天才か異端か アルコールに溺れたロシアの作曲家ムソルグスキー 魂の叫び『禿山の一夜』誕生秘話

クラシック音楽

ディズニー『ファンタジア』の悪魔は序の口!

夏が終わろうとする一夜、少し背筋がゾクッとするような音楽を聴いてみませんか?
ディズニー映画『ファンタジア』で、山の頂から巨大な悪魔が現れるあの恐ろしくも美しいシーンを覚えていますか?

クラシック音楽と聞くと、優雅で格式高いイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし中にはホラー映画のようにスリリングで、聴く者の心を鷲掴みにする作品も存在します。今回ご紹介するモデスト・ムソルグスキー作曲の交響詩『禿山の一夜』は、まさにそんな一曲です。

この記事を読めばクラシック音楽の中でも特に異彩を放つ『禿山の一夜』の魅力を、初めての方から長年の愛好家の方まで深く理解できます。
一般的に知られる華やかな編曲版の楽しみ方はもちろん、作曲家ムソルグスキーが本当に描きたかった荒々しい「原典」の世界まで、その数奇な運命を辿る旅にご案内します。

作曲家ムソルグスキーの波乱の生涯から、楽曲の背景となったロシアの神秘的な民話、最も有名な「リムスキー=コルサコフ版」と作曲者自身の「原典版」との聴き比べポイント、さらにこれだけは聴いておきたい名盤まで、この一曲を丸ごと楽しむための情報を凝縮してお届けします。

まずはここから!魔物たちの饗宴へようこそ

クラシック音楽は難しそう…と感じる方にこそ、『禿山の一夜』はおすすめです。なぜならこの曲には、明確でエキサイティングな「物語」があるからです。

『禿山の一夜』とは

この曲は、ロシアに古くから伝わる民話が元になっています。ヨーロッパでは夏至の前夜(キリスト教では「聖ヨハネ祭」の前夜)になると、魔物たちが騒ぎ出すという言い伝えが多くあります。
『禿山の一夜』が描くのは、まさにその一夜。樹木のない不気味な山「禿山」に、地霊であり魔王のチェルノボーグが現れ、手下の魔女や幽霊、精霊たちを集めて、夜が明けるまで大騒ぎの饗宴を繰り広げる… というストーリーです。

【聴きどころガイド】リムスキー=コルサコフ編曲版

現在、私たちが最も耳にする『禿山の一夜』は、ムソルグスキーの死後、友人の作曲家ニコライ・リムスキー=コルサコフが、より聴きやすく華麗に編曲したバージョンです。まずはこの版で、物語の流れに沿って音楽を聴いてみましょう。

【導入】魔物たちの集結

曲は弦楽器の激しいざわめきで始まります。まるで地下から不気味な声が響いてくるかのようです。木管楽器が奇声のようなメロディを奏で、魔物たちが次々と禿山に集まってくる様子が目に浮かびます。

【展開】魔王の登場と狂乱の饗宴

金管楽器が威圧的なファンファーレを鳴らすと、いよいよ魔王チェルノボーグの登場です。音楽はリズミカルなダンスへと発展し、魔物たちが入り乱れて踊り狂う、ワイルドな宴の場面が繰り広げられます。オーケストラ全体が一体となって凄まじいエネルギーを放出する、この曲一番の聴かせどころです。

【結末】夜明けの訪れ

狂乱が頂点に達したその時、遠くから教会の鐘の音が響き渡ります。夜明けの合図です。あれほど騒がしかった魔物たちは静まり、悪霊たちは退散していきます。音楽は静寂に包まれ、クラリネット、そしてフルートのソロが清らかで美しい朝の光が差し込む情景を描き出し、穏やかに曲を閉じます。

天才か異端か?波乱に満ちたムソルグスキーの生涯

『禿山の一夜』の作曲家、モデスト・ムソルグスキー(1839-1881)は、その作品同様、ドラマチックで波乱に満ちた人生を送りました。彼の生涯を知ることは、その音楽の奥深さを理解する上で欠かせません。

裕福な貴族からエリート軍人へ

モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキーは、1839年3月21日、ロシア帝国プスコフ州カレヴォ村で、リューリクの血を引く裕福な地主階級の家に生まれました。幼い頃から音楽的才能を示し、6歳で母親からピアノの手ほどきを受け、やがてはフランツ・リストの難曲を弾きこなすまでに上達したと言われています。

当時のロシア貴族の慣習に従い、彼は軍人になることを夢見ていました。10歳でサンクトペテルブルクのエリート養成機関ペトロパヴロフスク学校に入学し、13歳で士官候補生となります。学校では礼儀正しく、ピアノの腕前も素晴らしく、絵に描いたような士官ぶりで人気者だったそうです。
音楽への情熱も衰えることはなく、1852年、13歳の時には父親の出費によってピアノ曲『騎手のポルカ』が出版されました。

