「くちびるつんと尖らせて」という歌い出しを耳にしたことがある方は多いでしょう。爽やかで心地よいメロディ、それなのにどこか切ない歌詞で多くの人に愛され続けている大滝詠一さんの名曲「君は天然色」です。1981年にリリースされたこの曲は、アルバム『A LONG VACATION』のオープニングを飾り、今なおCMやドラマなどで頻繁に使用されています。
今回はこの普遍的な名曲に隠された物語と音楽的な魅力に迫り、すでにこの曲をご存知の方にも、初めて知る方にも、きっと新しい発見がある旅にご案内します。
誰もが知る名曲「君は天然色」その入口へ
「君は天然色」は、1981年3月21日に大滝詠一さんの7作目のシングルとしてリリースされました。この曲は、同日発売されたアルバム『A LONG VACATION』にも収録されています。シングルバージョンでは、アルバムバージョンにあるイントロのチューニングやカウントがカットされています。
『A LONG VACATION』は、日本のポピュラー音楽史において非常に重要なアルバムです。発売から1年で100万枚を突破し、2020年時点での累計売上は200万枚以上に達しています。オリコンチャートでは最高2位を記録し、1981年度の年間2位にもなりました。アルバム全体のアートワークは永井博さんが手がけ、ジャケットに描かれた白いパラソルからは松田聖子さんの「白いパラソル」という曲のインスピレーションが生まれたとも言われています。アルバムの帯には「BREEZEが心の中を通り抜ける」というキャッチコピーが記されていました。
このアルバムは、世界初のCD化タイトル50枚の中に選出されたことでも知られています。1982年10月1日にCDとしてリリースされましたが、当初の音質に問題があったため、後に世界初のCDリマスタリングが行われることになりました。
「君は天然色」は発表から40年となる2021年3月21日に、大滝さんの全177曲と共にストリーミングサービスで解禁されました。これを記念して、初めてミュージックビデオも制作されています。ビデオは永井博さんのイラスト群を、依田伸隆さんが構成・配置して作られています。依田さんは2020年のテレビアニメ『かくしごと』で、「君は天然色」がエンディングテーマとして使用された際、そのアニメーションも担当していました。
アルバム『A LONG VACATION』と「天然色」の誕生
『A LONG VACATION』は大滝詠一さんにとって、キャリアの最高到達点と見なされます。このアルバムに至るまで、大滝さんは「リズムの探求」を中心に音楽活動を行っていました。ドミニカ共和国のメレンゲやニューオーリンズのガンボといった、世界各国の土着的ダンスミュージックに関心を持ち、最終的には日本の音頭に帰着するという探求でした。しかし、日本人は歌やメロディを重視する傾向が強く、大滝さんのリズムへの探求は商業的な成功につながりにくい側面がありました。
そんな中で制作された『A LONG VACATION』は、大滝さんの追求を万人に愛されるポップスの域に押し上げた作品と言えるでしょう。露骨に音頭などを収録せず、あくまでポップスとしての普遍性を持ちながら、随所にリズムへの耽溺の痕跡も残っています。
アルバムは1980年4月13日にレコーディングが始まりました。当初は1980年7月か8月のリリースを目指しており、夏のイメージでA面の最初の数曲がレコーディングされました。ところが発売が延期されたため、冬のイメージの曲も追加され、結果的に1981年3月21日の発売となりました。
「君は天然色」は、元々は大滝さんが須藤薫さんへの提供曲として書いたものでしたが、須藤さんのディレクターから「これは女性向きではない」と判断され、不採用となりました。そこで自分用にアレンジして歌うことになったのです。後年、大滝さんは須藤さんが残念がっていたことにも触れつつ、曲を返してくれたことに感謝していると語っています。間奏部分は、元々別のアニメ映画のテーマ曲に使われる予定だったアイデアが活かされています。
歌詞に秘められた松本隆の悲しみと大滝詠一の友情
『A LONG VACATION』の大きな特徴の一つは、アルバム収録曲のほとんどの作詞を松本隆さんが担当していることです。大滝さんと松本さんは伝説的なロックバンド「はっぴいえんど」の同窓生です。はっぴいえんどは細野晴臣さん、大滝詠一さん、松本隆さん、鈴木茂さんという、日本の音楽界を牽引した重要な人物が集まったバンドでした。
大滝さんは『A LONG VACATION』の作詞を依頼するため、松本さんの家を訪ねました。「今まで売れないレコードをたくさん作ったけれど、今回は売れたい。松本も細野も山下(達郎)も売れたから、俺も売れなくちゃいけないと思う」「手伝ってくれ」と松本さんに伝えます。松本さんは快諾しました。
