ジャズに「定形」は必要か?『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』が解き放った音楽の自由
ジャズは常に進化し続ける音楽ですが、時に「こうあるべきだ」という既成概念に縛られてしまうこともあります。コード進行や厳密なハーモニーから解放された先に、どんな音楽が広がるのか、想像したことはありますか?
今日ご紹介するのはその問いに鮮烈な答えを提示し、ジャズの歴史を大きく塗り替えたオーネット・コールマンの金字塔的アルバム『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』です。
このアルバムは、彼が提唱した「ハーモロディクス」という独自の音楽哲学と、ファンクや民族音楽の要素が見事に融合した、まさに革新的な作品です。この記事を読み終える頃には、ジャズの新しい楽しみ方を発見し、あなたの音楽観が大きく広がることでしょう。
初めて聴かれる方はこのアルバムが持つエネルギーと興奮を、経験者の方にはその深遠な音楽的意味合いと影響を、分かりやすく、深く掘り下げて解説していきます。さあ、オーネット・コールマンが切り開いた自由で踊れるジャズの世界へ、一緒に飛び込みましょう!
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』で味わうフリー・ファンクの魅力
オーネット・コールマンとは?ジャズの常識を覆したサックス奏者
まず、オーネット・コールマン(Ornette Coleman)について簡単にご紹介しましょう。彼は1930年、アメリカのテキサス州フォートワースに生まれたジャズ・サックス奏者です。
そのキャリアは既存のジャズのルールを打ち破り、新たな地平を切り開いた「フリー・ジャズの先駆者」として知られています。
アルトサックスの他にトランペットやヴァイオリンも演奏しました。彼の登場はジャズ界に大きな衝撃を与え、「ジャズ来るべきもの」(1959年)などの作品でその革新性を世に示しました。
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』:自由とグルーヴの融合
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』は、1977年にHorizon/A&Mレーベルからリリースされたアルバムです。この作品はオーネット・コールマンの音楽が70年代に入り、エレクトリック楽器を大胆に導入したことで、新たな方向性を示した記念碑的な一枚と言えます。
参加メンバーは以下の通りです。
オーネット・コールマン (Ornette Coleman) – アルト・サックス (as)、作曲、プロデューサー、作詞
バーン・ニックス (Bern Nix) – リード・ギター (1st) (g)
チャーリー・エラービー (Charlie Ellerbee) – リード・ギター (2nd) (g)
ルディ・マクダニエル (Rudy MacDaniel) – エレクトリック・ベース (el-b)。彼はジャマラディーン・タクマ (Jamalaadeen Tacuma) としても知られています。
ロナルド・シャノン・ジャクソン (Ronald Shannon Jackson) – ドラムス (ds)
ロバート・パーマー (Robert Palmer) – クラリネット (cl)
モロッコで録音された「ミッドナイト・サンライズ」には、ザ・マスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカ (The Master Musicians of Joujouka, Morocco) がフィーチャーされています。
このアルバムは1973年1月にモロッコのジャジューカ村、1976年12月にパリでそれぞれ録音され、1977年にリリースされました。
「Theme From A Symphony (Variation One)」と「Theme From A Symphony (Variation Two)」はパリでの録音に、そして「Midnight Sunrise」はモロッコでの録音に、上記のメンバーがそれぞれ参加しています。
フリー・ファンクとは?踊りたくなる新しいジャズの形
「フリー・ジャズ」と聞くと難解でとっつきにくいイメージを持つ人もいるかもしれません。しかしこのアルバムでオーネットが提示したのは、「フリー・ファンク」という全く新しい概念でした。
フリー・ファンクのポイント
グルーヴ重視のドラムとベース: 非常に単調でありながら、しっかりとしたリズムを刻むドラムと、ファンキーなベースラインが楽曲の土台を支えます。これにより、聴いていると自然と体が動いてしまうような、心地よいダンス・ビートが生まれます。
自由奔放なメロディ: オーネット・コールマンのサックスはコード進行の制約にとらわれず、時に「すっとんきょうな音」とも評される、自由なメロディを奏でます。
エレクトリック楽器の導入: 二本のリードギターとエレクトリックベースが加わり、サウンドに厚みとロックのようなエネルギーを与えています。
従来のジャズのような複雑なハーモニーではなく、開放的で「踊れる」感覚がこの音楽の大きな魅力です。ある人物は「なんか…プリンスっぽくないか?」と友人と笑い合ったそうです。そうしたエピソードからも、ダンスミュージックとしての側面がうかがえます。
ハーモロディクス:オーネット・コールマンの音楽哲学を紐解く
オーネット・コールマンの音楽を語る上で欠かせないのが、彼が提唱した「ハーモロディクス(Harmolodics)」という哲学です。
メロディ・ハーモニー・リズムの平等性: 従来の音楽がコード進行によって縛られていたのに対し、ハーモロディクスではメロディ、ハーモニー、リズムの全てが平等な関係にあると考えます。
