「影の立役者」のピアノ・トリオ
ハード・バップの熱狂の中で、時に攻撃的にも聴こえるジャズの音像に対し、そっと寄り添うような優しいピアノ・トリオの音色を求めていませんか?
今回ご紹介するのは、Blue Noteレコードの黄金期を「影の立役者」として支え、作曲家、編曲家、プロデューサーとしても多大な功績を残したデューク・ピアソン(Duke Pearson)です。
彼の名は、盟友ドナルド・バードのヒット曲「Cristo Redentor」や、グラント・グリーンの名盤「Idle Moments」の陰に隠れがちですが、ピアニストとしての彼の真の魅力は、初期の2枚の傑作ピアノ・トリオ作品、『Profile』(1960年リリース)と『Tender Feelin’s』(1960年リリース)に凝縮されています。
この記事を読めば、初めての方はリラックスして楽しめるピアソンのエレガントなピアノの「歌心」と、具体的な聴きどころを知ることができます。さらにBlue Noteの歴史を語る上で不可欠な彼の多面的な才能、そして彼の初期の作品に隠された歴史的エピソードや、後のハード・バップの潮流との繋がりを深く掘り下げて解説します。
デューク・ピアソンの音楽は、多忙な日常を忘れさせてくれる珠玉の叙情美に満ちています。彼の原点であるこの2部作をじっくりと味わい、その奥深い魅力を探求していきましょう。
デューク・ピアソンというピアニスト:エレガンスとブルースの融合
デューク・ピアソン(本名:Columbus Calvin Pearson Jr.)は、1932年にジョージア州アトランタで生まれました。彼の「デューク」というニックネームは、叔父がジャズの巨匠デューク・エリントンを敬愛していたことに由来します。
彼は5歳からピアノを始めますが、一時はトランペットなどの金管楽器に熱中します。しかし歯の問題からピアノに回帰し、後になって「ウィントン・ケリー(Wynton Kelly)の素晴らしいピアノを聴いて、再びピアノに専念することを決めた」と語っています。
ピアソン・ピアノ・スタイルの三つの特徴
ピアソンのピアノ・スタイルは当時のハード・バップのピアニストたちの中でも、ひときわ優雅(エレガント)でリリカルな演奏を特徴としています。
圧倒的な叙情性(リリシズム): 彼の演奏は常にスタイルと叙情性に満ちています。『Tender Feelin’s』に顕著なように、ロマンチシズムを恐れない優しく温かい、ほとんど官能的(sensuous)なタッチで知られています。彼のソロは、まるで歌っているかのような「歌心たっぷり」のフレーズで紡がれます。
クラシカルな響き: 演奏の中には、時にクラシックの要素が混ざっているように感じられる瞬間があり、「非常にエレガント」だと評されます。スタンダード曲「I’m a Fool to Want You」や「When Sunny Gets Blue」などで、その優美な側面を聴くことができます。
ソウルフルなブルースフィーリング: 彼の演奏は単に美しいだけでなく、ブルースに対する深い理解に根ざしています。Horace SilverやSonny Clarkのスタイルにも通じる、ダークでリッチ、ファンキーでパーカッシブな響きを持ち合わせており、これが彼の音楽に深みとグルーヴを与えています。
聴きやすい初期の傑作トリオ作品
『Profile』と『Tender Feelin’s』は、ピアソンが1959年末に、ベースにジーン・テイラー(Gene Taylor)、ドラムスにレックス・ハンフリーズ(Lex Humphries)という鉄壁のトリオ編成で録音されました。
この2枚のアルバムは、後にピアソンがビッグ・バンドやラテン・ミュージックなど、より多彩でアグレッシブな作風に進む前の、ピアニストとしての原点が詰まっています。
『Tender Feelin’s』の魅力と聴き方のポイント
『Tender Feelin’s』がおすすめな理由
タイトル通りの優しさ: アルバムタイトル「Tender Feelin’s(優しい感情)」の通り、リラックスした雰囲気で、ロマンチックな主流派ジャズの傑作として高く評価されています。
名曲のオンパレード: 「On Green Dolphin Street」や「I’m a Fool to Want You」といった有名なスタンダード曲と、ブルース曲が絶妙にブレンドされています。
即興のブルース「3 A.M.」: セッションの最後に、リラックスしたムードの中で突発的に録音されたソウルフルなブルースは、聴き応えのあるハイライトです。
