シューマン『クライスレリアーナ』Op.16の深淵:狂気と難易度が織りなすピアニストの挑戦

クラシック音楽

はじめに

ロベルト・シューマンが作曲したピアノ作品『クライスレリアーナ』作品16は、クラシック音楽愛好家の間で近年、人気を急速に高めている傑作です。

かつてはショパンの作品に比べあまり演奏されませんでしたが、現在では多くのクラシックファンに深く聴き込まれています。
この作品は約3〜5分の長さの8つの小曲からなる組曲で、急と緩、短調と長調が交互に現れ、目まぐるしく雰囲気が変化します。
シューマン自身も5年後に「最上」と評価した、彼のピアノ音楽における最高傑作の一つとされています。しかし、この作品には単なる美しいメロディーだけではない、作曲家の内面に秘められた複雑な感情と、それを解釈する上での深い難しさがあります。

『クライスレリアーナ』の誕生背景

『クライスレリアーナ』は1838年に作曲され、同年に出版されました。この作品はフレデリック・ショパンに献呈されています。
作品のタイトルは、多才なE.T.A.ホフマンの音楽評論集から引用されました。
シューマンはホフマンを深く敬愛し、評論集に登場する架空の人物「楽長クライスラー」に自分自身と、当時恋人であったクララ(後の妻クララ・シューマン)の姿を重ね合わせていたと伝えられています。

この作品が書かれた1838年は、シューマンがクララとの結婚を周囲に反対され、苦悩していた時期にあたります。
音楽創作は彼にとって唯一の慰めであり、この頃に数々の傑作ピアノ作品が生まれました。
『クライスレリアーナ』は、シューマン独特の小品をまとめるスタイルが見事に結実した作品です。比較的単純な和声進行が、リズムの変化や思いがけない展開によって大胆に広がり、情熱的でありながらも感傷的ではない、文学的な詩情がダイナミックに表現されています。
主要な調性としては、ト短調(Gマイナー)とその平行調である変ロ長調(B♭メジャー)が頻繁に使われ、第7曲ではハ短調(Cマイナー)という調も選ばれていますが、これはト短調の下属調であり、深い関係性を持っています。

シューマンの内面と「狂気」「劣等感」

『クライスレリアーナ』はクララへの愛が原動力とよく語られますが、この作品に秘められた本質的な感情は、美しい愛だけではありません。
ピアニストの牛田智大さんはこの作品が持つ本質的な感情は、むしろ「劣等感」「憤り」「諦め」、そしてそれらによる「狂気」といった、より生々しいものだと感じています。
シューマンは正統的な音楽教育を受けていなかったという負い目があり、ホフマンの作品に登場する猫のムルが経験を経て成長していく姿に、自分自身を重ね合わせていたようです。

牛田さんは『クライスレリアーナ』とベルリオーズの『幻想交響曲』との共通性を指摘しています。
両作品には、性格が目まぐるしく変わる移り気な要素、断頭台への行進を思わせる描写、終楽章での執拗に繰り返される付点リズム、そして終盤に向けて精神的に異常をきたしていく世界観といった共通点が見られます。
シューマンの創作活動は特定のジャンルに集中的に取り組んだかと思えば、突然別のジャンルに興味が移る「ばっかり食べ」タイプであると言われています。
これは彼の内面の不安定さや、時に危うい均衡の上に成り立つ彼の作品の特徴を映し出しているのかもしれません。

主要な楽章に現れる感情の表現

『クライスレリアーナ』の8つの曲は、それぞれが異なる感情を表現し、シューマンの揺れ動く心を鮮やかに描き出しています。

第1曲「激しく動いて」
冒頭から三連符を駆使した激しい幻想的なパッセージで始まります。シューマンは「Agitatissimo」(非常に興奮して、せきこ んで)という表情記号を付けており、ニ短調で、混沌とした幻想的な世界を作り出す彼の得意技が光ります。

第2曲「たいへん心を込めて、そして速すぎずに」
ゆったりとして暖かく穏やかな印象を与える曲です。調性は変ロ長調に変わり、シューマン音楽のキーワード「innig」(心を込めて)が登場し、内面的な心情が叙情的に表現されています。曲中には全く異なる曲想の二つの間奏曲が挿入されており、特に第二間奏曲は短調で、感情の激流や苦悩を感じさせます。

