死刑台のエレベーター 絡み合う運命と愛憎、音楽と恋

映画

1958年に公開されたルイ・マル監督の映画「死刑台のエレベーター」は、スタイリッシュな映像と先の読めない展開で、観客を瞬く間に魅了しました。主演のジャンヌ・モローの憂いを帯びた美しさと、マイルス・デイヴィスの即興演奏によるジャジーな音楽が独特な雰囲気を醸し出しています。深夜のオフィスで起こった殺人事件をきっかけに、登場人物たちの運命が複雑に絡み合い、予期せぬ結末へと突き進む本作は、今もなお多くの映画ファンを魅了し続けています。

ヌーヴェル・ヴァーグの息吹

「死刑台のエレベーター」はその革新的な映像表現や物語の手法において、後のフランス映画界に大きな影響を与えたヌーヴェル・ヴァーグの先駆け的な作品とされています。

従来の映画製作の慣習にとらわれない自由なカメラワークや、即興性を重視した演出。登場人物の内面を深く掘り下げる姿勢は、フランソワ・トリュフォージャン=リュック・ゴダールといった、その後のヌーヴェル・ヴァーグの旗手たちに多大なインスピレーションを与えました。

ジャンヌ・モロー演じるヒロインが夜のパリを彷徨さまようシーンは、自然光を効果的に捉えた映像や、彼女の孤独な心情を繊細に表現した演出が際立ち、ヌーヴェル・ヴァーグの美学を象徴する場面と言えるでしょう。

フィルム・ノワール

本作はフィルム・ノワールの要素も強く感じさせる作品です。夜の闇を舞台とした犯罪劇、運命に翻弄される登場人物たち、そして観る者の不安を煽るサスペンスフルな展開は、フィルム・ノワールの典型的な特徴に合致します。

主人公たちは自身の欲望や過去の過ちによって徐々に追い詰められていき、抜け出すことができなくなります。光と影のコントラストを強調したモノクロの映像や、不穏な空気を漂わせる音楽も、フィルム・ノワールの雰囲気を色濃くしています。

「死刑台のエレベーター」の物語は愛し合う男女が犯した一つの殺人をきっかけに、予期せぬ事態が連鎖的に起こり、それぞれの運命が狂っていく様を描いています。

あらすじ

社長夫人フロランスは、会社の社員ジュリアンと愛し合っています。二人は社長であるフロランスの夫を自殺に見せかけ殺害する計画を立て、ジュリアンが社長のオフィスでこれを実行します。

彼は疑いを抱かれるかもしれないロープの存在に後から気づき、証拠隠滅のため建物に戻りエレベーターに乗ります。ちょうどその時、管理人が月曜日まで建物を閉鎖するため電気を切ります。ジュリアンは2つの階の間で停まったエレベーターの中に閉じ込められてしまいました。さらに運悪く、若い詐欺師のルイと恋人のベロニクが、ジュリアンの車を盗んでしまいます。

カフェで恋人を待っていたフロランスは、ジュリアンのシボレーが通り過ぎる瞬間に遭遇します。運転席は見えずベロニクだけを確認したフロランスは、ジュリアンが少女と駆け落ちしたと思い込みます。失望しながらもまだ彼を愛している彼女は、一晩中彼を探し彷徨さまようのです。

マイルス・デイヴィスの音楽が生み出す緊張感

映画の雰囲気を決定づける重要な要素の一つが、マイルス・デイヴィスによる音楽です。ルイ・マル監督は撮影されたばかりのラッシュフィルムをマイルスに見せ、その場で即興演奏を依頼する斬新な方法で音楽を制作しました。そして生まれたのが、映画の張り詰めた緊張感や登場人物の複雑な感情を見事に表現した、あの独特のサウンドです。

マイルスのトランペットの憂いを帯びた音色は、ジャンヌ・モロー演じるヒロインの孤独や絶望感を際立たせ、映画全体に洗練された都会的な印象を与えています。即興演奏ならではの予測不可能性が、サスペンスを高める効果を発揮しています。

ジャンヌ・モローの圧倒的な存在感

主演を務めたジャンヌ・モローは、この映画によって国際的なスターとしての地位を確立しました。彼女の持つ知性と憂いを湛えた独特の美しさは、観る者を強く惹きつけます。愛する男性との危険な密会、予期せぬ事件に巻き込まれていく中で見せる彼女の表情の細やかな変化、内面の葛藤を表現する繊細な演技は、観る者の心を深く捉えます。言葉よりも演技で多くを物語る彼女の佇まいによって、映画史に残る名シーンが生まれました。

悲劇的な結末

映画の中心には、禁断の愛に身を焦がす男女の恋愛が描かれています。ヒロインのフロランスと彼女の愛人ジュリアンは互いの配偶者を殺害し、共に新しい人生を歩もうと計画します。しかし、些細なアクシデントがきっかけとなり、彼らの計画は思わぬ方向へと狂い始め、二人の運命は予測不可能な悲劇へと転がり落ちていきます。

