深い歴史とメッセージの隠されたスタンダード
夏の気配が遠のく頃、ふと心に響いてくるメロディー。その一つが不朽の名曲「サマータイム」ではないでしょうか。ジャズの定番として知られるこの曲は、その誕生から今日に至るまで、驚くほど多様な顔を見せてきました。
聴き流すだけなら穏やかな子守唄のような「サマータイム」には、その背景に深い歴史とメッセージが隠されています。本記事ではなぜ、「サマータイム」がこれほどまで多くのアーティストに愛され、演奏され続けているのか、その魅力と奥深さを徹底解説します。
ジャズ初心者の方も、すでにこの曲のファンの方にも、新たな発見があるはずです。さあ、「サマータイム」が織りなす音楽の世界へ一緒に旅立ちましょう。
「サマータイム」とは? その誕生と背景
「サマータイム」のルーツは、アメリカの音楽史に深く刻まれています。
オペラ『ポーギーとベス』から生まれた名曲
「サマータイム」は、ジョージ・ガーシュウィンが1935年に作曲したオペラ『ポーギーとベス』の中のアリアとして誕生しました。このオペラは、1920年代初頭のアメリカ南部、サウスカロライナ州チャールストンにある貧しい黒人社会「キャットフィッシュ・ロウ(なまず横丁)」を舞台にした物語です。
劇中ではクララという若い母親が、生まれたばかりの赤ちゃんをあやす子守唄として歌われます。このオペラは当時のアメリカ社会において、登場人物のほとんどが黒人であるという点で画期的な作品でした。
ガーシュウィンの作曲意図と音楽的特徴
ガーシュウィンは、『ポーギーとベス』を作曲するにあたり、アフリカ系アメリカ人の民俗音楽、特にスピリチュアル(黒人霊歌)のスタイルを取り入れようとしました。彼は実際にデュボース・ヘイワードと共にチャールストンを訪れ、その地域の音楽的遺産を観察します。
その結果、「サマータイム」のメロディーはマイナーキー(短調)特有のどこか憂鬱でブルース調の雰囲気を持っています。音楽学者K.J.マックエルラスは、「フォークソングのように聞こえる」というガーシュウィンの意図が、「広範なペンタトニック・スケール(C-D-E-G-A)の使用」によって補強されていると述べています。ゆっくりとした和声進行も、「ブルース」を想起させます。
歌詞に込められた「皮肉」と「希望」
「サマータイム」の歌詞は、デュボース・ヘイワードとアイラ・ガーシュウィンの共作です。曲の冒頭の歌詞は、「夏になれば暮らしは楽になり、魚は跳ね、綿花は高く実る。パパは金持ちでママは美人だから、坊や、泣かないでおくれ」という、一見すると穏やかで希望に満ちた情景を描いています。
しかし、この歌詞の背後には1920年代のアメリカ南部に暮らす黒人たちの過酷な生活への皮肉が隠されています。彼らの生活は決して「楽」ではなく、綿花摘みは重労働であり、その収穫が必ずしも彼らの富に直結するわけではありませんでした。
オペラの中ではクララが嵐で亡くなった後、ベスによって再び歌われます。その際に歌詞の一部が変えられ、より悲壮な意味合いを帯びていきます。「いつの日か、ある朝に、あなたは立ち上がり歌うの。そして翼を広げて空へ羽ばたいてゆくのよ」という後半の歌詞は、苦しい現実からの「解放」や「より良い人生への希望」、あるいは「天国への旅立ち」を象徴しています。
著作権とパブリックドメインの経緯
「サマータイム」は長らく、ジョージ・ガーシュウィンの単独作品として認識されていましたが、その後の調査で彼の兄であるアイラ・ガーシュウィンとの共同著作物であることが判明しました。これにより日本における著作権保護期間も、ジョージの死後50年から、アイラの死後70年に合わせ2053年まで延長されています。このような著作権の経緯も、この曲が持つ複雑な背景の一部と言えるでしょう。
なぜ「サマータイム」はこれほど愛されるのか?
