時代を超えて愛される名曲
「五番街のマリーへ」は、1973年にリリースされたペドロ&カプリシャスの2枚目のシングルです。都会的で洗練されたメロディーと切なくも美しい歌詞は、多くの人々の心を捉え、今日に至るまで色褪せることなく愛され続けています。
ペドロ&カプリシャス ボーカルの変遷
ペドロ&カプリシャスは、1971年に結成された日本の音楽グループです。リーダーであるペドロ梅村さんを中心に、ジャズ、フォーク、ラテンロックなど、幅広いジャンルの要素を取り入れたアダルト・コンテンポラリーなサウンドで人気を博しました。
ボーカルの変遷と代表的な楽曲
ペドロ&カプリシャスは、その活動期間中に数多くのボーカリストを迎えました。
- 初代ボーカル:前野曜子 1971年のデビューシングル「別れの朝」は、彼女の情感豊かな歌声で大ヒットを記録しました。この曲はオーストリアの歌手ウド・ユルゲンスが1966年に発表した「Was ich dir sagen will」という楽曲が原曲です。日本語の歌詞はなかにし礼さんが手掛け、原曲の持つ美しい旋律と別れの瞬間の感情を、繊細な言葉で表現しています。
- 2代目ボーカル:髙橋真梨子 1973年に加入し、「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」といったグループの代表曲を歌い、その人気を不動のものとしました。高橋真梨子さんの力強く、かつ繊細な歌声は多くのファンを魅了しました。
- 3代目ボーカル:松平直子 1978年に加入し、グループの音楽性をさらに広げました。
- 4代目ボーカル:桂木佐和 一時的な参加でしたが、アルバム「SUN PATIO」でその歌声を聴くことができます。
- 5代目ボーカル:桜井美香 2011年より加入し、新たなペドロ&カプリシャスのサウンドを担いました。
- 6代目ボーカル:矢口早苗、小谷のりこ 2018年に加入し、ツインボーカル体制となりました。
多彩な音楽性とメンバー
ペドロ&カプリシャスはボーカルだけでなく、演奏においても高い音楽性を持っていました。ラテンパーカッションを得意とするリーダーのペドロ梅村さんを中心に、ベース、サックス、ギター、ピアノ、ドラムなど、様々な楽器の奏者が集まり、洗練されたアンサンブルを奏でました。歴代ボーカルの歌声を聴くと、どなたも高いレベルであるのに敬服します。3代目以降の再評価も待たれるところです。
恋の始まりと終わりを描いた歌詞
阿久悠が描いた都会の孤独と憧れ
作詞家の阿久悠さんは、ニューヨークの象徴的な場所である五番街を舞台に、都会で生きる女性の孤独と遠い故郷への想いを描きました。華やかなイメージの五番街ですが、その喧騒の中で感じる主人公マリーの心の空虚さ、彼女を残してきた恋人への切ない想いが、短い歌詞の中に凝縮されています。
初めて出会った日の高揚感、二人の間で育まれた愛情、そして突然訪れる別れ。短い歌の中に、恋の喜びと悲しみが凝縮されています。「マリー」という女性の名前が聴く人の想像力を掻き立て、それぞれの恋の記憶と重ね合わせる人もいるでしょう。
都倉俊一の果たした役割
都倉俊一の作曲スタイル
都倉俊一さんは幅広い音楽的バックグラウンドを持ち、クラシック、ジャズ、ロック、ポップスなど、多様なジャンルの要素を自身の楽曲に取り入れました。彼の作曲するメロディーはキャッチーでありながらもどこか哀愁を帯びているものが多く、聴く人の心に深く残ります。アレンジにおいてもそのセンスは光り、時代を捉えた斬新なサウンドを創り出す才能に長けています。
「五番街のマリーへ」における作曲
都倉さんは阿久さんの書いた歌詞の世界観を最大限に引き出すような、叙情的で美しいメロディーを創り上げました。都会の孤独感や過ぎ去った恋への切ない想いを表現するために、繊細なコード進行や印象的なサビのメロディーラインを用いるなど、その作曲の技巧が随所に散りばめられています。この曲の持つ哀愁は、都倉さんのメロディーによるところが大きいでしょう。