今すぐ試せる聴き方のポイント
ポイント | 具体的なアクション |
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歌心に耳を傾ける | 彼のピアノを、感情豊かなボーカリストだと思って聴いてください。メロディの解釈の美しさが際立っています。 |
スタンダード曲から | 「On Green Dolphin Street」や『Profile』収録の「Witchcraft」など、知っている曲から聴き始めると、ピアソンのアレンジセンスが分かりやすいです。 |
リズム隊の安心感 | ベースのGene TaylorとドラムのLex Humphriesの、堅実で繊細なサポート。彼らが織りなす「流れるような、たやすいスイング」に身を委ねてみましょう。 |
ハード・バップの潮流とピアソンの歴史的貢献
Blue Note初期ピアノ・トリオが持つ個性と編成
デューク・ピアソンのBlue Noteにおける最初の2作『Profile』(BLP 4022)と『Tender Feelin’s』(BLP 4035)は、1959年10月と12月にルディ・ヴァン・ゲルダー・スタジオで、アルフレッド・ライオンのプロデュースにより録音されました。
このトリオ(デューク・ピアソン(p)/ジーン・テイラー(b)/レックス・ハンフリーズ(ds))は、後のピアソンの派手なビッグ・バンド作品やソウル・ジャズ、ラテン作品とは異なり、ピアニストとしてのピアソンを最も純粋に堪能できる録音です。
批評家スコット・ヤナウは、ピアソンが「Bud Powellの影響を受けつつも、初期の段階で独自の音楽的個性を発揮したトップ・ハード・バップ・ピアニスト」であったことを、この2作が示していると評価しています。
特にベースのジーン・テイラーは、後にホレス・シルバー・クインテットのレコーディングでも知られる名手であり、ドラムのレックス・ハンフリーズは、繊細でありながら信頼できる演奏でピアソンを支えています。テイラーは、ホレス・シルバーのレコーディングにも参加していた人物です。
秘話:「3 A.M.」に刻まれたアルフレッド・ライオンの信頼
『Tender Feelin’s』の最終トラック「3 A.M.」には、Blue Note創設者のアルフレッド・ライオン(Alfred Lion)とピアソンとの間の深い信頼関係を示す、有名なエピソードが残されています。
アルフレッド・ライオンの回想
セッションは終わり、皆が荷物をまとめて帰る準備をし、スタジオの照明も消されていた。その時、デュークが帽子をかぶったままブルースを弾き始めた。すぐにジーンがベースを掴み、レックスが準備した。コントロールルームで我々は急いでセットした。これがその結果だ。本当にリラックスしたソウルフルな音楽だ。 — Alfred Lion
この逸話はピアソンの自発的なブルースに対する深い情熱と、それを「本物」だと見抜き、瞬時に録音を敢行したアルフレッド・ライオンのジャズに対する妥協のない姿勢を象徴しています。
Q&A:ピアソンのA&R就任と後任ハービー・ハンコック
Q1: デューク・ピアソンはBlue Noteで「影の役割」を果たしていたのですか?
A: ピアソンは、1963年にテナー・サックス奏者のアイク・ケベックが亡くなった後、Blue NoteのA&R(アーティスト&レパートリー)部門の責任者を引き継ぎ、1970年頃まで務めました。A&Rとして、彼はプロデューサー、アレンジャー、タレント・スカウトという多くの役割を担い、レーベルの「ハード・バップとソウル・ジャズの融合」というハウス・スタイル確立に貢献しました。彼の功績によりBlue Noteは、「健全に成長」を遂げることができたと評価されています。
Q2: ピアソンがA&Rに就任した決め手は何だったのですか?
A: 決定的な要因は、盟友ドナルド・バードの1963年のアルバム『A New Perspective』での仕事です。このアルバムでピアソンは、8人のコーラス隊(ワードレス・クワイア)をフィーチャーした革新的なアレンジを施し、自身の作曲した「Cristo Redentor」がジャズ・ヒットを記録しました。アルフレッド・ライオンはこの仕事に感銘を受け、ケベックの死の直後にピアソンをA&Rに起用したと言われています。
Q3: ハービー・ハンコックがピアソンの後任になったエピソードの詳細は?
