ジャズドラマー、ポール・モチアンの世界:独特のサウンドと名盤を深掘り

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静かなる革命家 ポール・モチアンの音楽世界

ジャズドラマー、ポール・モチアンの名前を聞いたことがありますか。ビル・エヴァンスキース・ジャレットといった偉大なピアニストたちの傍らで演奏したことで知られる彼は、単なるサイドマンではなく、ジャズドラミングの概念を静かに、しかし確実に変革した音楽家でした。

ポール・モチアンとは

ポール・モチアンは1931年にペンシルベニア州フィラデルフィアで生まれ、ロードアイランド州プロビデンスで育ちました。アルメニア系アメリカ人です。12歳でドラムを始め、スウィングバンドで演奏した後、海軍音楽学校で学びました。プロのミュージシャンとして活動を開始し、セロニアス・モンクなどとも共演しています。

彼のドラミングは、非常に個性的で独特のサウンド、タッチ、フィーリングを持っていました。多すぎる音数を好まず、空間を利用したシンプルさが特徴です。ある評者は彼を「反ドラマー」と表現しています。

ジャズドラマーがバンドを率いる場合、複雑なリズムや速い推進力を特徴とする場面が目立ちます。モチアンは遅いテンポ、ゆるやかなタイミング、雨の日に波長が合うようなメロディーを持ち味とし、非常に控えめな存在感を放っていました。ブラシのささやきや、バスドラムのかすかな響きだけで、音楽を促す演奏をします。

彼のドラミングは、意識的に作り出されたものではありません。演奏中に聴こえるもの、そこに何が何が起きているかに反応することから生まれました。ドラムの技術的なことや小節線を越えることを前もって考えるのではなく、曲の流れや他の奏者の出す音に寄り添って演奏するのです。彼のこの独特なアプローチは、ジャズのリズムに革命をもたらしたと言われます。

ビル・エヴァンス・トリオでの輝き

ポール・モチアンの名前が広く知られるようになったのは、1950年代後半から1964年にかけてビル・エヴァンスのピアノトリオに参加したことがきっかけです。特にベーシストのスコット・ラファロとの共演は伝説的です。彼らの演奏はインタープレイのお手本であり、ピアニストだけでなく、ベース奏者やドラマーも音楽を形作る上で重要な役割を担うというスタイルを確立しました。

1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで録音された『ワルツ・フォー・デビー』は、このトリオの代表作です。モチアンの存在が多くのファンの記憶に刻まれた名盤です。しかし、このトリオで特に注目されがちだったのは夭折ようせつしたベーシストのラファロであり、モチアンは重要視されつつも、当時はまだ控えめな存在でした。

このトリオは、モチアンにとって大きな経験でした。後に彼は「私の率いるグループにピアニストはいらない。なぜなら私の心の中には、ビルのピアノが響いているからだ」と語っています。エヴァンスとの音楽的な結びつきの深さを、これほど端的に示した言葉はありません。モチアンには、ビル・エヴァンス・トリオの音楽を継承しているという自負があったのかもしれません。

独自のサウンドを求めて

1970年代以降、ポール・モチアンはリーダーとして独自の音楽世界を探求し始めます。ECMレコードからの初期作品では、当時のアメリカ制作のジャズとは異なる、浮遊感を伴う心地よいサウンドが注目されました。特にギタリストをフィーチャーした編成を好むようになります。最初に手にした楽器がギターだったことへの愛着が影響しているようです。

彼のリーダーグループの中でも最もよく知られているのは、ギタリストのビル・フリゼール、サックス奏者のジョー・ロヴァーノとのトリオです。このトリオは長年にわたり活動し、ECMからアルバムをリリースしました。モチアン自身の楽曲だけでなく、セロニアス・モンクやビル・エヴァンスへのトリビュート、ジャズスタンダードの独自解釈などを演奏しています。スタンダード曲を取り上げた「ポール・モチアン・オン・ブロードウェイ」シリーズは、彼のユニークなアプローチが際立つ作品群です。

