ABBA 不朽の名曲「ダンシング・クイーン」時代を超えたポップアンセムの秘密

洋楽

どのようにして生まれ、なぜこれほどまで人々を魅了し続けるのか

音楽の歴史には何十年経っても色褪せることなく、世代を超えて愛され続ける名曲が存在します。ABBA(アバ)の「Dancing Queen(ダンシング・クイーン)」。結婚式や誕生日パーティーで流れれば思わず体が動き出すような、明るく華やかなイメージを持つ方が多いのではないでしょうか。

この曲には私たちが普段意識しないような音楽的な工夫や意外な誕生秘話、発表当時の音楽シーンにおける特別な立ち位置など、知るほどに奥深い魅力がたくさん詰まっています。「Dancing Queen」は、どのようにして生まれ、なぜこれほどまでに多くの人々を魅了し続けるのでしょうか。

誕生秘話 ジョージ・マックレーとニューオーリンズリズムからの着想

インスピレーションを受けた2曲

「Dancing Queen」が誕生したのは1975年8月のことです。この曲はABBAにとって初めてのディスコへの挑戦となりました。その有名なリズムは二つの異なる音楽から、インスピレーションを得ています。

一つは、1974年にリリースされたジョージ・マックレーの「Rock Your Baby」です。これは最初期のディスコ録音の一つとされており、ABBAのメンバーがナイトクラブで何度も耳にした曲でした。

ビョルンはスローなディスコグルーヴに、面白さを感じました。人間の心がAIのように機能し、歌を情報という形で集め、インスピレーションとして活用する。それがポップ・ミュージック進化のあり方だと、彼は語っています。

もう一つは、1972年のドクター・ジョンのアルバム「Dr. John’s Gumbo」に収録されたニューオーリンズリズムです。これはABBAのドラマーであるロジャー・パーム(Roger Palm)がよく聴いていたものです。

これら二つのアメリカの音楽を手本としながらも、ABBAがディスコを演奏すると、そこには明らかにヨーロッパ的な響きが加わりました。

最初の曲名は「Boogaloo」

曲は、ベニー・アンダーソンがピアノの鍵盤を指で滑らせる印象的なグリッサンドから始まります。実際のディスコナンバーの多くが1分あたり120ビートであるのに対し、「Dancing Queen」は約100ビートと、ディスコとしては遅めのテンポです。

「Dancing Queen」の仮タイトルは、「Boogaloo」でした。楽器のレコーディングが行われたのは1974年8月4日と5日です。インストゥルメンタル部分とメロディーはこの時に録音され、その後ボーカルや最終的なアレンジメントが加わり、完成までには数ヶ月を要しました。

録音が完了したとき、ビョルンとベニーは自分たちが特別な作品を作り上げたことを確信しました。彼らはその夜遅くに、それぞれのパートナーに聞かせようと家に持ち帰りました。フリーダはこの曲を聴いた時に泣いたと語っています。信じられないほど美しいと感じたからです。

一方、ビョルンが帰宅したときアグネタは寝ていました。起こしたくないビョルンは妻への報告の代わりに、妹の家に行きます。妹に何度も何度もその曲を聴かせ、その音の素晴らしさに信じられない思いだったと振り返っています。

王妃のためのディスコサウンド

一説によるとこの曲は、スウェーデンのシルヴィア王妃のために書き上げられたものだと言われています。ドイツ生まれで国民から批判されていたシルヴィア王妃を励ますために、結婚披露宴で披露された未発表曲に歌詞を書き直したというのです。

1976年6月19日の結婚式の前日、つまり金曜日の夜に、ABBAは王室の祝賀イベントでこの曲を披露しました。歌詞の中にある「金曜日の夜」は、この披露宴が行われた日を指しているというのです。この曲が王妃に贈られた英語のメッセージであり、ABBAのブレイクのきっかけとなった曲であるという話は、広く語られています。結婚式での演奏は事実として、多くの資料に記載されています。

