マル・ウォルドロンの「レフト・アローン」 ジャズピアノの歴史に刻まれた傑作

ジャズ

マル・ウォルドロンが1959年に録音した「レフト・アローン」は、ジャズ史に残る重要な作品として高い評価を受けています。この楽曲は、ウォルドロンの繊細なピアノタッチと深い音楽性が見事に表現された名曲です。

マル・ウォルドロンとビリー・ホリデイ 深い絆で結ばれた二人

「レフト・アローン」は、マル・ウォルドロンが自身のトリオで録音したアルバムのタイトル曲として知られています。孤独で内省的な感情を美しいメロディーラインで表現した、印象的な作品です。ウォルドロンの優れたピアノ演奏技術と豊かな音楽性が、存分に発揮されています。

運命的な出会い

1957年、マル・ウォルドロンはビリー・ホリデイ最後の専属ピアニストとなりました。この出会いは両者のキャリアにとって、重要な転機となりました。当時、ビリーは麻薬関連の問題により、キャバレーでの演奏許可を失っていた時期でした。

ウォルドロンはビリー晩年の2年間、彼女の音楽活動を支えました。単なる伴奏者以上の存在として彼女の音楽表現を深く理解し、その歌声を最大限に引き出す最善の演奏を心掛けました。

音楽的な信頼関係

二人の間には、深い音楽的な信頼関係が築かれていました。ビリーが自身の感情をウォルドロンに率直に伝えれば、彼はそれを繊細なピアノの音色で表現します。

「レフト・アローン」の誕生は、二人の緊密な関係を象徴する出来事です。ビリーが飛行機の中で思いついた歌詞をウォルドロンが大切に受け継ぎ、後世に伝えたのです。「(ビリーは)歌詞を思いついて、大陸横断飛行中に歌い始めたんだ。飛行機が着陸したとき、曲は完成していた」と、ウォルドロンは述べています。

彼女はこの曲を何度も録音しようと考えていたのに、「いつもあの忌々しい楽譜を忘れてしまった」のだそうです。

最期まで寄り添って

1959年、ビリーが44歳で亡くなるまで、ウォルドロンはビリー・ホリデイの音楽活動を支え続けました。彼は後年、二人の思い出を様々な場面で語っています。彼女との共演は自身の音楽キャリアにおいて最も重要であり、伴奏における繊細なアプローチはこの時期に培われたものだったと述べています。それは単なる歌手と伴奏者を超えた、深い芸術的な絆でした。

 名手たちが織りなす至高の演奏

独特な演奏スタイル

ウォルドロンの演奏スタイルは、左手のリズミカルなコードワークと右手の繊細なメロディーラインが特徴です。「レフト・アローン」では、この独特なスタイルが見事に表現されており、聴く者の心に深く響きます。

録音メンバー

この歴史的な録音は、1959年にメジャーレーベル「Bethlehem Records」で行われ、以下のメンバーで演奏されています。

ピアノ:マル・ウォルドロン
アルトサックス:ジャッキー・マクリーン
ベース:アディソン・ファーマー
ドラムス:アルバート・ヒース

マル・ウォルドロンの演奏

リーダーを務めるウォルドロンのピアノは、曲全体を優しく包み込むような温かみのある演奏を聴かせています。左手による力強いコードワークと、右手による繊細なメロディーラインの対比が印象的です。特にイントロでは、ビリー・ホリデイへの敬愛の念が込められた丁寧なアプローチが感じられます。

ジャッキー・マクリーンの貢献

アルトサックス奏者のジャッキー・マクリーンは、この曲で印象的なソロを展開しています。彼特有の鋭いトーンと情感豊かなフレージングは、曲の持つ哀愁を見事に表現しています。特にメロディーラインの解釈には、ビリー・ホリデイへのオマージュが感じられます。

アディソン・ファーマーの特徴

ベーシストのアディソン・ファーマーは、ウォルドロンのピアノとマクリーンのサックスを支える堅実なベースラインを展開しています。ソロパートでは、メロディアスな表現力と確かなリズム感を披露しています。

アルバート・ヒースの演奏

ドラマーのアルバート・ヒースは、繊細かつダイナミックな演奏で知られています。この曲では、ブラシワークを中心とした控えめながらも効果的なドラミングで、曲の雰囲気を巧みに演出しています。

カルテットの相互作用

四人の演奏は見事な調和を見せています。特にウォルドロンのピアノとマクリーンのサックスの掛け合いは不可欠です。それぞれが主張し過ぎることなく、互いの音を聴き合いながら、曲の持つ感情を丁寧に表現しています。このカルテット編成での演奏は、ジャズ史に残る名演として高く評価されています。バラード演奏における絶妙なバランスと情感豊かな表現は、多くのミュージシャンに影響を与えました。

演奏展開の魅力

イントロダクション

曲は、ウォルドロンの印象的なピアノソロで幕を開けます。繊細なタッチと豊かなハーモニーで、これから始まる物語を予感させる静かな導入となっています。左手の深みのあるコードワークと右手の繊細なメロディーラインが、曲全体の雰囲気を美しく設定しています。

