デューイ・レッドマンを知ってるかい?
「最近のジャズ、誰を聴いてる?」
そんな会話から現代ジャズの最前線を走るサックス奏者、ジョシュア・レッドマンの名前を挙げる人は少なくないでしょう。彼の知的で情熱的なプレイは、多くのファンを魅了し続けています。
しかしそのルーツに、もう一人の偉大な「レッドマン」がいたことをご存知でしょうか?
彼の名は、デューイ・レッドマン。ジョシュアの父親であり、フリージャズの歴史にその名を刻んだ、まさに「巨人」と呼ぶにふさわしいテナーサックス奏者です。
彼の名前は、オーネット・コールマンやキース・ジャレットといったスタープレイヤーの影に隠れがちで、リーダー作も決して多くはありません。しかしその音に一度でも触れれば、誰もがその強烈な個性と深い音楽性に心を揺さぶられるはずです。
この記事では、デューイ・レッドマンという偉大な音楽家の魅力、その音楽的重要性、そして今こそ聴くべき理由を、彼の生涯や名盤、そして彼自身の言葉を通して紐解いていきます。この記事を読み終える頃にはきっとあなたも、デューイ・レッドマンの「本物の音」の虜になっていることでしょう。
デューイ・レッドマンとは?ジャズ史に名を刻んだ偉大なテナーサックス奏者
ウォルター・デューイ・レッドマン(1931-2006)は、アメリカ・テキサス州フォートワースに生まれました。ブルースが深く根付いたその土地で育った彼は、後にフリージャズという最も前衛的な音楽シーンで活躍しながらも、そのサウンドには常にテキサスの土の匂い、つまりブルースフィーリングが宿っていました。
彼のキャリアを語る上で欠かせないのが、3つの重要なグループでの活動です。初心者の方は、まずこの3つのキーワードからデューイの世界に入っていくのがおすすめです。
オーネット・コールマンとの共演
フリージャズの革命家オーネット・コールマンは、なんとデューイの高校の同級生でした。1967年にニューヨークへ移住後、彼のカルテットに加入し、1972年頃まで活動を共にします。『New York Is Now!』や『Science Fiction』といった歴史的名盤に参加し、オーネットの鋭いアルトサックスと、デューイの野太く歌心あふれるテナーサックスの対比は、バンドに圧倒的な深みと広がりをもたらしました。コールマン、レッドマン、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェルのカルテットは「史上最高のジャズ・カルテットの一つ」と評されるほどですが、残念ながら公式録音は多くありません。
「オーネットとの演奏はもちろん、とっても自由だったよ。すごくルーズでフリーダムだった。それでも規律はあったけどね。キースのバンドはよりタイトで、彼の書いた通りに演奏することが求められたんだ」
「オーネットとのあのレコード(『New York Is Now』『Love Call』)をやった時、俺は文字通り恐怖で震えていたよ。
ジミー(・ギャリソン)に何が問題なんだと聞かれて、『怖いんだ。ここにいる資格がない』と言ったんだ。彼は俺の肩に腕を回して、『ただ自然に演奏すればいい。君がいつもやっていることをやればいいんだ』と言ってくれた。彼に感謝しているよ」
キース・ジャレットとの共演
1971年から1976年にかけて、デューイはピアニスト、キース・ジャレットが率いた通称「アメリカン・カルテット」に参加します。このバンドで彼は、ハードバップ、フリージャズ、ワールドミュージックなどを融合させた、より構築的な楽曲の中でその自由な精神を発揮。
名盤『残氓 (The Survivor’s Suite)』は『メロディ・メイカー』誌でジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞し、より多くのジャズファンにその名を知られることになりました。
オールド・アンド・ニュー・ドリームス
これは、デューイを含むオーネット・コールマンの元バンドメンバー4人(ドン・チェリー、チャーリー・ヘイデン、エド・ブラックウェル)で1976年に結成された、まさに「ドリームチーム」です。コールマンの楽曲やオリジナル曲を演奏し、フリージャズの伝統を継承しつつ、新たな地平を切り拓きました。
このように、常にジャズの最前線で最高のミュージシャンたちと共に音楽を創造してきたデューイ。彼は、共演するリーダーによってアプローチを柔軟に変えていました。
時代を先取りした革新者:デューイ・レッドマンの音楽的探求
デューイ・レッドマンが単なる優れたサイドマンで終わらない理由は、彼が持つ唯一無二のサウンドと、時代を先取りする革新的な音楽性にあります。
デビュー作『Look for the Black Star』の衝撃
彼のリーダー・デビュー作は、1966年にサンフランシスコで録音された『Look for the Black Star』です。ところがこのアルバムがオランダのFontanaレーベルからリリースされた後、母国アメリカで正式に発売されたのは、なんと録音から9年も経った1975年のことでした。
