アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』は、その強烈な印象と「おどろおどろしさ」で知られる20世紀オペラの傑作です。この作品が持つ独特の不気味さは、主人公の内面描写、革新的な音楽語法、そして社会的なテーマの深く関連し合うことによって生み出されています。
作品概要
アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』は、貧困と社会の不条理によって精神的に追い込まれていく一兵士の悲劇を描いた、20世紀オペラの傑作です。本作は、ゲオルク・ビューヒナーによる未完の戯曲『ヴォイツェック』に基づいており、1821年に実際に起きた殺人事件がもとになっています。
主要登場人物
ヴォツェック(バリトン):床屋上がりの兵士。貧しく精神的に不安定な主人公。
マリー(ソプラノ):ヴォツェックの内縁の妻で、一人息子がいる。鼓手長と不貞を働く。
大尉(テノール):ヴォツェックの上官で、彼を愚弄する。
医者(バス):ヴォツェックを人体実験の対象とする。
鼓手長(テノール):マリーの愛人。
アンドレス(テノール):ヴォツェックの同僚兵士。
マルグレート(アルト):マリーの隣人。
マリーの息子:ヴォツェックとマリーの子供。
このオペラは、登場人物に対する共感しにくさや愛や欲望よりも貧困を主題としている点で、伝統的なイタリアオペラなどと決定的に異なります。基本的に無調音楽として書かれつつも、古典的な音楽形式や調性的な要素も取り入れられ、登場人物の心理状態や場面の雰囲気が巧みに表現されています。
あらすじ
『ヴォツェック』は全3幕構成で、各幕はさらに複数の場に分かれています。
第1幕:社会に追い詰められるヴォツェック
第1場(大尉の部屋)
大尉の部屋で、ヴォツェックが上官である大尉の髭を剃っています。大尉は時間ばかりかかって全然仕事が進まないヴォツェックに小言を言い続けます。彼は規律や秩序といった抽象的な概念を振りかざし、ヴォツェックをからかいます。
大尉はヴォツェックに「道徳観念がない」と非難し、彼が婚外子(マリーとの間にできた子ども)を持っていることを持ち出して嘲笑します。
ヴォツェックは、大尉の言葉に反論します。彼は貧しい人間がどうして道徳的になどなれるのかと問いかけます。「私たち貧乏人には道徳というものはありません。お金がなければ道徳だって持てないんですよ!」と訴えるヴォツェックの言葉は、このオペラの核心的なテーマの一つです。貧困が人間の尊厳を奪い、選択の自由を奪うという厳しい現実を突きつけます。
大尉はヴォツェックの言葉に動揺し、不機嫌な様子を見せますが、すぐにいつもの尊大な態度に戻ります。彼はヴォツェックに「急いで帰れ!」と命令し、ヴォツェックを部屋から追い出します。
この場面は大尉という権力者と、社会の底辺で生きるヴォツェックという対照的な人物の関係を通して、社会の不平等とヴォツェックの苦悩の根源を描き出しています。大尉の言葉は、ヴォツェックをさらに精神的に追い詰めることになります。
第2場(郊外の野原)
ヴォツェックは同僚のアンドレスと一緒に、郊外の野原で薪を集めています。空は不気味な夕焼けに染まり、暗闇が迫る中、ヴォツェックは「空が燃えているようだ」と語り、不安に苛まれます。
彼は奇妙な音が聞こえると言い、まるで地面の下で何かがうごめいているかのように感じています。そして、フリーメイソンの秘密結社が地下に隠されているという妄想にとらわれます。さらに、耳に幻聴が聞こえ、遠くから太鼓の音が聞こえてくると言い出します。
