リー・モーガンと聞いて多くの人が頭に思い描くのは、『ザ・サイドワインダー』でしょう。このアルバムは1963年に録音され、翌年にリリースされるやいなやジャズ・チャートを席巻! まさにモーガンのキャリアを決定づけた一枚と言えます。
ブレイクの嵐!「ザ・サイドワインダー」
アルバムのタイトル曲「ザ・サイドワインダー」。イントロからもう最高! ファンキーでキャッチーなメロディーが耳にこびりついて離れません。トランペットの音色も、最高に輝いています。一度聴いたら忘れられない、まさに中毒性のある一曲です。この曲のブレイクはジャズファンのみならず、R&Bやソウル、果てはロックのアーティストたちにも大きな影響を与えました。まさに時代を超えた名曲です。
個性豊かなメンバーが集結!
『ザ・サイドワインダー』の成功は、リー・モーガン自身の才能はもちろんですが、それを支えた素晴らしいミュージシャンたちの貢献も忘れてはいけません。このアルバムに参加したメンバーはまさに最強の布陣! 個性豊かな演奏で、モーガンのトランペットをさらに輝かせています。
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リー・モーガン (Lee Morgan) 本作のリーダー。若干25歳ながら、すでに円熟味を感じさせるプレイを披露しています。力強く、それでいて繊細な表現力はまさに天才的。このアルバムで彼の才能は一気に開花しました。
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ジョー・ヘンダーソン (Joe Henderson) 当時まだ20代前半だったヘンダーソンですが、その演奏は驚くほど成熟しています。モーガンのトランペットと見事に絡み合い、スリリングなインタープレイを繰り広げています。後のジャズ界を担う大器の片鱗をすでに感じさせる、素晴らしい演奏です。
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バリー・ハリス (Barry Harris) ハリスのピアノは、このアルバムのグルーヴ感を支える重要な役割を果たしています。ファンキーなプレイから美しいバラードまで幅広い表現力で、聴く者を魅了します。特にタイトル曲での彼の貢献は大きく、曲の印象を決定づける重要な要素となっています。
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ボブ・クランショウ (Bob Cranshaw) クランショウのベースは、まさに磐石! どんなに激しい曲でもしっかりとリズムを刻み、バンド全体を支えています。彼の安定した演奏が、他のメンバーの自由なプレイを可能にしていると言えるでしょう。縁の下の力持ちとして、このアルバムの成功に大きく貢献しています。
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ビリー・ヒギンス(Billy Higgins) ヒギンスのドラムはまさにパワフル! エネルギッシュなドラミングで、曲全体を盛り上げています。彼のドラムソロも聴きどころ満載で、ジャズ・ドラムの魅力を存分に味わうことができます。
『ザ・サイドワインダー』の魅力はタイトル曲だけではありません。アルバム全体を通して、素晴らしい曲が詰まっています。スウィンギーな『Hocus Pocus』、ムーディーな『Totem Pole』など、聴きどころ満載です。それぞれの曲で、モーガンとメンバーたちの素晴らしい演奏を楽しむことができます。
大ヒットした背景
『ザ・サイドワインダー』が1964年に大ヒットした背景には、当時のアメリカの社会状況や音楽シーンの潮流が大きく影響しています。いくつかの重要な要素を掘り下げて見てみましょう。
公民権運動の高まりと社会変革の機運
1960年代のアメリカは公民権運動が激化するなど、社会変革の機運が高まっていました。人種差別撤廃を求める声は日に日に大きくなり、既存の価値観や社会構造が見直され始めていました。このような時代背景の中、アフリカ系アメリカ人の文化や音楽への注目も高まり、ジャズは単なる娯楽音楽を超えた、社会的な意味を持つようになりました。
ハードバップの衰退と新たなジャズの模索
1950年代後半から1960年代初頭にかけて、ジャズ界ではハードバップの勢いが衰え始め、新たな音楽的表現が模索されていました。モード・ジャズやフリー・ジャズといった革新的なスタイルが登場する一方で、ソウル・ジャズのように、より大衆的な要素を取り入れた音楽も人気を集め始めていました。『ザ・サイドワインダー』のファンキーでキャッチーなサウンドは、まさに時代の空気を捉えたものだったと言えるでしょう。
ラジオの普及と音楽メディアの変化
ラジオの普及も、『ザ・サイドワインダー』のヒットに大きく貢献しました。当時、ラジオは主要な音楽メディアとして様々なジャンルの音楽を幅広い層に届けていました。『ザ・サイドワインダー』のタイトル曲は、ジャズ専門局だけでなくR&Bやポップス系のラジオ局でも頻繁にオンエアされ、ジャズファン以外にも広く知られるようになりました。
テレビの影響とビジュアル文化の隆盛
テレビの普及も、音楽の聴かれ方に変化をもたらしました。『ザ・サイドワインダー』のタイトル曲は、人気テレビ番組のテーマソングやCMソングとしても使用され、視覚的なイメージと結びつくことで、より多くの人の記憶に残る曲となりました。
クロスオーバー・ヒットの台頭
