植木等は歌うのを拒んだ?『ニッポン無責任時代』誕生秘話と「本当の自由」を見つけるヒント

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令和の今こそ観たい!植木等『ニッポン無責任時代』が描いた“本当の自由”とは?

「最近、なんだか世の中が窮屈だな…」「もっと自分らしく、自由に生きたい!」

そんな風に感じているあなたにこそ、ぜひ知ってほしい映画があります。今から60年以上も前の昭和37年(1962年)に公開され、日本中を席巻した伝説のコメディ映画『ニッポン無責任時代と、その続編『ニッポン無責任野郎』です。

高度経済成長の真っ只中、「モーレツ社員」がもてはやされた時代に、なぜ口八丁手八丁の「無責任男」がヒーローになれたのでしょうか?。そしてコンプライアンスが叫ばれ、何かと「責任」を問われる現代、いわば「責任過剰時代」において、この映画が私たちに投げかけるメッセージとは何なのでしょうか。

この記事では、若い世代の方にも分かりやすく『ニッポン無責任時代』の魅力を解説するとともに、往年のファンも唸るような制作の裏側や、主演・植木等の知られざる葛藤、そして作品が生まれた激動の時代背景を深く掘り下げていきます。

この記事を読めばきっとあなたも「無責任男」の虜になり、窮屈な現代を明るく生き抜くヒントが見つかるはずです!

まずはここから!『ニッポン無責任時代』ってどんな映画?

「昭和の映画って、なんだか堅苦しそう…」と思っている方、とんでもない勘違いです!『ニッポン無責任時代』は難しい理屈抜きで楽しめる、最高のエンターテインメント作品なのです。

そもそも『ニッポン無責任時代』とは?

本作は、当時大人気だったコミックバンド「ハナ肇とクレイジーキャッツ」、特に大ヒット曲『スーダラ節』で人気絶頂だった植木等を主演に据えた、記念すべき「クレージー映画」の第1作です。
それまで大映や松竹で製作されたクレージー映画はヒットに結びつかなかったものの、東宝が植木のキャラクターを100%生かして製作した本作は、観客動員590万人という空前の大ヒットを記録しました。

あらすじ:口八丁手八丁でニッポンを渡り歩く!

物語の主人公は、口八丁手八丁で世間を渡り歩いてきた正体不明の無責任男、平均(たいら ひとし)です。彼は目下失業中。ある日、バー「マドリッド」で酒を飲んでいます。そこで彼は、洋酒メーカー「太平洋酒」が乗っ取られそうだという話を偶然小耳に挟みます。

この情報を手土産に、均はさっそく太平洋酒の氏家勇作社長(ハナ肇に近づきます。同郷の先輩の名を利用したり社長が出席する葬儀に紛れ込んだりして、まんまと氏家社長の信用を得て、太平洋酒の総務部社員として入社することに成功します。

均に与えられた最初の仕事は、大株主である富山商事の社長(松村達雄が、乗っ取り屋に株を売らないように接待し、買収することでした。均は持ち前のC調ぶり(「調子がいい」を逆さにした言葉で、お調子者を指す俗語)と機転で芸者も動員し、この交渉を成功させたかに見え、係長に出世します。
しかし、乗っ取り屋の黒田有人(田崎潤が裏で手を回し、富山の持ち株を手に入れてしまいます。買収に失敗した均は激怒した氏家社長からクビを言い渡され、氏家社長自身も会社を追われてしまいました。

一度はクビになった均ですが、今度は乗っ取り屋の黒田本人に気に入られ、再び太平洋酒に復帰。宴会のとりもちの巧さなどから、なんと渉外部長にまで返り咲きます。

その後、均は黒田から、太平洋酒の商売仇である北海物産の石狩熊五郎社長(由利徹からホップを買い付けるという、失敗する可能性の高い仕事を命じられます。均はお色気攻撃や美人局まがいの奇策を用いて、この困難な契約を成功させます。しかし、その強引なやり方を口実に黒田から責められ、またもやクビになってしまいます。

