孤高の歌声が世界を切り裂く、日本アンダーグラウンド・レジェンド
あなたは、音楽を通じて「時代」の深い閉塞感や、未来の見えない不安を感じたことはありませんか?
今回ご紹介する音楽家 Phew(フュー) は、日本の音楽シーンにおいて、まさにその現代社会の曖昧な「いま・ここ」を、独自の電子音響とヴォイスで表現し続ける、孤高の存在です。イギリスの有力メディアからは「日本のアンダーグラウンド・レジェンド」と称賛されています。
彼女のキャリアは、1970年代後半のパンクの苛立ちから始まり、その後は坂本龍一やドイツの伝説的プロデューサーコニー・プランク、そしてCANのメンバーといった世界の巨匠たちと共鳴し、国境を越えた実験を重ねてきました。
しかし、その音楽性はあまりにも多岐にわたり、初期のパンクからテクノ/クラウトロック的なコラボ、そして近年のミニマルな電子音楽まで、初めて触れる人にとってはどこから聴き始めれば良いか戸惑うかもしれません。
本記事は、Phewの40年以上にわたる先鋭的な活動の入門ガイドとして、さらには彼女の哲学や創作の深層に迫る洞察として提供します。
さあ、「Phew(やれやれ、あーあ、というため息の意味)」に込められた、時代への皮肉と静かなる意志をたどる旅に出かけましょう。
ポストパンク期の胎動:アーント・サリー (1978年〜1979年)
Phew(本名:森谷裕美)のキャリアは、大阪で結成された伝説のアート・パンク・バンド、アーント・サリー(Aunt Sally)から始まります。
パンクとの出会い: 高校時代にNHKで放送されていたセックス・ピストルズを聴いてカルチャーショックを受け、渡英経験を経て1978年にバンドを結成しました。
特異な存在: Phew、bikke、mayuの女性3人をフロントに据えた編成(ベースとドラムは流動的)は、当時の日本のパンク・ロックシーンにおいても特異な存在でした。
活動期間と解散: アーント・サリーは1979年に解散。若さ故の焦燥とスピードで時代を駆け抜け、瞬間的に燃え尽きたバンドでした。
「終曲(フィナーレ)」(1980年)
アーント・サリー解散後、Phewはソロ活動を開始し、瞬く間に世界的な文脈に接続されます。
坂本龍一プロデュースによるソロ・デビュー
Phewのキャリアにおける重要なマイルストーン「終曲(フィナーレ)」について解説します。この楽曲は、日本のアンダーグラウンド・レジェンドとしてのPhewのソロ活動の原点を示す、歴史的に重要な作品です。
リリース情報と形態
- タイトル: 『終曲(フィナーレ)/ うらはら』。
- A面が「終曲(フィナーレ)」、B面が「うらはら」という両A面的な形式でした。
- A面(終曲)はモノラルで、B面(うらはら)はステレオで収録されています。
- 発売日: 1980年3月25日にリリースされました。
- レーベル: Pass Records。
- ジャンル: エレクトロニック、ロック、アート・ロック、エクスペリメンタル、アヴァンギャルドに分類されます。
坂本龍一とのコラボレーション
このシングルは、当時YMOのメンバーとして脚光を浴びていた坂本龍一がプロデュースしたことで知られています。
制作体制: 坂本龍一はプロデューサーとしてだけでなく、ドラムス、ピアノ、ヴォイス、そしてProphet 5、Arp Odyssey、MC8といった当時の最先端のシンセサイザーを演奏しています。
Phewの役割: Phewはヴォーカル、ヴォイス、ノイズ(Noise)を担当しました。
制作経緯: PhewがPass Recordsからシングルを出す話が持ち上がり、レーベルの後藤美孝氏を通じて坂本龍一にプロデュースが依頼されました。Phewは坂本龍一のことを当時、フュージョンの人だとイメージしていたそうです。
譜面化のエピソード: Phewがカセットテープにアカペラで録音した鼻歌(ハナウタ)を坂本龍一が聴き、それを譜面に起こして制作が進められたとされています。
音の特徴: このシングルは、当時の評論家やリスナーから「暗黒フォークのテクノ版」と評される異質なサウンドでした。
栗本慎一郎の著作からの引用
「終曲(フィナーレ)」には、音源の中に栗本慎一郎の著作からの引用が男の声でボソボソと入れられています。栗本の引用は人間が余分なものを作り、それをある時に一度に壊してしまう「蕩尽(とうじん)」にエクスタシーを感じるという、思想的内容に関わるものです。Phew自身はのちに、この部分が何と言っているのか、分かりにくかったと認めています。
Phewの当時のスタンス
この作品がリリースされた当時、Phewはメディアから「エキセントリックなおねえちゃん」や「変わった少女」といった扱いを受け、YMOの坂本龍一がプロデュースしたという文脈で語られることを嫌悪していました。