A: ピアソンは1959年にニューヨークに移り、ドナルド・バードとペッパー・アダムスのクインテットでピアノを弾いていましたが、1961年に病気でセッションを欠席せざるを得なくなりました。この時、代役としてピアノを弾いた新人がハービー・ハンコックであり、ハンコックはその後、そのポジションを恒久的に引き継ぎました。
このエピソードはジャズ史における世代交代の、興味深い瞬間として語り継がれています。
デューク・ピアソンの多面的な魅力に迫る
ピアソンは1959年の『Profile』と『Tender Feelin’s』でピアニストとしてデビューした後、作曲、編曲、プロデュース能力を最大限に発揮し、Blue Noteのサウンドを豊かに育てました。
ピアソン自身の必聴名盤(トリオ以降)
デューク・ピアソン『Wahoo!』 (1964年, Blue Note)
特徴: ピアニスト、作曲家、バンドリーダーとしての彼の才能を完璧に凝縮した偉大なアルバム。トランペットにDonald Byrd、テナーサックスにJoe Henderson、フルート/アルトサックスにJames Spauldingを迎えた3管編成です。
聴きどころ: 「Amanda」「Bedouin」など、後に彼のビッグ・バンドの重要レパートリーとなるオリジナル曲を収録。当時のハード・バップの枠を超え、後のCTIレコードのクロスオーバー的な作風を予感させる、洗練されたサウンドが光ります。
デューク・ピアソン『Sweet Honey Bee』 (1966年, Blue Note)
特徴: グルーヴと叙情性が絶妙に融合したソウルフルな作品。フレディ・ハバード、ジョー・ヘンダーソン、ロン・カーターら当時のトッププレイヤーが参加したセクステット編成です。
聴きどころ: タイトル曲「Sweet Honey Bee」は彼の妻に捧げられたBlue Noteのクラシックとして知られます。他にもカリビアンテーマとモダンな要素が融合した「Sudel」や、メランコリックで美しいバラード「After The Rain」など、彼の作曲家としての多彩な才能が溢れています。
ピアソンの多大な影響を示す関連ミュージシャン
ドナルド・バード (Donald Byrd)
関係性: ピアソンがニューヨークに移住後、最も長く深く活動を共にしたトランペッターです。ピアソンはバードのクインテットのピアニストを務めただけでなく、『A New Perspective』や『I’m Tryin’ To Get Home』などで編曲を担当し、バードの商業的成功と芸術的探求を支えました。
「Cristo Redentor」のエピソード: ピアソンがブラジル・ツアー中にインスピレーションを得て作曲し、バードのアルバムでヒットしたこの曲は、アフリカ系アメリカ人の教会体験を映し出すムードを持ち、ジャズの枠を超えて広く聴かれています。
グラント・グリーン (Grant Green)
関係性: ピアソンの作曲とピアノ演奏が不可欠なBlue Noteの傑作『Idle Moments』(1963年)を生み出しました。
評価: このアルバムのタイトル曲「Idle Moments」は、ピアソンが「ムードを捉え、その本質をソウルの雲のようにバンド全体に留まらせる」才能を持っていたことの証拠であり、グラント・グリーン、ジョー・ヘンダーソン、デューク・ピアソン、そしてBlue Noteレコードを象徴する作品として不可欠です。
ホレス・シルバー (Horace Silver)
関係性: ピアソンは彼のピアノ・スタイルにおいて、ホレス・シルバーやソニー・クラークのようなファンキーでソウルフルなハード・バップの系譜に連なります。また、『Profile』や『Tender Feelin’s』で共演したベーシストのジーン・テイラーは、シルバーのレコーディングでも知られる名手です。シルバー自身もBlue Noteのハード・バップの「創始者」の一人であり、ピアソンは彼の音楽が確立した道を継承し、発展させました。
音楽の方向性: Silverがジャズ・メッセンジャーズで目指した、ビ・バップの洗練さとブルースやゴスペルのソウルフルなルーツを融合させたスタイルは、ピアソンがBlue Noteで追求した「ハード・バップとソウル・ジャズ」の方向性に大きな影響を与えています。
Blue Noteに捧げられた叙情的な魂
デューク・ピアソン(Duke Pearson)はその初期のピアノ・トリオ作品『Profile』と『Tender Feelin’s』において、優雅なタッチと深い叙情性を併せ持つ独自のピアニスト像を確立しました。
『Tender Feelin’s』はそのタイトル通り、彼の温かい音楽的個性が光るロマンチックで控えめな主流派ジャズの傑作として、今なお多くのファンに愛されています。
ピアニストとしての活動に加え、彼は1963年から1970年までBlue NoteのA&R/プロデューサーという裏方の重要な役割を担い、「Cristo Redentor」の作曲・編曲や『Idle Moments』のプロデュースなどを通じて、レーベルの「ソウル・ジャズ/ハード・バップ」路線を決定づけました。
批評家ボブ・ベルデンが「デューク・ピアソンは私のDNAの中にいる」と語るように、彼はBlue Noteの歴史において、不可欠で多面的な才能を発揮し、その後のジャズ界に計り知れない影響を与えたのです。
デューク・ピアソンは1970年代に多発性硬化症を患い、1980年に47歳の若さでこの世を去りました。しかし彼の音楽は、そのエレガンスとフィーリングが時代を超えて聴く人の心に響き続けています。
ぜひこの機会に、まずは「Profile」と『Tender Feelin’s』の優しい音色に触れ、彼の音楽の世界を探求し始めてください。その一音一音に、きっとあなたの心が癒されることでしょう。
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