌がらせを受けたと言われています。繊細で内向的な性格であった彼にとってこうした経験はトラウマとなり、心を深く傷つけました。
薬物使用と軍法会議: 絶え間ないストレスと精神的な苦痛から逃れるため、レスターはマリファナを吸うようになります。軍隊での薬物使用は厳しく罰せられる行為であり、彼はこのことで軍法会議にかけられました。その結果、有罪判決を受け、懲役刑を宣告され、ジョージア州にある刑務所に収監されます。彼は名誉除隊ではなく、不名誉除隊となりました。

兵役後の影響

1945年に除隊してジャズ界に戻った後も、兵役中の経験が彼に与えた影響は色濃く残りました。

精神的な変化: かつての明るく屈託のない「プレズ(大統領)」のイメージは、兵役を経てより内省的で繊細、そしてどこか影を帯びたものになりました。彼は酒に溺れるようになり、健康状態も悪化していきます。
音楽性の変化: 兵役後の彼の演奏は、兵役前と比較して、よりメロディックで複雑になり、音色もより深く、時には悲しげに響くようになりました。多くの評論家は、兵役前が「軽快でスムーズ、そして明るい」と評される一方で、兵役後には「重厚で陰鬱な感情がにじみ出ている」と指摘しています。この変化は、彼の内面の葛藤や苦悩を音楽に反映させたものと解釈されています。

レスター・ヤングの伝記を読み解くと、彼の才能や創造性は疑いようがないものの、彼の人生が人種差別や個人的な問題によっていかに苦しめられたかがわかります。彼の兵役中の経験は単なるキャリアの一時期ではなく、彼の芸術と人生全体を形成する上で決定的な出来事でした。

このアルバムは一人の天才がその運命を変える嵐の前の、最後の輝きを捉えたドキュメントでもあるのです。

Q&Aで深掘り!キーノート・セッションの裏話

1943年12月28日に録音されたレスター・ヤング・カルテットの「キーノート・セッション」は、ジャズの歴史における非常に重要な瞬間でした。このセッションには、いくつかの興味深い背景や裏話があります。Q&A形式でご紹介します。

Q1: なぜこのセッションは「キーノート」と呼ばれているのですか?

A1: このセッションは、ハリー・リム(Harry Lim)が設立した独立系レコードレーベル、キーノート・レコード(Keynote Records)によって録音されたからです。当時のジャズ録音は大手レーベルが主流でしたが、キーノートはジャズメンに自由に演奏させることを重視し、質の高いジャズ作品を数多くリリースしました。リムはジャズファンでもあり、ミュージシャンたちと良い関係を築いていたため、このセッションのような歴史的な録音が可能になったのです。

Q2: このセッションが行われた時期は、ジャズ界にとってどのような状況でしたか?

A2: このセッションは、1942年から1944年にかけて行われたAFM(アメリカ音楽家連盟)の録音禁止令の最中に行われました。AFMはレコード販売の収益がミュージシャンに還元されないことに抗議し、レコード会社に録音を禁止するよう命じたのです。
大手レコード会社はこれに従いましたが、キーノート・レコードのような一部の独立系レーベルはAFMと個別に協定を結び、録音を続けることができました。このためこの時期のジャズの貴重な録音は、主にキーノート・レコードに残されています。

Q3: このセッションで、レスター・ヤングはどのような状態だったのですか?

A3: このセッションは、レスター・ヤングが徴兵されるわずか数週間前に行われました。彼は当時、非常に人気があり絶頂期でしたが、同時に精神的な不安定さを抱えていたと言われています。しかしこの日の演奏からは、音楽的な才能が最高潮に達していたことがうかがえます。後年の兵役後の演奏と比べると、この時期の演奏はより軽やかで、リラックスしていると評されています。

Q4: なぜ「Just You, Just Me」のようなスタンダード曲が選ばれたのですか?

A4: 当時のジャズ録音では、既存のポピュラーソングやジャズ・スタンダードを再解釈することが一般的でした。特に、小編成のセッションでは、ミュージシャンが互いの音楽性をよく理解しているため、即興演奏がしやすく、スタンダード曲は最適な素材でした。ヤングの個性的なフレージングは、メロディの構造がシンプルで耳なじみのある「Just You, Just Me」のような曲でこそ、その魅力が最大限に発揮されました。

Q5: このセッションのメンバーは、なぜこれほど素晴らしいケミストリーを見せたのですか?

A5: このセッションのメンバーは、当時ニューヨークで最も優れたミュージシャンでした。彼らはそれぞれが個性的でありながら、互いのスタイルを尊重し、調和を保つことができました。

レスター・ヤング:流れるようなサックス
ジョニー・ガルニエリ:スウィングからモダンまでこなせる多才なピアノ
スラム・スチュワート:ユニークなハミングベース
シドニー・カトレット:力強くも繊細なドラム

彼らは単なるバックアップではなく、お互いのソロを刺激し合うような、真のカルテットとして機能しました。この完璧な組み合わせが、時代を超えて愛される名演を生み出したのです。

もっとレスター・ヤングを知るための名盤3選

『The Complete on Keynote』でレスター・ヤングの魅力に触れたら、ぜひ他の名盤も聴いてみてください。彼の音楽の旅路をさらに深く知ることができます。

カウント・ベイシー楽団時代:『The Lester Young Count Basie Sessions 1936-1940』

レスターがスターダムにのし上がったカウント・ベイシー楽団時代の決定版。スウィング・ジャズの躍動感と、若き日のプレズの瑞々しいソロが満載です。ジャズの楽しさが凝縮された一枚。

ビリー・ホリデイとの共演:『A Musical Romance』

ジャズ史上最高のデュオと称されるビリー・ホリデイとの共演集。互いのニックネーム(「レディ・デイ」と「プレス」)を付け合った二人の、魂が通じ合うような音楽的対話は涙なしには聴けません。

復活の名演:『Pres and Teddy』

兵役後の困難な時期を乗り越え、旧友であるピアニストのテディ・ウィルソンと再会したセッション。若い頃の carefree(屈託のない)な演奏とは一味違う、感情の深みと円熟味を感じさせる感動的な名演です。

レスター・ヤングがジャズ史に残した「クール」という革命

レスター・ヤングの『The Complete on Keynote』は、単なる名盤という言葉では片付けられない、ジャズ史の転換点を記録した重要作です。

初心者にとっては、スウィングの楽しさとメロディアスなアドリブの魅力を教えてくれる最高の入門書。
愛好家にとっては、兵役という悲劇を前にした天才の最後の輝きと、セッションに隠された数々の物語を読み解く楽しみを与えてくれる深遠な一枚。

彼の軽やかで洗練されたスタイルは、後に「クール」という概念そのものとなり、チャーリー・パーカーからマイルス・デイヴィスまで、数多のミュージシャンに道を拓きました。このアルバムは、その革命の瞬間を鮮やかに切り取っています。

この記事を読んでくださり、ありがとうございました。ぜひ、ここで得た知識を片手に、もう一度『The Complete on Keynote』に針を落としてみてください。きっと、これまでとは全く違う「物語」が聴こえてくるはずです。

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