「Something Cool」は、都会の喧騒から離れた静かなバーを舞台に展開されます。物語はカウンターに座る女性の一人称で語られ、一杯のカクテルを注文する場面から始まります。その言葉の端々からは、過去の恋愛、抱いていた夢、成功と失望といった彼女の心の奥底に秘められた複雑な感情が、滲み出てくるようです。
カクテルに託す過去の記憶と感情
「何か冷たいものをちょうだい(Something cool)」と、店を訪れた女性がバーテンダーに頼むひと言から物語は始まります。喉の渇きを癒すためだけではないのでしょう。彼女にとってそのカクテルは、過ぎ去った日々を思い起こさせるきっかけなのかもしれません。
「私はただ座って、あなたたちが楽しくやっているのを見てるわ(I’m just sitting here, looking at you having fun)」という言葉には、賑やかな周囲との隔たりを感じながら、一人静かに過去を回想する姿が浮かび上がります。
甘くほろ苦いカクテルの味わいは過ぎ去った恋の喜びや切なさを想起させ、冷たいグラスの感触は心に残る孤独や諦めにも似た感情を呼び起こすのです。一杯のカクテルをゆっくりと味わう時間の中で、彼女は静かに過去を振り返り、様々な思いを巡らせているのでしょう。
一人称視点が描き出す内面の葛藤
女性の一人称で語られる歌詞は、聴く者に彼女の心情をダイレクトに伝えます。「昔は夢を見ていたの、あなただってそうでしょう?(I used to dream a dream, so did you, I suppose)」という問いかけには、かつて抱いていた希望や憧れが今は遠い記憶となってしまったことへの寂しさが滲んでいます。
「でも、夢はいつも逃げていくの(But dreams have a habit of just walking out the door)」という一節は、叶わなかった過去の諦念と、どうすることもできない現実の厳しさを感じさせます。
過去の恋愛における後悔や、叶わなかった夢に対するほのかな未練、そして拭いきれない失望感。それらの感情がカクテルを片手に過ごす静かな時間の中で、繊細に表現されます。
洗練されたメロディーが彩る物語性
ビリー・バーンズ(Billy Barnes)によって作曲された「Something Cool」のメロディーは洗練されており、シンプルでありながらも聴く者の心に深く刻まれる、印象的な旋律が特徴です。そのクールで都会的な響きは歌詞が描くバーの雰囲気と見事に調和し、物語性をより一層引き立てます。憂いを帯びたメロディーの美しさは、歌詞に込められた女性の複雑な感情を繊細に表現し、聴く者の想像力を掻き立てるのです。
「Something Cool」は言葉と音楽が見事に融合することで、一つの短編小説のような豊かな物語性を持つ作品となりました。
ジューン・クリスティの歌声と知られざる一面
「Something Cool」を語る上で欠かせないのが、ジューン・クリスティの存在です。憂いを帯びた歌声で、多くのファンを魅了しました。
彼女のアルバムのジャケットには、写真やイラストを問わず爽やかな微笑を浮かべた金髪童顔のポートレートがしばしば用いられ、その清楚な容姿は多くの人々に好印象を与えます。
ところがその可憐な外見とは裏腹に、彼女は驚くほどの酒豪であったという逸話が残されています。男性相手に延々と飲み続けても決して酔い潰れることがなかったらしく、スタン・ケントン楽団時代には同僚のサックス奏者アート・ペッパーただ一人が、彼女との激しい呑み比べに最後まで耐え抜いたと言われています。
2種類の録音と晩年の苦悩
ジューン・クリスティの「Something Cool」には1954年のモノラル録音と1960年のステレオ録音という2つの主要なバージョンが存在し、それぞれに対する世評は興味深い対比を見せています。
1954年のモノラル録音
一般的により高い評価を得ているのは、1954年のモノラル録音です。このオリジナル盤はクール・ジャズという音楽潮流の初期における重要な作品の一つとして位置づけられており、当時のジューン・クリスティのボーカルが楽曲の持つクールな雰囲気と内面に秘めた憂いを絶妙に表現していると評されています。
ハスキーながらも透明感のある彼女の歌声は聴く者の心に直接語りかけ、ピート・ルゴロによる洗練されたアレンジは、モノラルという制約の中で独特の奥行きとまとまりを生み出し、楽曲の持つ魅力を最大限に引き出しています。目を閉じたジューン・クリスティのモノトーンのジャケットも、楽曲の持つクールなイメージを象徴するものとして長年親しまれています。