アンドレスはヴォツェックの異常な言動を気にかけず、彼をなだめようとします。アンドレスは美しい夕焼けを眺めながら歌を歌い、ヴォツェックの不安を和らげようとしますが、彼の言葉はヴォツェックには届きません。
ヴォツェックの幻覚はさらに強まり、彼はますますパニックに陥ります。そして彼の目の前に、首のない人間の頭が転がっているかのような幻覚を見ます。アンドレスはヴォツェックの常軌を逸した様子を怖がり、彼を無理やりその場から連れ出そうとします。
この場面は、大尉からの精神的な抑圧と貧困生活のストレスが、ヴォツェックの精神に深刻な影響を与え始めていることを示しています。彼の内面の不安が幻覚や妄想という形で具体化し、彼の悲劇的な運命を予感させる重要なシーンとなっています。
第3場(マリーの部屋)
マリーが部屋で息子を抱き、楽しそうに兵隊の行進を見ています。その視線は行進を率いる軍曹に釘付けになります。軍曹の力強い姿とマリーが身につけている貧しい衣装との対比が、彼女の満たされない欲求を暗示しています。
ヴォツェックが部屋にやってきます。彼はマリーに、今見たばかりの恐ろしい幻覚について語り始めます。ヴォツェックの言葉は支離滅裂で、彼が精神的に不安定な状態にあることを示しています。彼は大尉との会話で得たわずかな賃金をマリーに手渡しますが、マリーは彼の奇妙な言動に戸惑いを隠せません。
ヴォツェックはマリーに愛情を注ぎ、息子を抱きしめますが、彼の心はすでに狂気に蝕まれ始めています。彼はマリーの部屋を足早に立ち去り、一人になったマリーは溜息をつきます。
この場面は、マリーの心がすでに軍曹に向かっていること、そしてヴォツェックの心の闇が深まり、二人の関係が破綻に向かっていることを示唆しています。彼らの愛情は貧困と精神的な苦悩によって引き裂かれ、やがて悲劇的な結末へと進んでいきます。
第4場(医者の研究室)
ヴォツェックは医者の研究室にいます。医者はヴォツェックを人体実験の被験者として扱っており、彼が3ヶ月間、豌豆(えんどう豆)だけを食べるという実験をさせています。医者はこの実験によってヴォツェックの身体にどのような影響が出るのかを、冷酷な科学的関心を持って観察しています。
医者はヴォツェックの脈を取り、彼の身体を調べながら「自然」や「哲学」といった言葉を使って、彼をまるで実験動物のように扱います。ヴォツェックは医者の言葉に反論しようとしますが、医者は彼の言葉を全く聞き入れません。
ヴォツェックは、人間には自由意志があること、そして実験によって彼の精神が不安定になっていることを訴えます。しかし医者は、ヴォツェックの苦悩を「哲学的な好奇心」の対象としてしか見ておらず、彼が「奇妙な妄想」を口にすることを実験の「成果」として喜ぶ始末です。
この場面は、ヴォツェックが権力者(大尉)だけでなく、知識人(医者)からも搾取されていることを示しています。医者の倫理観の欠如とヴォツェックの人間性の否定は、彼の悲劇をさらに深いものにしています。そして医者という権威もまた、ヴォツェックを追い詰める社会の不条理な構造の一部であることが明らかになります。
第5場(マリーの家の前の通り)
マリーの家の前の通りに、軍曹と鼓手長が通りかかります。マリーは家の窓から彼らを見ています。鼓手長はマリーの美しさに見とれ、彼女に積極的に声をかけ、口説き始めます。
最初は抵抗する素振りを見せるマリーでしたが、鼓手長の力強く自信に満ちた態度と、彼が身につけている装飾品に心惹かれます。彼はマリーを「火のような唇」と称賛し、彼女を抱き寄せます。
マリーは貧しいヴォツェックとの生活に満たされないものを感じており、鼓手長の誘惑に抗いきれません。最終的に彼女は鼓手長を受け入れ、二人は連れ立って家の中に入っていきます。
