ロックの歴史には、時代を画し、その後の音楽に計り知れない影響を与えた曲がいくつか存在します。ザ・キンクスが1964年にリリースした「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、まさにそんな一曲として語り継がれています。たった2分14秒のこの曲が、いかにしてロックミュージックの常識を覆し、ハードロックやパンクの扉を開いたのでしょうか?
この記事では、「ユー・リアリー・ガット・ミー」の誕生秘話から、その革新的なサウンドの秘密、そして現在に至るまでの影響力について、深く掘り下げて解説します。キンクスのファンはもちろん、ロックミュージックの歴史に興味がある方にも、きっと新たな発見があるでしょう。
「ユー・リアリー・ガット・ミー」の誕生と定義:ブリティッシュ・インヴェイジョンの衝撃
「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、イギリスのロックバンド、ザ・キンクスが1964年8月にリリースしたシングルです。この曲は全英シングルチャートで1位を獲得し、アメリカのチャートでも7位を記録する大ヒットとなり、キンクスをブリティッシュ・インヴェイジョンの代表的なバンドの一つとしての地位を確立させました。
この曲が特に画期的だったのは、そのサウンドでした。アメリカの音楽学者ロバート・ウォルサーは、この曲を「ヘヴィメタルを発明した作品」と評価し、オールミュージックのデニス・サリバンも「『ユー・リアリー・ガット・ミー』は、ハードロックとヘヴィメタルにとって理想の曲であり続ける」と記しています。キンクスは、それまでリリースした2枚のシングルがチャートインせず、所属レコード会社であるパイ・レコードからヒット曲を出すよう強いプレッシャーを受けていました。このため、「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、バンドの存続がかかった「最後のチャンス」ともいえる状況で制作されました。
ロックサウンドを根底から変えた革新性:パワーコードとディストーションの誕生
「ユー・リアリー・ガット・ミー」がロック史に与えた最も大きな影響は、その「パワーコード」と「ディストーション」サウンドの先駆的な使用にあります。この斬新なサウンドはどのようにして生まれたのでしょうか。
レイ・デイヴィスの作曲と初期の構想
この曲はレイ・デイヴィスが1964年3月9日から12日の間に、両親の家の応接間のピアノで作曲しました。当時、彼は曲を書き始めてまだ間もなく、「最初に考えた5曲のうちの1つだった」と語っています。当初、この曲はより軽快でジャズ寄りのスタイルでした。レイは、観客を熱狂させ、踊らせるような「ショーストッパー(ショーが中断するような名演技者)」にしたいと考え、「アフリカの部族のチャントのように」反復的なものにしようとしました。
初期の歌詞は「Yeah, you really got me now」で始まっていましたが、プロデューサーのハル・カーターのアドバイスにより、より個人的で直接的な表現にするため、スタジオで「Girl」に変更されました。
デイヴ・デイヴィスによる衝撃のギターサウンド革命
この曲の特徴である耳障りで歪んだ2コードのリフと、荒々しく意図的にルーズに弾かれたギターソロは、レイの弟であるデイヴ・デイヴィスのアイデアと実験から生まれました。
デイヴは、自宅にあった「小さな緑のアンプ」として知られるElpicoのアンプのスピーカーコーンを剃刀の刃で切り裂くことで、この独特の歪みサウンドを作り出しました。彼はさらに、Elpicoアンプをより大きなVox AC30アンプに接続し、Elpicoをプリアンプとして機能させることで、サウンドをさらに増幅させました。
この行為により、「スピーカーコーンを切った部分の縁がスピーカーの外殻に当たって振動し、ギターを弾くとぞっとするような荒々しい轟音が解き放たれた」とデイヴは述べています。
プロデューサーのシェル・タルミーも複数のマイクを使用し、ミキシングボードのレベルを限界まで上げて、このサウンドを強化しました。タルミーは、当時の「上品」なイギリス音楽に「無作法」なサウンドを導入したと語っています。時にはアンプを蹴って、さらに荒々しいサウンドを出すこともありました。
兄のレイ・デイヴィスはかつて、編み棒をスピーカーに突き刺して音を作ったと語ったこともありましたが、デイヴはそれを否定し、「剃刀を使ったのは自分一人で、編み棒は使っていない」と強く主張しています。
レコーディングの苦難とバンドの決意
「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、1964年の半ばに少なくとも2回録音されました。パイ・スタジオで録音された最初のバージョンは、よりスローでブルージーな仕上がりで、レイはリードギターが埋もれ、エコーが効きすぎていると感じていました。レイは再録音を強く要求しましたが、レコード会社は過去のシングルの不振を理由に資金提供を拒否します。
