サンプリングとアンビエントの源流を巡る旅
もしあなたが、「サンプリングやアンビエントの源流には、一体どんな天才がいたのだろう?」と考えたことがあるなら、その答えは一人のドイツ人ミュージシャンのキャリアの中に隠されています。
彼の名は、ホルガー・シューカイ(Holger Czukay)。
クラウトロックの伝説的バンド、Can(カン)の創設メンバーであり、ベーシスト兼サウンド・エンジニアとして即興演奏を精密に切り刻み、再構築する「編集の天才」でした。
彼は現代の音楽制作に不可欠な「サンプリング」や「コラージュ」の概念を、デジタル技術が生まれる遥か昔、アナログの磁気テープと短波ラジオを使って確立した先駆者です。
本記事を読むことで、あなたは次のことを得ることができます。
Canの革新的なサウンドの秘密が、ホルガー・シューカイの「編集術」によっていかに実現されていたかを知る。
クラシックの前衛音楽(シュトックハウゼン)とロック/ポップミュージックという、対極にあるはずの二つの世界を繋げた、「型破りな創作哲学」を深く理解する。
ソロ名盤や、デヴィッド・シルヴィアン、ブライアン・イーノといった大物たちとのコラボレーションの裏側を知り、すぐに聴ける必聴作品を見つける。
さあ、前衛とユーモア、グルーヴと音響実験が交差する、ホルガー・シューカイの「マジカル・ワールド」を巡る旅に出発しましょう。
まず知るべきシューカイの3つの顔
ホルガー・シューカイ(1938年–2017年)の音楽世界は、その実験性ゆえに複雑に見えますが、彼を理解するための鍵となる役割は明確です。
Canの「設計者」:即興を固定したエンジニア
Canは1968年にケルンで結成されました。彼らの音楽の基本は、「瞬間的作曲(instant composition)」と呼ばれる、楽譜に基づかない自発的な集団即興演奏でした。
この奔放なセッションをアルバムという形にまとめたのが、ベーシストであり、バンドのアルバムのほとんどの録音とエンジニアリングを担当したホルガー・シューカイです。
Canにおけるシューカイの役割
役割 | 内容 | 貢献度 |
---|---|---|
ベーシスト | ヤキ・リーベツァイト(ドラムス)と共に、Can特有のドライビング・リズム・セクションを支えた。 | 音楽の土台 |
サウンド・エンジニア | 彼のスタジオ(Inner Space Studio)にて、録音技術の全てを管理した。 | 技術的な基盤 |
編集者/作曲家 | 長時間の即興テープから最高の瞬間を切り出し、編集によって曲の構造(構成)を決定した。 | 創造性の核心 |
シューカイは即興演奏の混沌の中から、「破壊の行為」としての編集作業を通して、後にクラウトロックの金字塔となる名曲群を生み出しました。
サンプリングの「パイオニア」:短波ラジオとテープ編集
シューカイの最も革新的な貢献は、まだデジタルサンプラーが存在しない時代に、テープの切り貼りで「サンプリング」を芸術にしたことです。
テープ録音とコラージュ
彼はショートウェーブラジオやディクタフォンを使い、世界中から集めた雑多な音の断片やメディアサンプルを録音しました。これらをアナログテープで編集し、楽器演奏と組み合わせる手法を確立します。彼のソロアルバム『Movies』(1979年)は、1万回以上もの編集が必要だったとされています。
ジャンルの先駆
この手法は、後にブライアン・イーノとデヴィッド・バーンによる『My Life in the Bush of Ghosts』(1981年)など、サンプリング・ベースの電子音楽やアンビエントの源流として、高く評価されています。
ユーモアと脱力系のグルーヴ
彼の作品はその実験的な手法とは裏腹に、強いグルーヴと、独特のユーモアやナンセンスに満ちています。
例えば、彼のソロの代表曲「Cool In The Pool」(1979年)は、シンセ・ディスコ、アフロビート、テウトニック(ゲルマン的)でアヴァンギャルドなノイズを混ぜ合わせた、ファンキーな楽曲です。
「Oh Lord, Give Us More Money」(ああ神様、我らにもっとお金をください)というタイトルも、彼のシニカルで陽気な態度を象徴しています。
聴き方のポイント
- Canの楽曲では、ヤキ・リーベツァイトの正確なドラム(モーターリック・ビート)に耳を傾けつつ、「編集によって生まれる唐突なブレイクや音響の歪み」を探してみてください。
- ソロ作品、特に『Movies』を聴く際は、「背景で鳴っている奇妙な音や、突然現れるラジオの断片」が、実は世界中から集められたサンプリング作品であることを意識して聴くと、より楽しめます。
- 彼の音楽は「アンビエント」的な浮遊感と「ファンク」的な推進力が同居しています。深く考えず、その「ワイルドな雰囲気」と「グルーヴ」に身を任せてみましょう。