音楽的魅力と深み 見事な構成と繊細なアレンジ

「Dancing Queen」の音楽的な魅力は多岐にわたります。

絶妙な構成

まず、曲がコーラスの途中から始まるという珍しい構成。本来イントロがあったのですが、何らかの理由でカットされた結果、現在の形になったとビョルンは説明しています。この冒頭の「You can dance, you can jive」というフレーズは聴き手の注意を一瞬で引きつけます。

オープニングのグリッサンドは非常に印象的です。「Dancing Queen」を象徴する音の一つであり、曲の始まりを告げる高揚感を生み出しています。

アグネタとフリーダの二人のリードボーカルによる空高く舞い上がるようなハーモニーも、この曲の重要な要素です。彼らの歌声は時にユニゾンで、時に複雑なハーモニーを織りなし、楽曲に豊かな広がりと感情的な深みを与えています。コーラス部分でのパワフルな歌声は「Dancing Queen」の輝きを見事に表現しています。

巧みなアレンジ

アレンジが実に巧みです。例えば曲の最初のフレーズ「Friday night and the lights are low」の後には、素早いバイオリンのアルペジオがそれに答えるように挿入されます。次のフレーズをピアノによるシンコペーションのリズムが埋めています。メロディーが途切れる瞬間、楽器がリズム刺激を与えて空白を埋めるというアレンジはABBAの楽曲全体に共通する特徴で、聴き手を飽きさせない工夫です。ドラムもハードすぎず親しみやすいサウンドになっていて、人々をダンスに誘う役割を果たしています。

音楽理論的な観点からも、興味深い要素を含んでいます。例えばコード進行の変化や曲中で使用される様々な拡張コードは、単なるシンプルなポップソングに終わらない深みを生み出しています。「time of your life」の部分や、ヴァース二行目の終わりのコード変化、そして「you can jive」の部分に見られるようなコード選択も、独特の雰囲気を醸し出しています。

この曲はキャッチーでありながら、通常のポップソングのように同じフレーズを過度に繰り返すことはありません。メロディーは比較的長く展開していきますが、それでも非常に記憶に残りやすい構造を持っています。これはクラシックなポップソングライティングの見事な例と言えるでしょう。

複雑な感情を呼び起こす力

「Dancing Queen」は多くの人が抱く、完璧な夜や若さの輝きといった普遍的な感情を呼び起こします。同時に、時間が経つにつれてその瞬間は過去のものとなるという、ほろ苦いノスタルジーやメランコリーも内包しています。

語り手の視点が「you are the dancing queen」(あなたこそがダンシングクイーン)という二人称から、「see that girl」(あの娘を見て)という三人称へと変化する辺りは、時間の距離や失われた若さを暗示しているかのようです。ダンスフロアが人生の問題からの逃避でありながらも、現実が外で待っていることを知っている感覚、あるいはディスコというムーブメントの終焉が近づいていることを無意識に感じさせるような、複雑な感情を呼び起こす力がこの曲にはあるのです。

チャートを席巻 世界を魅了した普遍的なヒット

「Dancing Queen」は1976年8月16日、スウェーデンにおいて初めてシングルとしてリリースされます。B面にはアルバム「Arrival」から「That’s Me」が収録されました。レコードスリーブにはメンバーが白い帽子をかぶった写真が使われており、これはABBAのイメージを代表する一枚となり、メンバー自身もお気に入りの写真だったと言われています。

5 facts you didn't know about the song "Dancing Queen" by ABBA

世界的な大ヒット

リリースされるとすぐに、世界的な大ヒットとなりました。イギリス、ベルギー、アイルランド、南アフリカなど、多くの国でチャート1位を獲得します。アメリカではビルボードHot 100チャートで1位に輝き、これはABBAにとって全米で唯一のナンバーワンヒットとなりました。本国スウェーデンでは14週間連続で1位を記録する大成功を収め、オーストラリア、カナダ、スペイン、ポルトガル、ノルウェーなどでもチャートのトップに立っています。