第7曲「たいへん性急に」
ハ短調、2/4拍子で、「Molto Presto」(極めて速く)という指示があります。激しいアクセントを持つアルペッジョの下降音型が繰り返され、中間部には16分音符の「モルトプレストのフーガ」が登場します。シューマンは熱心にバッハを研究し、フーガを効果的に導入しています。この曲は、ピアニストの技量と表現力が問われる「極めて危険な作品」と評されています。

第8曲「速く、そして諧謔的に」
シューマンはこの曲集を諧謔的な音楽で締めくくっています。軽妙でどこか足元のおぼつかないリズムが特徴的で、オスティナートで動く低音が妖しく響き渡ります。途中には執拗に同一リズムが反復される部分があり、盛り上がりますが、最後は静かに閉じられます。この主題は、後に彼の交響曲第1番『春』の終楽章にも転用されています。

名演奏家たちの解釈と挑戦

『クライスレリアーナ』はその複雑な内面性ゆえに、演奏者にとって高いハードルを持つ作品とされます。楽譜に書かれた音楽的情報を読み解くだけでなく、その裏にある作品のプロットや感情を深く理解するという、より複雑な作業が求められます。

演奏の際、初版と改訂版のどちらを選ぶか、あるいは両方を混合して演奏するかという問題にピアニストは直面します。
『クライスレリアーナ』は楽曲内の部分的な版の混合が「通例の演奏スタイル」となっています。
異なる版がOssia(選択肢として併記された楽譜)によって同時に示されているため、演奏効果の高い方を選択して個人の演奏を組み立てることが容易になっています。

ヴラディーミル・ホロヴィッツ

ホロヴィッツが1969年、CBSにスタジオ録音(ホロヴィッツ66歳)した「クライスレリアーナ」は、それまであまり知られていなかったこの作品が広く認知されるきっかけとなりました。彼は「20世紀最高のピアニスト」と称されます。
批評家の吉田秀和氏は、「もうホロヴィッツのようなシューマンを弾く人は決して現れないだろう」とまで宣言しました。

ホロヴィッツの演奏は、シューマン特有の幻想性を顕著にしています。
第1曲ではシューマンの指示である「Agitatissimo(非常に興奮して、せきこんで)」に従い、激しい幻想的な三連符のパッセージを駆使しています。
第8曲の低いト音(主音)を強調して弾くことで、高音部だけが目立つことなく、土台が安定した建物のようだと評価されています。シューマンが意図した「ぎこちない感じで短く弾く」という遊び心のある表現を忠実に守っています。
第1曲の速いパッセージでは、アルゲリッチやブレンデルと比較して明確さに優れていると評され、羽生結弦選手の4回転ループに匹敵すると例えられました。
第7曲のフーガの部分ではピアノの一音一音がはっきりと分離しており、主題を追いかけるフーガが完璧に表現されていると絶賛されています。
一方で、第6曲の演奏は内田光子と比較して速すぎる(約3分少々)と感じる意見もあり、「やっつけ仕事」という印象を与えかねないという見方もありました。
第7曲でのホロヴィッツは、「プレスト」から「プレスティッシモ」へ一気に加速したり、急に「ヴィヴァーチェ」程度まで減速したりと、時間軸の揺らぎ(アゴーギク)が激しく、「咳き込むような旋律の詰まり」を感じさせることがあります。これは彼一流の演出と見られています。

第2曲後半のブリッジ部分では、楽譜のダイナミクス記号を「無視」してppをmfのように、mfをppのように弾くなど、譜面から逸脱した演奏をします。これが「魂をふるわせる」と評価され、「構造」よりも「表現」を重んじた創造的解釈と評されています。この「闇の中に射し込む一条の光」のような解釈は、シューマンがクララとの結婚を巡る苦しい時期に書いた心情を、具現化しているとも解釈されます。

「クライスレリアーナ」全体では、楽譜が高い精度でリアライズされていると評価され、特に第3曲の最後の和音の力強さや、中間部の曖昧模糊とした音楽の精緻さ、コーダの強烈な打鍵が際立っています。
第4曲の中間部や第5曲のめまぐるしく変わる表情を的確に捉え、第6曲の右手と左手の対話も雄弁です。
第7曲の弾きにくいパッセージでも、曖昧さを残さず音にする見事な指さばきが際立ちます。
第8曲は執拗なリズムをゆったりと始め、中間部は豪快に繰り返されますが、最後は静かに消え入るように終わります。

