「悲しきサルタン」の魅力
1970年代後半、パンクやニューウェーブが音楽シーンを席巻する中、一際異彩を放ちながらも世界中で大ヒットを記録した楽曲があります。それが、イギリスのロックバンド、ダイアー・ストレイツのデビューシングル「悲しきサルタン(原題:Sultans of Swing)」です。彼らの音楽は当時のトレンドとは一線を画す独自のスタイルで、多くの音楽ファンを魅了しました。
この記事では「悲しきサルタン」の誕生秘話からその音楽的特徴、そしてなぜ今もなお多くの人々に愛され、語り継がれているのかを深掘りしていきます。マーク・ノップラーのギターワークや歌詞に込められた意味を知ることで、この名曲が持つ本当の魅力に迫りましょう。
「悲しきサルタン」とは?その概要と背景
「悲しきサルタン」は、1978年2月にリリースされたダイアー・ストレイツのデビューシングルです。同年10月にリリースされたファーストアルバム『Dire Straits』にも収録されました。この曲は1979年3月には全米チャートで最高4位、本国イギリスでも8位を記録する世界的な大ヒットとなりました。
ダイアー・ストレイツというバンド名は、メンバーが結成当初、経済的に「非常に困窮した状況(dire straits)」にあったことに由来しています。友人からの冗談がきっかけで名付けられました。
しかし、曲のタイトルである「Sultans of Swing(スウィングのサルタン)」には、これとは対照的な意味が込められています。「サルタン(Sultan)」とはオスマン・トルコ皇帝やイスラム教国の君主を指す言葉で、「スウィングの絶対君主」といった非常に自信に満ちた、堂々たるバンド名を意味します。
タイトルは、マーク・ノップラーが目撃した客の少ない寂れたパブで演奏していたジャズバンドの、見栄を張ったような名前に皮肉を感じたことから来ています。
ディスコサウンドが大流行していた当時の音楽シーンにおいて、ダイアー・ストレイツは流行に流されない「ルーツ・ミュージック」へのこだわりを見せ、そのデビュー作は「ロックの清涼飲料水」とも称されました。
すぐにヒットには繋がらなかったものの、オランダのラジオ局VPROでのヘビーローテーションをきっかけに人気に火がつき、やがて世界中に広がっていきます。
「悲しきサルタン」の重要ポイントと魅力
「悲しきサルタン」が時代を超えて愛される理由には、いくつかの重要なポイントがあります。
マーク・ノップラーの唯一無二のギター・スタイル
この曲の最大の魅力は、なんといってもフロントマンであるマーク・ノップラーのギターワークです。彼はピックを使わず、親指と指の腹で弦を弾くフィンガーピッキングという奏法を特徴としています。
この独特な奏法は、ピックで弾く場合に生じがちな「ジャラーン」という流れた音ではなく、一音一音がはっきりと分離しながらも、柔らかく、そして時に鋭い、粘り気のあるグルーヴィーなサウンドを生み出します。
ノップラー自身もギターを始めた頃はアンプが買えず、アコースティックギターでフィンガーピッキングを練習したことが、そのスタイルに影響を与えたと語っています。
「悲しきサルタン」のギターソロは、その卓越した演奏技術と感情表現で高い評価を受けており、「Guitar World」誌で史上最高のギターソロ22位、「Rolling Stone」誌で史上最高のギターソング32位にランクインしています。
彼のギターは速弾きや技術の披露ではなく、曲に寄り添い、メロディを歌い上げることに重点を置いています。この「シンプルさとメロディ」を重視する姿勢は、ジャズ・ミュージシャンのような即興演奏の技量がないと謙遜しながらも、彼独自の美学となっています。
マーク・ノップラーはそのプレイスタイルにおいて、J.J.ケイル、ボブ・ディラン、ハンク・マーヴィン(シャドウズ)、チェット・アトキンスといった多様なアーティストから影響を受けています。特に彼のボーカルは、ボブ・ディランを彷彿とさせると評されています。
歌詞に込められた物語と皮肉
Dire Straits – Sultans of Swing
暗闇の中で、ブルッと身震いする
公園には雨が降っているけど、そんな中
川の南の方で立ち止まり、全てを忘れた
あるバンドが、4分の4拍子でディキシーを吹き鳴らしている
その音楽が聴こえてきて、少し気分が良くなるんだ中に入ってみたけど、あまり客はいない
ジャズを聴くために、こんな雨の中わざわざ来る奴なんて他にいないさ
別のところでもライブはやってるだろうしな