運命の転換と困窮、そして作曲家への道

順風満帆に見えた彼の人生は、ロシアの音楽界を牽引する人物たちとの出会いによって大きく変わります。
士官学校卒業後に近衛連隊に入隊した彼は、アレクサンドル・ボロディンミリイ・バラキレフツェーザリ・キュイといった、後の「ロシア5人組」の仲間となる作曲家たちと知り合います。特にバラキレフの指導のもとで本格的に作曲を学び始めたムソルグスキーは、音楽への情熱を抑えきれなくなり、1858年、19歳で軍務を退役し音楽に専念する道を選びました。

しかし、その決断は厳しい現実を伴いました。1861年の農奴解放令によって、荘園からの収入で生計を立てていたムソルグスキー家は経済的に大きな打撃を受け、没落してしまいます。
生活のため彼は運輸通信省の下級官吏として働き始めますが、官吏の仕事は不安定で、困窮した生活を余儀なくされました。

このような状況下で、ムソルグスキーは「リアリズム(現実主義)」という理念に傾倒していきます。彼は貴族的な芸術ではなく、農民など社会の低層に生きる人々の厳しい現実や感情をありのままに描くことに芸術の真実を見出し、ロシアの史実や現実生活を題材とした独自の音楽を生み出そうとしました。

孤独とアルコール、それでも尽きない創作意欲

困窮と芸術への希求の中で、ムソルグスキーは次第に孤独を深めていきます。1865年に最愛の母親が亡くなると、その苦痛は計り知れないものとなりました。この頃から、彼の人生に暗い影を落とすことになる深刻なアルコール依存症の兆候が見え始めます。

彼の独創的すぎる作風は、当時の音楽界ではなかなか理解されませんでした。1867年に完成した『禿山の一夜』の初稿は、あまりに粗野で型破りであるとして、師と仰いだバラキレフにさえ酷評され、上演を拒否されてしまいます。
彼の最高傑作であるオペラ『ボリス・ゴドゥノフ』も、1874年の初演時に聴衆からは好評を得たものの、批評家たちは厳しい評価を下しました。

親友であった画家のヴィクトル・ハルトマンの死(1873年)など、度重なる不幸も彼を打ちのめし、ますます酒に溺れるようになります。それでも彼の創作意欲が尽きることはありませんでした。ハルトマンの遺作展に着想を得たピアノ組曲『展覧会の絵』(1874年)や、歌曲集『日の光もなく』(1874年)、『死の歌と踊り』(1877年)といった傑作は、こうした苦悩の時期に生み出されたのです。

早すぎる死と残された傑作

晩年のムソルグスキーはアルコール依存症が悪化し、心身ともに衰弱していきました。1880年にはついに公務員の職も追われ、生活は困窮を極めます。友人たちは彼の窮状を知り、オペラ『ホヴァーンシチナ』などを完成させられるよう寄付を集めて支援しました。

1881年初頭、彼は4度の心臓発作に見舞われ、入院します。病床で画家イリヤ・レーピンによって描かれた有名な肖像画は、彼の最期の姿をありのままに伝えています。1881年3月28日、ムソルグスキーは42歳の若さでこの世を去りました。

彼の死後、その多くの未完の作品は友人であったリムスキー=コルサコフらの手によって補筆・編曲され、世に知られることになりました。生前は不遇だった天才の音楽は、こうして後世に受け継がれ、今やロシア音楽を代表する傑作として世界中で愛されています。

天才の魂の叫びを聴け!「原典版」の衝撃

リムスキー=コルサコフ版で『禿山の一夜』の魅力に触れたなら、次はいよいよ、ムソルグスキー自身が最初に書き上げた「原典版」の世界へ足を踏み入れてみましょう。そこには、より生々しく荒々しい、天才の魂の叫びが渦巻いています。

時代の潮流:ロシア国民楽派とムソルグスキーの挑戦

ムソルグスキーが生きた19世紀後半のロシアでは、音楽界に大きな変革の波が押し寄せていました。それは、長らく主流であった西ヨーロッパ(特にドイツやイタリア)の音楽様式の模倣から脱却し、ロシア独自の民族的な芸術音楽を創造しようという動きでした。この運動の中心となったのが、ムソルグスキーが所属した「ロシア5人組」(Могучая кучка, могучая кучка)です。

「5人組」は、リーダー格のミリイ・バラキレフを中心に、化学者でもあったアレクサンドル・ボロディン、海軍士官だったニコライ・リムスキー=コルサコフ、軍事技術者であったツェーザリ・キュイ、そしてムソルグスキーという、音楽の専門教育を受けていない(ディレッタント)作曲家たちで構成されていました。彼らはロシアの民謡、民話、歴史、そして人々の生活そのものに創作の源泉を求め、伝統的な西欧の音楽理論にとらわれない、新しい音楽表現を追求したのです。

この運動は、当時のロシア社会全体に広がっていた民族意識の高まり(ナショナリズム)と深く結びついていました。彼らの音楽はロシア風のメロディを使うだけでなく、ロシア語の抑揚を活かした声楽書法や、オリエンタリズム(東方趣味)を取り入れた異国情緒豊かな響きなど、多角的なアプローチで「ロシア性」を表現しようとしました。

こうした革新的な動きは、アントン・ルービンシュタインが設立し、チャイコフスキーらが教鞭をとったペテルブルク音楽院のような、ドイツ・ロマン派の伝統を重んじるアカデミックな勢力とはしばしば対立しました。『禿山の一夜』の原典版が「粗野で独創的すぎる」と評価された背景には、まさにこの「ロシア独自の音楽」をめぐる芸術思想の対立があったのです。

なぜ生前に演奏されなかったのか?