一般的に知的イメージのないホロヴィッツですが、「クライスレリアーナ」では緻密に楽譜を読み込んでいます。激情的な表現がありながらも鋭利なテクニックから混沌には響かず、風通し良く客観性も保たれている点が、アルゲリッチと対比されます。彼のシューマンは「知的」であると結論付けられています。

マルタ・アルゲリッチ

ホロヴィッツやブレンデルと並び、「クライスレリアーナ」を愛奏する名ピアニストの一人に挙げられます。
「クライスレリアーナ」の代表的名盤とされ、その自由奔放な気質の揺らめきは「切れ味のよい名刀を思わせるギラツキ」として、若きアルゲリッチの特徴がよく表れていると評されます。
「超絶技巧を駆使した非常にピアニスティックでスリリングな演奏」です。

彼女の「クライスレリアーナ」は、「気まぐれな猫のように俊敏に動き回る」のです。

アルフレッド・ブレンデル

アルゲリッチと同様、「クライスレリアーナ」をレパートリーにしていた数少ない名ピアニストです。

彼のシューマン演奏は「真にロマンティック」であり、「深く内省的」と評されます。彼は「知的ピアニスト」であり、ドイツ音楽、特にベートーヴェンやシューマンの解釈に長けていました。
「純粋にロマンティック」ではなく、「どこかドイツ的、つまりドイツの倫理観が根底に横たわっている」とされ、「真実」に迫る演奏であるとされています。
1980年録音の「クライスレリアーナ」は「飾らない」演奏で、第6曲は「意外にも内向的な音色で実に渋い味わいを醸し出す」と評されています。

内田光子

彼女の解釈は「深く内省的」であり、「非常に洗練度が高い」と評価されます。
第6曲では5分以上をかけて「実に丹念にシューマンの心のひだを描いて」います。その演奏は「内省的で瞑想的」であり、「息を呑むほど均整の取れたピアノの音」が鮮烈です。
第7曲ではホロヴィッツと対照的に、最初から最後まで「プレスト」を突き通しており、「端正で正統的な演奏」でありながら「ホロヴィッツよりも劇的で求道的、そして沸き立つような熱い感動を呼ぶ」と評されています。
第5曲は全体的に速いテンポですが、中間部ではテンポを落とし、「舞曲の雰囲気を濃厚に感じさせ」ます。

エリソ・ヴィルサラーゼ

2017年のライブ演奏は「素晴らしいもの」であり、「たいへんな難曲ですが、70歳近いエリソは軽々と弾いていました」。
シューマンの「つぶやきのような声」である内声部が、よく聴こえる演奏です。
第1曲冒頭は、ホロヴィッツやアルゲリッチのようなテンションの高い入りとは異なり、「ちょっとゆっくり目で徐々にエンジンの回転を早めていくような入り」で、「スロースターター」と評されています。
楽曲の最後の終わり方は「いつ終わった分からないような、曖昧というか微妙な終わり方」で、これは第8曲の「結」の部分と冒頭の「起」の部分が繋がっているという「サイクル形式(文学的・音楽的な関連性をもった構成)」のイメージで演奏しているためと解釈されています。この解釈は「東洋的な輪廻のイメージ」と「クララへの永遠の愛のイメージ」にも符合します。

ウィルヘルム・ケンプ

エリソ・ヴィルサラーゼやラドゥ・ルプーと同様に、比較的穏やかな入り方で演奏しています。
派手さはないものの、サイクル形式を感じさせると評価されています。
第4曲は「素朴なシューマン」として「味わい深い」演奏です。

ラドゥ・ルプー

ケンプやヴィルサラーゼと同様に、比較的穏やかな入り方で演奏するとされています。
派手さはないものの、サイクル形式を感じさせる演奏だと評価されています。
「千人に一人のリリシスト」と評されるルーマニアのピアニストであり、シューベルトの「即興曲集」では繊細で美しいメロディを詩的で叙情的な演奏で表現していると評価されています.