彼女はパンクがショービジネス化していく当時の業界の動きや、自身の音楽に対する評価への幻滅から、インタビューでも攻撃的な態度をとることが多かったと語っています。
後世への影響(「声」の探求の原点)
この初のソロシングル「終曲」の録音時に、Phewは声だけを使ってアルバムを作るというアイデアを思いつきました。このアイデアはその後37年という長い月日を経て、2017年にアルバム『Voice Hardcore』として実現することになります。
近年の再録
Phewは2015年に発表した20年ぶりのオリジナルアルバム『ニューワールド(A New World)』の中で、このデビュー作を想起させる「Finale 2015/終曲2015」という楽曲を収録しています。また、坂本龍一のアーカイブシリーズ「Year Book 1980-1984」には、「終曲(ライヴ・ヴァージョン)」が収録されており、後藤美孝も参加しています。
「終曲(フィナーレ)」は、Phewがパンクの衝動からソロ・アーティストとして踏み出し、坂本龍一のテクノロジーとアヴァンギャルド志向が組み合わさることで生まれた、日本のニュー・ウェイヴ/実験音楽の歴史における特異な原点となる作品です。
世界基準の実験:クラウトロックの巨匠たちとの協働 (1981年〜1990年代)
伝説のコニーズ・スタジオでの衝撃
1981年に発表された1stソロ・アルバム『Phew』は、西ドイツ・ケルンの伝説のコニーズ・スタジオで制作されました。このスタジオは、クラフトワーク(Kraftwerk)やノイ!(NEU!)など、ジャーマン・ロック(クラウトロック)の傑作を数多く生み出した聖地です。
レコーディングには、CANの元メンバーであるホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトが参加。コニー・プランクによる卓越したエンジニアリングと、シューカイによるエディティングの妙がPhewの孤高のヴォーカルと融合し、現在も「けっして古びることのない奇跡のサウンド」として評価されています。
Phewが「1980年にコニーズ・スタジオで出会った人たちから、多くの事を学んだ。この経験がなければ、私は今も音楽を作っていなかったと思う」と語るほど、彼女のキャリアの根幹を築きました。
『Phew』 (1981年)
日本のポストパンクとドイツのクラウトロックが奇跡的に融合した歴史的傑作。ホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイトという巨匠の参加が、その斬新な音世界を保証します。
『Our Likeness』 (1992年)
Muteレーベルからのリリースで、D.A.F.やアインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのメンバーが参加した国際的な重要作。よりインダストリアルな要素が強まり、Phewの音楽性が深化した時期の作品です。
電子音楽とヴォイスの探求期 (2010年代〜現在)
2010年代以降、Phewは再び独自の進化を遂げ、エレクトロニック・アーティストとして世界的な評価を確立します。
彼女は、アナログ・シンセサイザーやヴィンテージ・リズムマシンを軸としたソロユニットでの活動を本格化。この転換のきっかけの一つは、2011年の震災後に「自分の活動の幅を小さくしていこうと考え」、身体一つでできる表現として電子音楽のソロユニットを始めたことにあります。
この時期の作品は、声を「歌」ではなく「音素材」として扱い、エレクトロニクスとヴォイスを組み合わせた内省的で実験的な世界観が特徴です。
代表作: 声だけを使って制作された『Voice Hardcore』(2017)や、最新の創作姿勢を示す『New Decade』(2021)。
国際的評価: ピッチフォークによる「日本のアンダーグラウンド・レジェンド」という評価に加え、最新作『New Decade』は英音楽誌『The Wire』の表紙を飾り、「電子的なコミュニケーションでうごめき、打ち出すパルスは、まだ解読されていないリズムでありメッセージでもある」と評されました。
孤高のレジェンドの深層
Phewの音楽は、彼女自身の哲学や時代への透徹したまなざしと深く結びついています。ここでは彼女の創作の背景にある思想と、知られざるエピソードを掘り下げます。
Phewの哲学:「技術」と「完成」の否定
Phewは一貫して、音楽制作における技術的な達成や、固定化された「完成」を避ける姿勢を貫いています。
技術を目標にしない理由
Phewは、ホーミーのような特殊な発声方法や、複雑なメロディを歌う技術を目標にすることを好みません。
