1980年に公開された映画「野獣死すべし」は、主演の松田優作の鬼気迫る演技と、村川透監督による洗練された映像美、そしてハードボイルドな物語が融合し、日本映画史に燦然と輝く傑作となりました。大藪春彦の同名小説を原作とし、孤独なアウトローの壮絶な生き様を描き出した本作は、公開から40年以上を経た今もなお、多くの映画ファンを魅了し続けています。
あらすじ
大雨の夜、警視庁の岡田警部補が刺殺され拳銃が奪われる事件が発生。さらにその拳銃を使ったカジノ強盗事件が起き、世間は騒然となります。犯人の伊達邦彦(松田優作)は、東大卒のエリートで元戦場記者。戦場の地獄を見たことで社会性や倫理観を失い、「野獣」と化していました。翻訳のアルバイトをしながら隠遁生活を送る伊達を、岡田の部下だった刑事・柏木(室田日出男)が執拗に追います。
次の標的を銀行に定めた伊達は、共犯者としてウェイターの真田徹夫(鹿賀丈史)に目をつけます。コンプレックスを抱える真田に伊達は近づき、銀行襲撃計画を明かし、恋人(根岸季衣)を殺害し「野獣」として生きるようそそのかすのです。銃の扱いを教えられた真田は、恋人を射殺します。
二人は銀行襲撃を実行し、大金を奪います。そこに偶然居合わせた伊達に思いを寄せる女性客(小林麻美)も射殺してしまいます。警察の追跡を逃れる二人ですが、柏木は青森行きの夜行列車で追いつきます。列車内で柏木は伊達が犯人だと確信し、取り調べようとします。しかし銃を奪われ、柏木はロシアンルーレットで伊達からなぶられ、半死半生にされてしまいます。
戦場記者時代の服を着た伊達は、現実と過去の区別がつかなくなり、錯乱していきます。列車から飛び降りた二人は山中の洞窟でアベックを襲い、男を射殺。真田が女を犯す様子を撮影しながら、伊達は戦場で人を殺す快楽を語り、真田まで射殺してしまうのです。
常軌を逸した才能が集結した現場
「野獣死すべし」において主演の松田優作が見せた役作りは、まさに狂気の沙汰と言えるものでした。彼は伊達邦彦というキャラクターを内面から理解し、その孤独や野性を自身の肉体を通して表現しようとしました。
常軌を逸した役作り
伊達の持つ、どこか欠落した獣のような雰囲気を表現するために、松田優作は自らの顔貌を変える決断をしました。1か月の間に10kg以上もの減量をし、62kgまで体重を落とします。さらに頬がこけて見えるようにと、上下4本の奥歯を抜いてしまいます。歯科医に相談することなく、独断だったと言われています。この行為は共演者やスタッフに大きな衝撃を与え、彼の役に対する異常なまでの執念を物語るものとして、今も語り継がれています。その結果、彼の口元には独特の陰影が生まれ、それが伊達の持つ孤独感や狂気を一層際立たせる効果を生み出しました。
このエピソードからもわかるように、松田優作は単にセリフを覚え演技をするだけでなく、役柄の魂そのものを自身の身に宿そうとしました。「野獣死すべし」における松田優作は、単なる演技を超越した憑依とでも呼ぶべき類いのもので、観る者を戦慄させます。
密売人暗殺の鮮烈な描写
銃の密売人(佐藤慶)からサイレンサー付きの銃を入手するシーンは、その秀逸な演出と衝撃的な映像で観る者の記憶に深く刻まれます。入手した銃の試し撃ちが、群衆の中を歩く密売人に向けて行われる場面も圧巻です。ハイスピード撮影によって捉えられた密売人の腹部が突如被弾し、崩れ落ちるシーン。その脇を何事もなかったかのように歩き去っていくカットは、伊達の冷酷さと非情さを象徴しています。
