米米CLUB。この名前を聞いて、あなたの脳裏にどんな光景が浮かびますか?
「君がいるだけで」や「浪漫飛行」の大ヒットはもちろん、その型破りなエンターテインメントで、日本の音楽シーンに鮮烈な足跡を残した彼ら。
40代から50代の皆さんにとって彼らは青春そのもの、あるいはいつもテレビの向こうで輝いていた、特別な存在だったのではないでしょうか。
1. 米米CLUB、音楽とエンタメの化学反応
1982年、カールスモーキー石井、ジェームス小野田、BONを中心に結成された米米CLUBは、1985年にメジャーデビュー。「I・CAN・BE」や「シャリ・ism」でシーンに登場した彼らは、すぐにその異彩を放ち始めます。
ダンサーチームのシュークリームシュ(MINAKOとMARI)や、ホーンセクションのBIG HORNS BEE(フラッシュ金子ら)を加えた大所帯でのステージは、まさに「ショー」。派手な衣装に凝った舞台演出、そして見るものを惹きつけるアートワークは、当時の音楽番組を席巻しました。
彼らの音楽はファンク、ニューウェーブ、ロック、ソウル、ラテン、ムード歌謡…ありとあらゆるジャンルを「ごった煮」にしたような、まさに唯一無二の世界。高い音楽スキルとセンスに裏打ちされたサウンドは、聴く人を魅了します。
しかし、デビュー当初はその奇抜な衣装やメイク、コントのようなMC、寸劇を交えたパフォーマンスから、「イロモノバンド」「コミックバンド」と見られることも少なくありませんでした。「音楽はすごいのに、なんであんな恰好してるんだろう?」なんて思った人が、いたかもしれませんね。
ボーカル、MCはもちろん、ほとんどの楽曲の作詞作曲、舞台セット、CDジャケット、衣装、メンバーのメイクまで、すべてをプロデュースしていたのはカールスモーキー石井。ジェームス小野田の強烈なビジュアルは米米CLUBの代名詞となり、そのアートワークは後のアーティストにも影響を与えるほどでした。
彼らは「何よりもライブが活動の中心」という意識を強く持ち、そのエンターテインメントショーはまさに唯一無二だったのです。
2. 「君がいるだけで」:メガヒットの光と影
1992年5月4日にリリースされた13枚目のシングル「君がいるだけで」。フジテレビ系ドラマ「素顔のままで」の主題歌に起用されるやいなや、瞬く間に社会現象を巻き起こしました。
累計売上はなんと289.5万枚。1992年に日本で最も売れた曲となり、日本の歴代シングル売上でも当時3位(現在6位)というモンスター級のヒットを記録。そして、同年の「日本レコード大賞」も受賞しました。
2.1. 楽曲の魅力と秘話
「素晴らしい」としか表現しようのないこのメロディ。特にAメロの「ありがちな罠に」とBメロの「巡り合った時の」の展開は、サビをさらに際立たせる「曲作りの見本のような曲」とまで言われています。
カールスモーキー石井はこの名曲をわずか30分で作り上げたと言いますから、その才能にはただただ驚くばかりです。
ちなみにボーカルパートはコーラスも含め石井が一人で担当し、他のメンバーはレコーディングに参加していなかったというのも有名な話です。
2.2. ヒットがもたらした変化と葛藤
「君がいるだけで」の大ヒットによって、米米CLUBはそれまでの「アングラな雰囲気を持った怪しいバンド」から、一躍「日本を代表するJ-POPバンド」へとその立ち位置を変えました。
この変化についてカールスモーキー石井は「売れすぎた曲」と語り、手放しで喜んでいなかった様子が伺えます。バンド内では「売れ線」の商業的な楽曲を制作することに対する葛藤があったそうです。
ライブでは定番曲となったものの、カールスモーキー石井がテレビ番組でこの曲と「浪漫飛行」ばかり歌うことについて、「新曲やらせてくれ」とこぼすこともあった、などというエピソードも。
ファンの間でも、このヒット曲への思いは様々でした。「テレビで散々聴いてきたし、もうライブでやらなくてもいいのでは」と感じた人もいたでしょう。
あるファンが「(君いるは)先5年くらいはやらなくていい」というツイートを見つけて、思わず笑ってしまったという話も頷けます。
しかしライブでのカールスモーキー石井の歌唱力は、「高低差が激しい難易度の高い曲を、還暦過ぎても軽々と歌ってうっとりと聴かせてしまう。やはりただの司会者(演芸担当)の器ではない」と絶賛されています。
この曲がきっかけで米米CLUBに出会い、自分の中で大切な曲となったお笑い芸人・友田オレさんのように、「ど真ん中の曲を恥じずに言えちゃうあたりも、もしかしたら米米CLUBからの影響なのかも」と語るファンもいます。それほどまでにこの曲は、多くの人の心に深く刻まれたのです。
3. 「浪漫飛行」:もう一つの国民的アンセム
「浪漫飛行」は1990年4月8日にリリースされた、米米CLUBの10枚目のシングルです。こちらも170万枚を売り上げ、1990年の日本で2番目に売れた曲となりました(ちなみに1位は「おどるポンポコリン」)。
実はこの曲、元々は1987年に発売された3rdアルバム『KOMEGUNY』に収録されていた楽曲。シングルカットされたのは、初出から3年後だったのです。
3.1. 制作背景と社会現象
