真夜中の旋律:時代を超えて心に響くジャズ「’Round Midnight」の物語

ジャズ

ジャズの歴史に燦然と輝く名曲「’Round Midnight」。多くのミュージシャンがその魂を削って表現し、聴く者の心を揺さぶり続けてきた、まさに“生きた伝説”です。なぜこれほどまでに多くの人々がこの曲に魅了されるのか?その秘密を、歴史の深淵から紐解いていきましょう。

1. 「’Round Midnight」:真夜中に生まれた魂の独白

誕生秘話とタイトルの変遷

この曲の生みの親は孤高の天才ピアニスト、セロニアス・モンクです。1940年か41年頃、彼の内側から湧き出たメロディは当初、「I Need You So」というタイトルでした。時を経て「’Round about Midnight」という、まるで真夜中の静寂が音になったような名前に変わっていきます。
その「about」が省略され、アポストロフィーも消えてゆく中で、モンク自身も「ラウンド・ミッドナイト」と表記するようになります。一つの曲のタイトルが時代とともに移ろい、私たちにさまざまな表情を見せてくれるのです。

面白いことにトランペットの巨匠クーティ・ウィリアムスが、共同作曲者としてクレジットされています。彼が1944年の初録音時に加えたわずかな変更(「’Round about Midnight」を「’Round  Midnight」に」)が、その後の歴史に名を刻むことになったのです。

言葉が紡ぐ真夜中の情景

「’Round Midnight」には歌詞も存在します。最も広く知られているのはバーニー・ハニゲンの手になるもので、エラ・フィッツジェラルドスティングといった名だたるボーカリストが歌い継いできました。
その歌詞は、「真夜中ごろになると 過ぎ去った記憶が鮮明によみがえる 心がまだあなたのことを想っているのを 真夜中は知っている」という、切なくも美しい感情を表現しています。
都市の孤独を歌い上げたバージョンやカーメン・マクレエが歌った情熱的なバージョンなど、歌詞が加わることでこの曲は、さらに奥深い物語を語り始めるのです。

独特の構造が織りなすハーモニー

AABA形式の32小節という構成は、ジャズバラードの王道。しかし、「’Round Midnight」が特別なのはそのコード進行が持つ、冒険的な魅力にあります。
ii-V-Iというジャズの基本パターンを使いながらも、E♭マイナーとE♭メジャーを行き来する「複調性」が、まるで二つの感情が同時に存在するような不思議な響きとなって聴く者を惹きつけます。
標準キーはE♭ですが、D♯マイナーと表記されることもあるなど、その複雑さがミュージシャンたちの創造性を刺激し続けているのです。

ディジー・ガレスピーが加えた魔法

ジャズの歴史に名を刻むトランペット奏者、ディジー・ガレスピー。彼が1946年頃にこの曲に加えた有名なイントロダクションとカデンツァは瞬く間に世界を席巻し、モンクも自身の演奏に取り入れるほどでした。今ではこのイントロがなければ「’Round Midnight」は始まらないと言えるほど、楽曲の一部として定着しています。

最初の音は誰が奏でた?

意外なことにこの曲を最初に録音したのは、作曲者モンク自身ではありません。クーティ・ウィリアムス楽団が1944年8月22日に、その歴史的な一歩を記しました。モンクが自らのリーダー作としてこの曲を初めて録音したのは、それから3年後の1947年11月21日のことです。

2. マイルス・デイヴィスが刻んだ「真夜中」の記憶

ニューポートの奇跡:再生への序章

1955年、ニューポート・ジャズ・フェスティバル。マイルス・デイヴィスはセロニアス・モンクらとの豪華なジャムセッションで「’Round Midnight」を演奏しました。
彼のミュートトランペットから紡ぎ出された音色は観客だけでなく、ジャズ評論家たちの心をも鷲掴みにします。この瞬間こそ、苦難の時期を乗り越えつつあったマイルスが再び輝きを取り戻すための、まさに「奇跡の夜」だったのです。

コロンビアとの運命的な出会い

そのニューポートでの演奏は、聴衆の中にいたコロンビア・レコードの敏腕プロデューサー、ジョージ・アヴァキアンの心を射止めます。アヴァキアンはマイルスがまだプレスティッジ・レコードと契約中であるにもかかわらず、彼をコロンビアに迎え入れることを決意します。この契約がマイルスのキャリアを大きく飛躍させ、彼の名声を揺るぎないものへと押し上げることになるのでした。

伝説のアルバム「’Round About Midnight」

1957年3月4日、コロンビア・レコードからリリースされたアルバム『’Round About Midnight』は、マイルスにとって同レーベルでの記念すべき第一歩となりました。
このアルバムにはマイルス・デイヴィス(トランペット)、ジョン・コルトレーン(テナー・サックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズ(ドラム)という、後に「ファースト・グレート・クインテット」と呼ばれる伝説的なメンバーが集結しています。

リリース当初は賛否両論を巻き起こしますが、時が経つにつれてその評価は不動のものとなり、ハードバップの金字塔、そして史上最高のジャズアルバムの一つとして語り継がれていきます。特にモンクのバラード「’Round Midnight」をマイルスがハーモンミュートを付けて演奏したバージョンは、彼の代名詞となり、「夜のジャズ」というイメージを決定づけたと言って過言ではありません。

3. 映画「ラウンド・ミッドナイト」が描くジャズの哀愁

スクリーンに息づくジャズマンの魂

1986年、アメリカとフランスの合作で生まれた映画『ラウンド・ミッドナイト』は、ベルトラン・タヴェルニエ監督がメガホンを取りました。タイトルは「’Round Midnight」から取られ、架空のジャズミュージシャン、デイル・ターナーの物語を通して、戦後の黒人ジャズミュージシャンがヨーロッパへと渡っていった背景や、ヨーロッパ文化がジャズを「芸術音楽」として受け入れた姿を深く描き出しています。