通行人たちのさりげないリアクション、伊達が現れる絶妙なタイミング。そして効果的に挿入される音楽が、見事に調和しています。これらの要素が完璧に組み合わさることで、観る者は伊達の行動の異常さと、周囲の日常を生きる人々とのギャップに強烈な印象を与えるのです。望遠レンズによる緻密なフレーミング、計算されたエキストラの動きなど、現場の演出部の高いレベルの仕事ぶりが窺えます。
才能が共鳴した制作現場
この映画は村川透監督、撮影の仙元誠三、照明の渡辺三雄、プロデューサーの黒澤満、脚本の丸山昇一といった才能溢れるスタッフが集結して制作されました。セントラル・アーツという制作会社が率いる職人肌のスタッフたちの熱量が、作品全体から感じられます。人間の狂気を描いたというよりも、松田優作の内面に潜む狂気を最大限に引き出した作品と言えるでしょう。
美術、音楽、監督と指揮者の関係
美術を担当した今村力による、伊達の住居のセットも特筆すべき点です。伊達が大音量の前にうずくまる大型スピーカー(オンキョーScepter 500)やクラシック音楽(ショスタコーヴィチ「交響曲第5番」第1楽章)といった要素は、監督自身の嗜好でしょうか。劇中に登場する日比谷公会堂でのショパンの演奏会のシーンでは、オーケストラの指揮者を務めた村川千秋が村川透監督の実兄であるという裏話もあります。
驚愕の列車内セットと長回し
映画の後半で重要な舞台となる列車内のセット撮影は、そのリアリティにおいて驚愕の出来栄えです。伊達が刑事・柏木秀行に『リップ・ヴァン・ウィンクル』のあらすじを語りながらロシアンルーレットを行う長回しのシーンは、仙元誠三カメラマンの卓越した技術が光る場面です。
微動だにしないカメラワークで徐々に柏木に迫っていくトラックアップは、観る者に息詰まるような緊張感を与えます。窓外の灯りの表現も見事で、列車が夜の闇を走る様子を効果的に演出しています。
照明部が列車内の止め撮り撮影のために、外にレールを敷いて電球を仕込み、ドリーを移動させるという緻密な作業も特筆すべきです。
魂を刻む音楽
「野獣死すべし」の音楽は、映画の持つ退廃的でスタイリッシュな雰囲気を決定づける重要な要素です。全編に流れるジャズを基調としたサウンドトラックは、都会の孤独、夜の静けさ、そして主人公の抱える虚無感や哀愁を見事に表現しています。
メインテーマ曲は一度聴いたら忘れられない強烈なインパクトを持つメロディーであり、映画の象徴的な音楽として多くの人々の耳に残ります。アクションシーンでは、スリリングで緊迫感のある楽曲が使用され、観客の感情を高めます。
女優としての開花
小林麻美は1970年代後半から女優としての活動を本格化させ、数々のテレビドラマや映画に出演。単なるアイドル出身の女優という枠を超えた才能を発揮しました。
彼女の女優としてのキャリアにおいて、特に重要な作品の一つが「野獣死すべし」です。伊達に恋心を抱く華田令子を演じた小林麻美は、儚くも芯の強い存在感で観客を魅了しました。
多くを語らずとも、その瞳の奥に秘めた孤独や憂いを表現し、映画のハードボイルドな世界観に一層の深みを与えました。セリフに頼るのではなく、物静かな佇まい、憂いをたたえた表情、そして時折見せる脆さ。伊達邦彦というアウトローに惹かれながらも、その危険な存在に惧れを感じている複雑な感情を、繊細な演技で表現しました。
この作品は女優としての評価を決定づける代表作となり、それまでのアイドルイメージを払拭するターニングポイントとなりました。
映画デビュー
真田徹夫(鹿賀丈史)は、伊達邦彦が銀行強盗の共犯者として見出した若いウェイターです。大学のゼミの同窓会で無愛想で反抗的な態度を取っていた彼に、伊達は内に秘めた「野獣」のような気質を感じ取ります。コンプレックスを抱え、恋人への殺意すら抱く不安定な青年であり、伊達の計画に巻き込まれていきます。