会社を去った均ですが、転んでもただでは起きません。彼は、黒田の黒幕である山海食品社長・大島良介(清水元娘・洋子(藤山陽子元社長の息子・孝作(峰健二が、駆け落ちしていることを突き止めます。そして娘の居場所を教えることを引き換えに、大島に氏家前社長の復職を迫るのです。

この取引の結果、氏家は社長に復帰を果たしますが、その代償として均は会社から追放されてしまいました。しかし、物語はここで終わりません。1年後、孝作と洋子の結婚式に、均はとんでもない姿で現れます。なんと彼は、かつて交渉相手だった北海物産の新社長として颯爽と登場するのでした。

この荒唐無稽なストーリーが、高度経済成長を支えるサラリーマンたちの心を掴んだのです。

ここが面白い!観るべき4つのポイント

1. 痛快無比!植木等の「無責任男」キャラクター

この映画の最大の魅力は、なんといっても植木等演じる主人公・平均のキャラクターです。図々しくて調子が良く、平気で嘘もつく。規則や人間関係に縛られず、自分の才覚だけで世の中を渡り歩く姿は、まさに「サラリーマン社会のアンチヒーロー」。
彼のハチャメチャな行動は社会の約束事に超然とし、猛烈に働くことへの反骨精神やじめついた人間関係への風刺に満ちています。
彼の行動は、観る者に最高のカタルシスと元気を与えてくれるのです。

2. 昭和の名曲が満載のミュージカルシーン

『ニッポン無責任時代』は、ミュージカル映画としての側面も持っています。作詞家・青島幸男と作曲家・萩原哲晶の黄金コンビが生み出した名曲が、劇中で次々と歌い踊られます。

これらの歌は、ただの挿入歌にとどまらず、物語を盛り上げ、主人公の哲学を代弁する重要な役割を担っています。

3. 目にも楽しい!昭和レトロな世界観

1962年当時の風景や風俗が記録されているのも、本作の大きな魅力です。オリンピックを前に開発が進む東京の街並みや、劇中に登場する「太平洋酒」ビルのロケ地となった東京駅八重洲口近くの大和証券ビル(大和呉服橋ビル)など、今では見ることのできない建物も登場します。
登場人物たちのファッションや、社長室・バーなどのインテリアもおしゃれで、昭和レトロ好きにはたまらない映像美を堪能できます。

4. クレージーキャッツ全員集合!豪華なキャスト

主演の植木等はもちろん、リーダーのハナ肇(社長役)、トロンボーン奏者の谷啓(部長役)など、クレージーキャッツのメンバー7人全員が出演しています。彼らの息の合った掛け合いは、バンド仲間ならではの面白さです。
さらに、当時人気だった「お姐ちゃんトリオ」(団令子重山規子中島そのみ)がマドンナ役として華を添えています。

さらに深く! “無責任”が生まれた時代背景と制作者たちの闘い

『ニッポン無責任時代』は、ただのドタバタコメディではありません。その裏には、当時の社会状況や、制作者たちの熱い思い、そして主演俳優の深い葛藤が隠されています。

『スーダラ節』とは?

『スーダラ節』は、1961年(昭和36年)に発表されたハナ肇とクレージーキャッツの楽曲です。高度経済成長の真っ只中にリリースされ、記録に残るだけでも80万枚を売り上げる大ヒットとなりました。

  • 歌唱:植木等
  • 作詞:青島幸男
  • 作曲:萩原哲晶

この曲は、自堕落でありながらどこか憎めないサラリーマンの姿を描いており、「わかっちゃいるけどやめられない」というフレーズは流行語にもなりました。

誕生の経緯:植木の鼻歌と青島の反骨精神

この曲の誕生には、二人のクリエーターのユニークな発想が関わっています。

作曲のきっかけ:クレージーキャッツが所属する事務所の社長・渡辺晋が新しい歌の制作を提案した際、メンバーの植木等がよく口ずさんでいた鼻歌や「スーダラ、スイスイ」という口癖が良いのではないかということになりました。これに目をつけた作曲家の萩原哲晶は、植木につきまとってその鼻歌を取材し、メロディを作り上げたのです。

