映画『きみに読む物語』は、観る人々の心を深く揺さぶる感動的な純愛物語です。人を愛することの本当の意味、記憶や運命、人生の選択といった普遍的なテーマを深く掘り下げています。
物語を一層引き立てる美しく心に響く音楽は、多くの観客にとって忘れられない魅力の一つとなっています。
本作は1996年に出版されたニコラス・スパークスのベストセラー小説『The Notebook』が原作です。
この小説は、作者の妻の祖父母の実話に基づいています。二人は63年間も連れ添った夫婦でした。
映画に描かれるエピソードはほとんどが実際の出来事で、物語にロマンチックな深みを与えています。
物語の始まりと若き日の出会い
映画の舞台は、1940年代のアメリカ南部シーブルックです。
避暑に訪れた裕福な家庭の令嬢アリーと、地元の材木工場で働く貧しい青年ノアの運命的な出会いから、物語は始まります。
ノアはカーニバルの夜、天真爛漫なアリーに一目惚れします。観覧車での強烈なアピールに始まり、猛アタックの末に二人は恋に落ちるのでした。
この時代の風景やファッションは、観たことも触れたこともない時代と場所でありながらとても新鮮で美しく、観客を魅了します。
若き日のノアとアリーは、時に激しくぶつかり合いながらも情熱的に愛し合います。
アリーはノアによって、両親が優先でない本来の自分の人生を発見するようになっていきます。ノアが案内した無人の農場でアリーは「理想の家」について語り、ノアはいつかアリーの理想の家を建てると約束しました。
しかし二人の恋は、アリーの両親が身分の差を認めないという現実的な問題に直面します。アリーの両親は娘の将来を案じ、強引にバカンスを切り上げ、突然シーブルックを去ってしまいます。
物語は現代の療養施設で、アルツハイマー病を患う老女に、デュークと名乗る老人が古い時代の愛の物語を読み聞かせる形で進行します。
老女はデュークが誰であるのか、そして彼の読み上げる物語が誰の過去であるのかを忘れています。
それでもデュークは奇跡の回復を信じ、毎日献身的に物語を読み聞かせるのでした。
この老夫婦がかつて愛し合ったアリーとノアであることは、物語の途中で明らかになります。
スタッフ紹介
監督:ニック・カサヴェテス
映画『きみに読む物語』の監督は、ニック・カサヴェテスが務めました。
作品への情熱と演出スタイル
カサヴェテス監督は、原作を読み、その「永遠の愛」というテーマに強く惹かれたと語っています。彼は映画作りに対して非常に情熱的で、俳優が役に入り込むことを助けるために、自らがその感情を喚起して俳優に見せるというユニークな指導法も用いました。
キャスティングのこだわり
監督は、ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスを起用した理由として、「これまでに『I LOVE YOU』と言ったことのない俳優二人を起用したい」という思いがあったと述べています。
彼はイメージ通りの女優を見つけるために多くのオーディションを行い、レイチェル・マクアダムスがセリフを読み始めた瞬間に「彼女しかいない!」と確信したそうです。
実母の起用
認知症を患う老年期のアリー役には、監督の実母であるジーナ・ローランズがキャスティングされています。彼女の演技は映画に一層の深みと感動を与えたと評価されています。彼女は94歳で世を去る5年前から、実生活でもアルツハイマー型認知症を患っていたそうです。
撮影現場での対応
主演のライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスは、実は撮影中「険悪な仲」で、ライアンがレイチェルを降板させたいと直談判する一幕もあったと、監督が明かしています。監督は二人を別の部屋に連れて行き怒鳴り合いをさせたところ、状況が改善したと語っています。この出来事があって、ライアンはアリーという役どころを尊重するようになったそうです。
主演俳優:ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムス
役柄とブレイク
ライアン・ゴズリングは貧しい材木工場で働く青年ノア・カルフーンを、レイチェル・マクアダムスは裕福な家庭で育った少女アリー・ハミルトンを演じました。二人は本作でブレイクを果たし、一躍ハリウッドを代表する若手俳優となりました。
実生活での関係
劇中での二人の抜群のケミストリーは、撮影後に実生活でも交際に発展したことで知られています。彼らは同じカナダ出身で、さらに生まれた病院まで同じという偶然の一致が、ロマンチックな話題となりました。
ライアン・ゴズリングの役作り
ライアン・ゴズリングはノアを演じるため、徹底した役作りを行いました。
サウスカロライナ州チャールストンで2ヶ月間暮らし、実際に家具職人のもとへ弟子入りしています。
ボートを漕ぐシーンのために1ヶ月前から訓練を行い、漕げるようにしました。
