1973年に公開された映画「エクソシスト」は、少女が悪魔に取り憑かれるという衝撃的な内容で全世界に一大センセーションを巻き起こしました。公開から半世紀以上経った今でもその恐怖は色褪せることなく、多くの人々にトラウマを与え続けています。
根源的な恐怖
「エクソシスト」が他のホラー映画と一線を画すのは、その根源的な恐怖の描き方にあります。少女リーガンの異様な行動や容姿の変化、そして悪魔の存在は、観客に強烈な不安感と恐怖心を植え付けます。
リーガンが体を反り返らせたり、緑色の液体を吐き出したりするシーンは特に視覚的なショックが大きく、多くの観客にトラウマを与えました。悪魔がリーガンの口を通して神を冒涜する言葉を発するシーンは精神的な恐怖を煽り、観客を深い絶望へと突き落とします。
当時の反響
「エクソシスト」はその過激な内容から公開当時、賛否両論を巻き起こしました。あまりのショッキングな内容に劇場で失神したり、嘔吐したりする観客が続出したと言われています。
一方でその圧倒的な恐怖演出と悪魔に取り憑かれた少女の葛藤を描いたドラマ性は、批評家から高く評価されました。アカデミー賞では10部門にノミネートされ、脚本賞と音響賞を受賞するなど、ホラー映画としては異例の成功を収めます。
音楽の重要性
「エクソシスト」の恐怖を語る上で欠かせないのが、その音楽です。ウィリアム・フリードキン監督はポーランドの前衛音楽家クリストフ・ペンデレツキの楽曲を効果的に使用し、映画に不穏な雰囲気を与えました。
ペンデレツキの「ポリモルフィア」は不協和音とノイズが混ざり合った音楽で、観客の不安感を煽ります。マイク・オールドフィールドの「チューブラー・ベルズ」は映画のテーマ曲として使用され、その独特なメロディーは、一度聴いたら忘れられないほどのインパクトを与えました。
これらの音楽は、視覚的な恐怖のみならず聴覚的な恐怖も加味し、恐怖演出をより一層際立たせることに成功しました。
普遍性
「エクソシスト」が今なお人々の心を捉えて離さないのは、そのテーマが普遍的であるからです。悪魔に取り憑かれた少女と悪魔祓いを行う神父の戦いは、善と悪の戦い、信仰と疑念の葛藤という、西洋人の根源的なテーマを描いています。
少女が悪魔に取り憑かれるという設定から、親が子供を思う愛情、子供を守ろうとする親の必死な姿が描き出されています。この普遍的なテーマが時代を超えて観客の心を揺さぶり、共感を呼ぶのです。
日本人が理解しにくい一神教の概念
「エクソシスト」を深く理解するためには、物語の背景にある一神教の概念を理解することが重要です。ところが日本には、古来より神道(八百万の神の文化)が根付いており、唯一絶対の神という概念は馴染みが薄いのです。
一神教において神は唯一の存在であり、全知全能の力を持つとされます。そのため悪魔は、神に敵対する絶対的な悪の存在として描かれます。映画の中でメリン神父やカラス神父が悪魔と対峙する姿は、一神教における善と悪の明確な対立構造を示しています。
悪魔祓い(エクソシズム)は一神教の信仰に基づいた儀式であり、神の力によって悪霊を追い出すことを目的としています。映画における悪魔祓いのシーンは単なる超自然現象の描写ではなく、一神教の世界観における信仰の深さと、悪に対する強い抵抗を示すものとして捉えることができます。
現代のホラー映画との比較
「エクソシスト」はその後のホラー映画に、多大な影響を与えました。悪魔や超自然的な存在を題材にしたホラー映画は「エクソシスト」以降、数多く製作されています。
しかし、「エクソシスト」が持つ圧倒的な恐怖演出と人間の心理に深く迫るドラマ性は、他のホラー映画と一線を画しています。現代のホラー映画が視覚的なショックやスプラッター描写に頼る傾向が強いのに対し、「エクソシスト」は人間の内面に潜む恐怖をじわじわと炙り出すような演出で、観客を精神的に追い詰めます。
信仰に篤いカラス神父の悲劇的な最期
カラス神父は、「エクソシスト」において重要な役割を担うキャラクターです。彼は精神科医としての顔を持ちながら信仰心も深く持ち合わせているという、複雑な背景を持っています。物語が進むにつれて彼はリーガンに取り憑いた悪魔と対峙し、自身の信仰と葛藤していきます。
揺らぐ信仰と母への想い