でも、ホーン楽器が、いい音色を奏でている
ずっと南の方、ロンドンのずっと南の方でほら、ギターのジョージを見てみろ
あいつはすべてのコードを知っている
でも、あくまでリズムに徹しているんだ
ギターを泣かせたり歌わせたりしない
そう、それにヤツがステージで演奏するときに持っているのは、オンボロのギターだけだ
それしか買えないからなハリーは、人気が出なくても気にしないみたいだ
昼間の仕事があって、そこそこ上手くいってるからな
ホンキートンクの腕前はすごいけど
金曜の夜のためにとっておいているんだ
スウィングの王たちと演奏する夜のためにね若い男たちが隅っこでふざけ合っている
酒に酔って、とっておきの茶色のだぶだぶのズボンと厚底靴を履いている
奴らはトランペットを吹くようなバンドに全く興味がない
だって彼らは、ロックンロールと呼ぶものじゃないからなそして、スウィングの王たちは、クレオールを演奏するんだ
最後に男がマイクに歩み寄り、
閉店のベルが鳴り響く中、こう言う
「おやすみなさい、皆さん、そろそろお帰りの時間です」それから、急いでこう付け加えるんだ
「私たちはサルタンズ
スウィングの王たち(サルタンズ)の演奏でした!」
「悲しきサルタン」の歌詞は、マーク・ノップラー自身の体験に基づいています。雨の降る夜、寂れたパブで演奏する才能に欠けるジャズバンドを目撃したことから着想を得ました。
歌詞の中には、バンドメンバーの「ギターのジョージ」や「ハリー」が登場します。
- 「ギターのジョージ」はすべてのコードを知っているが、あくまでリズムに徹し、ギターを「泣かせたり歌わせたり」することをしない、という描写があります。これは一見ネガティブな表現にも取れますが、実はマーク・ノップラーからの賞賛であり、バンドのために目立たず堅実に演奏する姿を評価していると解釈するファンもいます。
- 「ハリー」は昼間の仕事をしていて、人気を得ること(”make the scene”)を気にしないと歌われています。彼はホンキートンクの腕前も素晴らしいけれど、それは金曜の夜の「サルタンズ」のステージのためにとっておくのです。
パブの隅で厚底靴とバギーパンツをはいてふざけあっている若者たちは、トランペットのバンドを見向きもせず、「ロックンロールじゃないから」と興味を示しません。当時の音楽の流行とジャズを演奏するバンドの間の、ギャップが描かれています。
歌詞の終わりでバンドのメンバーがマイクの前に立ち、閉店を告げた後、「私たちはサルタンズ…スウィングのサルタンでした!」と宣言します。
この「サルタン」という大げさな名前と、閑散としたパブで演奏するバンドの現実との対比が、曲の核心にある「皮肉(ironic critique)」となっています。しかし、この皮肉の中には、音楽への純粋な愛と献身を貫くミュージシャンたちへの共感と愛情が込められています。
マーク・ノップラー自身が商業主義や「シーン」と一線を画し、音楽と演奏そのものへの真摯な愛情を抱いていたからこそ、彼らに共感できたのかもしれません。
「悲しきサルタン」に関するQ&A
Q1: なぜ日本のタイトルは「悲しきサルタン」なの?
A1: 原題は「Sultans of Swing」で、「スウィングのサルタン」という意味です。日本のレコード会社が、この曲のメロディに「明るい」というよりも「暗い」「悲しい」印象を受けたため、「悲しきサルタン」という邦題をつけたと推測されます。しかし歌詞の背景を知ると、タイトルにはむしろ皮肉やユーモア、そして音楽への愛情が込められていることがわかります。
Q2: マーク・ノップラーのギターはなぜそんなに特別なの?
A2: 彼はピックを使わず、指で弦を弾くフィンガーピッキングのスタイルを確立しています。これにより独特の柔らかく、かつシャープな音色と、跳ねるようなグルーブ感を生み出しています。彼の演奏は技術をひけらかすものではなく、「音楽のため」「メロディを歌い上げる」ことに重きを置いており、そのセンスの良さと表現力が高く評価されています。
Q3: 歌詞の内容はネガティブなの?
A3: 歌詞は客の少ないパブで演奏する、あまり売れていないバンドの状況を描写しています。そのバンドが「スウィングのサルタン」と名乗ることにマーク・ノップラーの「すごい可笑しかった」という皮肉が含まれています。しかし、この皮肉はバンドへの軽蔑ではなく、むしろ音楽への純粋な情熱を持つミュージシャンたちへの共感と愛情の表れと解釈されます。
Q4: ダイアー・ストレイツはなぜ他の有名バンドほど話題にならないの?