しかし、レイは再録音されなければシングルをプロモーションしないと主張し、最終的にバンドのマネージメントがIBCスタジオでの再録音セッションの費用を負担しました。
この曲の成功へのレイの強いこだわりが、彼をキンクスのリーダーおよび中心的なソングライターとして確立させることになるのです。
音楽史における重要性とその後の影響
「ユー・リアリー・ガット・ミー」のリリースは、音楽界に大きな波紋を広げました。その生々しく、力強いサウンドは、後の世代のミュージシャンたちに多大な影響を与えました。
ハードロックとパンクの祖
この曲は、その革新的なサウンドによって、ハードロックやヘヴィメタル、そしてパンク・ロックの「青写真」と広く見なされています。キンクスは「オリジナルのパンク」と呼ばれることもあります。
他のバンドへの影響
ザ・フーのピート・タウンゼントは、この曲のサウンドに直接インスパイアされて、彼らの最初のシングル「I Can’t Explain」を作曲しました。デイヴ・デイヴィスのサウンドは多くのミュージシャンにコピーされました。
レイ・デイヴィスの自信
レイ・デイヴィスはこの曲がヒットした後、「ロックの殿堂入りした際に、『ユー・リアリー・ガット・ミー』がキンクスの存在理由になった」と語っています。
ユーザーが知りたいQ&A
「ユー・リアリー・ガット・ミー」に関するよくある疑問とその答えをまとめました。
Q: ジミー・ペイジが「ユー・リアリー・ガット・ミー」を演奏したというのは本当ですか?
A: これはロック界で最も根強く残る神話の一つですが、キンクスのプロデューサーであるシェル・タルミー、デイヴ・デイヴィス、そしてジミー・ペイジ自身も、この曲には参加していないと繰り返し否定しています。
ジミー・ペイジは当時、ロンドンで引く手数多のセッションミュージシャンであり、実際にキンクスのデビューアルバムの他の曲ではギターを演奏しています。しかし、「ユー・リアリー・ガット・ミー」のソロはデイヴ・デイヴィスによるものです。
レイ・デイヴィスも、自身の回顧録『The Storyteller』の中で、ソロはデイヴが演奏し、その途中で二人の間に交わされた会話(デイヴの「Fuck off」という発言を含む)があったことを確認しています。
Q: この曲の元々のインスピレーションは何でしたか?
A: レイ・デイヴィスによると曲の着想は、演奏中に観客の中にいた魅力的な女性への恋慕から来ているそうです。演奏後、彼女を探しに行きましたが、もうクラブには戻ってきませんでした。当初、曲は軽快なジャズ風のメロディでした。
Q: あの特徴的なギターサウンドは、どのようにして生み出されたのですか?
A: 主にデイヴ・デイヴィスが、自宅にあったElpicoアンプのスピーカーコーンを剃刀で切り裂いたことで、あの歪んだサウンドが生まれました。これに加えて、プロデューサーのシェル・タルミーが複数のマイクを使ってサウンドを増幅させるなど、スタジオでの工夫も加わりました。
Q: なぜ「ユー・リアリー・ガット・ミー」は影響力があると言われるのですか?
A: この曲は、パワーコードと激しいディストーションサウンドを商業的に成功させた最初のヒット曲の一つであり、後のハードロック、ヘヴィメタル、そしてパンク・ロックのサウンドを予見したとされています。ザ・フーのピート・タウンゼントが「I Can’t Explain」の作曲時にこの曲から直接的な影響を受けたなど、多くのバンドがそのサウンドを模倣し、ロックの新しい可能性を示しました。
キンクスの推薦盤:ブリティッシュ・ロックの真髄
「ユー・リアリー・ガット・ミー」をきっかけにキンクスに興味を持たれた方へ、彼らの多様な音楽性を堪能できるアルバムをいくつかご紹介します。キンクスは、初期のラフなロックンロールから英国の生活を描写したコンセプトアルバム、スタジアムロック時代まで、そのキャリアを通じて常に進化を遂げてきました。
『Kinks』(1964):決定盤
キンクスのデビューアルバムであり、「ユー・リアリー・ガット・ミー」を含む彼らの初期の荒々しくエネルギーに満ちたサウンドを定義した作品です。ブリティッシュ・ブルースとR&Bの影響が色濃く、後のロックサウンドの基礎を築いた一枚と言えるでしょう。
『Face to Face』(1966):定番
レイ・デイヴィスのソングライティング能力が大きく開花したアルバムです。日常の風景や人々の感情を、ユーモラスかつ痛烈に描写する彼の才能が存分に発揮されています。英国の社会的テーマへの傾倒が始まった時期の重要な作品であり、本国イギリスで高く評価されました。
『The Kinks Are the Village Green Preservation Society』(1968):異色盤/決定盤