ムソルグスキーが1867年に完成させた最初の管弦楽版『聖ヨハネ祭前夜の禿山』(通称:原典版)は、彼の生前に一度も演奏されることはありませんでした。その理由はあまりにも独創的で、当時の常識からかけ離れていたからです。

「5人組」のリーダーであったミリイ・バラキレフでさえ、その粗野なオーケストレーションを激しく批判し、演奏を拒否したほどです。しかしムソルグスキーは、自らの芸術的信念を曲げませんでした。

原典版 vs. 編曲版 ― 何が違うのか?

では、原典版とリムスキー=コルサコフ版では、具体的に何が違うのでしょうか。ポイントは「音楽の質感」「結末」です。

かんガエル
かんガエル

(リムスキー=コルサコフによる編曲は)原典版において感じられるムソルグスキーの粗野で魅力でもあるイメージがいささか失われたうらみが残るが、それでもムソルグスキーの描いた荒々しく不気味なイメージを、リムスキー=コルサコフ得意の華麗なオーケストレーションで表現してみせたことで、この曲は広く普及した。

リムスキー=コルサコフの編曲がなければ、この曲は歴史に埋もれていたかもしれません。しかし、原典版には編曲の過程で削ぎ落とされてしまった、ムソルグスキーの魂そのものが宿っているのです。

この演奏で聴け!『禿山の一夜』名盤5選

『禿山の一夜』には数多くの録音が存在します。ここでは編曲版と原典版、それぞれの魅力を最大限に引き出した決定的名盤を5つ厳選してご紹介します。

【原典版の決定盤】アバド指揮 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団

ムソルグスキー研究の第一人者であり、「ムソルグスキー・フリーク」とまで呼ばれた指揮者クラウディオ・アバド。彼が1968年に出版された原典版の楽譜をいち早く取り上げ、その真価を世界に知らしめました。特にベルリン・フィルとの録音は、オーケストラの圧倒的な機能美と原典版の持つ荒々しさが見事に融合した歴史的名演です。

【爆演の代名詞】スヴェトラーノフ指揮 ロシア国立交響楽団

リムスキー=コルサコフ版を聴くなら、エフゲニー・スヴェトラーノフの演奏は避けて通れません。理屈抜きのエネルギーが炸裂するその演奏は「爆演」と称され、まさに大地が揺れるようなド迫力。ロシアのオーケストラならではの濃厚なサウンドで、魔物たちが本気で暴れまわる様を体験したい方におすすめです。

【現代のスタンダード】ゲルギエフ指揮 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団

現代最高のロシア音楽のスペシャリスト、ヴァレリー・ゲルギエフ。ウィーン・フィルとの演奏は、ロシアの土着的な力強さと現代的な洗練を兼ね備えています。彼もまた原典版を積極的に取り上げており、その解釈はアバドとはまた違った、よりロシア的な視点からのアプローチが魅力です。

【重量級の怪演】テンシュテット指揮 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団

ドイツの巨匠クラウス・テンシュテットによる演奏は、まさに「魑魅魍魎」という言葉がふさわしい、おどろおどろしい雰囲気に満ちています。ずっしりと重いテンポで、じっくりと魔物たちの世界を描き出すその表現は、他の誰にも真似のできない個性的な魅力を持っています。

【ファンタジアの世界】ストコフスキー指揮 ロンドン交響楽団

ディズニー映画『ファンタジア』で音楽を担当したレオポルド・ストコフスキーは、編曲の名手でもありました。彼自身がリムスキー=コルサコフ版にさらに手を加えた編曲版は、より色彩豊かでドラマティック。映画でこの曲に魅了された方は、ぜひこのストコフスキー自身の演奏で、もう一つの『禿山の一夜』を味わってみてください。

まとめ

交響詩『禿山の一夜』は、一人の天才作曲家の執念と、その才能を信じた友人の尽力によって、数奇な運命を辿りながら現代に生きる傑作です。

ムソルグスキーは、ロシア独自の音楽を目指した「ロシア5人組」の一員で、困窮とアルコール依存に苦しみながらも、ロシアの現実や民衆の魂を描く独創的な作品を生み出しました。
『禿山の一夜』は、ロシアの民話を題材にしたムソルグスキーの独創的な傑作です。
一般的に知られるのは友人リムスキー=コルサコフによる華麗で聴きやすい編曲版。物語の展開が分かりやすく、クラシック初心者にもおすすめです。
しかし、作曲者自身の荒々しい「原典版」には、ムソルグスキーの魂の叫びとも言える強烈な魅力が詰まっています。

最後までお読みいただきありがとうございました。まずは親しみやすいリムスキー=コルサコフ版から、そしてぜひ、ムソルグスキーの情熱がほとばしる原典版へと、この奥深い音楽の世界を探求してみてください。あなたのお気に入りの「一夜」がきっと見つかるはずです。

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