メロディの独立性: 各楽器が互いに独立したメロディラインを自由に演奏することで、予期せぬハーモニーやテクスチャーが生まれます。
「感情」や「直感」を重視: 理論的な枠組みよりも、ミュージシャン一人ひとりの感情や直感に基づいた演奏を重視します。
この考え方により、オーネット・コールマンの音楽は既存の音楽理論では説明しきれないような、独創的で予測不可能なサウンドを生み出すことができたのです。一聴すると無秩序に聞こえるかもしれませんが、そこには独自の規律と論理が潜んでいます。
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』の聴きどころ
強烈なエネルギーの放出: 終始エネルギッシュで、当時のパンクバンドにも引けを取らないほどの衝撃と興奮が詰まっています。
モロッコの民族音楽との出会い: 収録曲「Midnight Sunrise」では、モロッコのマスター・ミュージシャンズ・オブ・ジャジューカとの共演が実現しています。彼らの伝統的な楽器とオーネットのアルトサックス、ロバート・パーマーのクラリネットが織りなすサウンドは、まさに東西の音楽が融合した異文化体験です。
自由奔放な即興演奏: 二本のギターとベース、ドラムが織りなす「プライム・タイム」の演奏は、まるで祭りの喧騒のような自由さと高揚感に満ちています。
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』がもたらした革命と深層
ジャズ-ロック/ジャズ-ファンク・フュージョンへの突破口
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』は評論家たちから「ロック-ジャズ・フュージョンの非常にファンキーなバージョン」や「ジャズ-ファンク・フュージョン・モード」と評され、オーネット・コールマンにとっての大きな突破口となりました。
このアルバムは、マイルス・デイヴィスが切り開いたジャズからファンクへの接近、ブラックネスへの回帰という一つの大きな流れの中で、オーネットが「エレクトリックなフリー・ファンク」を創造した作品と位置づけられます。
ジャジューカ村での出会い:ダンス音楽と自由の融合
「Midnight Sunrise」は、オーネット・コールマンが1973年1月にモロッコのジャジューカ村で、その地のマスター・ミュージシャンズと共に録音したものです。この旅は、ジャーナリストでクラリネット奏者のロバート・パーマーの勧めがきっかけでした。
ロバート・パーマーはジャジューカからの帰国後、コールマンの思いを明かしています。
「人生をずっと演奏に費やしてきたが、それは彼を大きく制約していた。あるいは自身の音楽を演奏してきて創造の自由は得たものの、リズム・アンド・ブルースを演奏して育った時に感じた観客との本能的な繋がりを、常に得られるわけではなかった」
「ジャジューカにおいて、ダンスミュージックとフリーは併立するのだと彼は悟った。そしてエレクトリックギターとダンスをベースにしたリズムを使えば、我々の文化でも同じことができると気づいたのだ」 オーネット・コールマンの発見(ロバート・パーマーの言葉より)
このジャジューカでの経験が、後の彼のバンド「プライム・タイム」におけるエレクトリック楽器の使用とダンスを基盤としたリズムの導入に大きな影響を与えたとされています。
ハーモロディクスの深層:「サウンド・グラマー」としての哲学
オーネット・コールマンが『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』のライナーノーツで記した言葉は、彼のハーモロディクス哲学の深層を垣間見せてくれます。
彼は、音楽が単なる音の構造だけでなく、社会的な地位、人種、ジェンダーといった側面にも関連すると考えていました。彼は「音のカースト制度」と表現し、音楽が人々の平等主義的な哲学を体現すべきだと主張しました。
「音自体は、無限のコミュニケーションの形態で使用される。音は男性でも女性でもないが、その世界的な使用は人間文化の秩序に基づいている」 「音楽家たちよ、『シーム・フロム・シンフォニー(交響曲の主題)』は、ハーモロディックと私が呼ぶ音楽概念によって作曲され編曲された。これは、リズム、ハーモニー、テンポの関係が平等で、メロディだけが独立している」オーネット・コールマンの言葉(『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』ライナーノーツより)】
ハーモロディクスは、音楽、言語、そして人間が創造するあらゆる種類の音に適応したアプローチとして、後に「サウンド・グラマー(Sound Grammar)」という新しい名で呼ばれるようになります。
これは彼の音楽が単なる演奏技術や理論を超え、より広範な人間社会のコミュニケーションと存在様式を表現しようとする試みであったことを示唆しています。
批評家たちの評価と時代を超えた影響
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』は、リリース当時から高い評価を受けました。日本の『ミュージック・マガジン』誌では、「50年のジャズ・アルバム・ベスト100(1969年〜2018年まで)」の第1位に輝くという歴史的快挙を成し遂げています。
「モロッコ人からフレーズを引き出し、それをバーベキューのリフに変えるという、コールマンの相互作用の妙技」批評家の視点(ハワード・マンデルの言葉より)
このアルバムの登場は、ジャズ界に広範な影響を与えました。意外なことにマイルス・デイヴィスでさえも、当初はオーネット・コールマンの音楽に批判的であったものの、1960年代後半のセカンド・グレート・クインテットや、その後の『ビッチェズ・ブリュー』以降の作品には、オーネットの影響が色濃く見られると指摘する声が少なからずあります。