劇中の戦争前後で肉体的な変化を見せるため、9kgほど増量して戦争後のシーンを撮影し、その後減量して10代のシーンを撮るという体重の調整も行いました。
観覧車のシーンで、支柱にぶら下がる場面をスタントなしで自身が演じ、高所に何時間もぶら下がり「怖かった」と語っています。安全を考慮し、このシーンは撮影の最後に組まれました。
特に印象的なのは、アリーに「君はどうしたい? (What do you want?)」と問いかけるセリフで、これはライアンのアドリブであったことが明かされています。アリーが周囲の期待に縛られず自分自身の望む人生の選択を促す、哲学的で力強いメッセージとして観客の心に響きました。
レイチェル・マクアダムスの演技
レイチェル・マクアダムスは、17歳の少女から大人の女性へと成長していくアリーを、その奔放でチャーミングな魅力、感情豊かな表情で演じ切ります。彼女の演技は観客に強い共感を引き起こし、多くのファンを魅了しました。
映像美
『きみに読む物語』の大きな魅力の一つは、その息をのむような美しい映像とロケーションです。
舞台設定
舞台は1940年代のアメリカ南部、ノースカロライナ州の小さな町シーブルックと、その近くのチャールストンです。古き良きアメリカ南部の田園地帯や湖畔、歴史を感じさせる街並みが丁寧に再現され、物語のロマンチックな雰囲気を一層引き立てています。
印象的なロケーション
冒頭の湖のシーン: 夕焼けに包まれ、真っ赤に染まった湖を静かに漕いでいくシーンが映画の冒頭を飾り、非常に印象的です。
白鳥の湖のシーン: ノアとアリーがボートで湖を進むと無数の白鳥が群れ泳ぎ、幻想的な光景が広がります。この白鳥たちは野生でなく、スタッフが卵から孵化させボートを追いかけるように躾けたという制作秘話があります。
改築された古い屋敷: ノアがアリーとの約束通り、自力で古い家を改築していく過程が描かれます。この家が二人の愛の象徴となり、アリーのためにアトリエを作るシーンや、そこに誘導する床の矢印は、ノアの献身的な愛情表現として感動的です。
雨中のキスシーン: 長い別れを経て再会したノアとアリーが、激しい雨の中で抱き合いキスをするシーンは、二人の抑えきれない感情と時を超えても変わらない愛の強さを象徴する名場面として、多くの観客の心に残ります。
廃墟でのダンスシーン: 改装途中の屋敷で、家具もない空間に響く音楽に合わせてノアとアリーが踊るシーンは、純粋な喜びと幸福感に溢れ、二人の関係の無垢な美しさを象徴しています。
撮影技法
回想シーンでは特徴的なフィルター処理が施され、懐かしい記憶の印象を効果的に表現しています。天候による自然光を巧みに活用した撮影も、感情的な場面の美しさを高めることに貢献しています。
音楽
映画『きみに読む物語』は、音楽も大きな魅力の一つです。アーロン・ジグマンが担当した音楽は、映画の感情的なトーンを一層引き立て、観客の感情を巧みに操ります。
サウンドトラック「Main Title」
冒頭の夕焼けに包まれた湖を静かに漕いでいくシーンでは、サウンドトラックに収録されている「Main Title」という曲が流れ、その美しさは多くの観客の心に残るはずです。
劇中歌
「I’ll Be Seeing You」:ライアン・ゴズリング演じるノアとレイチェル・マクアダムス演じるアリーが車道でダンスするシーンで、ビリー・ホリデイが歌うバージョンが流れます。また、老年期のアリーが記憶を取り戻した際に、ノアが思い出の曲としてジミー・デュランテが歌うバージョンのレコードをかけるシーンもあります。この曲の歌詞「I’ll Be Seeing You」は、ノアがアリーにかける最後の言葉であり、かつてノアがアリーに宛てて書いた手紙にも書かれていた言葉でもあります。
「Prelude For Piano, Op.28, No.4」 by Robert Thies:若き日のアリーが廃屋のピアノを弾くシーンや、老年期のアリーが楽譜を見ずにピアノを弾くシーンで流れる曲です。
「Sonata No.19 in G Minor For Piano, Op.49, No.1」 by Robert Thies:老年期のノアが診察を受ける間、老年期のアリーがピアノで弾いている曲です。
ピアノやストリングスを中心としたメロディーが、映画のロマンティックな雰囲気を強調し、観客の感情を深く揺さぶる役割を果たしています。
再会と葛藤、そして深まる愛の選択
アリーとノアの仲は、一度引き裂かれます。ノアは1日1通、アリーに手紙を送り続けますが、アリーの母親は娘に知られぬよう手紙を郵便物から事前に抜き取り、隠匿してしまいます。二人は互いに音信不通であるのが、相手の心がわりと受け止めるようになっていきました。
アリーは大学に通い始め、軍人施設でのボランティア活動中にハンサムで裕福なロン(ジェームズ・マースデン)と出会い、婚約します。ロンは裕福な家庭に育ち、アリーの両親からも理想的な結婚相手として喜ばれました。しかし、ある日アリーは新聞記事でノアの現在の姿を知り、彼がかつて二人が夢見た家を自らの手で改築したことを知り、居ても立っても居られずシーブルックへと向かいます。