伝説が共演する舞台

主人公デイル・ターナーは、バド・パウエルレスター・ヤングといった実在のレジェンド、そして主演のデクスター・ゴードン自身の人生を重ね合わせた複合的なキャラクターです。
デクスター・ゴードンはその熱演で、アカデミー主演男優賞にノミネートされるという快挙を成し遂げました。この映画にはハービー・ハンコックウェイン・ショータートニー・ウィリアムスロン・カーターといったジャズ界のオールスターたちが多数出演しており、今になればその共演はまさに夢のようです。

サウンドトラックが紡ぐ新たな「真夜中」

サウンドトラックを手がけたのは、ジャズ界の至宝ハービー・ハンコック。彼はその功績が認められ、アカデミー作曲賞を受賞しました。
アルバムには主題曲である「’Round Midnight」を中心に、多くのジャズスタンダードやハンコックのオリジナル曲が収録されています。ボビー・マクファーリンがサックスの音色を模したスキャットで歌い上げた「’Round Midnight」のバージョンはアルバムの冒頭を飾り、多くの人々に感動を与えました。

4. 「’Round Midnight」:聴き比べたい珠玉の15選

「’Round Midnight」はその普遍的な魅力と演奏によって、無限に広がる解釈の幅ゆえに数えきれないほどのバージョンが存在します。ここではあなたがこの曲の深みに触れるための、選りすぐりの15枚をご紹介します。

  • セロニアス・モンク – 『Thelonious Himself』 (1957):作曲者モンク自身のピアノソロ。この曲の「根源」を深く味わうには、やはりこの一枚から。

  • セロニアス・モンク – 『Misterioso』 (1958):モンクのカルテットによるライブ録音。ジョニー・グリフィンとのスリリングな演奏が聴きどころです。

  • マイルス・デイヴィス – 『’Round About Midnight』 (1957):この曲を世界中に知らしめた決定盤。マイルスのミュートトランペットが織りなすハードボイルドな世界観に浸ってください。

  • ケニー・ドーハム – 『Kenny Dorham Quintet at the Cafe Bohemia』 (1956):ドーハムのトランペットが奏でる哀愁漂うメロディ。心に染み入るような演奏です。

  • ディジー・ガレスピー & フィル・ウッズ – 『Meets Phil Woods Quintet』 (1986年録音):バップの巨匠ガレスピーとフィル・ウッズの豪華共演。二人のソロバトルは必聴です。

  • ジェリー・マリガン & セロニアス・モンク – 『Mulligan Meets Monk』 (1957):モンクとマリガンのデュオによる、珍しいバリトンサックスでの「’Round Midnight」。

  • チェット・ベイカー – 『’Round Midnight』 (Timeless, 1986年録音):チェット晩年の録音。彼のしっとりとしたトランペットの音色が、曲の切なさを際立たせます。

  • ケニー・バレル – 『’Round Midnight』 (1972):バレルのブルージーなギターサウンドが心に響く一枚。静かな炎のように燃える演奏が、曲の世界観と見事にマッチしています。

  • ウエス・モンゴメリー – 『The Wes Montgomery Trio』 (1959):ギター、オルガン、ドラムによる革新的なトリオ演奏。ウエスの初期ながら、既に彼独自の宇宙が広がっています。

  • メル・トーメ -『’Round Midnight』 (1958):本国ではフランク・シナトラと並び称される、白人ジャズボーカリストです。アクのある濃い歌声ではなく、ソフトでビロードな味わいが魅力的です。

  • エラ・フィッツジェラルド – 『Ella in Japan: ‘S Wonderful』 (1964) など複数のボーカルバージョン:エラの完璧な歌声が、この曲に新たな生命を吹き込みます。

  • サラ・ヴォーン – ボーカルバージョン:サラ・ヴォーンの情感豊かな歌声が、「’Round Midnight」をドラマティックに彩ります。ジャズボーカルの真髄がここにあります。

  • ビル・エヴァンス – 『Bill Evans Trio …at Shelly’s Manne Hole』 (1962) など多数のトリオ録音:ビル・エヴァンスの繊細なタッチと緻密なハーモニー。分析的に聴くのも面白い、奥深い演奏です。

  • チック・コリア & ボビー・マクファーリン – 『Play』 (1992):チック・コリアとボビー・マクファーリンによる、自由で創造性あふれるデュオ。原曲の魅力を保ちつつ、新たな地平を切り開いています。

5. ジャズ・スタンダード「’Round Midnight」が持つ魔法

「’Round Midnight」はジャズミュージシャンにとって、まるで「登竜門」のような存在です。この曲をどう解釈し、どう表現するか。そこに演奏家の創造性、技術、そして何より「魂」が試されるからです。
独特のハーモニーとメロディは即興演奏や再ハーモナイゼーションの練習にも最適で、ジャズの奥深さを学ぶための最高の教材と言えるでしょう。

この曲はジャズという広大な海に浮かぶ、決して姿を変えない、しかし常に波に揺れる深遠な岩礁のようなものです。
多くの船(ミュージシャン)が異なる航路(解釈)でその周りを巡り、嵐(実験的な演奏)を乗り越え、穏やかな波(伝統的なアプローチ)に乗ったりしながら、それぞれが独自の光を放っています。
ただし、どの航路を選んでもその中心には、常にモンクが築き上げた揺るぎない音楽的構造と、それが喚起する「真夜中の感情」が深く横たわっているのです。

あなたにとっての「’Round Midnight」は、どんな真夜中の物語を語りかけてくるでしょうか? ぜひお気に入りの一杯を片手に、この名曲が織りなす深遠な世界に身を委ねてみてください。

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