フェラ・クティとアフロビートの核心:ナイジェリアから世界を変えた音楽と闘いの物語

洋楽

アフロビートの父が音楽に込めた「自由への魂」

ナイジェリアが生んだ伝説のミュージシャン、フェラ・クティ(Fela Kuti, 1938-1997)。彼の音楽「アフロビート」は社会変革を求める力強いメッセージとなり、世界中の人々の心を揺さぶり続けてきました。
彼の音楽をまだ聴いたことがない人は多いでしょうし、知っている方なら「政治的音楽家」のイメージがあるかもしれません。しかし彼の人生と音楽は、現代を生きる私たちにとって重要な、多くの示唆が込められています。

この記事ではアフロビートの創始者であり、「ブラック・プレジデント」と称されたフェラ・クティの生涯、音楽、そして彼が残した遺産について掘り下げていきます。彼の不屈の精神と、時代を超えて響くそのサウンドの魅力に迫り、あなたの音楽の世界を広げるきっかけとなることを願っています。

フェラ・クティとは?アフロビート誕生の背景

フェラ・クティは1938年10月15日にナイジェリアのアベオクタで生まれ、1997年8月2日に58歳で亡くなりました。本名をオルフェラ・オルセグン・オルドトゥン・ランソメ=クティ(Olufela Olusegun Oludotun Ransome-Kuti)といいます。サクソフォーンやピアノをはじめとする複数の楽器を演奏するマルチミュージシャンであり、アフロビートの創始者として知られています。

彼の母親は著名なフェミニストで労働活動家のフンミラヨ・ランソメ=クティ、父親は学校校長でナイジェリア教師組合の初代会長だったレヴェレンド・イスラエル・オルドトゥン・ランソメ=クティです。両親はナイジェリアの反植民地運動で活発な役割を担っており、特に母親は1946年のアベオクタ女性暴動(市場いちばの女性に課せられた不当な価格統制と税金徴収に抵抗)を主導しました。こうした家庭環境は、フェラの後の活動に大きな影響を与えます。

フェラは1958年にロンドンのトリニティ音楽大学に留学し、トランペットを学びました。この時期にジャズやビッグバンドサウンドに触れるとともに、黒人差別に遭遇したことが、彼の音楽と思想の進化に繋がります。1960年代後半にアメリカを訪れた際、ファンクやジャズ、ソウルの影響を受け、自身の音楽スタイルを「アフロビート」と名付けました。

アフロビートは西アフリカの伝統音楽、ヨルバ族のポリリズム、ガーナのハイライフ、そしてアメリカのファンクやジャズを融合させた、ナイジェリア独自の音楽ジャンルです。力強いドラムやパーカッションを中心に、複雑なリズム、反復的なベースライン、印象的なホーンセクションが特徴です。彼の音楽はそのリズムだけでなく、政治的・社会的なメッセージでも世界中に知られています。

音楽で社会を変える:「ブラック・プレジデント」としての闘争

フェラ・クティは、音楽を通じてナイジェリア政府の腐敗や植民地支配の遺産、社会的不正義を強く批判しました。彼の歌はアフリカ全土で反体制的な思想の象徴となり、「ブラック・プレジデント(黒い大統領)」という異名で広く知られるようになりました。

彼の活動は、ナイジェリアの軍事政権から頻繁な弾圧を受けることになります。

「カラクタ共和国」の設立と襲撃

1970年、フェラは自宅を「カラクタ共和国」と命名し、軍事政権からの独立を宣言するコミューンを設立しました。「カラクタ」とは、フェラが収容されていた「カルカッタ」という名の独房を揶揄したものです。家族、バンドメンバーとの共同住宅で、無料の診療所とレコーディング施設を備えていました
「カラクタ共和国」は政府の標的となり、1977年には約1,000人の兵士による大規模な襲撃を受けます。
この襲撃で建物は放火され、住民全員が暴行を受け、フェラ自身もひどく殴られます。最も悲劇的だったのは77歳だった彼の母親が窓から投げ落とされ、その怪我が原因で翌年に亡くなったことです。

