夏川りみさんの代表曲である『涙そうそう』は、日本を代表する国民的な歌の一つとして広く愛されています。沖縄の言葉と心が込められた普遍的なメッセージが、夏川りみさんの歌声を通して多くの人々の心に深く響き渡り、やがて国境を越える名曲へと成長していきました。
今回は『涙そうそう』の誕生からその成功、そして世界に広がるまでの物語を詳しく紐解いていきます。
『涙そうそう』誕生の背景と森山良子の深い想い
『涙そうそう』は森山良子さんが作詞し、沖縄県石垣島出身のバンドBEGINが作曲を手がけた楽曲です。
タイトル『涙そうそう』は、沖縄の方言で「涙がぽろぽろこぼれ落ちる」様子を意味しています。
森山良子さんはBEGINとのライブ共演を通じて意気投合し、沖縄テイストの楽曲制作を依頼しました。
BEGINから送られたデモテープには『涙(なだ)そうそう』というタイトルだけが書かれており、その言葉の意味を知った森山さんは若くして急逝した自身の兄、晋さんのことを思い出し、自然と涙が溢れ出たと語っています。
森山さんと兄は一つ違いの年子の兄妹で、幼い頃から仲が良く、同じ高校で同じバスケットボール部に所属していました。
兄が1970年に23歳で亡くなった直後は悲しみが深すぎて感情を整理できず、歌にするなど思いもしませんでした。20年以上の歳月が経ち、兄への感情をより冷静に捉えられるようになったことで、感傷的ではない言葉を選びながら詩を綴ることができたのです。
森山さんは若くして亡くなった兄を想い、一番星に語りかける習慣がありました。その想いが歌詞に反映されています。
『涙そうそう』は、1998年に森山良子さんのアルバム『TIME IS LONELY』に収録されました。2000年3月23日には、BEGINがデビュー10周年記念のシングルとして発売し、セールスチャートは振るわなかったものの長く歌われることで、代表曲へと成長していきます。
曲を提供したBEGINは、「涙そうそう」が森山さんの曲だという認識を持っています。
森山良子さんにとって沖縄との縁は、1969年にレコーディングされた『さとうきび畑』まで遡ります。
この歌は、大東亜戦争の沖縄戦で父親を亡くした子供の悲しみが綴られています。森山さんは戦争を深く考える必要のない環境で育ったため、作者の切実な思いと自身の意識との隔たりに戸惑いを感じ、当初「自分には歌えない」と感じていました。
信頼するディレクターの強い勧めもあり、1969年のアルバムに収録されます。その後、1991年の湾岸戦争のニュースをきっかけに改めて、『さとうきび畑』を歌おうと心に決めたのです。
このようにして沖縄と向き合うようになったことが、BEGINへの楽曲依頼へと繋がりました。
夏川りみと運命的な出会い
夏川りみさんは1973年10月9日、沖縄県石垣市で生まれました。幼い頃から歌うのが好きで歌手になることを夢見ていた彼女は、9歳の時に地元ののど自慢大会で優勝し、全国各地の大会で入賞するようになります。1986年には『長崎歌謡祭』グランプリを史上最年少(中学一年生)で獲得し、スカウトされて上京します。
1989年にポニーキャニオンから、「星美里」という芸名で演歌歌手としてデビューします。しかしヒットに恵まれず、1996年には引退して沖縄県那覇市の姉のもとに移住し、飲食店を手伝いながら歌だけは続けていました。
そんな夏川さんに転機が訪れたのは、1999年でした。演歌歌手時代のディレクターが独立し、彼女のマネージメントを買って出たことをきっかけに、「夏川りみ」と名前を変えて再デビューを果たします。
彼女に運命的な出会いをもたらしたのは、2000年に開催された沖縄サミットのテレビ中継です。夏川さんはその番組で、同郷のBEGINが『涙そうそう』を演奏するのを目にしたのです。
この歌に深く感動した夏川さんは「こんな歌が歌いたい」と強く願い、いてもたってもいられず、先輩と慕うBEGINの元を訪ねました。
夏川さんが『涙そうそう』をカバーしたいと熱心に懇願したところ、BEGINのメンバーは当初、夏川さんのために新曲『あなたの風』を書き下ろすことを提案します。
それでも夏川さんは『涙そうそう』へのこだわりが捨てられず、カバーが実現することになりました。
レコーディングの際、森山良子さんがこの歌に込めた亡き兄へのエピソードを初めて知ります。「もしかしてこの歌は、私が歌ってはいけない歌なのかな…」という気持ちがよぎったそうです。
時間をかけて歌詞と向き合い、歌い方を切り替えることで、BEGINのメンバーから「りーみー、今の歌い方だったらよ、みんなに届くよ」の言葉をもらい、楽曲は完成します。
『涙そうそう』との出会いに「やっと、自分らしさが分かって自信が出てきた」と感じるほど、夏川さんの心境に大きな変化をもたらしました。
全国的な大ヒットとキャリアの確立
『涙そうそう』は、夏川りみの名義における3枚目のシングルとして2001年3月23日にリリースされました。
沖縄県内で人気に火がつき、2001年には沖縄のラジオ3局(エフエム沖縄、琉球放送、ラジオ沖縄)で年間チャート1位を記録。その後、徐々に全国へと歌の感動が広がっていきます。
一気に、爆発的に売れたわけではありません。2002年から3年あまりロングヒットを続け、最終的に累計で120万枚以上(出荷ベース)のミリオンヒットを記録しました。
オリコン週間シングルランキングで通算157週のトップ100ランクインという、驚異的な記録を樹立しています。