これはコード進行の自由さや、よりオープンなハーモニー感覚といった要素に現れています。オーネット・コールマンの「反骨精神」と音楽の解放へのアプローチは、ジャズ全体に「自由」という思想をもたらしたのです。
コールマンの作曲技法の一端:「Peace」の多層的なフレーズ構造
オーネット・コールマンの compositional practices(作曲の実践)を理解するためには、彼の初期の作品も参照することが有効です。例えば1959年の楽曲「Peace」(『ジャズ来るべきもの』収録)は、「コールマン・テーマ」と呼ばれるスタイルで、いくつかの対照的なフレーズが組み合わされています。
セクション1: 4/4拍子で、ベースとパーカッションが強調するビバップスタイルのメロディ。
セクション2: リズムセクションなしのフリータイムで演奏されるメロディ。
セクション3: 全楽器が拍子通りに演奏。
セクション2bと3b: それぞれのセクションと同じ演奏方法で、半音下げてシーケンスされます。
セクション4: ウォーキングベースラインとドラムによる安定したタイムキープで演奏。
このように「Peace」は必ずしもルバートではないメロディを持ちながら、ビバップ型のフレーズ構造とリズムセクションによるタイム演奏を含んでおり、ニクラス・ウィルソンが提唱した「第三のカテゴリ」(組み合わせ)の定義に、課題を投げかける作品でもあります。
彼の作曲はこのような多様な要素を内包し、時に聴き手を戸惑わせるかもしれませんが、それこそが彼独自の音楽的論理と創造性の表れなのです。
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』を体験する!具体的な作品紹介
ここからは、今回のテーマである『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』を中心に、オーネット・コールマンの革新的な音楽をさらに深く楽しむための作品をご紹介します。
オーネット・コールマン『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』(1977年)
フリー・ファンクの誕生を告げた歴史的傑作。ジャズの枠を超え、ロックやファンクのリスナーにも衝撃を与えたこのアルバムは、オーネット・コールマンの音楽が新たな段階に進んだことを明確に示しています。特に「Theme From A Symphony」でのエネルギッシュな演奏と、「Midnight Sunrise」でのジャジューカ村のミュージシャンとの異文化交流は必聴です。
このアルバムは、その後のPrime Timeの活動の基礎となり、彼が提唱するハーモロディクス理論が、より身体的でグルーヴィーな表現として具現化された瞬間を捉えています。
オーネット・コールマン『ヴァージン・ビューティー』(1988年)
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』の延長線上にある、Prime Timeの進化形を示すアルバムです。この作品では、グレイトフル・デッドのジェリー・ガルシアが3曲でギターに参加しており、ロックとのさらなる接近を感じさせます。
収録曲「3 Wishes」は、軽快なダンス・ビートとアラビックなテーマが特徴的で、予測不能なブレイクが「マイナスG」効果のような浮遊感と多幸感をもたらします。リズムがしっかりしているため、フリー・ジャズに慣れていない方でも、そのユニークなサウンドを安心して楽しむことができるでしょう。
オーネット・コールマン『ジャズ来るべきもの』(1959年)
『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』がエレクトリックなフリー・ファンクの幕開けであるならば、この『ジャズ来るべきもの』は、オーネット・コールマンの初期の革新性を象徴するアルバムであり、彼がフリー・ジャズの概念を確立した最も重要な作品の一つです。
収録曲「Peace」は、ビバップ、フリータイム、ウォーキングベースなど、対照的な要素が巧みに組み合わされた「コールマン・テーマ」の好例であり、彼の作曲技法の多様性を理解する上で貴重な一曲です。このアルバムを聴くことで、『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』へと続く彼の音楽的探求の源流を感じ取ることができるでしょう。
あなたの頭の中で、音楽は自由に踊りだす
オーネット・コールマンの『ダンシング・イン・ユア・ヘッド』は、音楽の無限の可能性を私たちに示してくれる革新的な作品です。フリー・ファンクという概念を打ち出し、ハーモロディクスという独自の哲学に基づき、そしてモロッコの民族音楽との出会いを経て生まれたこのアルバムは、ジャズの歴史における重要な転換点となりました。
このアルバムが持つ強烈なエネルギーと自由奔放なグルーヴは、初心者の方にもきっと新しい音楽体験をもたらし、ジャズの奥深さを知るきっかけとなるでしょう。経験済みの方には、その深い音楽的背景と、オーネット・コールマンが社会や人間に向けたメッセージを感じ取っていただけたのではないでしょうか。
ぜひ実際にこのアルバムを聴いて、あなたの頭の中で音楽が自由に踊りだす感覚を体験してみてください。それはきっとあなたの音楽の世界を豊かにし、新しい発見へと導いてくれるはずです。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。あなたの音楽ライフが、さらに色鮮やかなものになることを願っています!
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