音楽の旅人ドン・チェリー『永遠のリズム』ワールド・フュージョンの原点

ジャズ

ジャズの境界線を溶かした一枚

「フリージャズってワケわからん」「ワールド・ミュージックって、どこから聴けばいいの?」
音楽の広大な世界を旅していると、そんな思いや疑問にぶつかることはありませんか?ジャズの歴史の中でも、特に「フリージャズ」や「ワールド・ミュージック」といったジャンルは、その自由さや多様さゆえにどこから足を踏み入れていいか迷ってしまうかもしれません。

しかしもし、その二つの世界の架け橋となる一枚のアルバムがあるとしたら、聴いてみたくはありませんか?

この記事ではジャズの歴史における二つの大きな革命の先駆者、ドン・チェリーの代表作『永遠のリズム(Eternal Rhythm)』を、未聴の方から熱心な愛好家まで、それぞれの視点で深く掘り下げていきます。
1968年という激動の年に録音されたこの作品は、ジャズ・アルバムの枠を遥かに超え、チェリーが世界中を旅して得たインスピレーションとフリージャズのエネルギーが見事に結晶化した、時代を先取りした傑作なのです。

この記事を読み終える頃、あなたは以下の情報を手に入れています。

  • 初心者でもわかる『永遠のリズム』の楽しみ方
  • ジャズ愛好家も唸る、アルバムの歴史的背景と創作の秘密
  • ドン・チェリーの世界をさらに探求するための名盤ガイド

ドン・チェリーが1968年のベルリン・ジャズ・フェスティバルで録音したこのアルバムは、ブルース、ガムラン、インド音楽、そしてアヴァンギャルドが見事に融合した、まさに「普遍的な音楽」への扉なのです。さあ、一緒にドン・チェリーの音の旅に出かけましょう。

『永遠のリズム』を体感するための3つのポイント

フリージャズや実験的な音楽と聞くと、身構えてしまうかもしれません。しかし『永遠のリズム』は難解な理論を抜きにしても、感覚的に楽しむことができる魅力に満ちています。まずはリラックスしながら、音の波に身を任せてみましょう。

「個人のソロ」より「全体の響き」に耳を澄ませる

従来のジャズでは、トランペットやサックスのソロが華々しく展開されることが多いですが、このアルバムでは少し聴き方を変えてみましょう。ドン・チェリーの音楽哲学には、「これは”僕”の音楽ではない」という考え方がありました。
彼の目指した「オーガニック・ミュージック・ソサエティ」は、誰か一人が主役になるのではなく、その場にいる全員で音楽を創り上げる共同体のようなものです。このアルバムの録音でも、チェリーは意図的に自身のソロを控えめにし、バンド全体のアンサンブルを重視しています。

【聴き方のヒント】

  • 特定の楽器のソロを追いかけるのではなく、全体の音の響き(サウンドスケープ)を一つの大きな絵画のように捉えてみましょう。
  • 複数の楽器が同時に異なるメロディを奏でる場面では、その音の重なりや対話を楽しんでみてください。これは、バンド全体が一つの生き物のように呼吸している証拠です。

世界中の楽器が奏でる「音の万華鏡」を楽しむ

このアルバムの大きな特徴は、ジャズでおなじみの楽器に加えて、世界中の様々な民族楽器が使われている点です。ドン・チェリー自身もポケット・トランペットだけでなく、フルートやパーカッション、さらにはインドネシアのガムランやマリの弦楽器ドゥスン・ゴニなども演奏しました。

ガムラン(Gamelan): インドネシアの伝統的な打楽器アンサンブル。金属製の鍵盤打楽器が奏でる複雑で美しい響きが特徴です。『永遠のリズム』では、チェリーやカール・ベルガーらがこの楽器を演奏しています。