この大ヒットは夏川りみさんのキャリアを、大きく変えることになりました。2002年末には『涙そうそう』で日本レコード大賞金賞を受賞し、さらにNHK紅白歌合戦に初出場を果たします。その後も5年連続で紅白に出場するなど、国民的歌手としての地位を不動のものにしました。
2004年には『愛よ愛よ』で日本レコード大賞最優秀歌唱賞を受賞するなど、その歌唱力と表現力が高く評価されます。同年にオリコン年間カラオケリクエスト回数で第1位を獲得し、文化庁と日本PTA全国協議会主催の「親子で歌いつごう 日本の歌百選」にも選定されるなど、幅広い世代に愛される国民的楽曲としての地位を確立しました。
夏川さんが三線を演奏しながら歌うスタイルも、『涙そうそう』がきっかけです。
2006年にこの楽曲をモチーフとした妻夫木聡さんと長澤まさみさん主演の映画『涙そうそう』が公開され、大ヒットしました。
映画は血のつながらない兄妹の愛と絆を描いた感動的な物語で、沖縄を舞台に兄・洋太郎と妹・カオルの再会から始まり、彼らの切ない別れまでを繊細に描写しています。
洋太郎の夢の挫折やカオルが兄に対して抱く特別な感情、そして洋太郎の突然の死が描かれ、家族の絆や夢、そして愛する人との別れがテーマとなっています。
国境を越え世界を癒やす普遍の歌声
『涙そうそう』の普遍的なメッセージは日本国内にとどまらず、海外でも高く評価されました。夏川りみさんの歌声は「純粋で、体からの光が暖かく、不純物がなく、リスナーの心を綺麗にする」と評されています。
台湾、香港、上海、シンガポール、タイ、ベトナム、ミャンマーなど、アジア各国でもこの曲は広く知られ、多くの歌手によってカバーされてきました。
海外のメディアは夏川さんを、「40年難得歌姫」や「日本四十年来最美的歌声」と称賛しています。
彼女の人気は台湾での三線専門店や三線教室の誕生、さらには三線ブームに繋がるなど、文化的な影響も与えています。
台湾でこれまで8回コンサートを開催し、最初のコンサートから多くのお客様が来てくれた感激を語っていました。
2019年には韓国の釜山国際映画祭の開幕式で、夏川りみさんは「さとうきび畑」を歌唱しました。その瞬間「批判の声がピタリと止んだ」「皆、涙ながらに夏川さんの歌に聴き惚れた」と主催者が述べたほど、彼女の歌声は国境や文化を超えて人々の心を打ちます。
歌詞に込められた「もう二度と逢えない人を思い出し、切なくなる気持ちは万国共通」というメッセージが、海外でも共感を呼んだのです。
ハワイでは、ケアリイ・レイシェルが現地語でカバーした『カ・ノホナ・ピリカイ』がハワイのグラミー賞であるナ・ホク・ハノハノ・アワードで7部門を受賞し、Song of the Yearにも輝くなど、その普遍的な魅力は国際的にも証明されています。
『涙そうそう』は、ANAの沖縄線キャンペーンや日本郵政グループのCMソングとしても使用され、その知名度をさらに高めました。
楽曲に息づく沖縄の心とリズム
『涙そうそう』の魅力はその歌詞の深さだけでなく、楽曲に息づく沖縄独特の音楽性にもあります。三線独特のサウンドは夏川さんの透き通る歌声と相まって、聴く人の心に深く響きます。
イントロには沖縄音階(琉球音階)が効果的に使われています。通常七音階である「ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ」とは異なる「ド・ミ・ファ・ソ・シ」の五音で構成される琉球音階は、聴くだけで沖縄らしい雰囲気を醸し出します。沖縄音楽特有の「たーたーたーたん」という多様なリズムも、楽曲の味わいを深めています。
楽曲のコード進行は、BEGINのバージョンでは「A→E→D→A→D→A→Bm→E7」というカノン進行に似た流れが特徴で、安定感と説得力を生み出しています。
さらに専門的な分析によれば、楽曲中には「ディミニッシュ」コードが効果的に使われており、これが「セカンダリードミナント」の代理として機能し、緊張から緩和への感情的な動きを強烈に表現しています。
これはジャズなどで使われる「フラットナインス」テンションと似た効果を持ち、聴く人に強い印象を与えます。
歌詞の中に「晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶ あの笑顔」「一番星に祈る それが私のくせになり」といった、空や星に関する言葉が多く登場します。
これらは亡き人への深い想いや、たとえ会えなくても見守られているという信頼、そして自分も懸命に生きていこうとする決意を表しており、多くの人々の心に寄り添う普遍的なテーマとして受け入れられています。
世代を超えて愛され続ける名曲
『涙そうそう』は夏川りみさんにとって、歌手としての存在意義を決定づける記念碑的な一曲となりました。彼女は「この曲に出会ってすべてが変わった」と語り、「やっと、自分らしさが分かって自信が出てきた」と実感したそうです。
この歌を通じて、沖縄の文化を国内外に広める役割も果たしています。
その感動的な歌声と普遍的なメッセージは、発表から20年以上経った今もなお、様々な世代の人々に愛され、歌い継がれています。
音楽の教科書にも掲載され、別れの歌や卒業ソングとしても親しまれています。
『涙そうそう』は人生の様々な局面で心の支えとなる楽曲として多くの人々の心に響き、歌い継がれていくことでしょう。沖縄が育んだ温かい歌声と人々の心に寄り添う深いメッセージによって、これからも多くの感動を生み出し続けるに違いありません。
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