メインテーマの提示

ジャッキー・マクリーンのアルトサックスが、メランコリックなメインテーマを奏でます。ビリー・ホリデイの歌詞を意識したかのような、感情豊かなフレージングが印象的です。ベースとドラムスは控えめながら、確実なリズムサポートを提供しています。

第一ソロ:マクリーンのアルトサックス

マクリーンは、テーマの持つ感情を更に掘り下げるソロを展開します。彼特有の鋭いトーンと流麗なフレーズで、曲の持つ哀愁を情感豊かに表現しています。

第二ソロ:ウォルドロンのピアノ

ウォルドロンのピアノソロでは、彼の豊かな音楽性が存分に発揮されます。左手のリズミカルなコードワークと右手の表情豊かなメロディーラインが、見事な対比を生み出しています。ビリー・ホリデイとの思い出が込められているかのような、深い感情表現が特徴的です。

リズムセクションの役割

アディソン・ファーマーのベースとアルバート・ヒースのドラムスは、終始安定したリズムサポートを提供しています。特にファーマーの歌うようなベースラインとヒースの繊細なブラシワークは、曲の雰囲気を効果的に支えています。

テーマの再現

ソロセクションを経て、再びマクリーンのサックスがメインテーマを奏でます。最初の提示とは異なる深みと解釈で、より成熟した表現となっています。

エンディング

曲の終わりは、徐々に静けさに包まれていくような優美なアレンジで締めくくられます。ウォルドロンのピアノが印象的なコードを奏で、静かに余韻を残して終わります。

演奏の特徴

全体を通して、各プレイヤーの個性が活かされながらもバランスの取れたアンサンブルが実現しています。サックスとピアノが対話するような演奏は、曲の魅力を一層引き立てます。単なる技巧的な表現を超えた深い感情表現に、ビリー・ホリデイへの追悼の念が伝わります。

テンポは終始落ち着いた速度を保ち、バラードとしての品格を保っています。リズムセクションの安定感は、ソリストたちの表現を支える重要な要素です。

後年につけられた歌詞

“Left Alone” には、複数の歌詞が存在します。後から様々な作詞家が歌詞を付けているのです。中でも有名なのは、アイヴァー・カッツとジェニー・ロウレンスが書いた歌詞です。

原文 (英語):

Left alone, with just a memory Of a love that used to be Left alone, with only heartache Knowing things will never be the same

Left alone, to face an empty room Where laughter used to bloom Left alone, remembering a kiss And how much I’ll always miss

Left alone, with just a photograph To remind me of the path We walked along, hand in hand In love’s sweet wonderland

Left alone, and feeling blue Wondering what I’m gonna do Left alone, I cry a tear For a love that’s disappeared

訳文 (日本語):

ただ思い出だけを残して 一人ぼっち かつてあった愛の思い出だけ ただ心の痛みだけを残して 一人ぼっち もう二度と同じにはならないと知って

かつて笑いが咲いていた空っぽの部屋に 一人ぼっち キスを思い出して 一人ぼっち 私がどれほど永遠に恋しがっても

ただ一枚の写真だけを残して 一人ぼっち かつて手をつなぎ歩いた道を思い出すために 愛の甘い夢の世界で

ただ憂鬱な気持ちだけを残して 一人ぼっち これからどうすればいいのか分からず ただ涙を流して 一人ぼっち 消え去ってしまった愛のために

ビリー・ホリデイが作詞したとされるバージョンが存在すると言われていますが、公式の記録は残っておらず、確認することができません。

同曲異演

せっかくなら、ボーカル入りの演奏を聴いてみたいものです。ところが録音はおろか、実際に歌ったこともないであろうビリー・ホリデイの声がなぜかインプットされてしまって、他の誰を聴いても物足りません。ここではマルの娘さんのマーラ・ウォルドロンのライブを貼っておきます。肩肘張ったボーカルが多い中、とても素直に、最大の敬意を持って演奏している姿に好感を持ちます。

エリック・ドルフィーは、その存在自体が反則です。フルートの最初の一音が響けば、一瞬にして根こそぎ心をもって行かれます。マルの「レフト・アローン」がビリー・ホリデイという不世出の歌手を失った悲しみの表現であるなら、ドルフィーのそれは形而上学的というか、巨大で抽象的な哀しさを知覚させるものです。そうでありながら、メロディはあくまで原曲に忠実なのです。なおさらタチが悪い!

「レフト・アローン」は時代を超えて、多くの人々の心を捉え続けています。マル・ウォルドロンの音楽性が存分に発揮された「レフト・アローン」は、これからも多くの音楽ファンに愛され続けることでしょう。

いさぶろう
いさぶろう

つい最近まで、ビリーが亡くなり「一人ぼっち」になってしまったマルの心情を曲にしたものとばかり思っていました。彼女が作った、幻の歌があったんですね。

その事実を知ってしまうと、もう切なくていけません。晩年の彼女が冒頭の「Left Alone」を歌う姿を想像しただけで、ウルウルきてしまいます。未録音に終わったことに、無念という言葉だけで言い尽くせない思いを抱きます。

それまでさほど感情移入もなく聴いていたこの曲が、今はとてつもない人間の業のようなものを背負って脳内に響きます。いい加減といえばいい加減、思い込みが強すぎると言われれば、それまでなんですが。

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