前衛とロックの間の「特異点」
ホルガー・シューカイの創作哲学は、単なる実験ではなく、彼が学んだ現代音楽の知識と彼が魅了されたロックの「不完全性」との間の、緊張関係から生まれています。
前衛音楽からの「離脱」と「引用」
シューカイとイルミン・シュミットは、現代音楽の巨匠カールハインツ・シュトックハウゼンの弟子でした。これは彼の音楽制作の根幹を成しています。
「彼(シュトックハウゼン)は、通常は音楽とは見なされないような種類の記譜法を習得していた、本当に真面目な作曲家でした。その体系化と音楽的理解が私を大いに惹きつけました。私は彼からそれを学びました」
「しかし、しばらくしてシュトックハウゼンは私に言いました。『君はここにいるべきではない!私が尋ねている疑問は君には関係ない』と。彼は私を追い出したのです(大笑)。『ホルガー、君には取り組むべき課題がある』」――ホルガー・シューカイ(Holger Czukay Interviewed | The Quietusより)
シュトックハウゼンとCanの出発点
シューカイとシュミットはシュトックハウゼンのもとを離れ、ロックバンドCanを結成しましたが、その目的は記譜を使わない「瞬間的作曲」という形で、現代クラシック音楽(アヴァンギャルド)の実験をポップ/ロックの文脈で実行することでした。
彼らはシュトックハウゼンの巨大な影響力から逃れるために、意図的に「シュトックハウゼンを殺さなければならなかった」と語られています。
テープ・ミュージックの継承
しかし彼の音楽は、シュトックハウゼンやピエール・アンリが切り開いた電子実験音楽(ミュジーク・コンクレート)の技法、特にテープ操作の革新性を継承しており、初期のソロ作『Canaxis 5』(1969年)では、WDR(西ドイツ放送)のシュトックハウゼンが管理する電子音楽スタジオの機材を内緒で使って制作されたというエピソードがあります。
Canの「混沌の美学」:ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの影響
なぜホルガー・シューカイは、厳密な体系を持つクラシックからロックへと転向したのでしょうか?ロックからの主要な影響として、彼はビートルズとヴェルヴェット・アンダーグラウンドを挙げています。
「特にヴェルヴェット・アンダーグラウンドが重要です。彼らは他の誰も達成していないことを達成していました。ジミ・ヘンドリックスでさえ達成できなかったことです」
「彼らに対し、適切に演奏できていない、正しいリズムもタイトなリズムも作れていないという見解を持つ人もいたでしょう。しかし、その音楽は信じられないほどの説得力を持っていたのです。この感覚が私たちをアカデミックなアヴァンギャルド音楽ではなく、ロック音楽を続けるように勇気づけたのです」 ――ホルガー・シューカイ(An Interview With Holger Czukay by Richie Unterbergerより)
Canの初期作品、特に『Monster Movie』は、ヴェルヴェット・アンダーグラウンドの持つ「生のドローン」から強いインスピレーションを受けていました。シューカイは完璧さではなく、「崩壊していく建物をスローモーションで見るようなもの」として、Canの音楽制作プロセスを表現しています。
Q&A:コラボレーションにおける「非予測性」
シューカイのソロキャリアは、デヴィッド・シルヴィアンやブライアン・イーノ、元PILのジャー・ウォブルなど、多くのアーティストとの実験的なコラボレーションに彩られています。
Q: シューカイはどのようにして予測不可能な音楽を生み出したのでしょうか?
A: 彼は「フィードバック」や「環境」という、サイバネティクスの概念を音楽制作に取り入れました。サイバネティクスとは、人間、機械、環境の間のフィードバックループ(情報の循環)を通じて、システムが自律的に適応・進化する科学です。
フィードバックとノイズ
ポップミュージックでは、ノイズやエラーは排除されます。サイバネティックな視点では、エラーやノイズは学習や適応のためのプロセスです。シューカイはあえて、短波ラジオやディクタフォンといった「ローファイ」な音源(ノイズが多い音源)を活用し、それを音楽的「エラー」として組み込みました。
シルヴィアンとのコラボレーション
デヴィッド・シルヴィアンとのアンビエント作品「Plight & Premonition(1988年)」や「Flux + Mutability(1989年)」では、シルヴィアンが即興演奏を始め、「構成しよう」とする瞬間にシューカイが録音を止め、その「不確実性」や「探求のプロセス」を捉えるという非伝統的な方法が用いられました。
Q: 彼はなぜCanを脱退し、ソロ活動に移行したのですか?
