2024年10月18日に公開された映画『まる』は、KinKi Kidsとして国民的スターの顔を持つ堂本剛さんが、27年ぶりに単独で映画主演を務めたことでも大きな話題となりました。
独特な世界観で知られる荻上直子監督がメガホンを取り、現代社会における「価値」や「自己」という深遠なテーマを、奇想天外な物語を通して問いかけます。本作は、観る人それぞれの心に響く、多層的なメッセージが込められた作品です。
堂本剛さんが見せる27年ぶりの新境地
近年、音楽活動を中心に活躍してきた堂本剛さんが、今回の映画『まる』で27年ぶりの単独主演を果たしました。この出演は荻上直子監督と企画プロデューサーによる、約2年間にわたる熱烈なオファーの成果です。最後は「自分が必要とされている役なら」と心を動かされ、出演を決断されたそうです。
映画『まる』のあらすじは以下の通りです。
主人公・沢田の現状
沢田(堂本剛)は美大を卒業したものの、アートで生計を立てることができず、人気現代美術家・秋元洋治(吉田鋼太郎)のアシスタントとして働いています。
独立する気力も失い、言われたことを淡々とこなすだけの毎日を送っていました。
家で水槽の古代魚に向かって平家物語の「諸行無常」の一説を唱える姿は、「諦めから来る無欲さ」を象徴しています。
物語の始まり
ある日、通勤途中に自転車で事故に遭い、腕に怪我を負ったことで職を失います。
失職後、部屋に戻ると床に一匹の蟻を見つけました。
その蟻に導かれるように、筆で〇(まる)を描き始めます。
「まる」による日常の浸食と沢田の葛藤
沢田が描いた「まる」は知らぬ間にSNSで拡散され、彼は正体不明のアーティスト「さわだ」として一躍有名になります。
彼の描いた「まる」は骨董屋(片桐はいり)に売られ、その後、怪しげなアートディーラー・土屋(早乙女太一)の目に留まり、高値で取引されるようになります。
「まる」は禅宗で最高の悟りを表す「円相」だと解釈され、平和への願いを表すものとして社会現象になっていきます。
しかし、自分が無心で描いたものが手元を離れ、勝手に意味付けされ、制御不能なほど大きな存在になっていくことに沢田は戸惑い、翻弄されていきます。彼は次第に「まる」にとらわれ始めてしまいました。
沢田を取り巻く人々
隣人の売れない漫画家・横山(綾野剛)は社会に対する不満を抱え、沢田とは対照的な考えを持ちながらも、奇妙な友情を築いていきます。横山が沢田の部屋の壁を蹴り破って穴を開けたことで、二人の距離が縮まるきっかけとなります。
沢田と同じアトリエで働くアシスタント・矢島(吉岡里帆)は、秋元からの搾取体制に怒りを覚えています。
沢田がアルバイトをするコンビニの店員・モー(森崎ウィン)は、ミャンマー出身で仏教の精神を心の拠り所にしており、「福徳円満・円満具足」といった言葉で沢田を励ます温かい存在です。
公園で鯉に餌を与える謎の人物「先生」(柄本明)は、沢田に「もがいてみればいい」と助言を与え、彼がスランプに陥った際にも再び現れ、沢田の創作活動に影響を与えます。
野心的なギャラリーオーナー・若草萌子(小林聡美)や、高校の同級生・吉村(おいでやす小田)、アパートの大家さん(濱田マリ)、新人アシスタント・田中(戸塚純貴)、古道具屋の店主(片桐はいり)など、個性豊かな登場人物たちが沢田の人生に関わっていきます。
クライマックスと結末
沢田は利き腕の怪我が完治し、「まる」ではない、本当に自分が描きたい絵を描きます。
しかしアートディーラーやギャラリーオーナーは、高く売れる「まる」を要求しました。
沢田は要求通りに「まる」を描きますが、その絵の中心を無言で拳で突き破り、画廊を立ち去ります。
その後、沢田はアパートの老朽化と建て直しを受けて、田舎へ引っ越しました。
質屋には沢田の「まる」の贋作が溢れていますが、沢田はコンビニのバイト先輩に頼まれて色紙にサインのない「まる」を描き、それが今までで一番うまく描けたと感じます。