この場面はマリーの心がヴォツェックから離れ、鼓手長へと向かっていることを明確に示しています。ヴォツェックが貧困と精神的な苦悩に苛まれている一方で、マリーは一時的な快楽と物質的な豊かさを求めて彼を裏切ります。この不貞行為はヴォツェックの精神的な崩壊を決定的なものとし、物語を悲劇的な結末へと向かわせる引き金となります。
第2幕:深まる疑念と狂気
第1場(マリーの部屋)
朝、マリーは息子をあやしながら、鏡の前で身なりを整えています。彼女は鼓手長からプレゼントされたイヤリングを耳につけ、うっとりとした様子で自分を眺めています。
ヴォツェックが部屋にやってきます。彼はマリーの耳元に輝くイヤリングに気づき、不審に思います。彼はマリーに「そのイヤリングは誰にもらったんだ?」と問い詰めます。
マリーはしどろもどろになり、「道で見つけたのよ」と嘘をつきます。ヴォツェックは彼女の言葉を信じず、怒りを露わにします。彼はまたもやわずかな金しか得られなかったことを嘆き、マリーが自分を裏切っていると確信します。
ヴォツェックはマリーの裏切りに対する怒りと、自分自身の貧しさへの絶望から彼女を責め立てます。マリーはヴォツェックを突き放し、彼に「出ていって!」と叫びます。
この場面はヴォツェックがマリーの不貞を確信し、二人の関係が決定的に破綻する様子を描いています。彼の精神的な苦悩はもはや抑えきれないものとなり、悲劇的な結末への道筋が固められていきます。
第2場(町の通り)
町の通りで、医者と大尉が楽しげに散歩をしています。そこへヴォツェックが、足早に通りかかります。
医者と大尉はヴォツェックを呼び止め、彼をからかい始めます。医者はヴォツェックの脈が速いことを指摘し、「精神錯乱」の兆候だと言い立てます。彼はヴォツェックが実験のルールを破ったのではないかと疑い、彼の精神状態を嘲笑の対象とします。
大尉も加わり、二人は「道徳」や「永遠」といった言葉を使って、ヴォツェックをさらに追い詰めます。彼らはヴォツェックの貧しい生活や、彼の精神的な苦悩を理解しようとはせず、ただ自分たちの優位性を誇示するかのようにからかい続けます。
ヴォツェックは彼らの言葉に耐え切れず、自らの苦悩を訴えようとします。しかし、彼の言葉は嘲笑され、誰にも真剣に受け止められません。彼は社会の不条理と権力者の冷酷さに絶望し、何も言えなくなってしまいます。
この場面はヴォツェックがどれほど社会的に孤立し、搾取されているかを改めて示しています。ヴォツェックを精神的に追い詰める医者と大尉の言葉は、やがて彼の心の破滅を決定づけることになります。
第3場(マリーの家の前)
マリーが家の前で、鼓手長に口説かれています。ヴォツェックは二人の様子を物陰から隠れて見ています。
鼓手長はマリーの心を完全に掴み、彼女を抱き寄せます。マリーは鼓手長の堂々とした姿と、彼の肉体的な魅力に抗うことができません。二人が愛を交わす様子を、ヴォツェックは絶望的な気持ちで見つめています。
ヴォツェックの心は怒り、嫉妬、そして悲しみで満たされます。彼は自分を裏切ったマリーと、彼女を奪った鼓手長に対する復讐を誓います。
この場面は、ヴォツェックの悲劇的な運命が決定付けられる瞬間です。彼はマリーの不貞を目撃し、その衝撃から精神的なバランスを完全に失います。それまで内面で苦しんでいた彼の苦悩は、ついに具体的な行動へと向かい始めます。この後ヴォツェックは、悲劇的な結末へと突き進んでいくことになります。
第4場(酒場の庭)
酒場の庭で、人々が楽しげに踊っています。ヴォツェックは、踊りの輪の中にいるマリーと鼓手長の姿を見つけ、絶望と怒りに打ち震えます。