「サマータイム」はオペラのアリアという枠を超え、世界中で最も演奏される曲の一つとなりました。その理由はどこにあるのでしょうか。
ジャンルを超えた普遍的な魅力
「サマータイム」最大の特徴は、その驚くべき多様性です。ジャズはもちろんのこと、ブルース、ソウル、R&B、ポップス、ロック、レゲエ、トリップホップ、カントリーなど、あらゆるジャンルのアーティストによってカバーされてきました。DiscogsやJazz Discographyといったデータベースでは、数千から25,000を超えるカバー・バージョンが報告されています。
これは曲の持つ「メロディーとテーマの曖昧さ」に起因するとも言われています。Chichester大学のベン・ホール教授は、「その中心にある調性の曖昧さにより、『サマータイム』の演奏が終わると本能的に、次の演奏が始まるのを待ってしまう。解決されていないのだ」と述べています。この「未解決感」が無限の解釈とアレンジを可能にし、アーティストが自身の個性を注ぎ込むキャンバスとして機能しているのです。
ジャズ・スタンダードの「基本」としての地位
ジャズの世界において「サマータイム」は、「演奏したことのないプレイヤーはいないのではないか」と言われるほどの定番曲です。ジャズミュージシャンにとってこの曲は、基礎練習のようなものであり、10年間毎日演奏している人もいるほどです。
ジャズの演奏における基本的なルールとして、まずテーマを1コーラスか2コーラス演奏してからアドリブに入るというものがありますが、「サマータイム」もこの方式で演奏されます。これは何の曲を演奏しているかを最初に提示し、そのコード進行の上でアドリブを展開するという、ジャズ特有のスタイルに適しているためです。
演奏における「柔軟性」と「奥深さ」
「サマータイム」のコード進行は非常にシンプルに作られており、様々なアプローチが可能です。例えばキーはBマイナーが原曲ですが、AマイナーやCマイナーなど、様々なキーで演奏されます。
演奏者は、以下のように多様な方法でこの曲にアプローチできます。
マイナー・ペンタトニック・スケール
最もシンプルで、ブルージーな雰囲気を出すことができます。
ハーモニック・マイナー・スケール
部分転調に合わせて使用することで、よりジャズらしい響きを加えることができます。
アルペジオやテンション音
コードの響きを意識しながら、よりクールで洗練された演奏が可能です。
この柔軟性が、演奏者にとって尽きることのない探求の対象となり、「サマータイム」を常に新鮮な魅力を持つ曲たらしめているのです。
「サマータイム」カバー曲の世界:必聴の決定盤・異色盤
数千を超える「サマータイム」のカバーの中から、特に影響力があり、多様なスタイルを示すバージョンをいくつかご紹介します。
ビリー・ホリデイ (1936)
ショー初演のわずか1年後に録音されたこのバージョンは、ポップチャートに登場した最初の『サマータイム』で、その後の多くのカバーの先駆けとなりました。ビリーは、独特のフレージングとテンポの実験を凝らし、歌詞の個人的な意味合いと自身の波乱に満ちた人生を結びつけ、内なる情熱を込めて歌い上げています。そのボーカル・ジャズスタイルは当時の主流に沿いつつも、彼女の繊細なタイミングの使い方がこの曲を個人的なものにしています。
ジョン・コルトレーン (1960)
アルバム『マイ・フェイヴァリット・シングス』に収録されたコルトレーンのバージョンは、Dマイナーのキーで始まり、その最初の音から唯一無二の世界観を提示します。エルヴィン・ジョーンズの鋭いリズム、スティーブ・デイヴィスの推進力のあるベース、マッコイ・タイナーのシンコペートされた和音と相まって、ミニマルなモーダル・ハーモニーを基盤に、感情的な激しさを構築しています。コルトレーンがこの曲をテナーサックスで演奏したことは、当時としては意外性があり、タイトル曲のソプラノサックスよりも興味深い演奏と評されています。
ジャニス・ジョプリン (1968)
アルバム『チープ・スリル』に収録されたジャニス・ジョプリンのバージョンは、「シャウト系」と評されるパワフルなボーカルと、ブルース・ロックのスタイルが特徴です。彼女は歌詞、タイミング、テンポ、フレージングに大胆な変更を加え、特徴的なスキャットを駆使して、歌詞に驚くほどの感情的な力を与えました。このバージョンは、彼女自身の個人的な苦悩や社会的な抑圧への反発を反映しており、生き様と精神性を象徴する作品として語り継がれています。
エラ・フィッツジェラルド&ルイ・アームストロング (1957)
マイルス・デイヴィスとほぼ同時期に録音されたこのデュエットは、ルイ・アームストロングのトランペット、エラ・フィッツジェラルドのボーカル、そしてアームストロングのボーカルという3つの要素が見事に融合しています。ルイの表現力豊かなトランペットのメロディーがエラのソフトでスムーズなボーカルと対照をなし、彼の深く嗄れた声が曲をまとめ上げています。この演奏は、伝統的なジャズの解釈を超え、感情的な深層を表現しており、特にエラが子供への愛情を込めて歌う姿は、聴衆の心に深く響きます。
マイルス・デイヴィス (1958)
マイルス・デイヴィスが盟友ギル・エヴァンスと組んで制作したアルバム『ポーギー&ベス』に収録。マイルスはミュート・トランペットを使い、まるでむせび泣いているかのような演奏を聴かせます。原曲のメロディーラインを丁寧に生かしつつ、人間の声に近い音を意識的に吹いていて、その悲哀に満ちた響きが印象的です。控えめながら深みのあるオーケストラのサウンドも、マイルスを引き立てています。
「サマータイム」に関するQ&A
読者の皆さんが「サマータイム」について抱くかもしれない疑問にお答えします。
Q1: 「Fish are jumpin’ and the cotton is high」はどういう意味?