A4: いくつかの理由が考えられます。一つは、マーク・ノップラーがバンドの宣伝やマーケティング、再結成ツアーなどにあまり興味を示さなかったことです。彼は演奏やレコーディング、作曲に集中し、大規模な名声よりも創造的な自由を重視しました。
彼らの音楽は「Dad Rock(親世代が聴くクラシックなロック)」と揶揄されることもあります。当時のシンセポップやヘアメタルといった流行のジャンルとは異なる落ち着いた「ルーツ・ロック」というスタイルが、一部の若い世代には響きにくいという見方です。しかし、その音楽のクオリティと時代を超越した魅力は、根強いファンから高い評価を受け続けています。
ダイアー・ストレイツ おすすめアルバム3選
ダイアー・ストレイツのアルバムはどれも聴き応えがありますが、特にこの3枚は必聴です。
『Dire Straits』(悲しきサルタン) (1978年) – 【決定盤・定番】
彼らのデビューアルバムであり、不朽の名曲「悲しきサルタン」を収録しています。マーク・ノップラーの独特なギターサウンドと、詩的な歌詞が織りなす世界観が凝縮された一枚です。
リリース当初は派手なチャートアクションには繋がりませんでしたが、その音楽性は高く評価され、世界中で1,500万枚を売り上げました。彼らの原点であり、その後の成功の礎を築いた作品です。
『Love Over Gold』(ラヴ・オーヴァー・ゴールド) (1982年) – 【異色盤・深掘りしたい人向け】
このアルバムは、彼らのキャリアにおいて重要な転換点となった作品です。より実験的で、長い曲が多く含まれています。特に14分を超える「Telegraph Road」は、マーク・ノップラーのギターが存分に堪能できる壮大な楽曲です。
音楽ジャーナリストの中にはこのアルバムを彼らの最高傑作と評する声も多く、「プログレッシブ・ロック」の要素も感じさせる、奥深い一枚です。
『Brothers in Arms』(ブラザーズ・イン・アームス) (1985年) – 【超定番・大ヒット作】
全世界で3,000万枚以上を売り上げた、ダイアー・ストレイツ最大のヒットアルバムです。先行シングル「Money for Nothing」はMTVの黎明期を象徴するヒット曲となり、スティングがゲストボーカルとして参加しています。
他にも「Walk of Life」やタイトル曲「Brothers in Arms」など、今日でも愛される名曲が多数収録されています。彼らが世界的なスーパースターとしての地位を確立した一枚です。
「悲しきサルタン」のカバー曲
The Ventures(ベンチャーズ)
アメリカの伝説的なエレキ・インストゥルメンタル・バンドです。彼らのカバーはヴォーカルなしで、ギター・サウンドのみで曲を表現しているのが大きな特徴です。エレキギターの独特な響きとリードギターの美しい旋律によって、原曲とはまた一味違った、メロディの良さが際立つインストゥルメンタル作品に仕上がっています。
Leo Moracchioli(Frog Leap Studios)
ノルウェーのミュージシャンで、あらゆるジャンルの楽曲をメタル・アレンジでカバーすることで有名です。彼の「悲しきサルタン」カバーは原曲の穏やかなロックンロールを、ヘヴィなギターリフ、強力なドラム、そして迫力のあるシャウトヴォーカルを駆使した、メタル・バージョンへと見事に変貌させています。
原曲のメロディを尊重しながらも、まったく異なるジャンルの曲として再構築している点が大きな魅力です。
まとめ(結論)
ダイアー・ストレイツの「悲しきサルタン」は、1970年代後半の音楽トレンドに逆行する形で登場しながらも、その卓越した音楽性と深い物語性で、世界中の聴衆を魅了しました。
マーク・ノップラーのピックを使わないフィンガーピッキングは、彼らのサウンドを唯一無二のものにし、歌詞に込められたパブでの実体験と、それに対する皮肉と愛情が、この曲に奥行きを与えています。
「悲しきサルタン」は商業的な成功や華やかさだけではない、音楽そのものへの純粋な情熱と献身の価値を教えてくれる楽曲です。時代が移り変わっても、その繊細でありながら力強いギターサウンドと心に響く歌詞は、これからも多くの人々に感動を与え続けることでしょう。もし、まだこの名曲を聴いたことがないなら、ぜひ一度耳を傾けてみてください。きっと、あなたもその魅力の虜になるはずです。
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