1960年のステレオ録音
1960年のステレオ録音も一定の評価は受けているものの、オリジナル盤と比較すると意見が分かれる傾向です。ステレオ録音によって楽器の配置がより明確になり、広がりのあるサウンドを楽しめるようになった点は評価されています。
この時期のジューン・クリスティは長年の飲酒による喉への影響が懸念されており、1954年盤と比べると歌唱力に衰えを感じるというリスナーもいます。もちろん、より情感豊かに歌い上げていると感じるファンもいますが、全体的には初期のストレートで溌剌とした歌声に魅力を感じる人が多いようです。ステレオでの録音が、却って楽曲の持つ親密さや一体感を薄めたとする声もあります。
キャピトル・レコードが再録音であることを明確に告知せずに発売した経緯も、一部で議論を呼びました。ジャケットに関しても、カラーで微笑むジューン・クリスティの写真はモノラル盤の持つクールなイメージとは異なり、好みが分かれるようです。
2つの録音に対する世評
一般的には、オリジナルである1954年のモノラル録音が、ジューン・クリスティの最高のパフォーマンスとクール・ジャズの魅力を最大限に引き出した名盤として、より高い評価と人気を博しています。しかし、ステレオ録音も、異なるアプローチと技術によって楽曲の新たな側面を提示しており、両方のバージョンを聴き比べることで「Something Cool」の多層的な魅力をより深く理解することができるでしょう。
現在では両バージョンを収録したCDも容易に入手できるため、それぞれのサウンドを体験し、自身の好みに合ったバージョンを見つけるのも一興と言えます。
クリスティの晩年
1950年代後期以降、長年の飲酒が彼女の体を蝕み始めます。アルコール中毒に陥ったクリスティは歌手にとって命とも言える喉を傷め、その歌唱力は徐々に衰えていきました。
1960年代半ばには第一線から退き、事実上の引退状態に入ります。その後、1977年に日本のレコード会社の要請に応じアルバムを録音しますが、その歌声にはかつての輝きを取り戻すことはできませんでした。そして長年の飲酒に起因する腎臓病のため、1990年6月21日、奇しくも「June(6月)」に、彼女はカリフォルニア州シャーマンオークスで生涯を閉じました。
聴く者の感情に深く訴えかける普遍性
「Something Cool」の歌詞が描く「愛は気まぐれなもの、すぐに消えてしまう(Love is such a funny thing, seems to come and go so quick)」という言葉には、過ぎ去った愛への諦念と、繰り返されるかもしれない儚さへの憂いが込められています。
「だから私はただここに座って、何か冷たいものを飲んでいるの(So I’m just sitting here, having something cool to drink)」という最後のフレーズは、過去の傷を抱えながらも現在を静かに受け止める女性の姿を象徴しています。
ジューン・クリスティの歌声を通してその感情はより一層深く、切実に私たちの心に響きます。彼女の人生は決して平坦なものではありませんでしたが、その歌声は今もなお、多くの人々の心を捉え続けています。
バーのカウンターという舞台設定、女性の一人称で語られる個人的な感情、そして美しいメロディーが一体となることで、「Something Cool」は聴く者それぞれの心にある、忘れかけた記憶や感情をそっと呼び覚ましてくれるのです。

個人的に思入れ深い1曲です。30数年前、恋愛にあまり縁のない私が付き合ってわずか1週間でフラれた時、ひたすらこの曲を聴いていました。
曲の冒頭、ピート・ルゴロアレンジによるトランペットのミュートの響きと「cool」という単語から、「頭を冷やしなさい」と脳内で変換されたのです。この曲は心の冷却剤としての役割を、当時果たしてくれました。
相手の女性は元のさやに納まり、数年するとその男とも別れ、郷里に帰っていきました。いま彼女に対しては何の感慨も湧きませんが、ジューン・クリスティの歌を聴くたび、当時の切なさだけは鮮明に蘇ってきます。
ひとつの曲に、触れた人の数だけそれぞれの物語が生まれ、ときに一生の記憶として残っていく。音楽は「Something important」です。
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