完璧主義者カーゾンとモーツァルト「ピアノ協奏曲第20番」:ブリテンとの共演の真相に迫る

クラシック音楽

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトピアノ協奏曲第20番 ニ短調 K. 466は、彼の作品では珍しい短調で書かれ、激しい情熱と劇的な展開、そしてロマン派を先取りするデモーニッシュな側面が特徴であり、ベートーヴェンをはじめ多くの音楽家に愛された “転機の作品” です。
イギリスを代表する名ピアニスト・クリフォード・カーゾンと、作曲家としても名高い指揮者ベンジャミン・ブリテンが共演した名盤に焦点を当ててご紹介します。

モーツァルトが込めた特別な思い

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調 K.466は、その特異な性質と豊かな表現力により非常に高く評価されています。

異例の短調作品と先進性

モーツァルトの数あるピアノ協奏曲の中で、短調で書かれたのはこの第20番と第24番ハ短調のわずか2曲のみです。
当時の協奏曲は社交界で求められる華やかさや優雅さが一般的だったため、この短調への挑戦は異例であり、聴衆に受け入れられたという記録が残されています。
この作品は次世代のロマン派音楽を予告する「前衛音楽」と評されており、ベートーヴェンをも飛び越えてロマン派を先取りしたとされています。
その激しい感情表現や劇的な展開が、ロマン派の音楽家が好んだ激しい情感の表出と合致していたため、19世紀を通じて広く愛され、演奏されました。

深い感情表現と劇的な展開

この協奏曲は、内省的かつ劇的な性格を持っています。冒頭から暗い情熱がほとばしり、暗く不安げな旋律と劇的な展開が特徴です。

第1楽章は、息を切らせ、もだえ苦しむような不気味な雰囲気のシンコペーションで始まり、極めてドラマティックに展開した後、天使の悲しみのような静けさが訪れると評されています。

第2楽章「ロマンツェ」は、天国的に美しいメロディーで始まるものの、中間部では突然短調のフォルテとなり、嵐のような激情が訪れる強烈なコントラストが特徴的です。このコントラストは「愛を語り合っていた恋人が突然ビンタを食らわせて烈火のように怒りだした風情」と表現されるほど異様で恐ろしいと評されています。

第3楽章は激しい嵐のような音楽で、人生の嵐の中のつかの間の幸福感を感じさせると同時に、さらに異様で恐ろしいという印象を与えることがあります。最終的には運命に打ち勝った勝利の歌のように聞こえる、という解釈もあります。
この作品には「デモーニッシュ(悪魔的)」な情熱的な表現があり、モーツァルトの全作品の中でもこれ以上に熱烈なものはないとも言われています。また、陰鬱で不吉な予兆、闘争の熱情、迫りくる運命の表現など、肉体的・精神的な危機を語る調性であるニ短調が用いられていることも、作品の深みに寄与しています。

後世への影響と他の作曲家からの評価

ベートーヴェンが特に愛し、実際に演奏会でこの曲を愛奏するためにカデンツァを自ら作曲したことで知られています。ブラームスもこの曲に心酔していました。「私には書けない」と嘆いたという逸話も残されており、その美しさと深遠さがうかがえます。
ベートーヴェンのカデンツァは、原曲の怖さの根源を見ていたことをストレートに訴えかけると評されています。

演奏への要求と作品の真髄

単に上品な演奏や完璧なフレージング、楽天的な解釈では不十分であり、その激しい抑揚を最大限に発揮すべきであるとされています。演奏者は「心から音楽に感応する」ことが求められ、「きれいごと」で演奏すべきではないと指摘されています。
作品全体が「痛切な経験の物語」であり「転機の作品」であるとされ、その深さと意味合いが大きな進歩を記していると評価されています。

