皆さんは「看取り士」という職業をご存知でしょうか。人生の最終段階に寄り添い、穏やかな旅立ちをサポートする専門職です。2019年に全国公開された映画『みとりし』は、この看取り士の姿を通して、私たちが「死」と「生」にどのように向き合うべきか、そして「命のバトン」をどのように繋いでいくかを問いかける作品です。
この映画は、有楽町スバル座の最後の通常上映作品に選ばれ、ぴあの初日満足度ランキングで第3位を獲得しました。さらに、2020年のロサンゼルス日本映画祭では主演賞、新人賞、特別賞の3冠を受賞するなど、国内外で高い評価を得ています。本作は、一般社団法人日本看取り士会の会長である柴田久美子さんの経験を原案としており、彼女が長年温めてきた「看取りの映画を作る」という願いが実現したものです。
本記事では映画『みとりし』が描く「看取りの心」と「命のバトン」に焦点を当て、看取り士という仕事の重要性や、私たちが自身の最期、そして大切な人の最期をどのように迎え、見送るべきかについて深く掘り下げていきます。
映画『みとりし』が問いかける「死」と「生」
映画『みとりし』は、定年間際のビジネスマンである柴久生(榎木孝明さん)の物語から始まります。彼は交通事故で娘を亡くし、深い喪失感から自殺を図ろうとします。その時、彼の耳に「生きろ」という声が聞こえ、後にそれが友人の川島(宇梶剛士さん)の最期の声であったことを看取り士の女性(つみきみほさん)から聞かされます。
この出来事をきっかけに「看取り士」という存在を知った柴は、会社を早期退職し、第二の人生として岡山県高梁市で看取り士の道を歩み始めます。
柴が看取りステーション「あかね雲」を立ち上げ、地域唯一の診療所の清原医師(斉藤暁さん)と連携しながら活動する中、23歳の新人看取り士、高村みのり(村上穂乃佳さん)が着任します。みのりもまた、9歳の時に母親を亡くした経験からこの職業を選んでいました。
映画では、彼らが様々な患者と家族の「最期」に寄り添い、成長していく姿が描かれます。病院に戻らず自宅で最期を過ごしたいと願う83歳の老婦人や、乳がんの再発と転移で余命宣告を受けた3人の子を持つ母親などの看取りを通して、命の尊さや別れの瞬間の温かさが伝えられます。
白羽弥仁監督はこの映画を、「死に方の映画」と位置づけています。多死社会を迎える現代、在宅で最期を迎えたいと願う人が増える中で、看取り士の仕事は喫緊のニーズに対応していると語ります。監督自身も父親が病院を経営していたため、幼い頃から死は身近な存在であり、死を自然に受け入れる考え方が映画制作に影響を与えています。
主演の榎木孝明さんは、映画の企画段階から参加し、看取り士の研修を実際に受けて、看取る側と看取られる側の両方を体験しました。彼はこの映画が、「死に対する暗く怖いイメージを変え、向き合うきっかけになる」ことを願っています。
新人看取り士を演じた村上穂乃佳さんは、看取り士の人々が「優しくて柔らかで、常に笑顔で明るい」印象を受け、「清々しいほど温かい気持ちになった」そうです。
新任医師役の高崎翔太さんは、医師が病気や現実と向き合うのに対し、看取り士は「故人、残される家族や親族、つまり『人』と丁寧に向き合う職業」と感じました。
余命宣告を受けた母親役の櫻井淳子さんは、この作品に参加するまで看取り士という職業を知らず、「大切な家族と最後まで一緒にいたい」一途な気持ちで役に取り組みます。「大切な場所で、大切な人の中で旅立つことが幸せ」と思いを述べました。
観客からは、「死に向かうことが怖いと感じている方にはぜひとも観ていただきたい映画」「死は終わりではなく生きた証として命のバトンがあり、様々な奇跡が起きる希望の映画です」といった声が寄せられ、多くの人がこの映画を通して、死生観を見つめ直すきっかけを得ています。
「看取り士」とは 求められる背景とその役割
「看取り士」とは、一般社団法人日本看取り士会が定義する「誰にも訪れる旅立ちの時を安心して、幸せに迎えられるようにする専門職」のことです。医療行為は行いませんが、臨終への立ち会いや看取られる側と看取る側の双方に看取りの作法を伝え、必要に応じて葬儀社との打ち合わせなどもサポートします。ケアマネージャーや医師らと連携して、患者とその家族に寄り添うことが主な役割です。