この曲は制作当時から、「航空会社のCMソングとしてオファーが来ないか」狙って作られたと、カールスモーキー石井が語っています。その狙いは見事に的中、1990年にはJALの沖縄旅行キャンペーン「JAL STORY 夏離宮キャンペーン」のCMソングに起用され、メンバー本人もCMに出演しました。「聴くだけで旅行に行きたくなるような、テンションの上がる曲」として、多くの人の旅心を刺激します。
レコーディングはドラムパートを除いて、ほぼカールスモーキー石井とプロデューサーの中崎英也だけで行われ、ボーカル・パートはコーラスも含め石井が全て一人で担当したというから驚きです。
オリジナルアルバム版にはギタリストのCharも参加し、サビ後の「Wow Wow」のフレーズはCharによって生まれたというエピソードも。
3.2. バンド内の葛藤とトリビュートアルバム
「浪漫飛行」をシングルとして発表することについては、メンバーのほとんどが反対だったとされています。その理由はこの曲が「売れ線」であり、「商業的音楽」であるというもの。
これはバンドが当初目指していた「楽しいことだけをやっていく」というスタンスと、国民的バンドとして「ヒット曲を最優先する」状況との間に、「大きな溝」があることを物語っています。
しかしこの曲のヒットにより、米米CLUBは「マニアックなキワモノ・バンド」から「Jポップの代表バンド」へと一気に変化していったのです。
2023年にはジャンルや世代を超えた様々なアーティストが、「浪漫飛行」をカバーしたトリビュートアルバム「浪漫飛行 トリビュートアルバム」をリリースします。
Anly、きいやま商店のリョーサ、ゴスペラーズの村上てつや、中川翔子、フィロソフィーのダンス、めいちゃん、レイザーラモンRG、宝鐘マリンといった個性豊かな面々が参加し、改めてこの曲が世代を超えて愛され続ける国民的アンセムであることを証明しました。
4. その他の主要楽曲:多様なジャンルとメッセージ
「君がいるだけで」や「浪漫飛行」以外にも、米米CLUBは数多くのヒット曲と個性的な楽曲を生み出してきました。
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Shake Hip!:デビュー直後の2ndシングル。ライブでは観客が一体となって踊るノリの良いダンサブルな曲で、サカナクションの山口一郎も自身の曲「新宝島」がこの曲に似ていると認めています。RCサクセションの「雨あがりの夜空に」の観客の反応に触発されて制作されたという逸話も。
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ア・ブラ・カタ・ブラ:イントロからサビまで展開が目まぐるしく変わり、インド調や「ワイルドでいこう!」風の要素も取り入れられた楽しい曲。カラオケで全力で歌ってしまうほどテンションが上がる爽快感があります。
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KOME KOME WAR:ファンクで非常に演奏が上手く、ギターが「鬼のようにカッコいい」曲。歌詞は「最高に適当」ながら、テンポとノリが非常にクールで、当時(1988年)としては「メチャクチャアヴァンギャルド」だったと評されています。
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FUNK FUJIYAMA:1989年にオリコン2位を記録したファンク曲。海外から見た日本をリスペクトしつつも、どこか舐めているような歌詞が秀逸とされています。
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愛はふしぎさ:シンプルながら深いラブソング。小学4年生の頃にリリースされ、印象に残っているというファンの声があるほど、長く愛されています。
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コドモナオトナ:2017年のアルバムに収録された楽曲で、ラップが取り入れられ、豪華なホーンセクションのサウンドが昔からの彼ららしさを感じさせます。
彼らは、ポップで大衆的なヒット曲だけでなく、「ソーリー曲」(謝ったら何でもありのおふざけ/キワモノ系楽曲。元々は「ウンコ曲」や「企画物曲」と呼ばれていた)と呼ばれるマイナーでディープな楽曲も多数発表していました。その振り幅の広さも、米米CLUBの魅力の一つだったのです。
5. 米米CLUBのライブパフォーマンスの真髄
米米CLUBが何よりも大切にしていたのは、「ライブ」。彼らのエンターテインメントショーは、まさに唯一無二と評されています。
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ショーへの徹底したこだわり: 多くのコンサートで2パターンないし3パターンの演出を準備し、セット、衣装、曲目もすべて異なるものを日替わりで行うなど、そのこだわりは徹底しています。リハーサルも本番と寸分違わず行っていたというから、プロ意識の高さが伺えます。