このアルバムには、ドン・チェリーやファラオ・サンダースが探求することになるワールドミュージックの要素や、アート・アンサンブル・オブ・シカゴのパフォーマンスに通じる音楽外の要素、そして彼の代名詞となる「ヴォーカライズ奏法」の萌芽など、驚くほど先進的なアイデアが詰まっています。
もしこの作品がリアルタイムで広く聴かれていれば、ジャズの歴史は少し違ったものになっていたかもしれません。
「歌う」サックスとミュゼット:唯一無二のサウンド
デューイの最大の魅力は、その「音」そのものにあります。彼のテナーサックスは、時に「軽やかで乾いたサウンド」と評される一方、ブルースを演奏する際にはどこまでも豊かに膨らみ、時には獣のように咆哮します。彼自身、テクニックよりもサウンドを重視していました。
彼の代名詞とも言えるのが、サックスを吹きながら同時に声を出す「ヴォーカライズ(歌う)奏法」。これは単なる奇抜なテクニックではなく、楽器を通して魂の叫びを直接音にするかのような強烈な表現方法でした。
さらに、彼はミュゼット(中国の楽器スオナー)というチャルメラのような音色の楽器も演奏し、そのサウンドにエキゾチックでミステリアスな彩りを加えていました。彼がこのユニークな楽器を始めたきっかけは、盟友オーネット・コールマンでした。
これらの要素が混ざり合い、誰にも真似できないデューイ・レッドマンだけのサウンドが生まれるのです。
まずはコレを聴け!デューイ・レッドマンのおすすめ名盤3選
ここからは、デューイ・レッドマンの世界に足を踏み入れるための必聴の名盤を3枚ご紹介します。
『Look for the Black Star』 (1966年)
彼の革新性を知るには、まずこのデビュー作を聴くべきでしょう。時代が彼に追いついていなかったことを証明する、歴史的な一枚です。
『Look for the Black Star』は彼のリーダーとしてのキャリアの原点であり、その先進性から「彼をスターにしたはずのレコード」と評される重要な作品です。
録音とリリースの経緯
このアルバムは、1966年1月4日にサンフランシスコで録音されました。参加メンバーは以下のカルテット編成です。
- デューイ・レッドマン (Dewey Redman) – テナーサックス
- ジム・ヤング (Jym Young) – ピアノ
- ドナルド・ギャレット (Donald Garrett) – ベース、クラリネット
- エディ・ムーア (Eddie Moore) – ドラム
特筆すべきは、その複雑なリリース経緯です。本作は当初、1966年にオランダのFontanaレーベルからリリースされました。しかし、母国アメリカでArista-Freedomレーベルから正式に発売されたのは、録音から9年も経った1975年のことでした。この遅れが、レッドマンがリーダーとして正当な評価を受ける機会を逸する一因となったと考えられています。
時代を先取りした音楽性
『Look for the Black Star』が画期的であったとされる最大の理由は、その内容が後のジャズのトレンドをいくつも予見していた点にあります。
ワールドミュージックの要素: ドン・チェリーやアーチー・シェップが後に探求するワールドミュージックの要素が既に含まれていました。
ヴォーカライズ奏法: ファラオ・サンダースやアーチー・シェップのレコードで聴かれるようになる、サックスを吹きながら声を出す奏法(ホーンを通して歌うような演奏)が、この時点ですでにレッドマンの特徴として現れています。
音楽外の要素: アート・アンサンブル・オブ・シカゴに見られるような、音楽以外の「不条理演劇」的な要素も内包していました。
これらの要素からこのアルバムは、「時代を先取りしていた (ahead of the curve)」と評されています。バンドの演奏も、まるでそれが当たり前のレパートリーであるかのように、非常に落ち着いて自信に満ち溢れています。
レッドマンの卓越した演奏
このデビュー作においてレッドマンはすでに自身のスタイルを確立しており、想像力と自信に満ちた演奏を披露しています。
インサイド/アウトサイド奏法: 伝統的なハーモニーの内側と外側を巧みに行き来する「インサイド/アウトサイド奏法」を、当時サム・リヴァースやジョン・ギルモアを除けば誰よりも巧みに操っていました。
多彩な表現: 彼の代名詞である「ホーンを通して歌う」ような奏法に加え、流れるようにブルージーなラインもふんだんに聴かせてくれます。
この時点で彼は、シェップやサンダースといったフリージャズ第二世代の重鎮たちと肩を並べる能力を、十分に持っているように見えました。
キャリアへの影響と後のリリース