近年、看取り士の需要は急速に高まっています。その背景に現在の社会状況が挙げられます。
超高齢社会と多死社会の到来
日本は2025年に、国民の4人に1人が75歳以上の後期高齢者となる超高齢社会を迎え、死者の数がさらに増加する「多死社会」へと移行しています。
2040年には、死亡者数が160万人を超えると推計されており、これにより介護サービスや病院のベッド不足が深刻化し、「看取り難民」が増加する懸念があります。
「自宅での看取り」を望む声の増加
2020年の調査では、67〜81歳の高齢者の58.8%が人生の最期を「自宅で迎えたい」と回答しました。しかし現状では、80%以上の人が病院で亡くなっており、自宅での看取りは13%程度にとどまります。この理想と現実のギャップを埋める存在として、看取り士が注目されています。
核家族化や人間関係の希薄化
かつての日本は大家族が一般的で、自宅での看取りが当たり前でした。核家族化や少子化が進んだ現代では、家族だけで看取りを支えることが難しくなっています。孤立死や孤独死が増加する中で、誰にも看取られずに亡くなる人を減らすために、看取り士のようなサポートが求められているのです。
新型コロナウイルス感染症の影響
日本看取り士会によると、コロナ禍での病院の面会制限などにより、2021年の看取り士への依頼件数は2019年と比較して6倍以上に急増しました。在宅での最期を望む人が増えたことが、この増加の大きな要因とされています。
看取り士はこのような社会のニーズに応えるべく、本人や家族の不安や心配を受け止め、静かに温かくそばに寄り添うことで、尊厳ある最期を迎えられるよう支援しています。
映画『みとりし』に描かれる「命のバトン」
映画『みとりし』の主題歌「サクラの約束」が流れる予告編にも象徴されるように、この作品の根底には「命のバトン」というテーマが流れています。看取り士は旅立つ人が生きてきた証を受け止め、残される家族にその愛や思い出という「命のバトン」を渡す手助けをします。
映画の中で、看取り士たちは様々な「最期」に立ち会います。
柴が看取った清水キヨ(大方斐紗子さん)のケースでは、息子が母の背中を支えるように促され、「母ちゃん…ありがとう」と感謝を伝える場面が描かれます。
みのりが初めて一人で担当した東條勝治(石濱朗さん)の看取りでは、息子が東京から駆けつけ「父さん…父さんの子供で良かったと思ってるよ」と語りかけます。
これらの場面は、看取り士が本人と家族の間に立って、言葉にならない感謝や愛情を交換する架け橋となる姿を映し出しています。
特に印象的なのは、乳がんを患い3人の子供を持つ山本良子(櫻井淳子さん)の最期を、みのりが担当する場面です。
幼い頃に母親を亡くしたみのりは、子供たちと別れを経験する山本良子に自分を重ね、葛藤します。しかし先輩である柴の「ただ黙って聞いて。そして優しく触れて気持ちを受け止めるんだよ」というアドバイスを受け、死にゆく人々の心に寄り添うことの重要性を学び、成長していきます。
看取り士は医療行為を行うわけではありませんが、その存在は「もうひとりの家族」のように映し出されます。
映画の冒頭で「看取り士は車椅子を押したりといった介護的な表現は演出であり、実際の業務ではない」との説明がありますが、これはあくまで「相手方への寄り添い」を表現するための脚色です。彼らの仕事は身体的な介護を超えて、心の支えとなる精神的・情緒的なサポートにあります。
この映画は死を悲しみや恐れの対象としてだけでなく、愛と感謝、そして次世代への「命のバトン」を渡す尊い瞬間として描いています。
観た人から「死をテーマにした映画だが、観終えた後はとても温かく優しい気持ちになった」「人間は死ぬために生きるんだとリフレインが止まらない」といった感想が寄せられ、この作品が多くの人々の死生観にポジティブな変化を与えていることがわかります。
穏やかな最期を支える看取り士の心と実践
看取り士は、一般社団法人日本看取り士会が認定する民間資格です。資格取得には、看取りに関する知識と実務を学ぶ「看取り学講座」の初級、中級、上級のすべてを受講する必要があります。講座では死に対する恐怖心を払拭し、プラスの死生観を養うための心構えや、現場での看取りの作法、エンディングノートの活用方法などが学べます。
