ジャック・ブレルはベルギーに生まれ、フランスでその名を馳せた、20世紀を代表するシャンソン歌手です。作詞・作曲家、「詩人」とも評された偉大なアーティストでした。
彼の膨大なレパートリーの中でも、特に象徴的な一曲が「愛しかない時 (Quand on n’a que l’amour)」です。この曲は希望と人間愛、そして平和への強い願いを込めた普遍的なメッセージを伝え、発表から半世紀以上が経った今もなお、世界中の人々の心に響き渡る傑作として愛されています。
シャンソン界の巨匠 ジャック・ブレル その人生と哲学
ジャック・ブレルは1929年4月8日にベルギーのスカールベークで生まれ、1978年10月9日に49歳で他界しました。
彼の父親はフランデレン地方の出身で、ブレル自身も自らをフランデレン人歌手だと公言しています。
若きブレルは実家の板紙工場で働く傍ら、カトリック人道主義の青年組織「ラ・フランシュ・コルデ」に加わり、歌や演劇に熱中しました。クラシック音楽(主にモーリス・ラヴェルとフランツ・シューベルト)の愛好家として、いつでもどこでも作曲を続けます。
彼の才能は新人発掘で知られるジャック・カネッティの目に留まり、1953年には初のレコードをリリース、そして1954年にはパリに移住して初のアルバムを発表。「オーケー悪魔 (Le Diable “Ça va”)」をジュリエット・グレコが歌ったことをきっかけで、彼の名は広く知られるようになります。悪魔が地球にやってきて、国家や資産家が人々を苦しめるさまに満足し、酒宴を開くという歌詞です。ベルギーの公共放送では、放送禁止となりました。
ブレルはやがて「ル・グラン・ジャック(偉大なるジャック)」と呼ばれるようになり、その詩は愛や死、人生における苦闘、政治、人間関係、そして時にはユーモアも交え、多岐にわたるテーマを探求しました。
彼の歌詞は日常の言葉の中に斬新さと深みを共存させ、視覚的なイメージを喚起させる豊かな表現に満ちています。
デヴィッド・ボウイやマーク・アーモンドといった英米の著名なアーティストにも影響を与え、彼がシャンソン界の三大巨匠の一人として位置づけられる所以となっています。
ブレルは人生の終盤に南太平洋のマルキーズ諸島に居を定め、1977年に生前最後のアルバム『遙かなるマルキーズ諸島 (Les Marquises)』をリリースしました。末期のがんで余命いくばくもない事を知りながら完成したアルバムと、1テイクで録られたという同名の1曲。まさに「詩人の魂」と表するしかないような、最後の境地が描かれています。
「愛しかない時」の誕生とブレルの出世作
「愛しかない時 (Quand on n’a que l’amour)」は、1956年9月18日にアンドレ・ポップの編曲・指揮のもとで録音されました。この曲は、同年11月には4曲入りのEP盤としてリリースされ、翌1957年にはアルバムとして、ブレルにとって初の大きな栄誉である「ACCディスク大賞(アカデミー・シャルル・クロのグランプリ)」を受賞しました。この賞は、この曲がブレルにとっての「真のスタート地点」であったことを決定づけ、彼を一躍有名にしました。
この曲にはいくつかの録音バージョンが存在します。
最初のバージョンは1956年9月18日にアンドレ・ポップの編曲で録音され、現在のベストアルバムに収録されているのは1960年1月25日頃にフランソワ・ローベールの編曲・指揮で再録音されたバージョンです。
1972年6月27日には、ジェラール・ジュアネストのピアノが大きくフィーチャーされたバークレー社での再録音版も発表されており、これも「スタンダード」としての風格を持つ名録音とされていますが、現在のベストアルバムでは旧録音が採用されています。
初期のライブ録音としては、1961年10月のオランピア劇場公演や、1963年7月のベルギー・クノックでのライブが貴重な映像として残されており、ブレルがギターの弾き語りでこの曲を披露している姿を見ることができます。
ブレル自身はこの曲について、「これは決してラブソングではありません。実のところ、私は経済会議の中継中にこれを書いたのです。演説者が(もし記憶が正しければ)分配経済について話していました。『愛を分かち合うことしかできない時』という言葉は、そこから生まれたのです。だからこれを、ラブソングとは呼ばないでください」と述べています。
歌詞に込められた希望と反戦のメッセージ
Quand on n’a que l’amour 愛しかないとき 作詞・作曲: Jacques Brel (ジャック・ブレル)