狂気を孕む真田の持つ若さゆえの危うさ、コンプレックス、そして内に秘めた狂気を、ギラギラとした眼光や粗暴な言動を通して表現しました。冷静で知的な狂気を持つ伊達とは対照的な、衝動的で予測不能な「野獣」の側面を体現しています。
映画レビューなどでは、彼の若々しいエネルギーと、内に秘めた狂気を表現した演技が評価されています。パンチパーマという当時の風俗を反映したヘアスタイルも、彼のキャラクターを際立たせる要素となっていました。
興行成績、難解なラストシーン、制作の裏側
映画「野獣死すべし」はプロデューサーの角川春樹によれば、『ニッポン警視庁の恥といわれた二人 刑事珍道中』との2本立て興行で、利益が1億円に満たない結果に終わりました。
難解なラストシーンとその解釈
本作のラストシーンは、その抽象的な描写から日本映画の中でも特に難解なシーンの一つとして知られています。伊達邦彦が白昼のコンサートホールで眠りから覚め、叫び声をあげて去った直後、砲弾の音を聞き、腹を押さえて苦しみ、血まみれの刑事・柏木の幻影を見るという場面は、様々な解釈を生んでいます。
狙撃による死亡説 実際に生き残り、待ち伏せていた柏木に狙撃されたとする説
狂気の幻影説 伊達の狂気が生み出した幻覚であるとする説
フラッシュバック説 戦場記者時代の記憶が突発的に蘇り、錯乱したとする説
製作側からは公式な見解は示されておらず、現在に至るまで明確な結論は出ていません。
ラストシーン改変と角川春樹の怒り
この印象的なラストシーンは、当初の脚本から大幅に変更されたものでした。撮影中に松田優作らが、自身の意向で改変した結果であると言われています。この変更に対し映画監督の大島渚は評価しましたが、原作者の大藪春彦は特にコメントを残していません。
一方、「客が納得して帰るのが娯楽映画」を自負するプロデューサーの角川春樹は激怒。渋谷東映での初日舞台挨拶後、松田優作を拉致し渋谷のガード下に連行するよう、角川書店の武闘派社員に命じていたという逸話が残っています。ところが劇場が満員だったとの報告を受け、この計画は未遂に終わったそうです。
上映時間短縮と監督の離反
初号の試写を鑑賞した共同製作の東映営業部長・鈴木常承は、劇場に渡した脚本の結末と異なるとして、上映時間の20分短縮を要求しました。これに角川春樹が同意したことがきっかけとなり、監督の村川透は角川春樹と袂を分かつことになりました。
「野獣死すべし」は興行成績こそ振るわなかったものの、その芸術性と衝撃的なラストシーンは多くの議論を呼び、映画史に残る作品となりました。制作の過程においては、プロデューサーと監督、主演俳優との間で意見の衝突や葛藤があったことも、この作品の特異性を物語るエピソードと言えるでしょう。

一部を除くカドカワ映画に通じる事ですが、総合的な完成度では常に今一歩というのが、偽らざる感想です。ところが部分部分でみると、標準レベルをやたらと突き抜けた要素が目に付くことも、少なくありません。
この映画でも鹿賀丈史、室田日出男、佐藤慶などの演技には特筆すべきものがありますが、やはり松田優作演じる主人公の「死んだ魚の目」は、空前絶後と言えるでしょう。ここまで役にのめり込む姿勢じたいが、すでに狂気を孕んでいます。
この映画で個人的に好きなシーンは、銀座ヤマハのレコードコーナーで伊達が盤を漁る描写です。好きな人なら分かるはずの、泣けるほど「おいしい」場面なんだよなぁ。サブスク世代が実に気の毒になってしまう。
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