ところがアルバム制作が進む中で、松本さんに大きな出来事が起こります。幼い頃から仲が良く、病弱だった6歳年下の妹さんを突然亡くしてしまったのです。その喪失感は非常に大きく、松本さんは歌詞を書ける精神状態ではなくなってしまいました。
松本さんは大滝さんに電話をかけ、「今回は間に合わないと思う」「誰か、他の作詞家に頼んでくれるかな」と伝えます。しかし大滝さんは、「このアルバムは松本ありきで考えているから、他の人じゃ駄目なんだ」「とにかく詞が書けるようになるまで待つから」と返答します。大滝さんのその言葉から、アルバムの発売は当初の予定より半年延期されることになったのです。
妹さんを亡くした後、松本さんが渋谷を歩いていると街が真っ白に見え、色がなくなってしまったように感じたと言います。この実体験から生まれたのが、「想い出はモノクローム 色を点けてくれ」という「君は天然色」のサビのフレーズです。松本さんにとって「色を点けてくれ」という願いは、「人が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい。染めてほしい」という思いが込められていました。
半年後、松本さんは万感の思いを込めて作詞に取り組み、「カナリア諸島にて」と「君は天然色」を書き上げました。大滝さんはこれらの歌詞をとても気に入り、「ああ、こういうのを待ってた」と語ったそうです。
『A LONG VACATION』というアルバムタイトルにも、この悲しい出来事との関連を示唆する解釈があります。松本さんは妹さんを亡くしたことに対し、「死んだんじゃない、永い休暇だよ。カナリア諸島でもどこへでも、連れてってやるよ」という寓意を込めたのかもしれません。このアルバムに人の心を打つものがあるとしたら、その明るくポップなジャケットの裏に透明な哀しみと、それを支えた友情が流れているからだと松本さんは語っています。
サウンドに込められた音楽的な探求と魔法
「君は天然色」の大きな魅力は、そのサウンドにあります。大滝さんは熱心な洋楽ファンであり、この曲では1960年代に活躍した音楽プロデューサー、フィル・スペクターさんの「ウォール・オブ・サウンド」という重厚なサウンドを参照しています。エコーやリバーブ、楽器のオーバーダビングなどを駆使したスペクターさんのサウンドは、当時のアメリカのポップス界を席巻しました。
「君は天然色」のイントロ、ピアノをメインにしたきらびやかなサウンドは、まさに「ウォール・オブ・サウンド」の再解釈と捉えることができます。大滝さん自身、レコーディングで初めてこのイントロの演奏を聴いた時に「これだよこれ」と感じ、長年研究してきたスペクターサウンドが自分のものにできた、ようやく報われたと感じて感動したそうです。
大滝さんは自身のルーツである洋楽ポップスの古典も、様々な形で楽曲の中に引用しています。歌い出し直前のブレイクのリズムは、ウィザードの「シー・マイ・ベイビー・ジャイヴ」から引用されています。こうした細やかな引用が随所に見られるのです。
「君は天然色」は、単に過去の音楽を模倣したものではありません。大滝さんが持つ洋楽ポップスへの深い愛と洞察を日本の音楽の世界に持ち込み、見事にヒットさせた手腕が、深みのある魅力を生み出しています。ナイアガラの音は、フィル・スペクターの「ウォール・オブ・サウンド」をさらに進化させた「フォール・オブ・サウンド」(大きな滝の音)と表現されることもあります。
バックトラックのレコーディング時には、サビを全音上に転調する予定でした。歌録りの際に声域が合わなかったため、サビだけキーを下げたというエピソードも残っています。ピッチダウンで失われた高域は、パーカッションのベルをダビングすることで補われました。
歌詞の深層 表面的な明るさのその先に
「君は天然色」の歌詞は、一聴すると明るくも切ないラヴソングという印象です。松本隆さんが妹さんを亡くされた背景を知って改めて歌詞を追うと、その印象は大きく変わります。
歌詞の冒頭部分「くちびるつんと尖らせて / 何かたくらむ表情は / 別れの気配をポケットに匿していたから」というフレーズ。「別れの気配をポケットに匿していた」とは、主人公と少女がいずれ別れる関係であることが示唆されています。この「別れの気配」が、妹さんの病気を暗示していると解釈できます。
最初のサビの直前に歌われる「机の端のポラロイド / 写真に話しかけてたら / 過ぎ去った過去しゃくだけど今より眩しい」という歌詞は、ポラロイド写真が色落ちしやすいことや撮影から時間が経っていることから、鮮明な色彩でないと分かります。いくら「過ぎ去った過去」が「今より眩しい」と感じても、写真自体は色褪せ始めているという対比が生まれるのです。