作詞に込められた想い:作詞を担当した青島幸男は、少年時代は軍国少年だったものの戦後に価値観が180度転換する経験をしました。さらに、病気で青春を謳歌できず、友人たちが安定した会社員になっていく中で自身は不安定な放送作家の道を選んだことから、サラリーマンに対する反骨精神や社会への疑問を抱いていました。その独特の視点が、自堕落なサラリーマンを風刺する歌詞へと繋がったのです。

植木等の葛藤:「こんな歌が流行ったらとんでもないことになる」

意外なことにこの曲を歌った植木等自身は、当初この歌を歌うことを強く拒んでいました。

真面目な人柄と生い立ち:もともと本格的な歌手を目指していた植木等は、非常に真面目で誠実な人柄でした。浄土真宗の僧侶である父・植木徹誠のもとで育ち、父が差別解消のための社会運動に力を入れたり、戦時中に「戦争は集団殺人だ」と発言して思想犯として逮捕されたりする姿を見てきました。
他者に尽くす父の信念を肌で感じていた植木にとって、『スーダラ節』の自堕落で欲まみれのサラリーマンを描いた歌詞は受け入れがたいものでした。彼は「こんな歌が流行ったらとんでもないことになる」と強い抵抗を感じていたのです。

父の予期せぬ言葉:思い悩んだ植木は、父・徹誠に「こんなひどい歌を歌わされそうなんだ」と相談します。すると父は、「すばらしい曲だ」と意外な言葉を返しました。そして、こう続けたのです。

「『わかっちゃいるけどやめられない』というのは親鸞聖人の生き様に通じる

徹誠は、親鸞の教えにある「悪性さらにやめがたし、心は蛇蝎(じゃかつ)のごとくなり」(仏に身を捧げても、人間は悪い心を完全に断つことはできないという自己省察の言葉)を引用し、それこそが「わかっちゃいるけどやめられない」という人間の本質を見つめた言葉なのだと諭しました。

レコーディングと大ヒット

父の言葉に背中を押された植木は、葛藤を抱えたままレコーディングに臨みます。

スタジオでは他のメンバーが爆笑する中、植木だけが真剣に表現に悩んでいました。「もっと面白くならないか」と何度もダメ出しが出る中、疲れ切った植木がほとんど投げやりで歌ったラストテイクが「一番面白い」と採用されたのです。
かつてコミックバンドで「俺もおしまいかな」とやけくそで振ったマラカスが観客に大受けしたように、ここでも本人の思いとは裏腹な形で名演が生まれました。

こうして世に出た『スーダラ節』は、高度経済成長期の世相と見事にマッチし、空前の大ヒットを記録。このヒットがきっかけとなり、植木等は映画『ニッポン無責任時代』の主演に抜擢され、「無責任男」として時代のヒーローとなっていきました。

後年、植木はシリアスな役を志向した時期もありましたが、最終的には「責任を持って『無責任』を演じ続ける」という決意を固め、生涯にわたって人々を楽しませ続けます。『スーダラ節』はバブル期にも再評価され、時代を笑い飛ばす歌として再び人々の心に響きました。
この曲は単なるコミックソングにとどまらず、人間の弱さや矛盾を肯定する深みを持ち、時代を超えて愛され続ける昭和の名曲なのです。

制作者たちの知られざるドラマ

この革命的な映画は、決して順風満帆に生まれたわけではありませんでした。そこには、熱きクリエイターたちの闘いがあったのです。

しかし、この革新的な企画には大きな壁が立ちはだかります。当時の東宝の制作トップで、絶対的な権力を持っていたプロデューサーの藤本真澄です。
彼は「真面目に頑張れば報われる」という信念の持ち主で、「社長シリーズ」を手がけてきました。試写を観て「何の努力もしないで社長になってはならない」と激怒し、結末を主人公が守衛になるように変更しろと命じます。
ところがプロデューサーの安達らは藤本の命令に背き、彼が九州へ出張している隙に映画を公開するという作戦に打って出たのです。結果は前述の通り大ヒット。藤本も続編の制作を認めざるを得ませんでした。