映画は沢田が田舎道を自転車で走る姿で終わり、遠くフランスの美術館では、彼が拳で突き破った「まる」の絵が展示され、絶賛されている様子が描かれます。
この物語は沢田が周囲の評価や欲望に縛られず、本来の自分を取り戻していく過程を描いています。
練習なし 一発撮りの「まる」
これまでの作品で自らストーリーを推し進める役柄が多かった堂本さんにとって、本作で不思議な事態に巻き込まれていく沢田というキャラクターは、まさに新境地と言えるでしょう。セリフに頼らず、表情や目の動き、佇まいだけで沢田の心情を見事に表現しています。
利き手ではない左手で円を描くシーンで、練習なしの一発撮りで均整の取れた「まる」を描き上げ、制作スタッフからも惜しみない称賛を受けました。長年の表現者としてのキャリアと、役への真摯な向き合い方が生み出した「真骨頂」の瞬間と言えます。
さらに堂本さんは、自身のクリエイティブプロジェクト「.ENDRECHERI.」と「堂本剛」のダブルネームで、本作の映画音楽も担当しています。
自身のソロデビュー曲である「街」が主題歌に採用されるなど、音楽面でも映画の世界観を深く彩りました。
役者一人ひとりの「呼吸」が音楽になっていたため、最初は音楽をつけなくても良いのではと考えたそうですが、監督からの要望を受け、初めての映画音楽制作に挑んだそうです。
荻上直子監督が描く独特の世界と現代社会
本作の監督・脚本を務める荻上直子監督は、『かもめ食堂』『彼らが本気で編むときは、』『波紋』など、数々のオリジナル脚本で国内外から高い評価を得てきた映画作家です。彼女の作品は独特な世界観と、どこか奇妙でユーモラスな人間描写が特徴です。
『まる』は荻上監督が長年抱いていた「堂本剛さんを主演に映画を撮りたい」という思いから、企画がスタートします。
堂本さんの過去のインタビューを徹底的にリサーチし、彼の「自分自身を見失ってしまった時期」や「音楽によって自分を取り戻した」という経験からインスピレーションを得て、沢田という主人公を「当て書き(その役を演じる俳優をあらかじめ決めておいて脚本を書くこと)」で生み出しました。
監督は堂本さんのことを「想像以上に純粋で真面目な方」だと感じていて、その純粋さが沢田の役柄にも反映されていると言います。
本作は、荻上監督がこれまでの作品で描いてきた「閉鎖的なユートピア空間」から一歩踏み出し、現代社会の不条理や「価値」というテーマに深く切り込みました。
監督はこの映画を、「自分のことを映す鏡」のように感じると語っています。
沢田のように自分を見失いそうになる部分と、隣人の横山のようにネガティブな感情を抱える部分の両方を、自身の中に持っていると感じるそうです。
「まる」というモチーフが持つ多層的な意味
映画のタイトルにもなっている「まる」は、物語の中心となる重要なモチーフです。
沢田が偶然描いた「まる」はSNSで拡散され、正体不明のアーティスト「さわだ」の作品として社会現象となります。この「まる」は禅宗で悟りや真理、宇宙全体を表す「円相」としても解釈され、高額で取引されるようになります。
しかし、沢田が「欲」を持って描いた「まる」は、画商から「欲が詰まっている」と評され売れません。これは作品の「価値」が作り手の意図や技術だけでなく、社会的な解釈や市場の動向によって大きく左右されるという現代アートの不思議さを、風刺しているようにも見えます。
荻上監督は、「なぜこれが?」というものが価値を持つ現象を描きたかったと語り、「まる」が誰にでも描けるからこそ、その究極の題材だと感じたそうです。
物語が進むにつれて、「まる」は沢田の日常を浸食し、彼を有名アーティストとして社会に縛りつけます。
しかし最終的に沢田は、他人が求める「まる」ではなく、自分の描きたい絵を描き、「まる」を自らの拳で突き破ります。これは社会の期待や評価に囚われず、「自分が自分でいること」を選ぶ沢田の姿を表しています。