愛し合う二人が、それぞれの誤算や不運な出来事によって次第に追い詰められていく様子は、観る者に深い悲しみと無常感を抱かせます。彼らの情熱的な愛は、社会的な規範や運命のいたずらによって無残にも打ち砕かれてしまうのです。

人間の欲望と運命

「死刑台のエレベーター」は単なる犯罪劇としてだけでなく、人間の欲望や孤独、そして抗うことのできない運命の残酷さといった、普遍的なテーマを描いています。愛と欲望、そして予期せぬアクシデントによって人生が大きく狂っていく様は、時代を超えて観る者の心に深く突き刺さります。

マイルス・デイヴィスとジュリエット・グレコ

この映画の音楽を担当したマイルス・デイヴィスは、当時フランスの著名な歌手であり女優であったジュリエット・グレコと熱烈な恋愛関係にありました。グレコは実存主義的な思想を持つアーティストとして知られ、パリの知的階層や芸術家たちと深く交流していました。マイルスがパリに滞在していた時期に二人は出会い、言葉の壁を越えて惹かれ合ったと言われています。

グレコの自由奔放で魅力的な個性は、マイルスに大きなインスピレーションを与え、彼の音楽性にも影響を与えたと考えられています。映画の音楽制作中、二人は情熱的な日々を過ごしており、その感情が映画の憂いを帯びた旋律に反映されているかもしれません。二人の恋愛は文化や人種の違いなど様々な困難に直面しましたが、お互いの芸術性を尊重し合い、深い精神的な繋がりを持っていたと言われています。

オレとジュリエットは、よくセーヌ川のほとりを歩いた。魔法か催眠術にかけられて、恍惚状態にいるみたいだった。こんな経験は、まったく初めてだった。ずっと音楽ばかりで、ロマンスの時間なんてなかったんだ。ジュリエットに会うまでは、音楽だけが生活のすべてで、音楽以上に人を愛すると言うことがどういうことなのか、それをジュリエットが教えてくれた(マイルス・デイビス自叙伝)

「死刑台のエレベーター」の背景には、音楽と愛が織りなす、マイルス・デイヴィスとジュリエット・グレコの忘れられないエピソードも存在しているのです。

前例のない録音セッション

サウンドトラックはメンバー(ルネ・ユルトルジェバルネ・ウィランピエール・ミシュロケニー・クラーク)と、映像を見ながら即興演奏したものです。

1957年12月4日午後10時、マイルスと彼のバンドは録音のためパリのスタジオに向かいます。彼らは1時間ほど酒を飲み、4時間演奏した後2時間かけて編集を行い、翌日の午前5時までに映画音楽を完成させました。

サウンドトラックには、8曲の即興演奏が収録されています。詳細な計画が練られていたのは「Sur L’Autoroute」のみで、マイルスは残りの部分についてバンドに最小限の指示(ニ短調とハ七和音の2つのコード)を与えただけでした。

彼らはそれを中心に即興演奏を行います。コードよりもスケールが優先され、和声のシンプルさを保ちながらテーマを断片化しています。ベーシストのミシュロは1988年のインタビューで、「このセッションの特徴は、明確なテーマが存在しないことだ」と述べています。

「死刑台のエレベーター」はマイルスがモーダル・ジャズ理論を発展させていく、最終的な準備過程でもあったのです。

時代を超えた影響力

公開当時、その斬新なスタイルで映画界に大きな衝撃を与えた本作は、その後の多くの映画監督や作品に影響を与えました。ヌーヴェル・ヴァーグの先駆けとしての意義だけでなく、サスペンス映画やフィルム・ノワールのジャンルにおいても、重要な作品として位置づけられています。

これらの要素が複合的に作用し、「死刑台のエレベーター」は時代を超えて愛され続ける不朽の名作となったのです。単に作品としての面白さだけでなく、映画史における重要な意義を持ち、観る者の心に深く残る作品だからこそ、今もその評価は揺るぎないのです。

いさぶろう
いさぶろう

犯罪映画というジャンルでありながら、内容はぐちゃぐちゃした男女関係なのがフランス映画らしいところです。同じくジャンヌ・モローが主演した「突然炎のごとく 」なんて、同じ男女がくっついちゃ離れを繰り返し、お前らええ加減にせーよと思っていると、最後は本当に「ええ加減に」なってしまうわけです。このしつこさ・野蛮さが、フランスという文化の醍醐味なんでしょうね。

それにつけても映画同様、もしかしてそれ以上の価値を持つのがマイルスの音楽です。ここから不滅の「カインド・オブ・ブルー」まで、あと一歩というところまで迫っています。

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