1990年代初頭に結成されたエレクトリック・ビバップ・バンドでは、若いミュージシャンと共にビバップのスタンダード曲をエレクトリックサウンドで演奏するという斬新な試みを行いました。これらの活動を通してモチアンは、自身の音楽的なアイデアを様々な形で表現し続けました。

ミュージシャンたちが語る魅力

ポール・モチアンは、多くのミュージシャンから尊敬と愛情を集めました。キース・ジャレットはモチアンについて「リズムだけではなく音楽のことを考えた、ミュージシャンのためのドラマー」と評しています。

サックス奏者のクリス・ポッターは「ポールから多くのことを学んだ。どこから語ればよいかわからないほどです。彼の美的感覚は非常に高いレベルにあり、それを完全に信頼する内面の強さを持っていました。ポールは、私や彼がインスパイアした他の多くの若いミュージシャンにとても寛大でした。彼と知り合うことができた幸運に、とても感謝しています」と述べています。

写真家のジョン・ロジャースは、モチアンとの深い友情について綴っています。ニューヨークでの多くの夜、モチアンと夕食を共にし彼のギグに足を運びました。ロジャースは数年間で300回以上もモチアンの演奏を聴いたといいます。モチアンはファンからの写真撮影は断ることが多かったのですが、アーティストであるロジャースには多くの写真を撮ることを許可しました。モチアンは彼に「君はアーティストだ」と言ったそうです。

モチアンは若いミュージシャンを支援することを惜しみませんでした。彼が大切に思う人々、特に一緒に仕事を楽しんだミュージシャンに対して、寛大な心を持っていたのです。

ポール・モチアン リーダーアルバム探訪 新しい発見への3選

ポール・モチアンは偉大なピアニストたちの名盤を支えたドラマーとして知られていますが、リーダーとしても非常に個性的で美しい音楽世界を築き上げました。彼のリーダーアルバムは多岐にわたりますが、ここでは特に彼の魅力が詰まった3枚をご紹介します。これらのアルバムを通して彼のドラミングだけでなく、作曲家、バンドリーダーとしての才能にも触れてみてください。

静かなる船出 ECM初リーダー作『コンセプション・ヴェッセル』

モチアンのリーダーとしてのキャリアを探求する上で、まず聴いていただきたいのがECMからの初リーダーアルバム『コンセプション・ヴェッセル』です。1973年にリリースされたこの作品は、当時のアメリカのジャズとは一線を画す、浮遊感を伴う独特のサウンドが特徴です。

タイトルチューン「Conception Vessel」はキース・ジャレットとのデュエットで、モチアンお気に入りの一曲でもあります。最初に手にした楽器として愛着を持っていたギターがフィーチャーされていることも、このアルバムの重要な要素です(サム・ブラウンが参加しています)。

ジャズドラマーのリーダー作でありながら、ドラムが突出せずアンサンブル全体の響きや空間を大切にするモチアンの美意識が、この初期の作品からすでに確立されています。

伝説的トリオの始まり『ア・ロング・タイム・アゴー』

ポール・モチアンのリーダー作品の中でも特に多くのファンに愛されているのが、ギタリストのビル・フリゼール、サックス奏者のジョー・ロヴァーノとのトリオによるアルバムです。その中でも、1985年にリリースされた『ア・ロング・タイム・アゴー』は、この伝説的なトリオにとってのスプリングボード(跳躍台)となった重要なアルバムです。

タイトル曲「It Should’ve Happened a Long Time Ago」は彼らのシグネチャーチューン(名刺代わり)となり、「タイムレスなフォークソング」とも評されます。このトリオは単なるリズムセクションではなく、三者それぞれが対等に音楽を創り上げていくインタープレイを深く追求しました。

ロヴァーノはポール・モチアンを「時間、空間、音楽の真の巨匠」と称しています。派手さはありませんが独特のムードと深みを持ったサウンドは、何度聴いても新しい発見を与えてくれます。

スタンダードに命を吹き込む『モチアン・オン・ブロードウェイ Vol.1』

ジャズスタンダードをポール・モチアンならではのアプローチで解釈した「ポール・モチアン・オン・ブロードウェイ」シリーズも、彼のリーダーワークの重要な側面です。その第一弾として1989年にリリースした『モチアン・オン・ブロードウェイ Vol.1』は、このシリーズの幕開けを飾る作品です。