A: 1977年に元トラフィックのベーシスト、ロスコ・ジーがCanに加入し、彼の方がベースを上手に弾けるとシューカイは感じました。この時、彼はベースから離れ、「veritable magic kit(真の魔法キット)」と呼ぶサウンドエフェクトや電子音響の生成に集中する、新しい役割を見出します。
しかし、ライブ中に新しい歌手(リーバップ・クワク・バー)にプラグを抜かれる出来事があり、1978年にCanを脱退しました。彼はその後、タイや中国へ旅をし、孤独の中で自己を整理し、ソロキャリアを本格化させます。
マジカルな音響世界を体験する5選(ホルガー・シューカイ作品)
ホルガー・シューカイの先駆的な世界観を堪能できる、主要なソロ/コラボレーション作品を5つご紹介します。
Canaxis 5 (1969年)
【特徴】 Can結成直前、ロルフ・ダマースとの共作として発表された、電子ワールドミュージックの金字塔。当時のシュトックハウゼンのスタジオで秘密裏に制作されました。 ベトナムの民謡や東洋の音楽の録音をループさせ、電子的な処理と重ね合わせる手法は、後のエスノ・テクノ・ダンスの先駆けとなりました。インターネット時代以前に、国境のない音の宇宙を構想した作品です。
【聴きどころ】 「Canaxis」の催眠的なループと浮遊感。「Boat Woman Song」の哀愁漂う響き。
Movies (1979年)
【特徴】 Can脱退後、彼のソロキャリアで最も商業的に成功した傑作。Canのメンバーであるイルミン・シュミットとミヒャエル・カローリも参加しています。 短波ラジオから拾った音源を多用し、彼の「サンプリングの天才性」が全開となった作品です。
【聴きどころ】 ファンキーでユーモラスなディスコ・ポップ「Cool In The Pool」。
「Oh Lord Give Us More Money」は「カン以上にカンらしい」と評され、推進力のあるグルーヴとサンプルのコラージュが融合しています。
ラジオから偶然発見したイラン人歌手のチャントを用いた「Persian Love」は、日本でもCMに使われたスマッシュ・ヒットです。彼のソロキャリアにおいて画期的な作品であり、サンプリング技術とワールドミュージックの先駆的な使用を象徴する重要なトラックです。
Persian Love(「Movies」収録曲)
サンプリングと制作手法の核心
この楽曲の最大の特長は、デジタルサンプラーが登場する以前に、短波ラジオから偶然見つけた音源をサンプリングし、それを緻密に編集して楽曲の核とした点にあります。
サンプリングされたボーカル: 「Persian Love」は、短波ラジオから拾ったイラン人歌手のチャント(歌声)を中心に構築されています。シューカイはこのイラン人歌手の歌声を、ラジオで偶然発見しました。
コラージュと編集技術: シューカイは、何ヶ月にもわたるチャンネルサーフィンやランダムなラジオ聴取で音源を収集し、テープを細かく切断し接合する(カット・アンド・ペースト)という骨の折れる作業を通じて、曲として統合しました。彼のソロ作品(『Movies』を含む)に見られるこの手法は、彼をサンプリングのパイオニアの一人として確立します。
テープ編集の量: 『Movies』は10,000回以上の編集を必要としたと言われており、これはシューカイの綿密な編集作業を示しています。
サウンドの融合: 曲全体を通してイラン人の歌声は、Canスタイルの推進力のあるビートやきらめくギター(sparkling guitars)と見事に融合され、えも言われぬ哀愁を誘う桃源郷サウンドを形成しています。
音楽的ジャンルと影響
「Persian Love」はその異文化的な要素と技術的なアプローチにより、後の音楽ジャンルに多大な影響を与えました。
エスノ・テクノ・ダンスの先駆け: この楽曲は、ニューウェーブにおける「エスノ・テクノ・ダンス(ethno-techno-dance)」を効果的に発明し、Talking Headsの作品などに先駆けています。
ワールドミュージックとアンビエント: 「Persian Love」は、民族的なサウンドとエレクトロニックミュージックを組み合わせたワールドミュージック(world music)という概念が生まれる遥か以前に、そのジャンルを予見しました。その浮遊感からアンビエントやニュー・エキゾチカの重要な初期の例と見なされています。
ブライアン・イーノとデヴィッド・バーンへの影響: この楽曲に用いられたエスニックなサンプリングとテープ・コラージュのアプローチは、ブライアン・イーノとデヴィッド・バーンによる影響力の高いアルバム『My Life in the Bush of Ghosts』(1981年)の着想源となったことが指摘されています。