稀代のピアニスト クリフォード・カーゾン

この名曲の魅力を最大限に引き出したピアニストの一人が、英国の名匠クリフォード・カーゾンです。ロンドン出身で、本来の姓はシーゲンバーグと言います。
王立音楽アカデミーで学び、1923年にはプロムスで公開デビューを果たしました。その後、ベルリンでアルトゥール・シュナーベルに師事し、さらにパリでワンダ・ランドフスカナディア・ブーランジェにも学びました。
欧米各地で演奏活動を行い、1977年にはナイトの称号を授与されています。

カーゾンは世界的に、モーツァルトやシューベルトの解釈で有名です。青年時代には近現代の音楽の擁護者としても知られ、レノックス・バークリーピアノ・ソナタは彼に献呈されています。

カーゾンは「録音嫌い」として有名で、レコードは聴衆の判断基準となるべきではないという持論を持っていました。そのため、生前に発売されたレコードは非常に少なかったのですが、死後に多くの未発表録音がリリースされ、彼の完璧主義と芸術への深い献身が明らかになります。

カーゾンのピアノは「繊細でありながら芯が強く」、一音一音を慈しむように、確かな技術をもって弾かれていると評されています。
「粒の揃った」とか「珠を転がすような」といった均質なタッチとは一線を画し、音符一つ一つが独自の質と意味を持つ「言葉としての音楽」を追求しました。
その演奏からは素朴かつ純粋な気持ちが伝わってくるようで、聴き手に安らぎと深い感動を与えます。
謙虚な人柄から、自身が目立つよりも音楽の美しさを優先する演奏家であったのでしょう。

偉大な指揮者 ベンジャミン・ブリテン

ベンジャミン・ブリテンは1913年にイングランドのサフォーク州ロウストフトで生まれた、20世紀を代表するイギリスの作曲家です。
父親は歯科医、母親はアマチュアのソプラノ歌手という比較的裕福な家庭に育ち、幼少期から天才的な才能を発揮しました。

彼は作曲家として数々の傑作を世に送り出す一方で、優れた指揮者としても高く評価されていました。
1940年代後半には「イギリス・オペラ・グループ」や、現在も続いている「オールドバラ音楽祭」を設立するなど、イギリス音楽界の発展に大きく貢献しました。生まれ育ったオールドバラの町を非常に大切にした、自身の企画による音楽祭です。地域への深い愛情と行動力の証と言えるでしょう。

1956年には日本を訪れ、能楽「隅田川」に深い感銘を受け、その手法を取り入れた意欲作「カーリュー・リヴァー」を発表しています。
晩年になっても創作意欲は衰えず、1962年には「戦争レクイエム」を発表し、世界的な注目を集めました。
最後のオペラ「ヴェニスに死す」は、健康状態が悪化し心臓手術を延期してまで集中して制作され、1973年に完成しました。
最晩年には車椅子での生活を余儀なくされながら、音楽への情熱を燃やし続け、1976年に63歳でこの世を去りました。

ブリテンは、イギリス王妃から直接オペラ「グロリアーナ」の作曲を委嘱されるという異例の栄誉に浴し、音楽家として初めて「ロード」の称号を授与されました。これはイギリス本国における彼の功績と国民的愛され方を物語るエピソードです。
ソビエトの作曲家ショスタコーヴィチとの交流も深く、互いに孤立したアーティストとして注目し、影響を与え合ったことでも知られています。
ブリテンは、彼の音楽が「自分の世界を表現する」ことに重点を置いていて、形式にとらわれず自由に自分流に音楽を使いこなしました。

カーゾンとブリテンが描く20番の世界

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番におけるクリフォード・カーゾンのピアノ演奏は、多岐にわたる評価を受けていますが、全体的に非常に高く評価されています。

カーゾンの演奏

深みと知性

カーゾンの演奏は「端正で深みがある」と評され、モーツァルトを深く掘り下げた演奏とされます。持ち前の繊細さに満ちた珠玉のタッチで、神経を細部にまで通わせ、沈着かつ知的なピアノを披露しています。その演奏からは、深い読譜力と知性が光ります。