1960年代は、異なるジャンルが融合したクロスオーバー・ヒットが数多く生まれた時代でもありました。『ザ・サイドワインダー』は、ジャズ、R&B、ソウル、ポップスといった様々な要素を融合させた楽曲であり、ジャンルを超えた幅広い層に受け入れられました。
これらの要素が複雑に絡み合い、『ザ・サイドワインダー』は時代を象徴する大ヒット曲となったのです。それは単なる音楽の流行を超え、社会変革の機運やメディアの変化といった、より大きな時代の流れを反映した現象だったと言えるでしょう。
『ザ・サイドワインダー』 成功がもたらしたジレンマ
リー・モーガンの『ザ・サイドワインダー』の大ヒットは、ブルーノート・レコードにとって大きなメリットと同時に、いくつかのデメリットも生み出しました。レーベルの転換期における複雑な状況を象徴する一枚とも言えるでしょう。
商業的成功
『ザ・サイドワインダー』は、それまでのブルーノートのアルバムとは桁違いのセールスを記録しました。タイトル曲はシングルカットされ、ポップ・チャートにもランクインするほどの大ヒットとなり、レーベルに莫大な利益をもたらしました。
ジャズ以外のジャンル、例えばR&Bやソウル、ポップスのファン層にもリー・モーガンとブルーノートの名を知らしめることになります。当時としては、画期的な出来事でした。
ハードバップの牙城というイメージが強かったブルーノートですが、『ザ・サイドワインダー』の成功により、より幅広い音楽性を包含するレーベルとして認知されるようになりました。
リー・モーガンとアルフレッド・ライオンの苦悩
一方で、『ザ・サイドワインダー』の予想外の成功は、ブルーノートの創設者でありプロデューサーのアルフレッド・ライオンに大きな衝撃を与えました。それは同時に、更なるヒット作へのプレッシャーへと繋がったのです。
ライオンは、ジャズの純粋性と芸術性を非常に重視する人物でした。彼は利益よりも質の高い音楽を生み出すことに情熱を注ぎ、数々の名盤を世に送り出してきました。しかし、『ザ・サイドワインダー』の大ヒットは彼に商業的な成功の重要性を、再認識させることになりました。
レーベルの経営を安定させるためには、ヒット作が必要不可欠です。ライオンはこれまで以上に商業的な視点を取り入れ、アーティストたちに更なるヒット作の制作を迫るようになりました。これは彼にとって、苦渋の決断だったと言えるでしょう。
もちろん、ライオンが商業主義に完全に屈したわけではありません。彼はあくまでジャズの質を落とすことなく、より多くの人々に届く音楽を目指しました。しかし、アーティストたちにとってこの変化は大きなプレッシャーとなりました。
リー・モーガン自身は『ザ・サイドワインダー』のような商業的な作品ではなく、よりアーティスティックな作品で評価されたいと考えていました。そのため、レーベルの方向性との間に葛藤が生じ、最終的にはブルーノートを去ることになります。
『ザ・サイドワインダー』の成功は、ブルーノートにとって祝福であると同時に、試練の始まりでもありました。ライオンはジャズの芸術性と商業主義の狭間で難しい舵取りを迫られ、その苦悩はレーベルの未来を大きく左右することになったのです。
ハードバップ路線からの逸脱への批判
『ザ・サイドワインダー』の商業的成功は、一部のジャズ評論家や熱心なファンから、ブルーノートが本来のハードバップ路線から逸脱したと批判される原因にもなりました。純粋なジャズを求める層からは、ポップな要素を取り入れた『ザ・サイドワインダー』は”売れ線狙い”と捉えられてしまったのです。
『ザ・サイドワインダー』の成功は、他のブルーノート所属アーティストにも大きなプレッシャーを与えました。レーベルは、同様の商業的成功を求めるようになり、アーティストたちは自分の音楽性とは異なる方向へと進むことを強要されるケースもあったようです。
『ザ・サイドワインダー』はブルーノート・レコードにとって、大きな転換点となった作品です。商業的な成功はレーベルの未来を明るく照らしましたが、同時に、ジャズという音楽の芸術性と商業主義の狭間でレーベルが葛藤する時代の幕開けを告げる作品でもありました。

決して通ぶるわけではありませんが、この曲(アルバム)を積極的に聴こうと思ったことがありません。むしろリー・モーガンなら、ブルーノートに限っても他の盤の方が断然お気に入りです。
モーガンの演奏の特徴として、パワフルで芯のある音色 ・鋭いアタックと豊かな表現力 ・ブルースフィーリングの強さ ・明確なフレージング ・高音から低音まで安定したコントロールなどが挙げられます。これに照らせば初期の「インディード!」や「Lee Morgan Sextet(リー・モーガン Vol. 2)」の方がはるかに”らしく”、彼の超絶技巧を堪能できます。没後発表された「リー・モーガン・ラスト・アルバム」も、進歩的な概念と伝統的価値観を同時に受け入れた素晴らしい演奏です。
空前のヒットとはいっても、Billboard 200で最高25位。シングルカットされた『ザ・サイドワインダー』も最高81位に過ぎず、”ジャズにしては”よく売れたと言える程度の事です。それでもこの曲が入り口となり、リー・モーガンの突き抜けたトランペットにハマってもらえるなら幸いですが、難しいんじゃないかなぁ。「ガラガラヘビ」という名のこの曲だけ、分離しているイメージです。
売らんかな主義じゃないレーベルとミュージシャンが、下手に売れちゃって却って困ったことになったという意味で、歴史的な一曲かもしれません。
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