Quand on n’a que l’amour À s’offrir en partage Au jour du grand voyage Qu’est notre grand amour 愛しかないとき 僕たちの限りなき愛という 大いなる旅立ちの日に たがいに分かち合うべきものが 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour Mon amour toi et moi Pour qu’éclatent de joie Chaque heure et chaque jour 愛しかないとき いつの日もいつの時も 君と僕の愛は 喜びで満たされ その時その時が その日その日が 喜びで輝くために 僕の恋人である君と僕に 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour Pour vivre nos promesses Sans nulle autre richesse Que d’y croire toujours 愛しかないとき 何の富も無く いつもただ信じて 僕たちは愛を契り 僕たちが自分たちの約束をまっとうするのに その約束をいつも信じる以外に どんな豊かさも持たず 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour Pour meubler de merveilles Et couvrir de soleil La laideur des faubourgs 愛しかないとき 巷の醜さも 太陽の光が覆い 素晴らしいもので満たされる
Quand on n’a que l’amour Pour unique raison Pour unique chanson Et unique secours 愛しかないとき 分かり合える歌だけが たった一つの救い ただ一つの理由として ただ一つの歌として ただ一つの救いとして 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour Pour habiller matin Pauvres et malandrins De manteaux de velours 愛しかないとき 貧者にも盗賊にも ビロードの外套を 朝に与え 着せてあげる以外 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour À offrir en prière Pour les maux de la terre En simple troubadour 愛しかないとき 地上の苦しみに 一人の詩人によって 祈りがささげられ 祈りを捧げるのに 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour À offrir à ceux-là Dont l’unique combat Est de chercher le jour 愛しかないとき 光明を求め 闘う人々に 手を差し伸べ 日の光を求めることが 唯一の戦いという 人々に捧げようにも 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour Pour tracer un chemin Et forcer le destin À chaque carrefour 愛しかないとき 人生の分岐点で たどるべき運命の 道筋を示し 運命を切り開くにも 愛しかないとき
Quand on n’a que l’amour Pour parler aux canons Et rien qu’une chanson Pour convaincre un tambour 愛しかないとき 軍隊の太鼓を説得するのに 歌だけが 大砲に語ることができる 愛しか持たず 愛しかないとき
Alors sans avoir rien Que la force d’aimer Nous aurons dans nos mains, Amis le monde entier 何を持っていなくても 愛の力だけで 私たちは手と手に 世界中の友と繋がることが出来る 僕たちはこの手に 世界中を友として得るだろう
「愛しかない時」の歌詞は、発表当時の時代背景と深く結びついています。1956年10月にはハンガリー動乱とソ連による軍事介入が起こり、フランスは1954年から続くアルジェリア戦争の渦中にありました。このような緊迫した状況下でリリースされたため、この歌は反戦歌として、そして軍事行動に対する抗議の歌として、特にカトリック系の若者たちから絶大な支持を集めました。
歌詞の冒頭は、「愛しかない時/僕たちの愛の大いなる旅立ちの日に/愛を分かち合い」と、愛の重要性を静かに歌い上げます。しかし、その後の歌詞では、愛が持つ具体的な力について語られます。
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「貧者にも盗賊にも/ビロードの外套を/朝に与え」 貧しい人々や社会から疎外された人々(盗賊)にも、愛があれば温かい手を差し伸べることができるというメッセージです。単なる物質的な支援ではなく、愛によって彼らを包み込み、人間としての尊厳を与えることを示唆しています。
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「地上の苦しみに/一人の詩人によって/祈りがささげられ」 「詩人」と評されたブレルが、苦しむ世界に対して歌や言葉を通じて祈りを捧げる、芸術家の役割を示しています。
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「光明を求めて/闘う人々に/手を差し伸べ」 希望を求め、困難な状況で奮闘する人々への連帯と支援の表明です。