度重なる逮捕と表現の自由

フェラは公権力への批判的な姿勢から、生涯で200回以上もの逮捕を経験しました。しかしその度に、証拠不十分で釈放されています。
1974年の大麻所持容疑での逮捕の際には、警察が仕組んだマリファナを飲み込み、問題の「うんこ」は隠蔽するという荒業を演じ、告訴を免れました。自身の「高価なマリファナ」を、他の囚人の麻薬を含まない排泄物と交換していたのです。
このエピソードは、アルバム『Expensive Shit』のタイトルにもなっています。 彼はキリスト教の洗礼名「ランサム」を「奴隷名」と考え、1976年に「死を操れる者」を意味する「アニクラポ」に改名しました。

個人的なライフスタイルと批判

フェラのライフスタイルは、時に物議を醸します。
1978年には、彼のバンドメンバーだった27人の女性コーラスやダンサーたちと合同結婚式を挙げ、全員に「アニクラポ・クティ」という名前を与えています。マリファナ(彼が「ナイジェリアン・ナチュラル・グラス」と呼んだもの)の無制限な使用も公言していました。
ナイジェリア国内では、彼の音楽家・活動家としての功績を認めつつも、個人的なライフスタイル、特に女性に対する姿勢や薬物使用について複雑な感情を抱く人々が少なくありません。

彼の音楽はその社会批判的な歌詞だけでなく、独特な長尺の構成でも知られています。
フェラ・クティの曲は通常10分から15分、時には20分から30分にも及び、ライブでは45分に達することもあったといいます。曲の冒頭に10分から15分のインストゥルメンタル・ジャムセクションがあり、その後に彼の歌詞と歌唱による「メイン」パートが続くためです。
このような長さは、彼が一度収録した曲はライブで二度と演奏しないという傾向とも相まって、アフリカ外での彼の人気の普及を妨げた一因と考えられます。

フェラ・クティに関するよくある疑問と解説

Q1: アフロビートと「アフロビーツ(Afrobeats)」の違いは何ですか?

A: これは非常に重要な質問で混同されがちですが、両者は異なります。

アフロビート(Afrobeat): フェラ・クティが1960年代後半から1970年代にかけて確立した音楽ジャンルを指します。ジャズ、ファンク、ハイライフ、西アフリカの伝統リズムを融合させ、社会的・政治的メッセージを強く含んだ、長尺で即興性の高い音楽です。

アフロビーツ(Afrobeats): 近年世界的な人気を博している、ナイジェリアをはじめとするアフリカの現代ポップミュージックの総称です。これはフェラのアフロビートにルーツを持ちつつも、R&B、ヒップホップ、レゲトントラップなど多様な現代音楽の要素を取り入れて進化しており、より短い曲構成でダンスフロア向けに洗練されているのが特徴です。

Q2: フェラ・クティの音楽はなぜそこまで長いのですか?

A: フェラの楽曲が長いのは、主にその音楽的構造とメッセージ伝達の意図によるものです。
アフロビートは複数のパーカッションが絡み合う複雑なグルーヴ、反復されるベースライン、ホーンセクションによるリフ、そしてフェラ自身のサックスソロなどが特徴で、これらの要素が層をなして展開されます。
彼はメッセージを伝える前に、聴衆がリズムに「入る」ための長いインストゥルメンタルセクションを重視していました。聴く者に「体験」を提供するという、彼の哲学の一部です。

Q3: 彼の音楽はナイジェリアでどのように受け止められていましたか?