ここでも、ジョー・ロヴァーノ、ビル・フリゼール、そしてベーシストのチャーリー・ヘイデンといった彼の音楽世界を深く理解する素晴らしいミュージシャンたちが参加しています。ハロルド・アーレンジョージ・ガーシュインジェロム・カーンコール・ポーターといった名だたる作曲家たちの曲が、モチアン独自のタイム感覚やサウンドで演奏されることで新鮮な魅力を放っています。

彼のドラミングは時に「新しい感覚の4ビート」と評されるように、予測不能でありながらも音楽の流れに絶妙に溶け込んでいます。よく知られたスタンダード曲が彼のフィルターを通すとこんなにも表情を変えるのか、その驚きと発見があるアルバムです。

さらなる探求へ 『ガーデン・オブ・エデン』

もしこれら3枚でポール・モチアンの世界に惹きつけられたら、ぜひ他のリーダー作品も聴いてみてください。例えば、2007年リリースの『ガーデン・オブ・エデン』は、その後の彼の音楽性を知る上で重要な「傑作」として挙げられます。初期ECM作品から続く独自のサウンドをさらに発展させたこのアルバムは、ビル・フリゼールやジョー・ロヴァーノといった長年の盟友たちと共に、より色彩豊かで奥行きのあるアンサンブルを聴かせてくれます。

今回ご紹介した3枚(ないし4枚)は、ポール・モチアンのリーダーとしての多様な側面を示しています。初期のユニークなサウンド、名トリオでの研ぎ澄まされたインタープレイ、そしてスタンダード解釈における彼の個性的な才能。どのアルバムもじっくりと耳を傾けるほどに、その奥深さに気づかされます。

日本におけるポール・モチアン

ポール・モチアンは日本のジャズファンからも愛され、評価されています。ジャズ喫茶いーぐるの店主でありジャズ評論家の後藤雅洋氏はモチアンについて、「気がついてみたら凄い人だった」「失って初めてその存在の大きさに気がついたミュージシャンの一人」と、率直な感想を述べています。

日本のファンにとって、ビル・エヴァンス・トリオのサイドマンとして彼の名前を意識したのが最初という方は多いでしょう。その後、リーダー作品を通してその独自のテイストに注目が集まりました。日本のポリドールから『BILL EVANS』というタイトルのトリビュートアルバムをリリースしたこともあります。モチアンがこの企画を受け入れたことに、日本との縁を感じさせます。

近年でも日本のミュージシャンによって、ポール・モチアンの音楽を演奏するトリビュートライブが行われています。彼の楽曲は今なお日本のジャズシーンで演奏され、多くの人に影響を与え続けています。

ポール・モチアンの遺産

ポール・モチアンは2011年11月22日に、80歳でニューヨークの病院で亡くなりました。彼の死は多くのジャズファンに惜しまれました。

しかし、彼が遺した音楽は色褪せることはありません。彼のリーダーアルバムや、ビル・エヴァンス、キース・ジャレットとの共演作は、今も世界中で聴き継がれています。ECMからは彼の初期のリーダー作品をまとめたボックスセット「Old & New Masters Edition」がリリースされています。彼の音楽を演奏するトリビュート作品も、継続的に制作されています。

ポール・モチアンのドラミングスタイル、作曲家としての才能、そして他のミュージシャンとの温かい交流は、ジャズの歴史に深く刻まれています。彼の音楽に派手さはありませんが、聴く人の心と身体に静かに沁み込んでくる不思議な魅力を持っています。

ポール・モチアンの美しい音楽世界

ポール・モチアンは、ビル・エヴァンス・トリオでの革新的なインタープレイで知られる一方、リーダーとしても独自の美しい音楽世界を築き上げました。彼の音楽は意識的な計算ではなく、音楽そのものに耳を澄まし、心で反応することから生まれています。その静かで奥深いサウンドは、聴くたびに新しい発見をもたらしてくれるでしょう。

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