このアルバムがアメリカで早くにリリースされていれば、レッドマンはリーダーとしてスターダムにのし上がっていたかもしれません。しかし、アメリカでのリーダー作『The Ear of the Behearer』が1973年にリリースされる頃には、彼はすでにオーネット・コールマンやキース・ジャレットのバンドのサイドマンとして知られ、ある種の型にはめられていました。
なお2011年から2012年にかけて、本作の優れたリマスター盤と、オーネット・コールマンの「When Will The Blues Leave」の型破りなテイクを含む未発表音源集『Look For The Other Black Star』がデジタル限定でリリースされています。
『The Survivor’s Suite (残氓)』 (キース・ジャレット, 1977年)
アルバムの録音時、デューイは個人的に困難な状況にあったと語っていますが、その演奏はまさに「恐怖の変容」とも言える凄まじいものがあります。この作品はカルテットの創造性の頂点を示す傑作として、高く評価されています。
アルバム概要と評価
『The Survivor’s Suite (残氓)』は、ピアニストのキース・ジャレットが率いた「アメリカン・カルテット」による1976年4月録音のアルバムです。
このカルテットは、キース・ジャレット(ピアノ、ソプラノサックス、チェレスタ、ドラム)、デューイ・レッドマン(テナーサックス、パーカッション)、チャーリー・ヘイデン(ベース)、ポール・モチアン(ドラム、パーカッション)という4人の強烈な個性から成り立っていました。
作品は批評家から絶賛され、多くの人がアメリカン・カルテットの最高傑作と認めています。その評価を裏付けるように、イギリスの音楽誌『メロディ・メイカー』ではジャズ・アルバム・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。
音楽的特徴と構成
本作は「発端 (Beginning)」と「結末 (Conclusion)」という2つの長い組曲で構成されており、全体を通して多彩な色彩を帯びています。
ジャンルの融合: このカルテットは、ハードバップ、フリージャズ、ワールドミュージック、アヴァンギャルドといった多様な音楽を融合させる挑戦的な実験を行っていました。『The Survivor’s Suite』では、何がフリージャズで何がそうでないのか、西洋由来なのか東洋由来なのかも定かではない、ジャンルの境界が曖昧な音楽が展開されます。
多彩なサウンドと楽器の持ち替え: メンバーは躊躇なく未知の領域に踏み込み、楽器を持ち替えることで豊かなサウンドを生み出しています。キース・ジャレットはピアノに加え、ソプラノサックス、ドラム、チェレスタを演奏し、デューイ・レッドマンもパーカッションを手に取ります。この多彩な楽器編成が、アルバムに複雑で多層的な響きをもたらしています。
二面性のあるダイナミズム: アルバム全体の雰囲気はしばしば暗さと厳しさに満ちていますが、その中から不意に明るさと純度を持った火花が散るような瞬間が訪れます。音楽評論家のマーク・ジスマンはこの作品を、「荒れ狂う嵐とこの上ない穏やかさとの間を難なく往復して見せる、魔法のような作品」と評しています。
ドラマーのポール・モチアンの演奏は音楽的創意の頂点を極め、彼自身もこのアルバムで「バンドが目指す場所に到達したと感じた」と語っています。
デューイ・レッドマンのサックスは、土臭く荒々しいうなり声から、優しくささやくような音色まで、幅広い表現力を見せつけています。
録音時のエピソードとバンドの終焉
この傑作の裏には、緊迫した状況がありました。
ピアニストのバーナビー・マッコールによれば、デューイ・レッドマンは録音当時、ドラッグの乱用から非常に困難な状況にあり(”strung out”)、曲の合間に何度もトイレに行かなければならなかったといいます。
プロデューサーのマンフレート・アイヒャーは彼が腹痛だと思っていたようですが、キース・ジャレットはその状況を知っており、不機嫌だったと伝えられています。
このセッションの後、キース・ジャレットのアメリカン・カルテットは解散しました。そうした背景を知ると、このアルバムに込められた凄まじい演奏は、まさに「恐怖の変容」あるいは「カタルシス」であったとも言えるでしょう。バンドの終焉を前に4人の創造性が極限まで高められ、この歴史的な名盤が生まれたのです。
『Old and New Dreams』 (1979年, ECM盤)
このアルバムは、バンドにとってBlack Saintレーベルからのデビュー作に続く2枚目の作品であり、オーネット・コールマンの元サイドマンである4人の巨匠、ドン・チェリー(トランペット)、デューイ・レッドマン(テナーサックス)、チャーリー・ヘイデン(ベース)、エド・ブラックウェル(ドラムス)による演奏が収録されています。
アルバムのコンセプトと音楽性