泥酔した職人たちが歌ったり騒いだりしている中、一人の職人が酔った勢いで説教を始めます。しかし、彼の言葉は次第に支離滅裂になり、人々の嘲笑を浴びます。
ヴォツェックはマリーと鼓手長に近づき、彼らが愛し合っている姿を見て激しく動揺します。ヴォツェックの前に老人が現れて、「血がにおう」と不気味な歌を歌い始め、彼の罪悪感と狂気を煽ります。
その後、鼓手長はヴォツェックに絡み、彼の目の前でマリーと踊ります。ヴォツェックはこの屈辱的な光景に耐えられず、鼓手長に殴りかかろうとしますが、逆に彼に打ちのめされてしまいます。
この場面はヴォツェックがマリーの不貞を公衆の面前で確認し、さらに鼓手長に殴られるという、二重の屈辱を味わう様子を描いています。彼のプライドは完全に打ち砕かれ、復讐への思いは決定的なものとなります。この出来事がヴォツェックの心の破滅を決定づけ、物語は悲劇的な結末へと突き進んでいきます。
第5場(兵営の衛兵室)
夜、兵営の衛兵室。ヴォツェックは同僚のアンドレスと共にベッドに横たわっていますが、眠ることができません。
第4場で鼓手長に殴られた屈辱を思い返し、苦悩にうなされています。彼の心は怒りと復讐心に満ちていて、幻聴を聞き、奇妙な歌を口ずさみます。アンドレスはヴォツェックの異常な様子を気にかけず、ただ眠ろうとします。
ヴォツェックは幻覚の中で、鼓手長に殴られたことやマリーの不貞を思い返し、苦しみます。頭の中はすべての出来事が混沌としたまま、断片的に繰り返されます。彼は眠ることができず、ただひたすら苦悩に苛まれます。
この場面は、ヴォツェックが精神的に完全に追い詰められ、彼の内面が崩壊していく様子を、音楽の不協和音と無調の響きによって描いています。この後、彼はついにマリーの殺害を決意し、物語は悲劇的な結末へと向かっていきます。
第3幕:破滅と残された悲劇
第1場(マリーの部屋)
夜、マリーは自分の部屋で一人、ベッドのそばに座っています。彼女は聖書を読みながら自分の犯した罪、特に軍曹との関係について深く悔いています。彼女は、聖書の記述を読み進めるうちに、姦淫の罪を犯した女性(マグダラのマリア)の物語に自らを重ね合わせ、許しを請います。
彼女の罪悪感と苦悩は頂点に達し、神に赦しを求め、自分を憐れんでくれるよう懇願します。
その様子を、彼女の息子が静かに見つめています。彼女は息子に「父さんがいないのは嫌だね」と言い、そして聖書を閉じて部屋を後にします。
この場面は、マリーの内面的な葛藤と後悔を深く掘り下げたもので、それまで軽薄に見えた彼女が実は自らの罪に苦しみ、許しを求めていたことが明らかにされます。しかし、彼女の懺悔は手遅れであり、この後ヴォツェックによって命を奪われるという悲劇的な運命が待っています。
第2場(池のほとりの小道)
マリーはヴォツェックの不穏な様子に気づき、不安を感じながらも彼の隣に座ります。ヴォツェックは自分を裏切ったマリーを前にして、彼の胸にたまった怒り、嫉妬、絶望を静かに、しかし激しい言葉でぶつけます。彼は、自分がいかに社会の底辺で苦しみ搾取されてきたか、彼女の裏切りがその苦しみにさらなる痛みを加えたかを語ります。
マリーはヴォツェックをなだめようとしますが、彼の狂気はすでに臨界点に達していました。月が赤く不気味な光を放つ中、ヴォツェックは「誰もいない、俺たち二人だけだ」とつぶやき、隠し持っていたナイフを取り出します。
ヴォツェックはマリーの喉を突き刺します。マリーは悲鳴を上げて倒れ、そのまま息絶えます。ヴォツェックは殺害したマリーの死体をその場に残し、その場を立ち去ります。
この場面は、愛する者を殺害するヴォツェックの絶望と狂気から生まれた行動が、音楽の強烈な緊張感と不協和音によって描かれています。それは単なる暴力ではなく、社会と個人の関係の中で追い詰められた人間の究極の悲劇として表現されています。
