ドビュッシーのピアノ曲「2つのアラベスク」魅力と解説
クロード ドビュッシー作曲の「2つのアラベスク」は、ピアノを習っている方なら一度は耳にしたことがあるかもしれません。発表会で演奏されることも多く、その美しい旋律と響きに憧れを持つ方も多いのではないでしょうか。 この作品は、ドビュッシーの初期の傑作として広く愛されています。
「アラベスク」という言葉の不思議
「アラベスク」(Arabesque)という言葉は、もともと「アラビア風の」という意味を持っています。美術の世界では、植物のツタや葉、幾何学模様などが複雑に絡み合った装飾模様のことを指します。これはイスラム美術に由来するもので、偶像崇拝を禁じるイスラム教ではこうした装飾によって神聖な世界を表現したとされています。
ドビュッシーはこの「アラベスク」という言葉に、特別な意味を見出していました。彼にとって音楽における「アラベスク」とは単なる装飾ではなく、流れるような旋律の線や美しい曲線、そして複数の線が複雑に絡み合うことを意味しました。特にバッハやパレストリーナといった作曲家の音楽に、「アラベスク」の美しさがあると感じていたようです。
「2つのアラベスク」が作曲された19世紀末のフランスでは、植物や自然の有機的なモチーフを多用したアール ヌーヴォーという芸術運動が盛んでした。アール ヌーヴォーにおける装飾は単なる「飾り」ではなく、それ自体が作品の中心となる表現です。ドビュッシーの「アラベスク」も装飾そのものが自立し、楽曲全体を作り上げているという点では、当時の美術と共通する感覚が見られます。
作品が生まれた時代と作曲家
クロード・ドビュッシー(1862年~1918年)はフランスを代表する作曲家であり、「印象派音楽」の作曲家として知られています。ただし彼自身は、「印象派」と呼ばれることを好みませんでした。
「印象派」という言葉はもともと絵画の分野で生まれ、最初は必ずしも好意的な意味では使われていません。ドビュッシーの作品が印象派と見なされるようになったのは、作品の演奏会を印象派の画家の展覧会と同じ会場で行ったことと関連しているようです。
ドビュッシーは印象派の画家たちと同時代に活動していましたが、音楽家としては特定のグループに属することなく、独自の音楽語法を模索していました。
ドビュッシーの音楽は「印象」を描写するにとどまらず、彼独自の繊細さや微妙な音のニュアンスを追求し、自身の音楽世界を表現しようとしていました。作品に見られる特徴は長調と短調が混じった旋律、5音音階や全音音階の使用、プラガル終止、7の和音を交えた完全和音群、平行移動、複合リズム、アルペジオの多用、ペダル効果など多岐にわたります。これらの手法によって、水のきらめきや透明感、エキゾチズムなどを表現し、聴き手を独自の音楽世界へと導くのです。
「印象派」という言葉が持つ本来の否定的ニュアンスや、特定の美術ムーブメントを指す言葉が、独自の道を追求する彼の音楽家としてのアイデンティティや本質を十分に捉えていないと、感じていたのでしょう。
「2つのアラベスク」はドビュッシーがまだ若かった1888年(26歳頃)に作曲され、1891年に出版されました。かなり初期の作品にあたるわけです。この頃のドビュッシーは、パリ音楽院で学びながら自身の音楽スタイルを模索していました。ロマン派音楽の影響もまだ色濃く残っていますが、後の作品で花開く「印象派」的な新しいスタイルの萌芽も、既に感じ取ることができます。
この時期にはマラルメをはじめとする象徴主義の詩人や画家たちとの交流もあり、こうした異分野の芸術の影響も音楽に取り入れられていきました。1889年のパリ万国博覧会でジャワのガムラン音楽に出会ったことも、ドビュッシーの音楽観に大きな転換をもたらしたと言われます。「2つのアラベスク」はこうした様々な影響が融合しつつあった、まさにドビュッシーの創作における過渡期に生まれた作品と言えるでしょう.
第1番 優美で繊細なアラベスク
「2つのアラベスク」の第1番はホ長調、4分の4拍子で、「Andantino con moto」(適度な動きをもって歩くような速さで)という速度記号がついています。
この曲の大きな特徴は、冒頭から多用される三連符と分散和音です。三連符の連続が作り出す流れるような旋律は、アラベスク模様の唐草模様を思わせます。右手と左手がそれぞれ異なるリズム(右手3音に対し左手2音)で演奏するポリリズムが効果的に使われており、これによりリズムが複雑に絡み合うような独特の響きが生まれます。
冒頭の和声進行は、ホ長調にも関わらず主和音(ホ長調のミの和音)以外から始まります。和声の使い方も繊細で、7度音程や和音の転回形が巧みに活用されており、時には和音の平行進行も見られます。こうした和声の響きが、優美でどこか夢見るような雰囲気を醸し出しています.