音楽的な構成: 「Persian Love」は素晴らしいグルーヴと、異世界のようなギター、そしてトーンの揺らぎを持つキーボードによって成り立っています。リズムは、ドラマーのヤキ・リーベツァイト(Jaki Liebezeit)によるモーターリック・リズムやアフリカ的なポリリズムの影響を受けたものです。
日本での人気と評価
「Persian Love」は日本との縁が深い曲です。
CMソング: 日本ではサントリー角瓶のCMソングに採用され、スマッシュ・ヒットを記録しました。このため、当時の日本のファンにとって特に馴染み深い曲です。
「ムーヴィーズ」の中心的トラック: 評論家の中にはこの曲を、『Movies』の中心的トラック(centerpiece of the album)であると評価する者もいます。
その他の情報
再発: 2010年には、この楽曲のリミックス・バージョンを含む12インチ・シングルが限定リリースされました。また、2018年にリリースされたシューカイの作品集『Cinema』にも収録されています。
タイトルの意味: シューカイは意図的にペルシャ(イラン)のボーカルを西洋のリール(リズム)に乗せることで、「音を聴くこと、そしてメロディのスイープが湧き上がってくること」という、音楽的な繋がりが存在するという根底のコンセプトを表現しようとしました。
On The Way To The Peak Of Normal (1981年)
【特徴】 通称『イマージュの旅人』。前衛、ダブ、ジャーマン・ニューウェイヴ、ポップを股にかけたナンセンス・ポップ・ロック・ダダイズムの傑作。 ヤキ・リーベツァイト、コニー・プランク、ジャー・ウォブル、ジャーマン・パンク・バンドS.Y.P.H.のメンバーなど、多彩なゲストが参加しています。
【聴きどころ】 A面全体を占める18分の長尺曲「Ode To Perfume」は、ゆったりとしたドラムをバックにトレモロ・ギターやラジオ・コラージュが浮遊するアンビエントの名曲です。また、ロカビリー調のワイルドなサウンドの「Two Bass Shuffle」も収められています。
Full Circle (1982年)
【特徴】 Canのドラマー、ヤキ・リーベツァイトと、元Public Image Ltd.(PiL)のベーシスト、ジャー・ウォブルとの強力なトリオによるコラボレーション作品。ポストパンク時代のダブとクラウトロックのグルーヴが融合した、禅的なヒップスターイズムとでも呼ぶべき独自のサウンドです。
【聴きどころ】 リーベツァイトの正確なドラムと、ウォブルの催眠的なベースの上に、シューカイのサンプリング(ラジオ・ピクチャーズ・シリーズ)が展開されます。タイトル曲「Full Circle」や「How Much Are They?」は、その後の電子音楽シーンに多大な影響を与えました。
Plight & Premonition (1988年) / Flux + Mutability (1989年)
【特徴】 デヴィッド・シルヴィアンとのコラボレーションによる2作品。シューカイがベースを弾かず、サンプリングとテープ操作に専念した静謐なアンビエント作品です。 シルヴィアンはシューカイの「フィルム編集」に似た編集アプローチに感銘を受け、このコラボレーションが実現しました。
【聴きどころ】 音響的なコラージュと超現実的なサウンドデザインが特徴で、夜や静かな時間帯に聴くことで深い瞑想的な体験が得られます。
すべての門は開かれている
ホルガー・シューカイはクラシック音楽の厳格な教育を受けながら、ロックの「不完全な説得力」に魅了され、その二つの世界を「編集」という行為で融合させた稀有なアーティストでした。
彼の功績は、Canにおいて即興の混沌を構成作品へと昇華させた点と、ソロ活動において、後の音楽制作の基礎となるサンプリング・コラージュの手法を確立した点にあります。
彼は2017年に79歳で亡くなりましたが、彼の残した音楽は、電子音楽、アンビエント、ポストパンク、ワールドミュージックなど、現代の多様なジャンルに影響を与え続けています。
彼の音楽を聴くことは過去のクラウトロックを辿ることではなく、音楽の定義と可能性を拡張する旅に他なりません。彼の残した言葉通り、「すべての門は開かれている」のです。
今日紹介した名盤の中から、ぜひ一枚手にとって、ホルガー・シューカイの「マジカル・ワールド」を体験してみてください。最後までお読みいただきありがとうございました!
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