彼女にとって技術的な巧みさは、「音楽を作ったり表現するのとは別のことになる」のであり、技術の道に進むことを「まずい」と考えていました。
「プロセス」そのものが作品となる
2021年のアルバム『New Decade』では、創作のプロセスそのものに価値を置いています。
「まず構想とかコンセプトから離れるということがおおきかったです。ひとつの音を出してその音に導かれて次の音が出てくるみたいなつくり方でみんな録音しています。最初に構想を立てるのではなく、なにもないところでまず音を出し最初の音が次の音を呼んでく」 引用元:Phew(2021年)
Phewの音楽は、最初から意図された完成形に向かうのではなく、「自分が出した音がどこに連れて行ってくれるか」という偶発的な旅の記録なのです。彼女はパンデミック後の世界で、「完成させないこと。プロセスを大事にしたい」という姿勢こそが、どう生きていくかということに繋がると語っています。
ヴォイス(声)の実験:「意味」の重圧からの解放
Phewの音楽活動において、ヴォーカル、すなわち「声」は常に中心にありながら、その役割は変化してきました。
呪術的な声とインダストリアルな音
初期のソロ作品を聴いたリスナーからは、Phewの歌唱に「日本の古(いにしえ)から伝わるような呪術的な歌唱」や、戸川純と似た「呟くような歌い方」を感じるという感想を聞きます。しかしPhewが目指したのは、それらをメカニカルな電子音と結びつけることでした。
「ひとのことば」からの逃避
特に近年の電子音楽作品では、声が持つ「意味」からの情報過多に疲弊していることを語っています。
「「意味」のないことをいっていても、人間の声はそこにあるだけで耳をそばだたせてしまう。私たちは意味があろうとなかろうと、声から情報をとろうとするのが習慣になっている。それがしんどい」 引用元:Phew(2021年)
彼女は、声を使って「雨が降るまでの経過、雲が厚くなって雲の色が変わって行く様子を声で描いたつもり」だと語るように、「声を楽器のように使う」というよりも、「声で絵を描く」ように、声を音響的な「絵の具」として扱っています。
3. Phewとパンク:「反時代」のスタンス
Phewはアーント・サリー時代から日本のパンクの先駆者ですが、自身のパンク精神については複雑な見解を示しています。
アンチ・ショービジネス: 80年代のニューウェイヴがショービジネス化し、スリッツやポップ・グループがメジャーと契約していく様子を見て、「私のファンタジーは終わった」と感じ、活動を中断した経緯があります。
反時代の活動: Phewは80年代当時、「反時代」というスタンスで活動していました。時代の渦中にいながらも、その流れに乗らないことで自身の音楽を守ろうとしていたのです。
Phewの孤高のサウンドを辿る
Phewの多岐にわたるキャリアを代表する名盤と、彼女のサウンド形成に不可欠だった世界の巨匠たちを紹介します。
必聴の名盤3選
『Phew』 (1981年)
日本の実験音楽を世界に刻んだ歴史的傑作
制作背景: アーント・サリー解散後、西ドイツのコニーズ・スタジオにて録音。
参加アーティスト: プロデューサーのコニー・プランク、CANの元メンバーであるホルガー・シューカイとヤキ・リーベツァイト。
聴きどころ: クラウトロックのミニマリズムと、ホルガー・シューカイによるエディティングの「妙」を駆使した斬新な音世界が、Phewの孤高のヴォーカルによって完成されています。2021年にLP再発されています。
『Our Likeness』 (1992年)
Muteレーベルから世界へ、ドイツのインダストリアルとの交錯
- 制作背景: 再びコニー・プランクのスタジオにて制作され、Muteレーベルからリリース。Muteから作品を発表した最初の日本人アーティストとなりました。
- 参加アーティスト: ヤキ・リーベツァイト(CAN)、D.A.F.のクリスロ・ハース(キーボード)、アインシュテュルツェンデ・ノイバウテンのアレクサンダー・ハッケ(ギター)。
- 聴きどころ: クリスロ・ハースがPhewにコラボレーションを申し入れたことから実現した作品であり、重厚な電子音響とPhewのヴォーカルが融合した、インダストリアルな要素が強い作品です。
『New Decade』 (2021年)
「ニュー・ディケイド」を問いかける、声と電子音響の最新フェーズ
- 制作背景: Traffic/Muteより世界発売され、Phewの最新の創作姿勢を反映。タイトルは「新しい10年」を意味しますが、Phewは「新しい」が必ずしも「より良い世界」を意味しないという現代の状況を問いかけています。