第3場(居酒屋)
ヴォツェックはマリーを殺害した後、居酒屋に現れます。彼は酒を飲み、狂ったように踊りながら歌います。彼の手と肘には、殺人の際に付着した血が付いています。
居酒屋にいたマルグレートという女性がその血に気づき、彼を問い詰めます。ヴォツェックは「肘でどこかをこすっただけだ」と苦し紛れに言い訳をしますが、マルグレートは「そんなに血をつけたまま踊るなんて」と彼を非難します。
ヴォツェックはさらに動揺し、マルグレートが彼の血の付いた腕に触れようとすると彼女を突き飛ばし、「俺は臭い!」と叫びます。この言動に、居酒屋の人々も不審に思い始めます。
彼は「血が俺を裏切る!」と叫び、狂乱の末に居酒屋を飛び出していきます。
この場面は罪の意識と狂気に蝕まれていくヴォツェックの姿を、居酒屋という騒がしい場所での対比を通じて、より一層際立たせています。そしてヴォツェックは、マリーを殺害した池へ向かいます。
第4場(池のほとりの小道)
ヴォツェックは、マリーを殺害した場所である池のほとりの小道に戻ってきます。彼は殺害に使ったナイフを池に投げ込みますが、その瞬間、池の水がまるで血に染まったかのように見えます。
彼はナイフが十分に深く沈んでいないのではないかと不安になり、再び池に入っていきます。しかし、誤って深みにはまってしまい、そのまま溺れてしまいます。
その様子を、道に通りかかった隊長と医師が目撃します。彼らは池の不気味な音を聞き、何か異変が起こっていることを感じ取りますが、ヴォツェックが溺れていることを確認した後も、彼を助けようとはしません。むしろ医師は、科学的な好奇心の対象として観察するような態度さえ見せます。
ヴォツェックの悲鳴が次第に遠ざかり、ついに途絶えます。彼の死は誰も助けの手を差し伸べないまま、静かに、そして無慈悲に訪れます。この場面は主人公が社会から完全に孤立し、悲惨な死を迎えるという絶望的な結末を描いています。
第5場(マリーの家の前)
ヴォツェックが池で溺れ死んだ後、舞台はマリーの家の前に変わります。太陽が昇り、朝の光が射し込む中、マリーとヴォツェックの子どもが、一人で木馬にまたがって遊んでいます。
そこへ、近所の他の子どもたちがやってきて、彼に「お前の母さんは死んだぞ!」と告げます。子どもたちは「血まみれの死体」が発見されたと噂し、みんなでその場所へ向かって走り去ります。
子どもは一人取り残され、最初は事態を理解できずに遊びを続けます。しかし、やがて他の子どもたちの噂を聞きつけ、彼もまた馬に乗ったまま、母親が殺された場所へと駆けていきます。
この場面では、ヴォツェックとマリーの死という悲劇が、子どもたちにとっては単なる好奇心の対象でしかないという、残酷な現実が描かれています。無邪気な子どもの行動とその背後にあるおぞましい出来事との対比が、聴く者に強烈な虚無感と悲しみをもたらし、物語は幕を閉じます。
このオペラの「冷たさ」は、主要登場人物たちの悲劇に対して、大尉、医者、そして最終的に子供といった「傍観者」 や 「無関心な」 登場人物が存在することで生み出されています。彼らはヴォツェックの運命にほとんど関心がなく、聴衆に自分たちの無関心な姿を映し出すような居心地の悪さを感じさせます。
おどろおどろしさの要素
『ヴォツェック』が聴く者に与える「おどろおどろしさ」は、人間の存在そのものの不気味さと悲劇性を問いかける、多層的な要素から来ています。
狂気に蝕まれていく主人公
物語の主人公ヴォツェックは貧しい一兵卒であり、床屋でもあります。