この「まる」には「福徳円満」や「円満具足」といった、財も心も満たされた状態を意味する仏教的な解釈も込められています。
沢田が他人の評価や金銭的な価値に執着せず、ただ描きたいという「根源的な欲求」に従う姿は、荻上監督が伝える「なんの役にも立たない人間だっていいじゃないか」というメッセージと重なります。
作品のタイトルである「まる」は、「丸投げ」という意味も込められていると堂本さんは語っていまました。観客が、それぞれ自由にこの映画から何かを感じ取ってほしいという願いが込められているようです。
個性豊かな登場人物と俳優陣の熱演
本作は堂本剛さん演じる沢田を中心に、個性豊かなキャラクターたちが登場し、物語に深みを与えています。
沢田の隣人で、売れない漫画家・横山を演じるのは綾野剛さんです。当初、台本上では「いけ好かない」人物として描かれていましたが、綾野さんの演技によってその攻撃的な言動の裏に人間味や愛らしさすら感じる、チャーミングなキャラクターに昇華しました。
綾野さんは堂本さんとの初共演を「ご褒美のような時間」と表現し、撮影現場での二人のセッションのような演技のやり取りは、映画の仕上がりに大きな影響を与えています。
沢田と同じアトリエで働くアシスタント・矢島役の吉岡里帆さんは、社会のシステムに不満を抱く若者をパワフルに演じています。
ミャンマー出身のコンビニ店員・モーを演じる森崎ウィンさんは、客から差別されても明るく振る舞い、「人間丸くないと」と沢田を励ますなど、温かさで物語を包みます。
その他にも、謎の人物「先生」を演じる柄本明さん、野心的なギャラリーオーナー・若草萌子を演じる小林聡美さん、怪しげなアートディーラー・土屋を演じる早乙女太一さん、厳しくも癖のある現代美術家・秋元洋治を演じる吉田鋼太郎さんなど、豪華なキャスト陣がそれぞれの役柄を魅力的に演じ、物語の世界観を豊かにしています。
荻上監督は本作のキャスティングに成功し、俳優陣の力で自身の想像を超える作品を生み出したと絶賛しました。
映画が問いかける「価値」と「自己」のあり方
『まる』は一見すると奇妙な出来事に巻き込まれる男の物語ですが、その根底には現代社会における「価値」や「自己」のあり方に対して、深い問いかけが込められています。
物語は沢田がアートの世界で成功できず、無気力な日々を送っている姿から始まります。しかし、彼が「無心」で描いた「まる」が予期せぬ評価を受けることで、人生が大きく変わります。この過程は、私たちが日ごろ何かに「価値」を見出しそれに一喜一憂する様子や、他者の評価によって自身の価値を測ってしまう現代社会の姿を映し出しています。
「生産性の低い人間はだめなのか」「人の役に立たないと存在する意味がないのか」といった現代に生きる多くの人々が抱える漠然とした不安や葛藤に、この映画は優しく寄り添います。10代、20代の若者たちから「背中を押された」「救われた」といった感想が多数寄せられ、多くの「今」に響くメッセージが投げかけられていると、堂本さんは感じたそうです。
沢田の物語は予期せぬ成功によって混乱し、他者に求められる自分と本来の自分との間で葛藤しながらも、最終的には「自分らしく生きる」ことを選択する姿を描いています。
情報が氾濫し、SNSによって容易に他者と比較される現代において、私たち一人ひとりが自身の内なる声に耳を傾け、本当の「価値」とは何かを見つめ直すきっかけを与えてくれるでしょう。
『まる』は一度観るだけでは捉えきれない、奥深いテーマが詰まった作品です。観るたびに理解が深まり、自身の心の状態に合わせて作品の感じ方も変わっていくような、不思議な魅力を秘めています。ぜひ、この映画を繰り返し鑑賞しながら、あなた自身の「今」と「これから」について、じっくり「私」と対話してみてください。
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