- 創作スタイル: 「構想やコンセプトから離れ、音に導かれて次の音を出す」という、即興的なプロセス重視で制作されました。
- 聴きどころ: 声とアナログ・シンセ、リズムマシーンによる先鋭的でダビー・ミニマルなサウンドが特徴。英誌『The Wire』は「電子的なコミュニケーションでうごめき、打ち出すパルスは、まだ解読されていないリズムでありメッセージでもある」と評しました。
彼女のキャリアを支えた重要コラボレーター(4人)
Phewの多岐にわたる活動は、常に国内外の先鋭的なアーティストたちとの交流によって支えられてきました。
坂本龍一 (Ryuichi Sakamoto)
- 初期ソロ・デビューの立役者。Phewのソロ第一歩をプロデュースし、日本の音楽シーンにおけるアヴァンギャルドな立ち位置を確立する助けとなりました。
コニー・プランク (Conny Plank)
- ドイツの伝説的プロデューサー/エンジニア。彼のスタジオと卓越した技術なくして、Phewの初期の国際的傑作(1st『Phew』、3rd『Our Likeness』)は存在しません。
ホルガー・シューカイ (Holger Czukay) & ヤキ・リーベツァイト (Jaki Liebezeit) (CAN)
- クラウトロックを代表するリズムセクション。1stアルバム『Phew』に参加し、その斬新な音世界を構築。ヤキ・リーベツァイトは1992年の『Our Likeness』にも参加し、長きにわたる交流がありました。
4. 山本精一 (Seiichi Yamamoto)
- 長年の盟友であり、MOSTでのパンク再始動。山本精一とのユニット「MOST」では、「またパンクがしたくなってん!」というPhewの言葉通り、初期パンクのスタイルを追求した活動を展開しました。
専門家が語るPhewの特異性
ここでは、Phewの音楽が単なる「ロック」や「電子音楽」の枠を超えて評価される理由を、専門家の視点から要約します。
【Phewの音楽の構造と哲学】
Phewは音楽制作において、西洋音楽的な「演奏の上手さ、複雑な和声、よくできたメロディー」といった既成の基準で判断されることから距離を置いています。
彼女の近年の創作は「完成させないこと、プロセスを大事にすること」、そして「自分が出した音がどこに連れて行ってくれるか」という直感的なプロセスに基づいています。
彼女のヴォイスの使用法は、言語や意味から解放された「音素材」であり、聴く者に情報過多な現代における「意味」の重圧からの解放を促します。
「Phewの音楽は完成しない。〈プロセス〉から生まれた新作『New Decade』を語る」 新作『New Decade』を通して、完成された音楽ではなく「プロセスそのもの」を提示することに意味を見いだしている。曖昧さの中にある感情の層、その制作のありさまにこそ価値を置いている姿勢が印象的である。 引用元:Mikiki(2021年)
【パンク精神の真の体現者】
Phewが追求する音楽は、技術の習熟ではなく、身体と機材の不安定さや偶発性を利用する、極めてパンク的なDIY精神に通じています。
「もしパンクが精神なら、Phewはまさにその体現者」 Phewの「ほとんど歌わず話すようなスタイル」が持つ強い個性と、実験音楽のルールに属さない姿勢を称賛している。 引用元:The Quietus(2025年)
彼女はアナログシンセの不安定さや偶発性(例:ハウリングや電源による音の揺らぎ)をそのまま作品に取り入れることを重視しており、これは「機材の故障や偶然性を取り込み「現象」として記録する」という、現代の実験音楽における重要な特徴となっています。
Phewが示す「生きるということ」
Phewの音楽の旅は、日本の初期パンクシーンから始まり、坂本龍一やコニー・プランクといった国際的なパートナーとの協働を経て、現在では「日本のアンダーグラウンド・レジェンド」として世界的にも確固たる地位を築いています。
彼女の音楽創作は社会の閉塞感や不安が広がる中でも「絶望的にもなるけど、私は音楽を続けていく」という、自身の「生き方の表明」そのものです。
リスナーに対して、過去や未来といったリニアな時間軸から離れ、純粋な音の現象やプロセスと対峙することを促します。その孤高のサウンドは、情報過多で不確実な「ニュー・ディケイド」を生きる私たちに、何物にも支配されない「自由」な表現の可能性を示し続けているのです。
ぜひ、彼女の多層的なキャリアを辿り、あなた自身の「Phew」な瞬間を見つけてください。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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