彼は上官である大尉の非難や、誇大妄想的な医者による人体実験(例えば、一定期間豆しか食べさせないなど)の対象とされ、小銭稼ぎを強いられています。さらに内縁の妻マリーは、猛々しい肉体の持ち主である鼓手長と不倫関係に陥ったことにも苦しめられます。
社会の底辺で貧しい生活を強いられる中で、ヴォツェックの精神は徐々に不安定になり、不気味な幻覚や妄想に苛まれるようになります。
彼は野原で「足の下で何かが動き回っているのが聞こえるか?」と口走ったり、「太陽が真昼に輝いている時に世界が燃えるようになって、恐ろしい声が俺に話しかけてきた!」と訴えたりします。
マリーの不貞を疑う彼の猜疑心は高まり、最終的にはマリーを「ナイフで刺された方がまし」という彼女自身の言葉に駆られて刺殺し、自身も池に溺れて死に至ります。
彼の苦悩と錯乱の進行が音楽に直接反映されるため、聴衆は彼の狂気の淵を覗き込むような感覚を味わいます。
不協和音と無調音楽
『ヴォツェック』は第一次世界大戦後の混乱した時代に書かれました。その音楽は従来の美しい旋律よりも、緊張感や不安を煽る不協和音を多用しています。
ベルクはアルノルト・シェーンベルクに師事し、この作品は基本的に無調音楽として書かれています。
無調技法は調性の安定した響きから解放された、不安定でゾッとするような響きを生み出し、まるで主人公の心の混乱がそのまま音になったかのようです。
ただし、ベルクは厳格な12音技法ではなく、部分的に調性的な要素を含んだり、後期ロマン派的な抒情性を融合させたりと、独自の柔軟な解釈で適用しています。
半音階的な進行が頻繁に用いられ、緊張感と不安定さを表現するために不協和音が効果的に活用されています。
不気味な情景描写と音楽の役割
物語には、暗く陰鬱な情景が数多く登場します。
例えば兵士たちが踊る酒場のざわめき、ヴォツェックがマリーを殺害する池のほとりの夕暮れの静寂と赤い月の描写、そして殺害後に彼がナイフを探して池に沈んでいく場面などです。
これらの情景は、ティンパニやシンバルなどの打楽器による劇的な場面の強調や心理描写、トランペットやトロンボーンによる力強い表現、そしてホルンやチューバの低音による不安や恐怖の表現など、不気味な効果音やゾッとするようなオーケストラの響きによって、視覚的にも聴覚的にも強烈に描写されます。
クライマックスで彼が溺れていく様は、子供たちの無邪気な遊び声との対比によって、言葉では言い表せないほどの恐怖と悲哀を呼び起こします。
この最後の子供たちの場面では、殺害シーンの激しい音楽と対比させるように音楽が静かになり、悲劇の後に残された虚無感や、この悲劇に無関心な社会を象徴しています。
社会の闇をえぐるテーマ
この作品は、貧困、搾取、理不尽な暴力といった、人間の心の闇と社会の病理を鋭く描いています。ヴォツェックは個人というよりも、社会の犠牲者の象徴となります。
彼の悲劇は聴く者の心に深く突き刺さり、ただのホラーとは異なる、より根源的な恐怖と悲しみをもたらします。
作品の構成における革新性として、主人公ヴォツェック、妻マリー、不倫相手の鼓手長という伝統的な三角関係の役柄に対し、大尉、医者、マリーの子供といった新たなタイプの役柄が登場します。
これらのキャラクターはヴォツェックの運命に無関心、あるいは「どうでもよい」かのように描かれ、現代社会における傍観者のような私たちの姿を映し出し、聴衆に「気まずい感覚」を引き起こす要因となっています。
従来のオペラで敵役や悪役が、ストーリー展開に大きな役割を果たしていたのとは対照的です。
音楽的特徴と構成
ベルクは『ヴォツェック』において、従来のオペラの枠を超えた革新的な音楽語法と緻密な構造を融合させています。
シュプレッヒシュティンメ