7年ぶりの再会を果たしたアリーとノアは、抑えきれないほどの燃え上がる愛情を再び確かめ合いました。
再会のシーン、特に雨の中でのキスシーンは、天候による自然光と繊細なカラーグレーディング(映像の色調を調整し、雰囲気や印象を作り出す)によって、感情の高まりを最大限に表現しています。
しかしアリーには婚約者がいるため、彼女は人生最大の選択を迫られます。愛するノアを選ぶのか、それとも安定した未来を約束してくれるロンを選ぶのか。
この葛藤の場面。ノアの「きみはどうしたいんだよ?」というセリフは、ライアン・ゴズリングのアドリブだったと言われています。この言葉はアリーが周囲の期待や常識にとらわれず、自分自身の本当の気持ちで決断することの重要性を問いかけ、彼女の人生を大きく変えるきっかけとなります。
アリーの母親(ジョアン・アレン)は、かつて自分も貧しい労働者と恋に落ちたものの、親に引き離されて今の裕福な父親と結婚した経験を娘に語ります。
ノアからの365通の手紙をアリーに手渡しながら、「正しい選択をしなさい」と、娘の幸せを願う気持ちを示しました。
彼女は身分差別から反対したわけでなく、娘の将来を心から案じるごく普通の母親だったのです。
物語の後半では、アリーがアルツハイマー病を患い、記憶を失っていく老年の二人の姿が描かれます。
デュークはアリーに自分たちの愛の物語を毎日読み聞かせ、たとえ一瞬でも、彼女の記憶が戻る奇跡を信じ続けているのです。
ノートはアリーが自らの記憶が薄れる中で、ノアに「愛の物語」として綴ったものでした。「この物語を読んでくれたら、私はあなたの元へ帰ります」と記されていたのです。
ノアの献身的な愛情は、施設の看護師の心も動かしました。
深夜、ノアがアリーの部屋を訪れようとした際、規則では許されないにもかかわらず、「コーヒーを淹れてくるわ。しばらく席を外すけど、バカはやらないで」と二人が再会できるよう粋な計らいを見せたのです。
記憶が一時的に戻ったアリーは、デュークがノアであり、物語が自分たちのものだと気づきます。
「それは、わたしたちよね。わたしたちの物語だわ」。この記憶の再会の喜びは、老年のノアとアリーがダンスするシーンや、ノアがアリーと写った写真を眺めるシーンで流れるジミー・デュランテが歌う「I’ll Be Seeing You」によって、長年にわたる愛と絆の深さが伝わります。
ぼくらの愛に不可能はない
「わたしたちの愛が、奇跡を起こすと思う?」「ああ、思うよ」「わたしたち一緒に死ねるかしら……?」「ぼくらの愛に不可能はないからね」
言葉を交わし手をつないだまま、デュークの「また会おう」の挨拶を最後に、二人は永遠の眠りにつくのでした。
『きみに読む物語』は愛の醜い側面や、犠牲を伴う選択もリアルに描写することで、二人の強い絆や奇跡のような愛の力に説得力をもたらしています。
「永遠にその人だけを愛する」という純愛物語のセオリーは成り立たず、アリーが婚約者ロンを傷つけ、ノアも別の女性と関係を持つなど、必ずしも理想的な展開ばかりではない点が、かえって映画に現実味を与えています。
「永遠の愛」が絶たれてしまっても、なお一緒にいるために努力を惜しまない泥臭さが、本作の魅力かもしれません。
この作品は愛する人が記憶を失っても、諦めず愛情を持って接し続ければ、状況が好転する希望を与えます。ノアの「命懸けで、ある人を愛した。私にはそれで十分だ」という言葉は、愛の深さを象徴しています。
ライアン・ゴズリングはノア役を演じるため家具職人に弟子入りしたり、体重を増減させたりするなど、役作りに体当たりで挑んでいます。ディナーシーンで使われたテーブルは、実際に彼が作ったものだそうです。
名シーンとして挙げられる湖でのボートと白鳥の群れのシーンは野生の鳥ではなく、スタッフが卵から孵化させボートを追いかけるようにしつけたものです。
こうした細部へのこだわりが、映画の美しさを一層際立たせています。
ライアン・ゴズリングとレイチェル・マクアダムスの卓越した演技は、多くの観客の心を掴みました。彼らはこの映画をきっかけに一時交際していたことも知られていますが、実は撮影中は険悪な関係であったことも監督によって明かされています。
それでもスクリーン上での二人の化学反応は最高で、そのリアリティあふれる演技が作品の魅力を高めています。
この映画は、観る者に多くの影響を与えました。「人生について考えるきっかけになった」「大切な人に会いたくなった」「究極の純愛映画」といった声も聞かれます。
年齢を重ねるごとに違った魅力を感じる作品であり、純粋な愛の形は現代社会においても、変わらない価値であると証明したのです。
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