ドゥスン・ゴニ(Doussn’gouni): 西アフリカ・マリの狩人が使う6弦のハープ。チェリーはこの楽器を彼の音楽的語彙に積極的に取り入れました。

ライタ(Rhaita): モロッコなどで使われるダブルリードの木管楽器。力強く、少し鼻にかかったような独特の音色を持っています。

各種フルート: チェリーはベンガル・フルート、竹笛、金属製やプラスチック製のフルートなど、様々な種類の笛を演奏しています。

これらの楽器がジャズの即興演奏と混じり合うことで、まるで音の万華鏡のように色彩豊かなサウンドが生まれます。

理屈抜き!壮大な「音の旅」を体感する

『永遠のリズム』は、LPのA面とB面それぞれが約20分前後の組曲形式になっています。これはチェリーがライヴでの演奏形態を反映させた、当時としては新しい試みでした。

【アルバム構成】

  • Eternal Rhythm Part I (永遠のリズム パート1): 静かな笛の音から始まり、徐々に熱を帯びていきます。中盤で登場するマーチングバンドのような高揚感あふれるテーマは、聴きどころの一つです。
  • Eternal Rhythm Part II (永遠のリズム パート2): こちらも静かなメロディから始まりますが、ブルースフィーリング溢れる展開や、激しい即興演奏が繰り広げられます。

曲の展開を追いかけるというよりは、壮大な映画のサウンドトラックを聴くような気持ちで、場面の移り変わりを楽しんでみてください。このアルバムはあなたを、時空を超えた音の旅へと誘ってくれるはずです。

『永遠のリズム』の深層を探る

ドン・チェリーが『永遠のリズム』で提示した世界は、思いつきのセッションではありません。そこには1960年代のジャズ・シーンの激動と、彼の音楽家としての哲学的な探求が深く刻まれています。

フリージャズからワールド・フュージョンへの架け橋

ドン・チェリーは1950年代後半にオーネット・コールマンのカルテットに参加し、コード進行に縛られない全く新しいジャズ、すなわち「フリージャズ」の誕生に立ち会いました。彼らの音楽はマイルス・デイヴィスに「ばかげている」と評されるなど、当初は大きな論争を巻き起こしましたが、ジャズの歴史を大きく変える革命でした。

マイルス・デイビスは当初、チェリーの演奏を軽視していた。「あいつがトランペット奏者じゃないのは、誰の目にも明らかだ。ただ音を出しているだけなのに、吹く音の一つ一つに真剣に取り組んでいるようには見える。だから聴衆、特に白人はそれに惹かれるんだ」。
しかしチェリーによると、マイルスがファイブ・スポット・カフェでオーネット・コールマンの演奏を聴いた際、チェリーの演奏に感銘を受け、チェリーのポケットトランペットを使ってグループに加わったという。

ドン・チェリーは、一つの場所に留まる音楽家ではありませんでした。1967年、彼はアフリカ、中東、アジアを巡る数々の探検旅行の始まりとなる旅に出ます。この旅は彼の音楽に決定的とも言える影響を与え、フリージャズで培った即興演奏のエネルギーと世界中の音楽から得たインスピレーションを、本格的に融合させるきっかけとなりました。

音楽評論家 ピエロ・スカラッフィ

「このアルバム(『永遠のリズム』)は、遠く離れた文明との、ほとんど宗教的ともいえる交感を生み出す」

『永遠のリズム』は、チェリーが「ワールドジャズ」の先駆者となる決定的な一枚と位置づけられています。このアルバムは、フリージャズの持つ混沌としたエネルギーと民族音楽の持つ儀式的な響きが見事に結びついており、彼が後に「マルチカルチ(multikulti)」と呼んだ、多様な文化を融合させるヴィジョンを初めて明確に示した作品なのです。

音の探求者、ドン・チェリーの旅路

1960年代後半、チェリーは従来のジャズシーンの商業主義から距離を置き、よりオーガニックな音楽と生活のあり方を模索し始めます。彼と、彼の妻でありテキスタイル・アーティストのモキ・チェリーは、幼い義理の娘ネネ・チェリーを連れて、フォルクスワーゲンのキャンピングカーでヨーロッパ中を旅しました。

彼らが最終的に拠点としたのは、スウェーデンの田舎町Tågarpにある古い学校の校舎でした。ここで彼らは「オーガニック・ミュージック・ソサエティ」と名付けた共同体を設立します。
これは単なる音楽グループではなく、音楽、アート、教育、そして日常生活を分かち合う、一種のコミューンでした。モキの「ステージは家であり、家はステージである」というモットーの通り、世界中から訪れるミュージシャンたちと共に、家族ぐるみで創作活動を行ったのです。