「夜明けまで長電話して / 受話器持つ手がしびれたね / 耳もとに触れたささやきは今も忘れない」恋人との甘いやり取りのようです。しかし、夜明けという時間帯が世界の色づく直前の時間帯であることから、これも「モノクローム」の磁場の範疇にあると解釈できます。
「開いた雑誌を顔に乗せ / 一人うとうと眠るのさ / 今夢まくらに君と会うトキメキを願う」とは、一人で眠ろうとしている主人公の寂しさを表しています。続く「渚を滑るディンギーで / 手を振る君の小指から / 流れ出す虹の幻で空を染めてくれ」 というフレーズで、ようやく色彩が現出します。あくまで夢の中の「虹の幻」ではありますが、このイメージのおかげで最後のサビ「想い出はモノクローム 色を点けてくれ / もう一度そばに来て はなやいで / 美しの Color Girl」 が、鮮明な色彩に染められるのです。
この歌は、妹を亡くした絶望の中で、風景がモノクロームに見えたという松本さんの実体験から生まれています。そんな色のない世界に、「色を点けてくれ」という切実な願いを込めたのです。
「天然色」とは、本当の”君”(妹さん)が持っていた混じり気のない色彩を指すのかもしれません。実体ある「天然色」が登場しないにも関わらず、歌詞全体が鮮やかに感じられるのは、喪失の絶望や悲しみを鮮明に描くことで失われた色彩が浮かび上がってくるからでしょう。
時代を超えて輝き続ける理由
「君は天然色」が40年以上も多くの人に愛され続けているのは、その普遍的な魅力に加えて、日本のポピュラー音楽史において重要な位置を占めているからです。シティポップの名曲としてだけでなく、日本の音楽のあり方を追求した大滝さんの音楽家としての思想や探求の成果でもあります。
大滝さんは洋楽の方法論を紐解き、そこに日本的なメロディを融合させるアプローチを取りました。その和洋折衷の音楽には、松本隆さんの詩情が不可欠だったのかもしれません。松本さんは英語の文化であるロックに日本語の歌詞を紐付けることの重要性と、その相互作用の美しさを誰よりも理解していました。
『A LONG VACATION』のテーマは「夏」ではなく、「夏への憧れ」だと大滝さんは語っています。憧れとは、そこにないものを強く心に願うことです。松本さんの歌詞に綴られた別れた恋人や過ぎ去った時間への想いという喪失感が、世界が眩しく輝く季節である「夏」と鮮烈なコントラストを生み出しています。弾けるようなポップセンスと繊細なメランコリーが交差するこの曲は、大人のためのポップスと言えるでしょう。
曲の持つ哀しみとそれを乗り越えようとする願い、そして何もかも失った後に手にする本物の光や色といった要素は、聴く人の心に深く響きます。単なる思い出の歌ではなく、人生における喪失と再生、そして希望を描いた普遍的なテーマを含んでいるのかもしれません。
「君は天然色」は今も生きている
「君は天然色」は、今も様々な形で受け継がれています。多くのアーティストによってカバーされており、例えば藤原さくらさんや川崎鷹也さんなどがこの曲を歌っています。
テレビCMや映画、テレビアニメの主題歌としても頻繁に使用されています。2020年にはテレビアニメ『かくしごと』のエンディングテーマに、映画『私をくいとめて』の劇中歌に採用されました。大滝さんの出身地である岩手県奥州市の水沢江刺駅では、2020年10月1日からこの曲が発車メロディとして使用されています。
これらの事例は、「君は天然色」が単なる過去の名曲としてだけでなく、現代においても人々の生活や感情に寄り添い、新しい世代にもその魅力を伝え続けていることを示しています。松本さんが歌詞に込めた「人が死ぬと風景は色を失う。だから何色でもいい。染めてほしいとの願い」 は、この曲が多くの人に歌い継がれ聴かれ続けることで、叶えられているのかもしれません。
輝き、やがて哀しい80年代を象徴する一曲
大滝詠一さんの「君は天然色」の曲の誕生には、松本隆さんが妹さんを亡くした悲しみと、それを理解し根気強く待った大滝詠一さんの友情という、知られざる物語が深く関わっていました。
サウンドに込められたフィル・スペクターへのオマージュや、リズムに対する探求、そして巧みな引用といった音楽的な側面は、大滝さんが日本のポップスを深く追求した結果です。歌詞に込められた喪失感や希望といった普遍的なテーマは、多くの人の共感を呼びます。ぜひこの機会に、大滝詠一さんの「君は天然色」を改めて聴いてみてください。今までとは違う体験になるかもしれません。
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