看取り士の仕事は、余命宣告を受けた本人やその家族との面談から始まります。「どこで最期を迎えたいか」「誰に看取られたいか」「どのような医療を希望するか」「今、困っていることはないか」といった本人の希望を丁寧に聞き取ります。
看取りの方針が決定すると、登録ボランティアや親族などで構成される「エンゼルチーム」が結成され、日々の見守りや肉体的、精神的に疲弊する家族のサポートを担います。
臨終の時が近づくと看取り士が駆けつけ、本人の希望に沿って旅立ちを見届けます。この時、家族に対して「体に触れる」「呼吸を合わせる」「声をかける」といった看取りの作法をアドバイスします。これは旅立つ人からエネルギーを受け取り、喪失感を和らげるために、時間をかけて温かいお別れをするための大切な実践です。
亡くなった後も葬儀社への対応などを含め、数時間にわたって残された人々が温かい時間を過ごせるようサポートを続けます。
看取り士の根本にあるのは、「全ての人が最期、愛されていると感じて旅立てる社会創り」という柴田久美子会長の夢です。たとえわがままな願いであっても、それをそばにいて叶えてあげることを自身の仕事としています。
昔は「嫁の仕事」と言われた看取りも、現代では家族の形態が多様化し、専門職のサポートが必要とされるようになりました。
看取り士はそのような変化に対応し、人と人との「愛」や「温もり」を最期の瞬間にまで繋ぐ、重要な役割を担っているのです。
多死社会における看取りの課題と未来への展望
日本は今後も、死亡者数が増加し続ける「多死社会」へと進んでいきます。
2040年には終末期医療を受けられない「看取り難民」が約49万人に達すると推計されており、特に地方では緩和ケア専門医やホスピス看護師の不足が深刻な課題となっています。
都市部での核家族化や介護の担い手不足も、自宅での看取りを困難にしています。
このような状況の中で、看取り士のような「最期を迎える人に寄り添うサービス」への注目が高まっています。
政府も在宅医療の充実を推奨しており、病院と自宅に次ぐ第三の看取りの場として「ホスピス型住宅」と呼ばれる介護施設型のホスピスも増加しています。
これらは医療と介護を一体的に提供する住まいで、患者が望む場所で最期を迎えられる選択肢を広げる役割を担っています。
映画『みとりし』は看取り士の存在を知るだけでなく、私たち一人ひとりが自身の「死生観」と向き合い、「人生の最終段階における医療・ケア」について考えるきっかけを与えてくれます。
監督の白羽弥仁さんは「一人ひとりが看取り士になれるはずだ」と語っており、親しい人が亡くなる時に家族や友人が「看取り士」のように寄り添い、愛をもって手を差し伸べることの重要性を訴えています。
「死」はこれまでデリケートな話題として避けられがちでしたが、多死社会においては安らかな最期を迎えるために、この問題にしっかりと向き合う必要があります。看取り士はそのための道筋を示し、個人の尊厳を最期まで守るためのサポートを提供します。
映画『みとりし』が残すメッセージ
映画『みとりし』は私たちが「どのように生き、どのように死を迎えるか」という普遍的なテーマを投げかけています。人が最期を迎える時、愛する人との温かい触れ合いや、感謝の言葉、そして「愛されている」という感覚がどれほど重要であるかを、映画は静かに、しかし力強く伝えています。
「死は怖いもの、忌み嫌うもの」という従来のイメージを覆し、「人生の最後の時間を豊かに過ごすための場所」として、看取りを捉え直すこと。旅立つ人の魂や命のエネルギーを、残された人々が受け取り、次へと繋いでいく「命のバトン」の尊さを教えてくれます。
超高齢社会が進む日本において、看取り士の役割はますます重要になるでしょう。この映画を通して多くの人が自身の死生観について考え、大切な人との別れを穏やかに、そして愛に満ちたものとするためのヒントを見つけることができるはずです。「命のバトン」の物語を、心に刻んでみてください。
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