キンクスを語る上で欠かせないコンセプトアルバムの一つです。ノスタルジックな英国の田園風景や古き良き文化をテーマにした楽曲群は、批評家からは絶賛されましたが、リリース当初は商業的には成功しませんでした。しかし、時を経てカルト的な人気を博し、現在ではキンクスのオリジナルアルバムの中で最も売れている作品となっています。その歌詞の深さと文学性で、多くのバンドに影響を与えました。
『Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire)』(1969):決定盤
『Village Green Preservation Society』に続くコンセプトアルバムで、戦後のイギリス社会の衰退と個人史を重ね合わせた壮大なテーマを扱っています。社会批評的な視点と、より洗練されたサウンドが特徴です。
『Lola Versus Powerman and the Moneygoround, Part One』(1970):定番
「Lola」の大ヒットにより、キンクスが再びメインストリームで注目を浴びたアルバムです。音楽業界の裏側や、アイデンティティの探求といったテーマが込められており、商業的にも批評的にも成功を収めました。
「ユー・リアリー・ガット・ミー」の有名なカバーバージョン
「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、その影響力の大きさから数多くのアーティストによってカバーされています。ここでは特に有名なカバーバージョンを、いくつかご紹介します。
ヴァン・ヘイレン (Van Halen) (1978)
おそらく「ユー・リアリー・ガット・ミー」のカバーの中で最も有名で、多くの人々に知られているバージョンでしょう。彼らのデビューシングルの1つとしてリリースされ、ヴァン・ヘイレンのキャリアを軌道に乗せる大きな要因となりました。
キンクスのドラマー、ミック・エイヴォリーは、エディ・ヴァン・ヘイレンの演奏を「キンクスのやったことの誇張」と評し、技術的には優れているがメロディックではないと述べました。一方、デイヴ・デイヴィスはヴァン・ヘイレンのバージョンを「簡単すぎる」と批判しましたが、レイ・デイヴィスは自身の曲のカバーの中で一番のお気に入りだと公言しており、ヴァン・ヘイレンがこの曲によって「過剰なキャリア」を築いたことを喜んでいました。
モット・ザ・フープル (Mott the Hoople) (1969)
モット・ザ・フープルのデビューアルバムに、インストゥルメンタルバージョンが収録されています。
ロバート・パーマー (Robert Palmer) (1978)
彼のアルバム『Double Fun』にカバーバージョンが収録されており、このアルバムはビルボードのトップ50にランクインしました。
メタリカ (Metallica) (2009)
ロックの殿堂25周年記念コンサートで、レイ・デイヴィスをゲストに迎え、「オール・オブ・ザ・ナイト」と共にセッションとして披露されました。
13th フロア・エレベーターズ (13th Floor Elevators) (1966)
サイケデリック・ロックの草分け的存在である彼らのライブバージョンが、アルバム『The Psychedelic Sounds of the 13th Floor Elevators』の2003年再発盤に収録されています。
オインゴ・ボインゴ (Oingo Boingo) (1981)
ニュー・ウェイヴ・バンドである彼らによるカバーは、オリジナルとは大きくかけ離れたスタイルで、ディーヴォのカバーに近いと言われています。
まとめと結論
ザ・キンクスの「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、デイヴ・デイヴィスによる革新的なディストーションギターサウンドとパワーコードの使用により、その後のハードロック、ヘヴィメタル、そしてパンク・ロックの誕生に決定的な影響を与えました。バンドの存続がかかった状況で、レイ・デイヴィスの作曲への執念と、デイヴ・デイヴィスの実験的な精神が奇跡的に融合し、ロック史に残る傑作が生み出されたのです。
キンクスはこの一曲にとどまらず、その後のキャリアにおいても、英国社会を鋭く、時にユーモラスに描き出す叙情的な歌詞と、多様な音楽スタイルを探求し続けました。ビートルズやローリング・ストーンズといった同時代のバンドと比べても、彼らは独自の道を歩み、真の「オリジナリティ」を追求したバンドとして、今なお多くのミュージシャンや音楽ファンに尊敬されています。
「ユー・リアリー・ガット・ミー」は、半世紀以上経った今でもその魅力と衝撃を失っていません。ぜひ、オリジナルバージョンとその革新性に触れ、さらに彼らの他の作品にも耳を傾けてみてください。キンクスの奥深い世界が、あなたの音楽体験を豊かにすることでしょう。
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