A: フェラの音楽は、ナイジェリア国民やアフリカ人一般に絶大な人気を博しました。彼の歌は、アフリカの人々の多くが共感できるような日常的な社会情勢や政府の不正、無能、窃盗、汚職を痛烈に非難し、恵まれない人々の代弁者となります。
率直な政治批判はナイジェリア政府を激怒させ、彼の音楽はナイジェリアのラジオ局で禁止されました。
また、彼の私生活や「キリスト教、イスラム教の破棄」といった主張は、宗教的な伝統を重んじる人々からは受け入れがたいものです。そのためナイジェリアにおける彼の評価は、偉大なアーティストであり活動家である一方で、物議を醸す人物という「愛憎関係」として語られることが多いようです。

必聴!フェラ・クティ推薦盤と影響を受けた音楽

フェラ・クティの作品は多岐にわたりますが、ここでは特に彼の魅力が凝縮された代表的なアルバムをご紹介します。彼の音楽を聴くことで、その時代の空気感やリズムの重みをリアルに体感できるでしょう。

『Zombie』(1976/1977)

アフロビートを象徴する一枚であり、最も国際的に知られた彼の代表作です。
ナイジェリア軍の兵士を「ゾンビ」に例え、無批判な服従を痛烈に批判した楽曲であり、この曲が1977年の「カラクタ共和国」襲撃の引き金の一つになったとされています。強烈なテンションと、グルーヴ感あふれるサウンドは必聴です。

Zombie o, zombie (zombie o, zombie) Zombie o, zombie (zombie o, zombie) Zombie no go go, unless you tell am to go (zombie) Zombie no go stop, unless you tell am to stop (zombie) Zombie no go turn, unless you tell am to turn (zombie) Zombie no go think, unless you tell am to think (zombie) Zombie o, zombie (zombie o, zombie) Zombie o, zombie (zombie o, zombie)

A joro, jara, joro No break, no job, no sense Go and kill (joro, jaro, joro) Go and die (joro, jaro, joro) Go and quench (joro, jaro, joro) Put ‘em for reverse (joro, jaro, joro)

Attention (zombie) Quick march (zombie) Slow march (zombie) Left turn (zombie) Right turn (zombie) About turn (zombie) Salute (zombie) Open your hat (zombie) Stand at ease (zombie) Fall in (zombie) Fall out (zombie) Fall down (zombie) Get ready (zombie) Dismiss

ゾンビよ、ゾンビ(ゾンビよ、ゾンビ) ゾンビよ、ゾンビ(ゾンビよ、ゾンビ) 言われなければ行かないゾンビ 言われなければ止まらないゾンビ 言われなければ曲がらないゾンビ 言われなければ考えないゾンビ ゾンビよ、ゾンビ(ゾンビよ、ゾンビ) ゾンビよ、ゾンビ(ゾンビよ、ゾンビ)

ジョロ、ジャラ、ジョロ 休まず、仕事も意味もない 殺しに行け(ジョロ、ジャロ、ジョロ) 死にに行け(ジョロ、ジャロ、ジョロ) 消しに行け(ジョロ、ジャロ、ジョロ) 逆にしろ(ジョロ、ジャロ、ジョロ)

気をつけ(ゾンビ) 早足で前へ(ゾンビ) ゆるやかに前へ(ゾンビ) 左向け左(ゾンビ) 右向け右(ゾンビ) 回れ右(ゾンビ) 敬礼(ゾンビ) 帽子を取れ(ゾンビ) 休め(ゾンビ) 整列(ゾンビ) 解散(ゾンビ) 倒れろ(ゾンビ) 準備しろ(ゾンビ) 解散!

『Expensive Shit』(1975)

フェラの抵抗精神が色濃く表れたアルバムです。
彼が警察にマリファナ所持で不当逮捕された際、マリファナを飲み込み、その後の便検査で無罪となったエピソードを歌っています。
ファンクとアフリカンリズムの絶妙な融合が特徴で、彼の抗議の精神を痛快に表現した作品として高い人気を誇ります。
このアルバムに収録されている「Water No Get Enemy」は特に人気の高い楽曲で、ジャズのような香りがすると評されています。

『No Agreement』(1977)

「カラクタ共和国」襲撃後の不屈の精神を宣言したアルバムです。
タイトル通り「妥協はしない。交渉もしない。未来永劫ずっと合意はない」と歌い、政府への一切の妥協を拒否するフェラの強い決意が込められています。
ジャズ界の巨匠レスター・ボウイ(アート・アンサンブル・オブ・シカゴ)がトランペットで参加しており、JB’sのようなギターリフと強烈なホーンセクションが特徴的です。