旋律には、音が一度戻ってくるような刺繍音的な動きが多く見られます。これにより旋律が直線的になるのを避け、滑らかな曲線を描いています。全体を通して、優美な曲線と装飾性が際立つ作品です。川の流れを表しているという解釈もあります。
第2番 軽快で躍動的なアラベスク
「2つのアラベスク」の第2番はト長調、4分の4拍子で、「Allegretto scherzando」(やや速く、おどけて、軽く)という速度記号がついています。
第1番とは対照的に、非常に軽快でリズミカルな曲です。細やかな短い音型やスタッカートが多用され、踊っているかのような躍動感があります。シンコペーションも特徴的です。
18世紀のチェンバロ音楽からの影響が見られると言われ、指先を軽く動かすテクニックが求められます。オーケストラ的な書法も多く用いられており、様々な楽器の音色をイメージして弾き分けることで、より豊かな表現になるのです。
和声進行に限れば第1番よりも典型的ですが、中間部では鮮やかな転調が次々と現れ、後のドビュッシー作品に見られる機能和声からの脱却を予感させます。
演奏と練習でドビュッシーの魅力を掴む
「2つのアラベスク」は第1番、第2番ともに、ピアノの難易度としては中級とされています。ピアノ指導者や中級レベル以上の学習者を対象とした楽譜も出版されています。ピアノ学習歴としては、2年~5年くらいで挑戦する方が多いようです。
この曲を魅力的に演奏するためには、いくつかの技術的なポイントがあります。
一つ目は、ポリリズムの習得です。特に第1番の右手3音 対 左手2音のリズムを正確かつ滑らかに弾くことは、大きな課題となるでしょう。理論的に理解することも大切ですが、最終的には感覚を微調整しながら、それぞれの音が独立しつつも絡み合って聞こえるように練習することが重要です。
二つ目は、指使いと手の移動です。ドビュッシーの曲には黒鍵を親指(1の指)で弾く箇所が多く出てきます。手の形に合わないように思えるかもしれませんが、無理なく自然に指を運べるように練習しましょう。フレーズのまとまりを意識して、次のポジションへの移動をスムーズに行うことも大切です。
ドビュッシーの音楽にペダルは欠かせません。ペダルによって響きを豊かにしたり、音を繋げたりしますが、踏みすぎると音が濁ってしまいます。和声の変化に合わせてペダルを踏み変えたり、浅めに踏むハーフペダルのテクニックを使ったりして、耳でよく響きを確認しながら、求める音色を作り上げていくことが大切です。
表現の面では楽譜に書かれた速度記号や強弱記号だけでなく、フレーズの大きな流れや音楽の呼吸を感じ取ることが重要です。特に第1番では優美で柔らかい音色、第2番では軽快で躍動的な音色を目指し、タッチやペダルを工夫しましょう。第2番では、オーケストラの楽器をイメージするのも助けになります。
段階的に練習を進めること、そして常に音色の美しさを意識しながら取り組むことが、この曲の魅力を引き出す鍵になります。
「アラベスク」から広がるドビュッシーの世界
「アラベスク」というタイトルを持つピアノ曲は、ドビュッシー以外にも存在します。有名なのは、ドビュッシーより前に活躍したシューマンが作曲した「アラベスク」です。シューマンの作品も絡み合うような音型が特徴的で、曲名に「アラベスク」を用いた元祖と言われています. ドビュッシーの作品と聴き比べてみるのも面白いかもしれません。
ちなみにドビュッシーや「アラベスク」は、日本の小説に使われることがあります。例えば、中山七里さんのデビュー作である小説「さよならドビュッシー」は、音楽とミステリーが融合した人気シリーズです。ピアニストの岬洋介が探偵役として活躍し、物語の中にドビュッシーの曲が重要な要素として登場します。
村上春樹さん「ノルウェイの森」ではドビュッシー「月の光」が登場し、島田荘司さんの御手洗潔シリーズ第3作「異邦の騎士」では、「アラベスク」の使われ方が謎解きの場面で涙を誘います。
まとめ
ドビュッシーの「2つのアラベスク」は若きドビュッシーの才能と魅力が詰まった、素晴らしいピアノ曲です。ロマン派の叙情性と後の印象派を予感させる新しいスタイルが融合した、ユニークな音楽世界が広がっています。
ポリリズムや複雑な音型など技術的な課題もありますが、一つ一つ丁寧に取り組むことで、ドビュッシー特有の繊細な響きや流れるような旋律を表現できるようになります。
ぜひ、この「2つのアラベスク」の演奏や鑑賞を通して、ドビュッシーの豊かな音楽世界を体験してみてください。

実は「アラベスク」という言葉を知ったのは、MOONDANCERという日本のバンドの曲からです。「プログレ・ハード・ポップ・バンド」などという、今から思えばナニ言ってるか分からないジャンルを掲げ、テレビで演っているのを見ました。当時CMもかかってたから、結構チカラ入れて売ろうとしたんだろうな。売れたとは聞いとらんが。
冒頭から「アラベスク アラベスク」って繰り返すし、キーボード弾きながら歌う厚見麗氏は白いロリータ風の装束で、似非ヨーロッパの女の名前だろうくらいに勘違いしとりました。
今回初めて全曲聴きましたが、中々の実力派だったんですね。かえっていま売り出した方が、コアなファンがつくかもしれない。
などと、ドビュッシーとは無関係な話しでありますが、当時はネットで検索、どころか辞書にだってなさそうなこんな単語、意味を知るのは「2つのアラベスク」を知ってからも、さらに後の事になります。
一つの言葉や情報にいろんな勘違いがあって、そのまま信じて一生を終わるのが珍しくない時代でした。事実と誤認が織りなす「アラベスク」に、かえって複雑で独自の風合いが楽しめたかもしれません。「2つのアラベスク」の美しさに、そんなことを思います。
それが今の「アラベスク」となると、事実と「歪んだ」事実のみが絡み合う単色に近い仕上がりじゃなかろうか。とれる情報の量は圧倒的に増えたのに、情報の質は上がるどころか、ひょっとして退化してはいまいか。
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