繊細さと透明感

「非常に繊細で精緻」であり、モーツァルトの心理の微妙な点に焦点を当てています。演奏の音色は「ガラス細工のような」「透明感のあるリリカルでとてもかわいらしい」と表現され、全体的に「綺麗でほのぼのとした」印象をうけます。蒸留水のように透き通ったタッチによる繊細さ、そして音一つ一つへの愛情に満ちた優しさも魅力です。

真摯なアプローチ

カーゾンのピアノは、有名曲だから分かりやすく演奏しようという姿勢は全くなく、曲と真正面から真摯に向き合います。気品があり控えめでありながらも、聴き手に感銘を与える堂々とした演奏です。

精神性

表現をひけらかす欲が全く感じられない、「生き仏」のようなユニークな演奏という評価もあります。心の耳を開けば滋味溢れる良さがひしひしと聴こえ、「極楽浄土を逍遥するがごとく」だと表現する人がいます。

具体的な楽章への評価

第2楽章(ロマンツェ)の少し媚びるような主題も、カーゾンが弾くと深みが出ます。逆に助けを求められているようなシリアスさがあり、目から鱗のユニークな解釈です。柔らかなフレージングはアドリブも交えた名人芸であり、ピアニストの芸術性が光ります。

録音とリリースに関する背景

この演奏は、1970年に録音されました。
カーゾンは完璧主義者であり「録音嫌い」として知られ、生前はほとんど録音を発売しませんでした。このアルバムも、特に第27番に対してカーゾンが不満を抱いていたため発売が遅れ、結局彼の死後2ヶ月後の1982年に、追悼盤として初めて世に出ました。
しかしそのリリース後、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番および第27番の「定番」としての地位を不動のものとし、同曲の「決定盤」とみなされています。
「優秀録音盤」にも挙がる大きな空間を感じさせる録音で、ピアノを含めた管弦楽の音がホールに響き渡る様子がリアルです。カーゾンの鼻歌のような声が聞こえることも、リアルな印象を与えています。

一方で、指揮がピアノを無視して壮大な演奏を目指しているため、ピアノが軽く明るく聞こえてしまうといった批判的な意見もあります。「狙いとしている激しいドラマが不発に終っている」というのです。

総合的に見れば、カーゾンのピアノは完璧主義を貫いた渾身の演奏であり、「聴かずには死ねない」とまで評す人もいます。

ブリテンの指揮について

一体感と協調性

ブリテンの指揮はカーゾンのピアノと「見事に一体化」しており、ピアノに「ぴたりと寄り添う」ようだと評されます。カーゾンの演奏から、活気を引き出しているのです。
指揮者としてもピアニストとしても、最高レベルにあったブリテンの研ぎ澄まされた美しさも特筆すべきでしょう。

音楽的アプローチ

ブリテンの指揮する管弦楽は、「理より情が勝り気味」と評されます。
彼は作曲家が本業ですが、指揮にも定評があり、このモーツァルトの演奏は「超絶的名演奏」と言われるほど独自の境地を拓いています。
デリカシーのあるイギリス室内管弦楽団に対して、強い音が輝く演奏で、メロディーを歌い上げるよりも音の威力を誇示しているかのようです。
その一方で、小さな音ではたっぷりと歌い、表現の幅を広げる巧みな演奏でもあります。やや遅めのテンポでセンチメンタルにならない節度を保ちながらも、弦の表情にはささやかな憂いがあります。

英国室内管弦楽団の演奏について

音色と響き

室内管弦楽団でありながら、現在の基準から見ると規模の大きさを感じさせるオーケストラです。その音色は均整のとれた透明感あふれる美しさであり、青白さまで漂わす、儚くも恐ろしいまでの美しさを醸し出しています。重厚にしてコクのある演奏で、奥行きを感じさせる堂々とした音楽を奏でています。

ピアノとの関係

カーゾンのピアノとの相性は抜群で、ブリテンの指揮の下、ピアノと一体となった動きを見せています。折り目正しい演奏で、この2曲を新しい形で表現している点も興味深いところです。