カラス神父は信仰に篤い人物であると同時に、現代的な知識や理性も持ち合わせています。悪魔に取り憑かれたとされるリーガンの症状に対し、当初は精神的な病である可能性も考慮し、医学的なアプローチを試みます。リーガンの状態が悪化していくにつれて、彼は悪魔の存在を強く意識せざるを得なくなります。
彼の信仰が揺らぐ大きな要因の一つに、病床に伏せる母親の存在があります。カラス神父は母親を深く愛しており、彼女の苦しみに対して無力であることを痛感しています。信仰の力で母親を救うことができないという葛藤は、彼の精神を蝕んでいきます。悪魔との対話の中で、悪魔はカラス神父の心の隙間、つまり母親への想いを巧みに利用し、彼の信仰を揺さぶろうとします。
悪魔との最後の対決
メリン神父と共にリーガンの悪魔祓いに臨んだカラス神父は、悪魔の強大な力に苦戦します。メリン神父が心臓発作で亡くなった後、カラス神父は一人で悪魔と対峙することになります。悪魔はカラス神父の罪悪感や弱さを突き、精神的に追い詰めていきます。
それでも最期にカラス神父は、信仰者としての強い意志を取り戻します。彼は悪魔が自分の中に移るように挑発し、悪魔がその挑発に乗った瞬間、窓から飛び降りて自らの命を絶ちます。
カラス神父の決断
カラス神父の決断は非常に悲劇的でありながら、いくつかの重要な意味合いを持っています。
自己犠牲の精神
彼はリーガンを救うためには自らの命を捨てるしかないと判断し、実行しました。これは信仰に基づく、究極の自己犠牲の精神を示すものです。
悪の根絶
悪魔をリーガンから自身に移すことで、リーガンを悪魔の支配から解放しました。彼のとった行動は、悪を根絶するための最後の手段だったと言えます。
信仰の再確認
葛藤の中で揺らいでいたカラス神父の信仰は、最後の瞬間に再び強固なものとなりました。彼は理性や科学では説明できない悪の存在を認め、信仰の力によってそれに立ち向かったのです。
カラス神父の最後は信仰の深さと人間の弱さ、そして悪の恐ろしさを同時に描き出しています。彼の悲劇的な結末は観客に深い衝撃を与え、映画のテーマを一層際立たせる重要な要素となっています。信仰に篤い人間でさえ、悪の力の前には苦悩し、時には命を懸けた行動を取らざるを得ない。この映画が持つ重いメッセージを、象徴していると言えるでしょう。
主演リンダ・ブレアのその後
悪魔に取り憑かれた少女リーガンを演じたリンダ・ブレアは、「エクソシスト」公開時、まだ10代の少女でした。鬼気迫る演技は世界中の観客に衝撃を与えます。彼女は一躍、スターダムにのし上がりました。
ところがその後の彼女のキャリアは、平坦でありません。「エクソシスト」のイメージが強すぎたため、他の役柄への挑戦は難航し、プライベートでは薬物問題なども抱え、苦難の時期を過ごします。
リンダ・ブレアは女優業を続けながら、動物愛護活動に力を入れるようになります。自身も動物好きであり、虐待された動物たちの保護や里親探しに積極的に関わっていきます。彼女のソーシャルメディアでは保護された動物たちの写真や情報が頻繁に発信されており、女優としてだけでなく、動物愛護家の活動が広く知られています。
「エクソシスト」という強烈な作品に出演したことは、彼女の人生に大きな影響を与えました。困難を乗り越え新たな道を歩んでいる彼女の姿は、多くの人々に勇気を与えています。
まとめ
映画「エクソシスト」は単なるホラー映画ではなく、人間の根源的な恐怖と普遍的なテーマを描いた作品です。その恐怖演出、音楽、そして背景にある一神教の概念を理解することで、より深く作品を味わうことができます。主演リンダ・ブレアのその後の人生を知ることで、この映画が単なるフィクションではなく、人々の人生に深く関わった作品であることも再認識させられます。ホラー映画の金字塔として、今後も語り継がれていくことでしょう。

小学6年生の夏、父親に連れられ銀座で観ました。当時の月刊誌「スクリーン」や「ロードショー」でセンセーショナルに喧伝され、上映中に自分も失神してしまうのではないかと、内心ビビりながらの鑑賞でした。その分、映画が終わった時の印象は、正直それほどでもなかったですね。子供には難解なテーマが含まれていたためでしょう。
この作品の深みは、齢を重ねるほど理解できるようになっていきます。真の名画たる所以ですね。
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