ブッカー・アーヴィン『ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン』〜魂の叫びと友情が刻まれたジャズの傑作〜

ジャズ

はじめに 〜ブッカー・アーヴィンの特別な一枚〜

ジャズの歴史には、数々の偉大なテナーサックス奏者が名を連ねています。ブッカー・アーヴィンジョン・コルトレーンソニー・ロリンズのような圧倒的な知名度こそ得られませんでしたが、深く心に響く独自の音楽性で多くのジャズファンを魅了してきました。

 

彼のテナーの音色は力強く、時に荒々しく、そして感情に満ちたものです。ハードバップの堅固な基盤を持ちながらも、アバンギャルドの自由な表現にも臆することなく踏み込んだ彼のスタイルは、まさに奥深いサウンドと評されます。
彼の短い生涯を凝縮したかのようなアルバムが、今回ご紹介する『ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン』です。彼の圧巻のライブ演奏と、親友による感動的な追悼曲が組み合わさった、ユニークで重要な位置を占める一枚です。

テナーサックスの異端児、ブッカー・アーヴィン

ブッカー・アーヴィンはテキサス州デニソンに生まれ、父親からトロンボーンを教わりました。その後、米国空軍在籍中にテナーサックスを独学で習得し、ボストンのバークリー音楽大学で音楽理論を学びました。
彼の演奏はテキサス出身らしいブルースに深く根ざした力強い音色と、ゴスペル調のフレーズが特徴です。
キャリアの初期において、カリスマ的ベーシストで作曲家でもあるチャールズ・ミンガスと密接な協力関係を築きました。1956年から1963年にかけてミンガス・バンドで活動し、『ミンガス・アー・アム』や『ブルース・アンド・ルーツ』などの傑作でその情熱的なソロを披露し、バンドの炎のようなエネルギーに貢献します。

ブッカー・アーヴィンの名盤5選

『ザ・フリーダム・ブック (The Freedom Book)』 (1964年)

ブッカー・アーヴィンのキャリアにおけるハイライトの一つであり、「傑作」「卓越した作品」と評されています。プレスティッジ・レコードからリリースされた、通称「ブック」シリーズの最初のアルバムであり、彼の最も優れた録音の一つです。

1963年12月3日に録音され、ピアニストのジャッキー・バイアード、ベーシストのリチャード・デイビス、ドラマーのアラン・ドーソンという強力な面々が参加しています。この組み合わせは「ジャズ史上最も過小評価されているリズムセクションの一つ」と評されます。
彼の「テキサス・テナー」サウンドの力強さとビバップの複雑さ、そしてフリージャズの要素を融合させた独自のスタイルを明確に示しています 。

「A Lunar Tune」はその「ハイボルテージなエネルギー」が顕著で、バイアードのユニークで重厚なコードが際立ち、エリッック・ドルフィーの影響も示唆されています。
1963年11月のJFK暗殺後の悲しみを表現した「A Day to Mourn」は、その感情の深さと技術的な繊細さで、その時代の「最も記憶に残る感動的な音楽表現の一つ」とされています。
彼の「泣き声」のようなサウンド、情熱、そしてメランコリーに焦点が当たります。

『ザ・トランス (The Trance)』 (1965年)

プレスティッジからリリースされたこのアルバムは、「驚くべき」「完全に型破りな」そして「実に催眠術的」な作品と評されています 。ある批評家はジョン・コルトレーンの『至上の愛(ア・ラヴ・シュープリーム)』に匹敵する「ブッカー版」だと評価しました。
彼の「奥深いサウンド」が十分に発揮されており、力強くタフなサウンドと、ブルースやゴスペルのフレーズが特徴的で、アーヴィンの音楽的な独立性を際立たせています。
1965年10月29日にベルリン・ジャズ・フェスティバルで録音され、ケニー・ドリュー(ピアノ)、ニールス=ヘニング・エルステッド・ペデルセン(ベース)、アラン・ドーソン(ドラム)が参加しています。

『ザッツ・イット! (That’s It!)』 (1961年)

このアルバムはブッカー・アーヴィンのリーダー作として初めてリリースされたもので、初期のキャリアを象徴する重要な作品です。
強力で力強く、特徴的な演奏を最高の状態で示しており、古いジャズの要素からジョン・コルトレーンが提唱した「ニュー・シング」まで、幅広い影響を柔軟に取り入れた彼のスタイルが存分に表現されています。

ピアニストのホレス・パーラン、ベーシストのジョージ・タッカー、ドラマーのアル・ヘアウッドによるリズムセクションが、アーヴィンの演奏をしっかりと支えています。
「Mojo」と「Boo」ではモード的なアプローチへの探求が見られ、燃えるような音色と鋭い表現が特徴的です。

『ザ・スペース・ブック (The Space Book)』 (1965年)

「ブック」シリーズの一枚として、『ザ・フリーダム・ブック』とともに頻繁に推奨されるアルバムです。
1964年10月2日に録音され、同じくジャッキー・バイアード(ピアノ)、リチャード・デイビス(ベース)、アラン・ドーソン(ドラム)の布陣で録音されています。
オールミュージックのレビューでは「ブッカー・アーヴィンのユニークなスタイルの素晴らしい例」と評価されており、彼の「奥深いサウンド」が顕著に表れています。