洋上での制作秘話
「五番街のマリーへ」は作詞の阿久悠さんと都倉俊一さんが1973年夏に、船上で行われた作詞・作曲教室の講師として乗船した際、共作されたというエピソードがあります。
“ろまん船”と名付けられた船に女性700名が生徒として乗り込み、横浜を出て西へ向かいます。九州から門司に入港、一日遊び日本海を北上して函館。再び一日の自由時間を過ごし、最後に東京に戻って来る一週間のツアーでした。
「それじゃ、船上で創作しようじゃないか!」と速筆の阿久さんが歌詞をまとめ、それに呼応した都倉さんがピアノで曲を乗せたそうです。船内サロンで披露された出来たてのその歌は、生徒さんの心を一瞬にして奪ったとか。立ち会えた皆さんは、羨ましい限りです。
高橋真梨子の歌声が紡ぐ物語
高橋真梨子さんの表現力豊かな歌声は、歌詞に込められた感情を鮮やかに描き出します。優しく語りかけるような歌い出しから、サビにかけてのエモーショナルな高まり、そしてラストの切ない余韻まで、聴く人の心を揺さぶります。彼女の歌声を通して「五番街のマリーへ」は単なる歌ではなく、一つの短編小説のように私たちの心に刻まれるのです。
高橋真梨子さんは、1949年3月6日生まれの日本の女性歌手で作詞家です。本名は広瀬まり子さん。広島県廿日市市で生まれ、福岡県福岡市で育ちました。
ジャズプレイヤーだった父親の影響で、14歳からジャズを学び始め、16歳で本格的なレッスンを受けるために上京。ジャズピアニストの柴田泰さんに歌を師事した後、高校卒業後に博多のライブハウスで歌手活動を行いました。
1972年、ペドロ&カプリシャスの2代目ボーカリストとしてデビュー。「ジョニィへの伝言」「五番街のマリーへ」といったヒット曲を歌い、グループの人気を確立しました。1978年にソロに転身し、「桃色吐息」「for you…」「ごめんね…」など数多くのヒット曲を発表。その力強く情感豊かな歌声で、多くのファンを魅了しています。
国内外で精力的にコンサート活動を行い、2022年には“最後の全国コンサートツアー”と銘打ったツアーを完走しました。2024年現在も音楽活動52年目を迎えています。
今も聴き継がれる曲の魅力
半世紀以上経った今もなお、「五番街のマリーへ」が多くの人々に聴き継がれている理由は、単なる懐かしさだけではありません。楽曲が持つ普遍的な魅力と、時代を超えて共感を呼ぶ要素が深く関わっています。
カバーによる新たな魅力の発見
多くのアーティストによってカバーされていることも、長く聴き継がれる理由の一つです。様々な解釈やアレンジで歌い継がれることで楽曲の新たな魅力が引き出され、若い世代にもその感動が伝わっています。原曲の持つ普遍性に加え、時代ごとの新しい息吹が吹き込まれることで、常に新鮮さを保ち続けているのです。
ちあきなおみさんのカバーは、彼女の卓越した歌唱力と楽曲に対する深い理解が光ります。原曲の持つ魅力を最大限に引き出しながら、彼女自身の個性と情感を豊かに表現しています。
青江三奈さんの「五番街のマリーへ」は、原曲の雰囲気を尊重しつつも独自の個性と歌唱力によって、新たな解釈を加えたカバーと言えるでしょう。「ため息まじりの歌唱」が存分に味わえます。
田村芽実さんが21歳の時の歌と映像です。歌の合間に語られる「母が(私が)小さい時から、子守唄がわりに歌って聴かせてくれた」というエピソードに、ほっこりとさせられます。
人々の記憶と結びついた楽曲
「五番街のマリーへ」は、リリースされた当時の社会情勢や人々の思い出と、深く結びついている側面もあります。特定の時代を象徴する楽曲として、当時の記憶とともに大切にされている人もいるでしょう。
経済不安定やオイルショック、第四次中東戦争など、さまざまな出来事があった年でした。トイレットペーパーの買いだめ騒動が全国で起こり、五島勉著「ノストラダムスの大予言」が出版され、ミリオンセラーとなっています。
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