録音品質

録音は1970年に行われ、エンジニアはケネス・ウィルキンソンが担当しました。
広く大きな空間を感じる録音で、ピアノを含めた管弦楽の音がエコーを伴ってホールに響き渡る様子が、手に取るように分かります。
程よい残響の中に、各楽器のしっかりした音像が艶やかさをもって浮かび上がり、郷愁を誘う柔らかな響きが、デッカ録音の魅力を感じさせます。奥行きは適度ながら、高さのある左右いっぱいに広がる音場空間は実に見事です。

さまざまな演奏家の解釈と評価

モーツァルトのピアノ協奏曲第20番には、クリフォード・カーゾンとベンジャミン・ブリテンの共演以外にも、それぞれに特徴を持つ名盤が数多く存在します。あまり一般に知られていないかもしれませんが、評価の高い3枚をご紹介します。

1. イヴォンヌ・ルフェビュール (ピアノ) & ヴィルヘルム・フルトヴェングラー (指揮) / ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (1954年ライブ録音)

この録音の特徴は、フルトヴェングラーの指揮が非常に個性的である点です。
彼の指揮は「地獄の底から湧きあがるような暗くて深みのある音」と評され、この曲の怖い側面が強調されます。オーケストラが荒れ狂う伴奏に合わせて、アッチェレランドやルフトパウゼを多用しています。
ルフェビュールのピアノは「明瞭で、気迫が籠っていて良い」と評されますが、フルトヴェングラーの壮大な指揮に「力演しているピアノが軽く明るく聞こえて、狙いとしている激しいドラマは不発に終っている」という見方もあります。
フルトヴェングラーの最晩年である1954年のライブ録音であり、彼の独特な音楽的アプローチが色濃く反映された、ロマンティックかつドラマティックな解釈として知られています。

2. エリック・ハイドシェック (ピアノ) & アンドレ・ヴァンデルノート (指揮) / パリ音楽院管弦楽団 (1962年録音)

ハイドシェックの「最高のポエジー」と評される詩的なピアノが特徴です。
澄んだ粒ぞろいの美音で、珠が弾けたようにこだまし、その天衣無縫な弾きぶりはモーツァルトにぴったりです。
音の粒も実に綺麗で、やり過ぎない抑制された表現も評価されています。
ヴァンデルノートの指揮は、颯爽として鋭敏なリズム感が際立っています。
ハイドシェックのピアノを充実したバックで支え、ドラマ性が音楽から浮き上がることなく説得力をもって心を打ちます。
この演奏は、音楽に「深く共感して感じ切っていないとこういうピアノは絶対に弾けません」と評されるほど、ピアニストの深い理解と感性が光る名演です。

3. オルガ・パシチェンコ (フォルテピアノ) & イル・ガルデリーノ (2021年録音)

この比較的新しい録音は、古楽器による演奏という点で非常に特徴的です。
オルガ・パシチェンコは(ウィーンのアントン・ヴァルターが1792年頃に製作したモデルに基づいた)フォルテピアノの再現楽器を使用しています。ピリオド楽器による共演が、曲の性格や色彩をより鮮やかに感じさせます。
彼女自身がカデンツァを作曲し、ニ短調という調性が『レクイエム』やオペラ『ドン・ジョヴァンニ』にも使われている点を意識し「短調と長調の行き来、悲しみと喜びのコントラストを念頭に置いて作り上げた」と述べています。
パシチェンコは歴史的な楽器が「どう弾くべきか、楽曲が何を求めているのかといったことを教えてくれる感覚がある」と語っており、その楽器選択が演奏に深いインスピレーションを与えています。
この録音は現代のピアニストが歴史的アプローチでモーツァルトを深く掘り下げた、非常に示唆に富む一枚と言えるでしょう。

不動の第20番

ブリテンの指揮と英国室内管弦楽団の演奏は、カーゾンのピアノと相まって、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番を深く、知的に、そして美しく表現した名盤として認識されています。
この録音はモーツァルトのピアノ協奏曲第20番および第27番の「定番」として、地位を不動のものにした「決定盤」とみなされています。

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