そしてこの曲の最も象徴的な、反戦のメッセージを強く打ち出す部分です。
- 「大砲に語りかけるのに/愛しかない時/軍隊の太鼓を説得するのに/歌だけしか持たぬ時」 「大砲」は戦争そのもの、「太鼓」は軍事行動やプロパガンダのメタファーとして使われています。愛と歌の力だけが暴力や紛争を止めることができるという、ブレルの強い平和への願いが込められています。これは紛争や戦乱の現実に対する深い洞察であり、絶望的な状況にあっても「愛する力」だけが唯一の救いになり得ると訴えかける、力強く普遍的なメッセージです。
ブレルの歌は人間社会が抱える問題と向き合い、困難な状況にあっても人間を信じ続けることができる「愛する力」に訴えかけます。彼の特徴的な歌唱法である「ブレル風クレッシェンド」は、静かに始まりながらも徐々に感情が高まり、聞き手の心に強く訴えかける効果を生み出しています。
時代と国境を越えて響き続ける普遍性
「愛しかない時」はその発表から長い年月が経っても、そのメッセージの普遍性ゆえに、様々な時代や場所で歌い継がれてきました。 ごく最近では、2015年11月13日のパリ同時多発テロ事件で、犠牲者への鎮魂歌として歌われました。2016年3月に故郷ブリュッセルで起きたテロ事件の直後には、「かつてのライバル」であるジョニー・アリディが犠牲者のためにこの曲を歌い、ブレルへの敬意を表しました。
日本の歌手クミコは、2022年2月末に始まったロシアによるウクライナ侵攻を受けて、この歌を改めて新録音し、ミュージックビデオを公開しました。彼女は当初、この「世界的反戦歌」とどう向き合うべきか悩み、一時歌えない状況に陥ったものの、ウクライナ在住の知人から「歌を聴いて涙があふれました。その涙と共に悲しみが少し体の外へ出ていきました」というメッセージを受け取ります。そこから歌い続ける決意を新たにしたというエピソードは、この歌が持つ癒しの力を強く示しています。
セリーヌ・ディオンが「愛しかない時」をクライマックスで披露したり、パトリシア・カースやララ・ファビアンが歌ったり、ヤドランカもこの曲をカバーしたりと、国内外の多くの著名な歌手にカバーされてきました。楽譜としても「ピアノ&ボーカル&ギター」向けにダウンロード販売されており、多くの音楽愛好家が演奏しています。この歌は人々の悲しみや苦しみに寄り添い、希望を与え続ける、まさに「普遍のメッセージ」を伝える存在となっているのです。
ジャック・ブレルの芸術的深みとその他の名作
ジャック・ブレルの芸術性は、「愛しかない時」にとどまりません。彼の作品には、人間の本質や社会の様々な側面を深く掘り下げたものが数多くあります。
例えば、長年連れ添った夫婦の愛と同時に「危機の数々」を鋭い観察眼で描いた「懐かしき恋人たちの歌 (La chanson des vieux amants)」は、ブレルがまだ37歳だった頃に発表されたにもかかわらず、その人間洞察の深さに驚かされます。
アルコール依存症の友人を救おうとする歌「ジェフ (Jef)」では、底辺で生きる人々の姿に同情だけでなく、辛辣さも混ぜ合わせた描写が光ります。港での水夫や娼婦たちの姿を描いた「アムステルダム (Amsterdam)」は、スタジオ録音が存在せずライブ録音のみが正式な音源とされているものの、その激しい感情とエネルギーに満ちたパフォーマンスは、「ぬるいパンクロックの100倍のエネルギー」と評されるほどです。
ブレルは人生の終盤に南太平洋のマルキーズ諸島に居を定め、1977年に生前最後のアルバム『遙かなるマルキーズ諸島 (Les Marquises)』をリリースしました。
このアルバムには、ナチス・ドイツによるベルギー侵攻の苦い記憶を赤裸々に歌った「1940年5月 (Mai 40)」 や、死生観を哲学的に描いた「眠れる街 (La ville s’endormait)」、そして友人の悲しみに寄り添う「涙(友が泣くのを見る) Voir un ami pleurer」 など、彼の「本音」が詰まった作品が収録されています。
「眠れる街」ではブレルの女性観、その「最終結論」が述べられており、一部に辛辣な一節があるものの、全体としては「死生観」が歌われた「哲学的」な内容です。モラーヌが女性に関する部分をカットして歌うなど、解釈の余地がある作品でもあります。
彼の詞は、単語一つ一つは分かりやすくても、その繋がりやイメージ、そして哲学的な含蓄を日本語に置き換えることが非常に難しいと言われるほど、奥深いものです。
しかしその難解さこそが彼の作品の多層的な魅力であり、聴き手に解釈の余地を与え、長く愛される理由なのかもしれません。
結び
ジャック・ブレルの「愛しかない時」は彼のキャリアの出発点であり、希望と反戦の普遍的なメッセージを込めた記念碑的作品です。
この歌は愛の持つ力と、どんな困難な時代においても人間を信じ続ける希望の重要性を私たちに教えてくれます。
ブレル自身の人間性、社会への鋭い眼差し、そして卓越した詩作の才能が一体となって生み出されたこの名曲は、これからも世代を超えて歌い継がれ、多くの人々の心に深く刻まれ続けることでしょう。彼の歌声が響く限り、愛と希望のメッセージは決して色褪せることはありません。
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