「Dancing Queen」は商業的な成功だけでなく、専門筋からも高い評価を得ます。成熟した内省的な歌詞と、アグネタの心を揺さぶるようなパフォーマンスが特に称賛されました。この曲はABBAの代表曲の一つとして確立され、彼らを真のスーパースターへと押し上げました。

現役のヒット曲

「Dancing Queen」は時代を経ても様々なチャートに登場しています。2021年にはデジタル・ソング・セールス・チャートで19位にランクインし、今なお多くのリスナーに愛されていることを示しました。ビルボードのDance Digital Song Salesチャートには初めて登場し、9位を記録しています。その普遍的な魅力は当時のリスナーだけでなく、現代のリスナーにも強く響いているのです。

ポップカルチャーへの影響と不朽のレガシー

「Dancing Queen」は単なるヒット曲にとどまらず、ポップカルチャー全体に大きな影響を与えた文化現象となりました。1976年にスウェーデンのカール16世グスタフ国王とシルヴィア王妃の結婚式祝賀会のテレビ中継で披露されたことは、この曲の世界的な認知度を高める上で重要な出来事でした。バンドが18世紀の王政時代の衣装を着けて行ったその演奏は、アバの世界的な最大のヒットへと繋がる象徴的なパフォーマンスとなりました。

この曲のレガシーは、他のアーティストにも受け継がれています。確認できるだけでも約50作ものカバーが存在しており、「Dancing Queen」は最もカバーされているABBA楽曲の一つです。UKのポップグループ、S Club 7は1999年にこの曲をカバーし、新しい世代の聴衆にこの名曲を紹介しました。

全く予想外のところにもその影響は見られます。エルヴィス・コステロは「Dancing Queen」のピアノのコードから「Oliver’s Army」のアイデアを得たと語っています。インディーロックバンドのMGMTも、彼らのヒット曲「Time To Pretend」でこの曲のテンポを使用したと認めています。

「Dancing Queen」は発表から約40年後の2015年にグラミー殿堂賞を受賞し、今ではABBAの代表曲となっています。2024年にはアメリカ議会図書館の国家録音登録簿に登録されるなど、その文化的重要性が公式に認められています。ローリング・ストーン誌が選ぶ「史上最高の500曲」やビルボードが選ぶ「最高のポップソング500曲」にもランクインするなど、その音楽史における地位は揺るぎないものとなっています。

近年では、リトルグリーモンスターがミュージカル映画「MAMMA MIA! Here We Go Again」のジャパン・アンバサダーとしてこの曲をカバーしました。ワールド・プレミアではABBA本人の前でアカペラで披露し、ビョルン・ウルヴァースから「とてもピュアで音程もいい」とお墨付きをもらったエピソードも残っています。

ディスコ時代の象徴とその背景

ディスコミュージックの象徴

「Dancing Queen」は、1970年代後半にピークを迎えたディスコミュージックの象徴的な楽曲と見なされています。この曲は当時のディスコ時代の活気ある雰囲気と、音楽とダンスが一体となった文化を体現しています。1976年のリリースは、ディスコミュージックが一躍メインストリームに躍り出た時期と重なります。

社会的弱者の逃げ場

ディスコミュージックは1960年代後半にアンダーグラウンドのクラブで始まり、1970年代にかけて世界的な人気を獲得しました。ニューヨークのスタジオ54のようなディスコにはあらゆる階層の人々が集まり、人種差別や同性愛嫌悪といった当時の社会問題から逃れるための安全な場所としての側面もありました。ファンキーなサウンド、光り輝くディスコボール、そしてポジティブなヴァイブスが、ディスコの人気を後押ししました。