このオペラでは、通常の歌唱だけでなく、「話すような発声法」であるシュプレッヒシュティンメが採用されています。これにより登場人物の精神状態や感情の揺れ動きが、より直接的かつ表現主義的に聴衆に伝えられます。
古典的音楽形式の採用
『ヴォツェック』は無調音楽でありながら、その劇と音楽は古典的な音楽形式によって細部まで緻密に構成されています。
第1幕は「5つの性格的小品」からなる組曲の形式を取っています。例えば、第4場(医者の研究室の場面)では、ヴォツェックが実験台とされる状況を表現するためにパッサカリア(またはシャコンヌ)の形式が用いられ、12音による主題と21の変奏で構成されています。第5場はロンド形式に近い構造を持っています。
第2幕全体は「5楽章の交響曲」の形式で構成されています。第1場はソナタ形式、第2場は3つの主題によるファンタジーとフーガ、第3場はラルゴ、第4場はスケルツォ、第5場はロンド・マルチアーネとなっています。
第3幕は「6つのインヴェンション」で構成されており、各場が特定の音楽的要素(主題、音、リズム、和音、音符の動き)に基づいています。これらの形式は、ワーグナーの楽劇以上に劇と不可分に結びついています。
動機的手法
ベルクは、登場人物、場面、感情などを表す特徴的な音楽的動機(モチーフ)を使用し、それらを巧みに操作しています。
これらの動機は劇の展開に合わせて変化・発展し、登場人物の内面や感情の変化を表現します。
例えば、ヴォツェックの不安定な精神状態を表す短い音型、マリーの複雑な心情を表す旋律的な動機、軍隊の規律と抑圧を象徴するリズミカルな音型、そしてマリーの母性と罪の意識を表現する子守唄に基づく動機などが挙げられます。
これはワーグナーのライトモチーフの考え方を継承しつつ、ベルク独自の重要な意味を持っています。
オーケストレーション
ベルクは多様な楽器を用いて、登場人物の心理描写や場面の雰囲気を表現しています。
楽器編成はワーグナーの『ニーベルングの指輪』の影響を受けた4管編成で、約50〜60人の弦楽器奏者を含む大規模なものです。民謡や軍楽隊の音楽、酒場の楽団の音楽(ヴァイオリン、クラリネット、ギター、ボンバルドン、アコーディオン、調子の狂ったアップライトピアノなど)といった様々な音楽スタイルがオーケストラに取り入れられています。
ベルク自身が軍隊経験を持つことが、軍隊生活の理不尽さの音楽的表現に大きな影響を与えたとされています。舞台上に実際にマーチング・バンドの奏者を配置するなど、視覚と聴覚の融合も図られています。
弦楽器はトレモロやピチカートなどの細かい音型でヴォツェックの不安定な精神状態を表し、高音域で緊張感を、低音で抑圧された感情を表現し、分割奏法で複雑な心理状態を描写します。
作品の背景と現代性
『ヴォツェック』はその成立の時代背景と密接に結びついていますが、その問いかけは現代にも通じる普遍性を持っています。
表現主義と時代背景
『ヴォツェック』は、20世紀初頭のドイツで隆盛した表現主義の潮流の中で生まれました。表現主義は写実的な表現にとどまらず、人間の内面や幻想的な意識を非写実的に描くことを特徴とします。第一次世界大戦後のベルリンは「世界のバベル」と形容されるほど、熱狂と混乱が渦巻く文化的な中心地でした。
ジャズやアメリカ映画の影響が広がり、神秘主義や様々な形の麻薬が流行し、劇作では近親相姦や父親殺し、政治では共産主義やファシズムが主題となるなど、「あらゆる形の正常さと節度」が放逐された時代でした。
このような背景のもと、ベルクの『ヴォツェック』は1925年12月14日にベルリン国立歌劇場で初演されました。この初演を指揮したのはエーリッヒ・クライバーであり、彼らの努力によってこの作品の持つ独創性が知られることとなりました。