この自由な生活の中で、チェリーの音楽探求はさらに加速します。

トルコとブラジルのリズム: スウェーデンの拠点で、トルコ人ドラマーのOkay Temizやブラジル人パーカッショニストのナナ・ヴァスコンセロスといったミュージシャンと深く交流しました。彼らのリズム感覚は、チェリーの音楽に新たな次元をもたらしました。

モロッコのジャジューカ音楽: チェリーはモロッコを旅し、ジャジューカ村のマスター・ミュージシャンたちの音楽に触れました。この経験は、後にオーネット・コールマンが結成するグループ「プライム・タイム」のサウンドにも影響を与えています。

インドの古典音楽: ミニマリズムの巨匠ラ・モンテ・ヤングの師でもある、インドのドゥルパド声楽家パンディット・プラン・ナートに師事し、インド音楽の持つ精神性と微細な音程感覚を学びました。

マリの弦楽器ドゥスン・ゴニ: チェリーはマリの狩人が使う弦楽器ドゥスン・ゴニに魅了され、自身の主要な楽器の一つとしました。

これらの旅と出会いが、『永遠のリズム』の豊かで多層的なサウンドの土台となったのです。彼はただ異文化のメロディを借用するのではなく、異なる伝統の中に息づく人間的で精神的な繋がりを見出し、それを自身の音楽で表現しようと試みました。

ベルリンの奇跡:多国籍の「エターナル・リズム・グループ」

このアルバムが録音されたのは、1968年のベルリン・ジャズ・フェスティバルでのことでした。この年は世界中で若者たちの抗議運動が巻き起こり、公民権運動が激化した激動の年です。ジャズの世界でもアヴァンギャルドな作品が、次々と生まれていました。

チェリーはこの歴史的な舞台のために、国籍も音楽的背景も異なるミュージシャンたちを集め、「エターナル・リズム・グループ」を結成しました。このメンバー構成自体が、彼のグローバルな音楽観を象徴しています。

ドン・チェリー (Don Cherry) – コルネット、各種フルート、ガムラン楽器、声 (アメリカ)
アルバート・マンゲルスドルフ (Albert Mangelsdorff) – トロンボーン (ドイツ)
エイエ・テリーン (Eje Thelin) – トロンボーン (スウェーデン)
ベルント・ローゼングリン (Bernt Rosengren) – テナーサックス、オーボエ、クラリネット、フルート (スウェーデン)
ソニー・シャーロック (Sonny Sharrock) – ギター (アメリカ)
カール・ベルガー (Karl Berger) – ヴィブラフォン、ピアノ、ガムラン楽器 (ドイツ)
ヨアヒム・キューン (Joachim Kühn) – ピアノ、プリペアド・ピアノ (ドイツ)
アリルド・アンデルセン (Arild Andersen) – ベース (ノルウェー)
ジャック・トロ (Jacques Thollot) – ドラム、ガムラン楽器、ゴング、ベル、声 (フランス)

【制作秘話】

プロデューサーのヨアヒム・ベーレントは、チェリーに内緒でガムラン楽器をスタジオに持ち込み、レコーディングで使うよう主張しました。チェリーやカール・ベルガーらは正式な演奏法も知らないまま、即興でこの楽器を演奏に取り入れたのです。この偶然の出会いが、アルバムの独創的なサウンドを生み出す重要な要素となりました。

Q&Aで探る『永遠のリズム』の核心

このアルバムは「フリージャズ」なんですか? それとも「ワールド・ミュージック」?

A. まさにその両方であり、二つのジャンルを繋ぐ「架け橋」のような作品です。オーネット・コールマンとの活動で培った自由な即興演奏の精神(フリージャズ)を土台に、1967年からの世界中への旅で得た民族音楽の要素(ワールド・ミュージック)を取り入れた、非常に先駆的な試みでした。

ドン・チェリーが提唱した「オーガニック・ミュージック・ソサエティ」とは何ですか?