ダニール・トリフォノフ、ニコライ・ホジャイノフ、ヨアフ・レヴァノン

シューマンの「幻想曲」や「クライスレリアーナ」は「きちんと弾くには意外と難しい曲」とされており、若手の演奏会では満足な演奏が少ない中で、この3名は「きちんと弾いているピアニスト」として例外的に名前が挙がります。
シューマンの音楽はモチーフで構成されており、それをうまく繋げることができて初めて曲になるとされ、彼らはそれを達成しているのです。

アルフレッド・コルトー

シューマンの作品の中にはシューマン自身が入り込んでいます。クレイスレリアーナを作曲したとき、クララに、この曲の中には、君に対しての喜び、悲しみ、淋しさ、怒りのすべてが入っていると言ったそうですね。

芸術新潮1952年11月号 来日中のコルトーへのインタビュー記事

スタニスラフ・ネイガウス

「クライスレリアーナ」の「名演奏で名高い」ピアニストとして挙げられています。
スヴャトスラフ・リヒテルが「クライスレリアーナ」を弾かなかった理由として、ネイガウスがすでに演奏しているから、という理由を挙げていたことが伝えられています。
彼の演奏は「美しさ」を評価されています。

ヴァレリー・アファナシエフ

彼の1992年録音は「重く太い斧でグサッと切られるような(というより殴られるような)味わいが独特」です。
彼が書いた「クライスレリアーナ」の舞台脚本が初発売盤に掲載されていたことからも、この作品への深い関わりがうかがえます。
「精神分裂症的なこの作品を遠慮なく、ストレートに示した名演」であり、その演奏は「誰にも似ていない」ため、初めて聴いた時には「少なからずショックを受け」ます。
第2曲で12分以上をかけており、テンポが遅く、リピートや削除されたフレーズも全て演奏している可能性が示唆されています。
第3曲は「パーカッシヴな表現が目立つ」とされ、特にコーダは「不気味」で、左手のフレーズには「邪悪さすら感じ」ます。
第7曲では、シューマンの演奏指示をそのまま生かした形で3段階でスピードを上げていくという、他の演奏では聞けない衝撃的な加速をしています。

アンネローゼ・シュミット

1970年代にエテルナ・レーベルに録音された彼女の「クライスレリアーナ」は、「決して派手さはない」ものの、作品に真摯に向き合う「繊細にして優美な演奏スタイル」が目に浮かぶようです。

ロリアンヌ・コルネイユ

彼女のアルバムには「クライスレリアーナ」を含むシューマンの後期作品が収録されており、非常にコンセプトの高いプログラムとなっています。彼女はブリュッセルでエフゲニー・モギレフスキーに師事したピアニストです。

イェルク・デームス

彼の「クライスレリアーナ」の演奏はアファナシエフ盤に比べて「もっと正常(?)」であり、「独特のむら気」も感じられ、「過不足ない演奏」だとも評されます。彼のシューマン全集は作曲家の心情に寄り添った作品がフューチャーされています。

マウリツィオ・ポリーニ

2001年録音の「クライスレリアーナ」は「理路整然としていて」、アルゲリッチやアファナシエフの演奏を聴いた後では「もう少し狂気を感じたい」と思うこともありそうです。
第6曲は、「意外にも内向的な音色で実に渋い味わいを醸し出す」と評されています。

スヴャトスラフ・リヒテル

彼は「クライスレリアーナ」を演奏しなかったとされています。その理由は、同じく名ピアニストであるスタニスラフ・ネイガウスがすでにこの曲を演奏していたからだと伝えられます。これは彼がショパンのピアノ協奏曲第1番やピアノソナタ第3番も演奏しなかった理由と同様です。

これらの解説を通じて各ピアニストが、「クライスレリアーナ」の多様な側面をどのように解釈し、表現しているかを深く理解することができます。

『クライスレリアーナ』が現代に語りかけるもの

『クライスレリアーナ』はその幻想的な世界観と内面的な感情の表現によって、今なお多くの聴衆を魅了し続けています。
作曲された当時はショパンの作品ほど演奏されませんでしたが、現在ではその立場が逆転しそうな勢いです。
評論家の吉田秀和氏はこの作品が、「8曲から成るある意味壮大な曲で、今ではショパンのピアノソナタより人気が上回っています」と紹介していました。

この作品はシューマン自身の人生と深く結びつき、特にクララとの恋愛における苦悩が創作の原動力となりました。
しかしその根底には作曲家の持つ「狂気」や「劣等感」といった、より深い人間的な感情が横たわっていると解釈されています。
ピアニストのダナ・チョカルリエさんは、「シューマンの作品群は道しるべとなるような古典的な法則が存在しないため、容易に道に迷ってしまう。作品同士が互いを解明する鍵となっており、『コード化』された関係性の網目を解読していく必要がある」と語っています。

『クライスレリアーナ』はシューマンの複雑な精神世界が凝縮された、まさに「クラシックピアノ作品の金字塔の一つ」でしょう。
この作品を聴くことはシューマンという天才の、多層的な感情と音楽的創意の旅路を追体験することなのです。

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