現代における意義
『ヴォツェック』は、貧困、搾取、理不尽な暴力といった普遍的な社会問題を鋭く描き出し、時代を超えた芸術作品としての価値を持っています。観客は主人公の苦しみだけでなく、彼を取り巻く社会の無関心さにも直面させられます。
この作品は、人間とは何か、社会とは何かという根源的な問いを投げかけ、鑑賞者に忘れられない強烈な体験をもたらします。
アドルノやベンヤミンのような思想家も、この作品の初演直後の公演を観劇しており、彼らにとってベルクの『ヴォツェック』は「一章を閉じた」とされるオペラの歴史に対する批判的な見方と結びついていました。
伝統的なオペラが「幻像」や「スペクタクル」として消費される現代においても、ヴォツェックのような「歴史のなかで捨て去られていく者たち」の抵抗の記憶を呼び起こす作品は、人間の内なる力を響かせ、「生−権力」の政治を見通す潜在力を持つと評されています。
推薦盤:ベルク『ヴォツェック』
アルバン・ベルクのオペラ『ヴォツェック』は、その深い表現と複雑な構造から、指揮者や演奏家によってさまざまな解釈が生まれます。ここでは、作品の鑑賞体験を深めるための、主要な推薦盤を年代順に紹介します。
ディミトリ・ミトロプーロス指揮 ニューヨーク・フィルハーモニック(1951年 演奏会形式ライヴ)
エーリヒ・クライバーのアシスタントを務めていたミトロプーロスによる、史上初の全曲録音(演奏会形式)です。
歴史的価値: 本作の初演を指揮したエーリヒ・クライバーの解釈を継承する、歴史的に極めて重要な録音です。
表現主義的な熱量: ライブならではの強烈な熱気と、表現主義的な側面を強調した鋭い演奏が特徴です。
カール・ベーム指揮 ベルリン・ドイツ・オペラ管弦楽団(1965年録音)
このオペラの古典的名盤として広く知られており、作品の構成美とドラマ性を高いレベルで両立させています。
緻密な構築: ベームは複雑な作品の構造を見通しよく提示し、ドラマティックな展開を巧みにコントロールしています。
名歌手陣: タイトルロールのフィッシャー=ディースカウによる、ヴォツェックの苦悩を深く掘り下げた歌唱が聴きどころです。
ピエール・ブーレーズ指揮 パリ・オペラ座管弦楽団(1966年録音)
作品の精緻な構造を分析的に捉えた、ブーレーズらしいアプローチが際立つ録音です。
明晰な音響: ブーレーズの指揮により、オーケストラの細部までがクリアに浮かび上がり、作品の構造を深く理解するのに適しています。
現代的な解釈: 作品を表現主義の金字塔として捉え、その革新性を強調しています。
カルロス・クライバー指揮 バイエルン国立歌劇場(1970年 海賊版)
正規録音は残されませんでしたが、父エーリヒと同様に本作を得意としたカルロス・クライバーによる、熱量の高い演奏が流通しています。
強烈な熱気: ライブならではの圧倒的な熱量と、指揮者の情熱が直接的に伝わる演奏です。
個性的な解釈: 父の解釈を継承しつつも、自身の個性を強く打ち出した独自のドラマティックな表現が魅力です。
ヘルベルト・ケーゲル指揮 ライプツィヒ放送交響楽団(1973年ライブ録音)
『ヴォツェック』の持つ狂気や不気味さを最も強烈に表現した演奏として、伝説的な評価を得ています。
狂気と不気味さ: ケーゲルの指揮は作品の不穏な側面を極限まで引き出し、他の演奏では味わえない生々しい緊張感に満ちています。
生々しいライブ感: ライブ録音ならではの熱気と臨場感があり、聴衆は作品世界に引きずり込まれるような体験を味わえます。
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