森進一さんのデビュー曲「女のためいき」は昭和41年に発売され、瞬く間に大ヒットしました。その哀愁漂う歌声は多くの人々の心を捉え、今なお歌い継がれています。この曲には森さんの原点ともいえる、様々な物語が秘められています。当時の歌謡界を彩った青江三奈さんとのレコードを通じた知られざる絆もまた、この曲を語る上で欠かせないエピソードです。さらに同時代の音楽関係者や歌手たちの証言からは、森さんの歌唱力の独自性が浮かび上がってきます。
森進一の10代の環境 貧困と歌への情熱が育んだ才能
森進一さんは、昭和22年に山梨県甲府市で生まれました。幼少の頃から歌が好きで、すでに10代のころ地元のキャバレーやダンスホールで歌っています。ある日、作曲家である猪俣公章さんの目に留まり、森さんは歌手を目指すことになったそうです。
森さんは、決して裕福とは言えない家庭環境で育ちました。父親は早くに亡くなり、母親は病弱で、生活は困窮していました。そのため森さんは中学卒業後、集団就職で上京し、働きながら歌手を目指したそうです。
昼は働き夜は歌うという生活を送る中にあっても、森さんは歌への情熱を燃やし続けました。キャバレーやダンスホールという大人の社交場での経験は、若き森さんの歌唱に人生の機微や情感といった深みを与えたのかもしれません。そのひたむきな姿勢が猪俣公章さんの心を動かし、デビューへの道が開かれたのです。
「女のためいき」誕生秘話 異例の抜擢と若き才能の開花
「女のためいき」は森進一さんのデビューシングルとして、昭和41年6月20日に発売されました。作詞は吉川静夫さん、作曲は猪俣公章さんが手掛けています。
もともとこの曲は、森さんのために作られたものではありません。他の歌手に提供する予定だった曲をたまたま森さんが歌ったところ、その歌声に感銘を受けた猪俣さんがデビュー曲として提供することにしたそうです。当時としては異例の抜擢であり、猪俣さんが森さんの歌声に特別な可能性を感じていたことの証左と言えるでしょう。
レコーディング当時、森さんはまだ18歳でした。その若さで大人の女性の心情を歌い上げるのは、至難の業だったに違いありません。森さんは持ち前の歌唱力と表現力で見事に歌いこなし、この曲を大ヒットに導きました。
当時の反響 歌謡界に衝撃を与えた異質な歌声
「女のためいき」は発売されると瞬く間にヒットチャートを駆け上がり、オリコンチャートで最高2位を記録します。日本レコード大賞新人賞を受賞し、森さんは一躍スターダムにのし上がりました。
この曲は当時の若者を中心に、多くの人々の心を捉えました。特に都会で孤独を感じている女性たちの共感を呼び、カラオケでも定番の曲になっていきます。
森さんの歌声はそれまでの歌謡曲にはない、独特の哀愁と情感を湛えています。かすれるような、それでいて力強いビブラートは聴く人の心を深く揺さぶり、従来の歌謡曲の概念を覆すような新鮮な衝撃を与えました。その異質な魅力が、社会現象といえるほどの反響を呼んだのです。
青江三奈との絆 共鳴し合う哀愁の歌声
森進一さんのデビュー当時、歌謡界には青江三奈さんという、同じく哀愁漂う歌声を持つ人気歌手がいました。青江さんの「恍惚のブルース」や「伊勢佐木町ブルース」は、大人の女性の心情を歌い上げ、多くの人々を魅了していました。
森さんと青江さんは同じレコード会社に所属し、同じ作曲家である猪俣公章さんの楽曲を歌っていたことから、レコードのカップリングで共演することが多くありました。
「女のためいき」と「恍惚のブルース」が同じレコードに収録されたこともあり、それぞれに異なる魅力を持つ哀愁の歌声は、多くの音楽ファンを魅了しました。
レコードを通じて交流を深めた二人は互いの歌声に共鳴し、尊敬の念を抱いていたそうです。森さんは青江さんの深みのある表現力とブルースフィーリング溢れる歌唱に深く感銘を受け、青江さんは森さんの若さの中に秘められた独特の情感と力強さに、可能性を感じていました。
二人の歌声は昭和歌謡の黄金時代を築き、多くの人々の心に深く刻まれました。
同時代の証言が語る森進一の歌唱力
森進一さんの独自性については、同時代の音楽関係者や歌手たちも多くの証言を残しています。
猪俣公章さんは森さんの歌声について、「初めて聴いた時、その独特のハスキーボイスと情感豊かな歌い方に衝撃を受けた。若いのに、人生の苦味のようなものを感じさせる歌声だった」と語っています。猪俣さんは森さんの歌声に単なる技術だけではない、人間的な深みを感じ取っていたのでしょう。
同じ時代に活躍した歌手には「森さんの歌は、心に直接語りかけてくるような力がある。あのビブラートは誰にも真似できない」と、その表現力と個性的な歌唱法を絶賛する声が多くあります。森さんの代名詞と言える深く揺れるビブラートは、他の歌手にはない独特の魅力として認識されていました。
音楽評論家の間でも、「森進一の登場は歌謡界に新しい風を吹き込んだ。それまでのどちらかというと技巧的な歌い方とは一線を画し、感情をむき出しにするような歌唱で聴く者の魂を揺さぶった」と評されるなど、従来の歌謡曲の枠を超えたものと捉えられていました。
森さんの歌声は単に上手いというだけでなく、聴く人の感情に深く訴えかける、唯一無二の力を持っています。天賦の才に加え、貧しい家庭環境や若い頃から夜の世界で歌ってきた経験が、深みと説得力を与えたのかもしれません。
度重なる私生活の不幸
時代を超えて歌い継がれる名曲 二人の歌声が紡ぐ昭和歌謡の魂
「女のためいき」は発売から50年以上経った今でも、多くの歌手にカバーされ、歌い継がれています。森さんの魂を込めた歌声は時代を超えて、人々の心に響き続けているのです。
この曲は森進一さんの原点であり、日本の歌謡史に残る名曲です。そして青江三奈さんとのレコードを通じた交流は、昭和歌謡の黄金時代を象徴するエピソードとして、今もなお語り継がれています。
森進一さんの唯一無二の歌唱力と、青江三奈さんとの間に育まれた音楽を通じた深い絆。二人の歌声は昭和という時代を鮮やかに描き出し、人々の記憶の中に生き続けています。歌声が紡ぐ昭和歌謡の魂はこれからも多くの人々の心を捉え、歌い継がれていくことでしょう。

森進一の歌に魂ごと持って行かれたのは、ジャズを本格的に聴き始めた20代です。中古レコード店でみつけた古賀政男生誕100年記念アルバム「影を慕いて」に針を落とした時の衝撃。人間の声とはこんなにも奥深いところから響いてくるのかと、その存在感に圧倒されました。森進一はレコーディング当時、まだ10代だったのです。
森進一は今でも、私の知るボーカリスト中、5本の指に入る歌い手です。日本のみならず世界は、森進一の存在こそ知るべきです。
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