『Live! With Ginger Baker』(1971)

元クリームのドラマー、ジンジャー・ベイカーとのコラボレーションによるライブアルバムです。アフリカ音楽とロックの融合の先駆け的作品とされており、ジンジャー・ベイカーがアフリカのビートに傾倒していた時期にフェラのバンドと共演したものです。
スタジオ盤よりも録音が良く、トニー・アレンのドラムのグルーヴをより感じやすいとの評価もあります。

『Gentleman』(1973)

西洋に憧れる植民地根性を痛烈に批判した作品です。ジャケットにはスーツ姿の猿が描かれ、スーツを着て「ジェントルマン」気取りのエリートたちを容赦なく糾弾しています。
特に「アイ・ノー・ビー・ジェントルマン・アット・オール・オ、アイ・ビー・アフリカン・マン・オリジナル」という歌詞は有名で、フェラのアフリカ人としての誇りが伝わってきます。

フェラ・クティに影響を受けたアーティストやカバー曲

フェラ・クティは、その死後も多くのアーティストに影響を与え続けています。

2002年にエイズ問題に取り組むチャリティー団体Red Hotがリリースしたトリビュートアルバム『Red Hot + Riot (Fela Kuti Tribute)』にはシャーデー(Sade)、ディアンジェロ(D’angelo)、メイシー・グレイ(Macy Gray)、コモン(Common)、メシェル・ンデゲオチェロ(Meshell Ndegeocello)、マヌ・ディバンゴ(Manu Dibango)、ナイル・ロジャース(Nile Rogers)、アーチー・シェップ(Archie Shepp)など、ジャンルを超えた著名なアーティストが多数参加し、彼の楽曲をカバーしています。特にディアンジェロ、フェミ・クティ、メイシー・グレイによる「Water No Get Enemy」は、フェラの魂を受け継ぐ名演として知られています。

ヒップホップ界では、コモンの楽曲「Time Travelin (A Tribute to Fela)」がフェラにオマージュを捧げており、NASの「Warrior Song」ではフェラの「Na Poi」がサンプリングされています。

世界的ポップアイコンであるビヨンセの楽曲「Déjà vu」では、フェラの「Zombie」がサンプリングされています。

伝説的なロックミュージシャン、ポール・マッカートニーも、1970年代初頭にフェラのクラブ「アフリカン・シュライン」を訪れた際、「あまりにも素晴らしい音楽で、涙が出た。あれは人生で最高の音楽体験の一つだった」と語っています。

フェラのドラマーを務めたトニー・アレンは、アフロビートの共同創始者とも言える存在で、ソロ活動でも多くの作品を発表し、フェラの音楽性を引き継いでいます。

彼の息子たち、フェミ・クティ(Femi Kuti)とシェウン・クティ(Seun Kuti)も、父の遺志を受け継ぎ、現在のアフロビートシーンを牽引する重要な存在です。彼らは父のバンド「エジプト80」を引き継ぎ、伝統を守りつつも現代的なアプローチでアフロビートを進化させています。

まとめ:時代を超えて響くフェラ・クティの魂

フェラ・クティは、単なるミュージシャンではありませんでした。音楽を武器に腐敗した権力に立ち向かい、アフリカの誇りと自由を訴え続けた革命家であり、人間としての生のエネルギーと矛盾を抱えながらも、唯一無比の表現者でした。彼の音楽は聴く者の魂を揺さぶり、社会問題への意識を高める力を持っています。

今日、彼の音楽はジャンルを超えて多くのアーティストに影響を与え、その精神は「フェラブレーション」というフェスティバルで毎年祝われています。彼の遺したメッセージとサウンドは現代社会においてもなお、その妥協なき姿勢と普遍的なテーマによって、私たちに「自由であること」の大切さを問い続けます。

もしあなたがまだフェラ・クティの音楽に触れたことがないのなら、ぜひ今回紹介したアルバムから聴き始めてみてください。彼の強烈なグルーヴと魂のこもったメッセージは、きっとあなたの心に深く響き、新たな発見をもたらしてくれるでしょう。

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