A. 1960年代後半から妻のモキ・チェリーと共に始めた、音楽、アート、教育、そして生活を統合した共同体的な活動です。彼らはスウェーデンの古い学校を改装し、世界中から訪れるミュージシャンやアーティストと共に、家族ぐるみで創作活動を行いました。ステージと家庭の境界を取り払い、「ステージは家であり、家はステージである」というモキのモットーを実践したのです。『永遠のリズム』の根底にも、この思想が流れています。

ポケット・トランペットとはどんな楽器ですか?

A. チェリーが愛用したことで知られる、小型のトランペット(正確にはポケット・コルネット)です。通常のトランペットと同じ管長を持ちながら、管の巻き方がコンパクトになっているため、持ち運びに便利です。その音色は独特で、チェリーのパーソナルなサウンドを形成する重要な要素でした。彼が演奏していた楽器の多くは、パキスタン製の安価なモデルだったと言われています。

さらに深く知るための名盤・ミュージシャン紹介

『永遠のリズム』でドン・チェリーの世界に魅了されたなら、次はこの3枚を聴いてみてはいかがでしょうか。彼の音楽のルーツと、その後の展開を知る上で欠かせない名盤たちです。

オーネット・コールマン『ジャズ来るべきもの(The Shape of Jazz to Come)』(1959)

ドン・チェリーのキャリアを語る上で避けて通れないのが、サックス奏者オーネット・コールマンとの出会いです。このアルバムは、コード進行から解放された「フリージャズ」の時代の到来を告げた革命的な一枚。チェリーとコールマンの、まるで双子のような息の合ったインタープレイは、緊張感と美しさに満ちています。特に名曲「ロンリー・ウーマン」は必聴です。

ドン・チェリー『オーガニック・ミュージック・ソサエティ(Organic Music Society)』(1972)

『永遠のリズム』で示された方向性をさらに推し進め、彼の「ワールド・ミュージック」探求と思想が集大成された作品です。アフリカ音楽の要素やフィールド・レコーディング素材も交え、チェリー自身もトランペットだけでなく、様々な民族楽器や歌声を披露しています。
テリー・ライリーの『Terry’s Tune』、ファラオ・サンダースのスピリチュアル・ジャズの名曲『The Creator Has a Master Plan』のカバーなど、解放的で祝祭的な雰囲気に満ちた、まさに「生命の音楽」です。

コドナ『コドナ(Codona)』(1979)

チェリーが1970年代後半に結成したトリオ、コドナのデビュー作。メンバーはチェリーの他、シタールやタブラを演奏するコリン・ウォルコット、パーカッションとビリンバウを操るナナ・ヴァスコンセロス。インド、ブラジル、アフリカ、インドネシアなど、世界中の音楽が三人の即興演奏の中で自然に溶け合う様は、まさに圧巻。静かで瞑想的ながら、深い精神性を感じさせるサウンドは、後のアンビエント・ミュージックにも通じるものがあります。

永遠に新しい音の旅へ

ドン・チェリーの『永遠のリズム』は、1968年という激動の時代に生まれながら、今なお古びることのない輝きを放ち続けています。それはこのアルバムが単なるジャンルの融合ではなく、音楽は人種や国境、時代を超える普遍的な言語であるという、チェリーの力強いメッセージそのものだからです。

ジャズの歴史における転換点: フリージャズのエネルギーと、1967年からの旅で得たワールド・ミュージックの多様性を結びつけ、その後のジャズの可能性を大きく広げました。

ジャンルを超えた普遍性: ブルース、ガムラン、民族音楽、アヴァンギャルドといった要素が、チェリーという触媒を通して一つの「オーガニックな音楽」として鳴り響きます。

初心者にも開かれた扉: 難解さよりも、音そのものの響きやエネルギー、そして世界を旅するような高揚感を体感できる作品です。

この記事をきっかけに、あなたがドン・チェリーの『永遠のリズム』を手に取り、彼が夢見た「永遠のリズム」を感じていただけたなら、これ以上の喜びはありません。
さあ、ヘッドフォンのボリュームを上げてみてください。そこにはまだ誰も聴いたことのない、新しい音楽の世界が広がっているはずです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの音楽の旅が、さらに豊かなものになることを願っています。

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