続編『ニッポン無責任野郎』とキャラクターの変遷

前作の記録的なヒットを受け、わずか5ヶ月後のお正月映画として公開されたのが『ニッポン無責任野郎』です。 主人公・源等(みなもと ひとし)のハチャメチャぶりはさらにエスカレート。

冒頭から電車をタダ乗りし、他人のタバコをちょろまかし、わざと車をぶつけさせるなどやりたい放題。現在のコンプライアンス意識では到底考えられないような、犯罪行為スレスレの描写が続きます。この過激化は、一部の観客からは「やりすぎ」「ただのセコイ犯罪者」との声も上がりました。

しかしこの徹底した「無責任」描写こそが、この時代の熱気を象徴しているとも言えるでしょう。
面白いことにこの初期2作品のアナーキーなキャラクターは、藤本プロデューサーの「いつまでも無責任では困る」という意向もあり、次作『日本一の色男』からは「無責任風だが、仕事のできる有言実行のスーパーサラリーマン」へと修正されていきます。
ピカレスクな魅力に溢れた「元祖・無責任男」が見られるのは、この2作品だけなのです。

「無責任」の世界をもっと楽しむ!おすすめ映画3選

『ニッポン無責任時代』にハマったら、ぜひ観てほしい関連作品をご紹介します。

『日本一のホラ吹き男』(1964年)

「無責任」シリーズのあと、キャラクターを修正して始まったのが「日本一」シリーズです。本作はその代表作の一つで、植木等演じる主人公・初等(はじめ ひとし)が大ボラを吹いて自分を追い込み、それを現実にしてしまうという痛快な物語。
アナーキーさから一転、「有言実行のモーレツ社員」へと変貌した植木等の新たな魅力が炸裂します。

『三等重役』(1952年)

三等重役』(1952年5月15日・東宝・春原政久)|佐藤利明(娯楽映画研究家・オトナの歌謡曲プロデューサー)の娯楽映画研究所

「無責任」シリーズが生まれる前の、1950年代東宝サラリーマン映画の金字塔。戦後の民主化ムードの中、「普通のサラリーマンでも努力すれば社長になれる」という夢と希望を描き、大ヒットしました。
社長は父親、社員は子供というような<家族主義>的な会社の雰囲気は、「無責任」シリーズのドライな人間関係と見比べると、時代の変化がよく分かります。

 『本日ただいま誕生』(1972年)

本日ただいま誕生 - 作品解説 - 新文芸坐

「無責任男」のイメージから脱却しようと、植木等が並々ならぬ意欲で臨んだシリアスな作品です。シベリア抑留を経験した僧侶の実話をもとにした重いテーマで、製作資金が尽きた際には植木が私財を投じてまでこの映画を完成させました。
興行的には失敗に終わりましたが、この経験を通して、植木は「責任を持って『無責任』を演じ続ける」という決意を新たにしたと言われています。彼の役者人生を語る上で欠かせない一本です。

なぜ「無責任男」なのか?

『ニッポン無責任時代』と『ニッポン無責任野郎』は高度経済成長という時代の熱気と、そこに生きる人々の欲望や反骨精神が生み出した、昭和という時代の記念碑なのです。

映画が描いた「無責任」とは、決してデタラメに生きることではありませんでした。作詞家の青島幸男が考えたように、それは会社や組織、世間の常識といった「押しつけられるもの」を軽やかにかわし、自分らしく生きる「自由」の象徴だったのです。

コンプライアンスが叫ばれ、何かと窮屈さを感じやすい現代。先の見えない不安の中で、私たちは知らず知らずのうちに「責任」という言葉に縛られているのかもしれません。

そんな「責任過剰時代」の今だからこそ、植木等が演じた“無責任男”の底抜けの明るさとたくましさが、私たちの心を解放し、明日への活力を与えてくれるのではないでしょうか。
晩年、植木等は「世間が求められているものを自分がいつまでも続けられる限り続ける。それが俺の役割なんだ」と語っていたそうです。責任をもって「無責任」を演じきった彼の姿は、時代を超えて私たちに元気をくれます。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。 もし少しでも興味を持たれたら、ぜひこの機会に昭和が生んだ最高のエンターテインメントに触れてみてください。きっと元気になれるはずです!

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