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観客を巻き込むパフォーマンス: カールスモーキー石井を筆頭とするメンバーは、観客をショーに巻き込む手腕も一流です。ダンサーチームのシュークリームシュの振り付けを真似て観客が一緒に踊るのは定番となり、「Shake Hip!」などでは会場全体がダンスフロアのような一体感に包まれました。
初めて米米CLUBのライブに参加したファンが、アリーナ席のペンライトの動きが「喜び組のように揃った動き」と評されるほど美しく、その一体感に感動して涙が出たという話も。「ファンはギャラの出ないメンバー」という言葉の意味をライブで実感したそうです。 -
MCと寸劇: カールスモーキー石井のトークやメンバーによるミニコーナー、コントのような掛け合いもライブの大きな魅力で、観客を笑わせ、楽しませてくれます。ジェームス小野田の登場の仕方も、一種の儀式としてファンに楽しまれていました。
初期の頃、カールスモーキー石井がジェームス小野田のメイクをすべて行っていたというのは、BONが明かした秘話です。 -
高い演奏技術と音楽性: 「イロモノ」と見られがちでしたが、彼らの真骨頂は高い音楽スキルと卓越したセンスにありました。ギター、ベース、ホーン(BIG HORNS BEE)の演奏は非常に高いクオリティを誇り、「FUNK FUJIYAMA」のようなファンクで攻めた曲がチャートでも愛されました。ライブに何度か通っていれば、どんな曲でもすぐに踊れるようになる、という声も納得です。
6. 解散と再結成、そして現在
米米CLUBは1997年の東京ドーム公演を最後に、一度解散します。解散の背景には石井竜也(カールスモーキー石井)監督の映画「ACRI」の興行失敗による多額の負債や、国民的バンドとしての人気獲得に伴い、自分たちの思い描いていた音楽性が犠牲になり、ヒット曲制作が最優先されるようになったことへのメンバーの葛藤があったとされています。
解散前にメンバー2人が脱退し、そこに「何かが違う」違和感があったとジェームス小野田は語っています。
しかし、長年の親交があるCharの50歳バースデーパーティでのサプライズ演奏をきっかけに、「もうひと弾けしたい」というメンバーの気持ちが高まり、2006年にオリジナルメンバーで再結成を果たしました。
当初は期間限定の予定でしたがメンバーの意向で撤回され、現在も積極的にリリースやライブ活動を続けています。再結成後、2007年には11年ぶりにNHK紅白歌合戦にも出場し、多くのファンを沸かせました。
そして2025年にはデビュー40周年を迎え、記念のファンベストボックスCD『愛米 〜FANtachy selection〜』の発売が2025年10月22日に決定しています。
さらに「米米大興行 人情紙吹雪 〜踊ってやっておくんなさい〜」と題したツアーも2025年9月から10月にかけて開催予定。まだまだ彼らの活動から目が離せません。
メンバー個々人も、それぞれの音楽活動を続けています。
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フラッシュ金子:難病である局所性ジストニアによりサックスが吹けなくなった時期がありましたが、キーボードを中心に活動し、NHKの歌番組「うたコン」の指揮者も務めていました。最近では20年ぶりにサックスを吹いたジャズコンサートも開催するなど、精力的に活動しています。
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BON:かつて代官山でダイニングカフェやたらこパスタ専門店を経営していましたが、現在は閉店。「トカト」というバンドでベースを弾いています。
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ジェームス小野田:自身の音楽プロジェクト「J.O.PROJECT」を結成し、米米CLUBの楽曲をカバーすることもあります。二級建築士や宅地建物取引士の資格も取得しているという、意外な一面も。
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MINAKOとMARI:フラッシュ金子とともに音楽ユニット「シューク・フラッシュ」を結成し、ツアーを行っています。MINAKOはカールスモーキー石井の実妹であり、フラッシュ金子の妻でもあります。
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ジョプリン得能:1995年に音楽性の違いから脱退しましたが、2006年に再加入。現在は音楽プロデューサーとして活躍しています。
7. 音楽界の「万華鏡」としての米米CLUB
米米CLUBは「J-POPの王道」の顔と「変態ファンクバンド」の顔の両面を持ちながら、これほどまでチャートで愛された稀有なバンドです。
懐かしさと新鮮さ、真面目さとふざけ具合が絶妙なバランスで共存する、音楽界の「万華鏡」のような存在です。見る角度や光の当て方によって、無限に異なる魅力的な表情を見せてくれます。
あなたが見つめる米米CLUBのステージは、どんな色に映えていますか?
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