サタデー・ナイト・フィーバー

1977年に公開されたジョン・トラボルタ主演映画「サタデー・ナイト・フィーバー」は、ディスコミュージックをさらに広く一般に知らしめるきっかけとなりました。ビー・ジーズをはじめとするアーティストのディスコトラックをフィーチャーしたサウンドトラックは大ヒットし、ロッド・スチュワートクイーンのようなロックアーティストもディスコの影響を受けるようになりました。

反ディスコ運動

しかし、ディスコには逆風もありました。一部のロックファンからは敵視され、「ディスコに死を」といった反ディスコ運動まで起こりました。シカゴで行われた「ディスコ・デモリッション・ナイト」のように、ディスコレコードがイベントで破壊されることもありました。かつて「悪」だったロックが時代を経て「正義」となり、代わってディスコが「悪」と見なされるという、音楽ジャンル間の対立を象徴しています。

後の様々なジャンルに影響

ディスコミュージックの特徴としては、四つ打ちのビートエフェクターを使った特徴的なギターサウンド、シンセサイザーによるストリングスサウンド、ホーンセクション、そして分かりやすい歌詞とキャッチーなフックが挙げられます。「Dancing Queen」は四つ打ちビートではないものの、シンセサイザーや特徴的なリズム、分かりやすいフックといった要素を取り入れています。歌詞はダンスやパーティーといったテーマを扱っており、ディスコミュージックのスタイルに沿っています。

ディスコブーム自体は約10年程度の比較的短い期間で収束しましたが、その音楽的な要素は失われることなく、後のダンスミュージック、ハウス、エレクトロニカなど、様々なジャンルに影響を与え続けています。ヒップホップの誕生も、初期にはディスコのグルーヴに接近したライブ録音のサウンドから始まったとされています。ディスコは確かに流行の最先端からは外れていきましたが、そのサウンドは形を変えながら音楽シーンに生き続けています。

時代を超えて愛される理由 普遍的な魅力

2021年、ABBAが約40年ぶりとなる新作アルバム「Voyage」をリリースしたことは、再び彼らの音楽に注目が集まるきっかけとなりました。ビョルンは再活動には莫大なリスクがあったと振り返っていますが、「Dancing Queen」をはじめとする彼らの名曲が今なお高い人気を保ち続けていることが、この挑戦を可能にした一因とも言えるでしょう。

「Dancing Queen」は過去のヒット曲としてだけでなく、現在も様々な形で生活の中に存在しています。映画やテレビ番組で使用されたり、新しいアーティストによってカバーされたりすることで、常に新しい世代に発見されています。明るくポジティブなエネルギーを持つこの曲は、結婚式やパーティーといったお祝いの場面で好んで選ばれます。

「Dancing Queen」は聴けば聴くほどに新たな魅力が見えてくる、まさに時代を超えた不朽のポップアンセムなのです。

いさぶろう
いさぶろう

生涯にただ一度、ディスコというところに行きました。新宿3丁目テアトルビル5階「ツバキハウス」です。踊りにではなく、「キャバレー・ヴォルテール」という暗ーいインダストリアル・ミュージックのバンドを見るためです。人いきれと空調の効きの悪さから、気が遠くなりかけました。

そもそも踊り自体に興味がなく、大ヒットした「サタデー・ナイト・フィーバー」もテレビで放送していた「ソウル・トレイン」も知りません。

大場久美子「ディスコ・ドリーム」だけは、衝撃のクーミン・サウンドゆえに自虐的に聴いておりました。いま聴き直したら、やっぱりスゲー破壊力です。

そういうわけで「ダンシング・クイーン」も、無縁の音楽であり続けました。そんな私に昭和という時代は、容赦なくこの曲を浴びせかけ、好き嫌い関係なく洗脳していくのでした。

40年以上経ってちゃんと聴いたら、中々いい曲じゃない。遅すぎるか😅

そういえば当時の我がアイドル・コージー・ファニ・トゥッティも、好きな音楽はABBAってインタビューで答えとったなぁ。暗い青春でしたねー。

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