『ザ・ブルース・ブック (The Blues Book)』 (1964年)

これも「ブック」シリーズの一環で、1964年6月30日にヴァン・ゲルダー・スタジオで録音されました。オールミュージックのスコット・ヤナウはこのアルバムについて、「一貫して情熱的なアーヴィンが、比較的シンプルなオリジナル曲を新鮮に響かせ、演奏は頻繁にエキサイティングなインサイド/アウトサイド・ミュージックとなっている」と評し、4.5つ星を与えています。
彼のブルースに根差したサウンドを理解するためにも推薦される作品で、トランペットのカーメル・ジョーンズとピアノのギルド・マホネスが参加しています。

音楽的特徴

ブッカー・アーヴィンのテナーサックスは「強くタフなサウンド」、「硬く情熱的なトーン」、そして「大胆なトーン」によって特徴づけられます。
そのスタイルは「ブルース、ゴスペルのフレージング」と「ブルース主導のテキサス・テナーの伝統」に深く根ざしています。演奏の途中で「高音の寂しい叫び」や特徴的な「泣き」、または「うめき声」を挟むことがあり、時には「バンシーのうめき声」と表現されることもありました。
彼のサウンドを「豊かな大地から生えるサトウキビの茎」のようだと形容する人もいます。

即興演奏のアプローチは感情的で情熱的、独創的で華やかです。「荒々しいブルースと洗練されたジャズ」をシームレスに融合させ、ビバップの複雑さとフリージャズの示唆を取り入れました。彼のソロはしばしば聴者を釘付けにしながらも常に変化し、「マイクロトーン(微分音)の叫び、ねじれたモチーフ、変形されたビバップ」が組み込まれています。
エネルギッシュにスイングし、アップテンポの曲での燃えるような演奏を得意としました。

「複雑なビバップ」「キュビスト・ビバップ」と評されることもありました。広範囲なインターバルを使い音を大幅にオクターブで隔てることで、時には「ビバップのパロディ」のように聞こえることもあります。
多調性のアプローチ」も特徴です。彼のソロはバリエーションが少ないという意見もあり、「速いソロと遅いソロの2種類しかない」と指摘されることもありますが、多くのファンは「何を演奏したか」よりも「どのように演奏したか」を評価しています。
彼の演奏は「ブルドーザーのよう」で、「わが道を行くテナー演奏」と形容されます。

その強烈さや獰猛さにもかかわらず、繊細なタッチや深い感情表現も持ち合わせていました。
アーヴィンは繊細なピアノのコードと、ソウルフルなメロディラインの叫びを奏でることができました。
他のミュージシャンに深く共感し、リズムの上を漂うように演奏する能力がありました。
彼のレコーディングセッションはその自発性で知られ、1回、2回、多くとも3回のテイクで済ませ、完璧さよりも熱意と自発性を優先しました。

彼はテキサス・テナーの伝統を引き継ぎ、強く豪快で、一本気で、アーシーにブルージーに泥臭く吹きまくる面と、アバンギャルドと言ってよい先鋭的な「二つの顔」があります。
フレーズの最後がベントする(音を抜きながら曲げる)奏法や、ジョン・コルトレーンの「シーツ・オブ・サウンド」を思わせる細かく音を敷き詰める奏法が挙げられますが、これらは彼が独自に発展させたものです。

バラードはドライでハード、感傷的な要素がなく、それがかえって「どん底に突き落とされるような悲しみ」を抱かせます。一方で、ランディ・ウェストンのアルバムでは「濁りのない全てを包み込むような極めて純化された感情」も感じさせます。ランディ・ウェストンはアーヴィンを「ジョン・コルトレーンと同レベル」とし、「完全にオリジナルのサックス奏者」であり、「名人」と称えました。

アーヴィンはセロニアス・モンクと同様に、音楽的な妥協をしない人物でした。
「コルトレーンやソニー・ロリンズほど先進的でなく、デクスター・ゴードンほど影響力がなかったかもしれない」と認める声がある一方で、「独自の声」を持っていたことから、「コルトレーンやロリンズとの比較は無駄で侮辱的」であるという見解もあります。

彼のキャリアは腎臓病により39歳の短命に終わりましたが、ジャズの世界に「忘れられない足跡」を残しました。ブルースへのこだわり、大胆なトーン、そしてジャズの境界を探求しようとする意欲は、何世代ものミュージシャンに多大なインスピレーションを与えています。

注記: ブッカー・アーヴィンの死亡日については、情報源によって差異があります。ウィキペディアなどの情報源では1970年8月31日とされているのに対し、Last.fmでは1970年7月31日と記されています。また、彼の父親についてトロンボーン奏者であったと複数の情報源が述べているのに対し、ある情報源ではサックス奏者であったと記載されています。

ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン

このアルバムの核となるのは、1965年10月29日にベルリン・ジャズ・フェスティバルで録音された『ブルース・フォー・ユー』の27分を超えるライブ演奏です。

やめろ! 魂の雄叫び『ブルース・フォー・ユー』の衝撃

この伝説的なパフォーマンスは、フェスティバルの主催者側が各サックス奏者に15分という演奏時間制限を設けたことへの、アーヴィン自身の抗議として行われたと言われています。
演奏中には彼の音楽的独立性と妥協しない姿勢を示すかのように、ステージの脇からスタッフの『やめろ!』という叫び声が聞こえる場面もあります。
演奏が終わらないことで、聴衆はアーヴィンの音楽に魅了され熱狂する一派と、演奏を止めさせようとついには殴り合いに発展する一派に分かれた逸話が残っています。

後日、このステージについて尋ねられたアーヴィンは、当時家族とヨーロッパに移り住んだばかりでまだ当地ではあまり知られていなかったため、できるだけ良い印象を与えたかったと語っています。

彼の演奏は『力強い演奏』と評され、シンプルなブルースのテーマから『事実上絶え間なくアイデアを紡ぎ出す』驚異的な能力を示しています。
ポール・ゴンサルベスの有名なマラソン・ソロやジョン・コルトレーンの熱狂的なライブ演奏と比較されることもありますが、アーヴィンの演奏はブルースの核心に深く根差しています。

 

彼の特徴である強くタフなサウンドとブルースやゴスペル調のフレーズ、そして熱狂的で時に催眠術のようなスタイルが存分に発揮され、音楽的独立性が際立つ瞬間です。
このパフォーマンスは彼のキャリアにおける、最も象徴的な瞬間の一つと記憶されています。

友情が奏でる追悼の調べ『ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン』

アルバムのもう一つの重要な要素は、ピアニストのホレス・パーランによるソロピアノ曲『ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン』です。アーヴィンの死から5年後の、1975年に録音されました。

演奏の前にパーランが、アーヴィンとの思い出を語る感動的な言葉が収録されています。シンプルな飾らない言葉で、亡き友への心からの賛辞を贈っています。

アーヴィンとパーランは、チャールズ・ミンガスとの共演を通じて深く長い友情を育みました。
彼らはカルテット『ザ・プレイハウス・フォー』を結成し、およそ1年間活動を共にしました。
経済的な理由でバンドは解散したものの、二人はその後もずっと密接な連絡を取り続け、パーランはアーヴィンのキャリアを遠くヨーロッパから見守っていました。

『ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン』は魂の叫びを音にしたかのようなアーヴィンの演奏とは対照的に、静かで瞑想的な雰囲気を持ち、パーランの心からの深い悲しみと敬意が伝わってきます。
スタジオでの正式な録音ではなく、ポータブルデッキで録音された粗い音質のものですが、その分アーヴィンを悼むパーランの気持ちがダイレクトに、感動的に伝わってきます。

短すぎる生が残した唯一無二のサウンド

ブッカー・アーヴィンのキャリアは、短くも濃密なものでした。
1970年8月31日、彼は39歳という若さで腎臓病のためニューヨーク市で亡くなりました。

彼の早すぎる死はジャズ界において、「もしも彼がもっと長生きしていたら、どのような音楽を生み出していたのだろう」という「もしもの可能性」を残しました。
エリック・ドルフィーやジョン・コルトレーンと同様に、彼の潜在能力は計り知れないものでした。コルトレーンやソニー・ロリンズほど先進的ではなかったかもしれませんし、デクスター・ゴードンほどの影響力はなかったでしょう。
しかし、大胆な音色とブルースやR&Bに影響を受けたスタイル、時に猛烈な演奏はジャッキー・マクリーンと比較されることもあります。

ブッカー・アーヴィンは自身の音楽性とビジョンに忠実であり続けました。短いキャリアの中で、ドン・パターソンマル・ウォルドロンロイ・ヘインズ、ランディ・ウェストンといった多くの著名なミュージシャンのサイドマンとしても活躍し、その存在感を示しました。

伝説となった男の足跡

ブッカー・アーヴィンはシンプルなブルースからアイデアを無限に紡ぎ出す能力を持っており、ほとんど途切れることがありません。
この『奥深いサウンド』を持つ音楽は、ハードバップとアバンギャルドの中間を行く独自のスタイルを示しており、まさに『重要な音楽的記録』として認識されています。

彼の死から50年以上経った今でも、その独特のブルースへのこだわり、大胆な音色、そしてジャズの境界線を探求しようとする意欲は、何世代ものミュージシャンにインスピレーションを与え続けています。
もしコルトレーンという並行世界が存在しなかったら、その歴史的使命はブッカー・アーヴィンが担っていたはずだと推測する者もいるほどです。

彼の代表作であるプレスティッジの『ブック』シリーズと並び、『ラメント・フォー・ブッカー・アーヴィン』は彼の才能を示す重要な証拠となっています。
このアルバムは、ブッカー・アーヴィンという素晴らしいアーティストへの「雄弁な別れ」であり、彼の魂が込められた演奏は時を超えて、ジャズ愛好家の心に響き続けることでしょう。

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