彼らの音楽的ルーツであるオーネット・コールマンへの深い敬意を示すと同時に、メンバー4人それぞれの「今」を表現した作品と評されています。彼らの演奏はコールマン楽曲の再演に留まらず、その精神性を継承しながら、各メンバーの個性と当時の音楽的探求が色濃く反映されています。
特にこのECM盤では、ワールドミュージックや民族音楽の要素が顕著に現れており、バンド独自のサウンドを確立しています。
注目すべき収録曲
このアルバムの中でも、特にその音楽的特徴を象徴する楽曲がいくつかあります。
「Togo」 (A2) この曲はアフリカ・ガーナの民族音楽をベースにしており、ドン・チェリーとデューイ・レッドマンが奏でるアフリカンなメロディのユニゾンが特徴的です。それに絡むエド・ブラックウェルの土着的でアーシーなドラムやパーカッションのビートが素晴らしく、非常に質の高い「アフリカン・ジャズ」に仕上がっています。
ドン・チェリー作のエスニック・ジャズ (A3) ドン・チェリーの作曲によるこのトラックでは、彼の郷愁感あふれる素晴らしいトランペットを聴くことができます。アルバム全体を貫くエスニックな雰囲気を象徴する一曲です。
「Orbit of La-Ba」 (B2) デューイ・レッドマンが作曲したこのトラックは、彼がオーネットから受け継いだ精神と民族音楽が見事に融合した、強烈な世界観を持つ演奏です。レビュワーが「かなりヤバい世界」と表現するほど、独創的でスリリングな展開が魅力です。
バンド内での位置づけと遺産
Old and New Dreamsは、オーネット・コールマン自身が不在であっても彼の音楽が成立することを証明し、その作曲家としての鋭さを示した重要なグループでした。この1979年のECM盤は、スタジオ録音盤としてBlack Saintからのデビュー作と並び、バンドの音楽性を深く理解する上で欠かせない作品です。彼らの演奏は、かつて前衛的とされたフリージャズが、ジャズの伝統に深く根ざしたものであることを示しました。
このアルバムはフリージャズの持つメロディアスな側面と、ワールドミュージックの要素を巧みに取り入れた、Old and New Dreamsの代表作の一つとして聴き継がれています。
もう一人のレッドマン:息子ジョシュアとの共演
デューイ・レッドマンを語る上で、現代ジャズシーンを代表するサックス奏者である息子、ジョシュア・レッドマンの存在は欠かせません。
興味深いことにジョシュアは、父デューイとは離れてダンサーである母レニー・シェドロフに育てられました。デューイは当初、息子がプロのミュージシャンになることに反対していたといいます。しかし、血は争えません。ハーバード大学を優秀な成績で卒業後、ジョシュアはジャズの道に進み、瞬く間にスターダムを駆け上がりました。
二人のプレイスタイルは対照的です。デューイの演奏が「気合を入れて聴かないといけないような」熱いアドリブであるのに対し、ジョシュアの音色は「優しく」「毎日聴いても飽きないぐらいカジュアル」と評されることもあります。しかしその根底に、共通する音楽への深い愛情と探求心があります。デューイは息子への愛情と誇りを隠しませんでした。
「ジョシュアは素晴らしいアーティストだ。俺の方がうまいけどな!(笑)でも彼はもっと有名だ。とても誇りに思うよ。息子が自分より金を稼いで有名になった時に、他に何が言える?嫉妬はしないさ、ほんの少し羨ましいだけだよ。でも、もちろん誇りに思っている」
二人はジョシュアのアルバム『Back East』(2007年)などで共演を果たしています。『Back East』はデューイにとって最後の録音の一つとなりました。ベーシストのクリスチャン・マクブライドはこの父子の共演を聴くのが大好きで、「とても、とても特別なものだった」と語っています。世代もスタイルも異なる二人の「レッドマン」が音を交わす様は、まさに音楽による感動的な対話そのものです。
なぜ今、デューイ・レッドマンを聴くべきなのか
デューイ・レッドマンがスタープレイヤーの「サイドマン」であることも、有名なサックス奏者の「父親」であることも、彼という総体の一側面に過ぎません。テキサスのブルースからフリージャズの最先端までを往来し、誰にも真似できない「自分の音」で時代を切り拓いた、紛れもない偉大なアーティストです。
彼の音楽は時に激しく、挑戦的に聴こえるかもしれません。しかしその奥には、常に深いブルースフィーリングと人間的な温かさ、そして何よりも音楽への愛が溢れています。ジャズが持つ「自由」とは何か、「対話」とは何か。彼の音楽はその本質を私たちに教えてくれます。
この記事をきっかけに、ぜひ彼の遺した数々の名演に触れてみてください。そこには、時代を超えて輝き続ける「本物の音」が、あなたを待っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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