この歌詞は、「暮らしが楽になる」という夏の豊かな情景を描写していると考えられます。
Fish are jumpin’(魚が跳ねる):夏の水温が高い時期には、魚が水面で跳ねて酸素を取り込んだり、虫を捕まえたりすることが多くなります。これは魚がよく獲れる時期であり、食料が豊富であることを示唆しています。
Cotton is high(綿花が高く実る):綿花が健康に育ち、豊作になることを意味します。アメリカ南部で綿花は主要な換金作物であり、高く育った綿花は摘み取りが楽であるという労働者の視点も含まれている可能性があります。
しかし、綿花の収穫時期は一般的に9月から11月頃であり、夏の時期とは合致しないという指摘もあります。これについては作詞家が綿花の専門家でなかった可能性や、詩的な表現として「豊かさ」や「楽な暮らし」を象徴するために用いられたという見方が強いようです。
Q2: なぜ多くのジャズミュージシャンが演奏するの?
「サマータイム」がジャズミュージシャンに広く愛される理由は、いくつかあります。
シンプルな構造:曲の構成がシンプルであるため、様々なキーやテンポで演奏しやすく、アレンジやアドリブの自由度が高いのです。
ブルースフィーリング:メロディーにブルースの要素が強く、ジャズの根幹であるブルースの表現力を磨くのに適しています。
即興の余地:コード進行が明確でありながら、部分転調などによりスケールチェンジの機会も提供されるため、初心者から上級者まで、自分の知識と技術を試すのに最適な楽曲です。
伝統と革新の融合:ガーシュウィンがクラシックとジャズを融合させた先駆者であるため、この曲を演奏することはジャズの歴史と精神に触れることにもなります。
Q3: オペラから生まれた曲なのに、なぜジャズっぽい?
ガーシュウィンは『ポーギーとベス』を「アメリカのフォーク・オペラ」と評し、ジャズやブルース、スピリチュアルといった母国の音楽ジャンルの要素を積極的に取り入れています。彼はこの作品を通じて、アメリカの音楽文化を反映させることを意図しており、「サマータイム」はその象徴的な楽曲となりました。
「サマータイム」のメロディーが黒人霊歌「時には母のない子のように(Sometimes I Feel Like a Motherless Child)」に影響を受けたとされている点も、ジャズやブルースの雰囲気が色濃く感じられる理由の一つです。このようにクラシックの作曲家が当時の大衆音楽の要素を深く研究し、自身の作品に昇華させたことが、「サマータイム」がジャンルを超えて親しまれる基盤となっています。
Q4: 長崎との関係とは?
意外なことに「サマータイム」は、日本の長崎と深い関係があります。 1966年7月14日、ジャズの巨匠ジョン・コルトレーンが長崎を訪れました。彼はコンサート会場に行く前に自ら希望して浦上(原爆の爆心地)に直行し、献花を行っています。その日の公演の最後に、コルトレーンは「サマータイム」を演奏したのです。この出来事は彼の音楽に対する深い人間性と平和への祈りを示すものとして、多くの人々に記憶されています。
時代を超えて輝き続ける「サマータイム」
ジョージ・ガーシュウィンが生み出した「サマータイム」は、子守唄やオペラのアリアに留まらない、計り知れない普遍的な魅力を持った楽曲です。その美しいメロディー、奥深い歌詞、そしてジャンルや時代を超えて多様な解釈を受け入れる柔軟性が、多くのミュージシャンにインスピレーションを与え、25,000を超えるカバーバージョンが生み出される原動力となってきました。
ジャズの基礎であり、アドリブの練習台としても最適なこの曲は、演奏者の個性を最大限に引き出すキャンバスであり、聴く者にとってはその多様な表現から、新たな感動を受け続けています。
今回ご紹介した様々な「サマータイム」のバージョンを聴き比べてみたり、もし楽器を演奏されるなら、ぜひ自分なりの「サマータイム」に挑戦してみてください。この名曲はこれからも音楽の歴史の中で輝き続け、新たな「声」を待っていることでしょう。
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