1968年の音響革命:ベリオ『シンフォニア』が解体したマーラーと世界の記憶

クラシック音楽

1968年。世界中で学生たちが石を投げ、ベトナムでは戦争が続き、4月にはひとりの牧師が銃弾に倒れました。その年の秋、ニューヨークのコンサートホールで、オーケストラと8人の増幅された歌声が絡み合う、それまで誰も聴いたことのない音楽が鳴り響きます。ルチアーノ・ベリオの『シンフォニア』です。

「現代音楽って、難しそう」
ええ、わかります。でもご安心ください。この曲はむしろ音楽史の巨大なテーマパークのような作品です。マーラーのアトラクションを通り抜けると、隣ではドビュッシーの海が波打ち、その向こうでストラヴィンスキーが跳ね回っている。今回は入場ゲートから順路に沿って、たっぷりご案内いたします。

第一章(プロローグ):音のモザイク空間へようこそ

1968年、音楽が「同時に鳴りはじめた」年

『シンフォニア』は、ニューヨーク・フィルハーモニックの創立125周年記念の委嘱作品として書かれ、1968年10月にベリオ自身の指揮、ニューヨーク・フィルとスウィングル・シンガーズによって初演されました。楽譜はレナード・バーンスタインに献呈されています。演奏時間はおよそ35分。当時の「前衛音楽」としては破格の大編成で、しかも大成功を収めた稀有な例です。

この年は、音楽史の年表を眺めるだけでも異様な密度を持っています。パリでは五月革命、アメリカではキング牧師とロバート・ケネディの暗殺、チェコではプラハの春とその蹂躙。
同時に、キューブリックの映画『2001年宇宙の旅』が公開され、リゲティの音響が全世界の映画館を満たしました。
「バラバラになった世界の断片を、どう並べ直すか」
これが1968年の芸術家に共通した問いだったのです。

「シンフォニア」という題名にひそむ仕掛け

まず誤解を解いておきましょう。この作品は「交響曲(Symphony)」ではありません。ベリオはイタリア語の Sinfonia を、語源どおりの意味 —ギリシャ語で「共に響くこと(sym-phonia)」— として用いていると説明しています。ベートーヴェンやブラームスのような「主題を発展させる建築物」ではなく、「複数のものが同時に鳴っている状態」そのものが主題なのです。

全体は5楽章(初演時は4楽章。詳しくは第四章で)。ざっくりした地図はこうなります。

  • 第1楽章:人類学者クロード・レヴィ=ストロース『生のものと火を通したもの』から採られた、ブラジル先住民の神話断片(水の起源をめぐる物語)が、声の断片としてばらまかれる。
  • 第2楽章「O King」:マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師への追悼。名前の母音が楽器と溶け合う。
  • 第3楽章:マーラー『復活』第3楽章を土台に、音楽史全体を重ね書きした伝説の楽章。
  • 第4楽章:短い残響のような楽章。第2楽章の記憶がよみがえる。
  • 第5楽章:これまでの全楽章を読み返し、組み直す「総括」。

飛び道具としてのスウィングル・シンガーズ

『シンフォニア』最大の衝撃は、オーケストラに8人の増幅された声が混ざることです。しかも起用されたのはクラシックの合唱団ではなく、ワード・スウィングルが1962年にパリで結成したスウィングル・シンガーズ。バッハをスキャットで歌うアルバムで世界的にヒットした、いわばジャズ寄りのヴォーカル・グループでした。

彼らはマイクを通して歌い、囁き、語り、笑い、単語の切れ端を投げ合います。音量で張り合う必要がないため、「オーケストラの中で声が小声のまま存在できる」という新しい音響が生まれました。これは電気的増幅なしには絶対に成立しません。『シンフォニア』は、テクノロジーが音楽の詩学を変えた瞬間の記録でもあるのです。

同じ年の兄弟作:シュトックハウゼン『シュティムング』

ここでぜひ、並べて聴いていただきたい1968年の作品があります。カールハインツ・シュトックハウゼンの『シュティムング(Stimmung)』。6人の歌手のための作品で、同年12月にパリで初演されました。

ドイツ語の Stimmung には「調律」「雰囲気・気分」という二つの意味があり、作品はまさにその両方を体現します。
歌手たちは円になって座り、たったひとつの低い和音(倍音列)の上で、倍音唱法(オーバートーン・シンギング)によって声の中に潜む音を取り出していきます。約70分間、爆発もクライマックスもなく、ただ声が響きの結晶へと変わっていく。瞑想的で、同時にきわめて肉体的な体験です。

面白いのは『シンフォニア』と『シュティムング』が同じ年に、真逆の方向から「声」に挑んでいることです。ベリオは声を無数の意味の断片へと拡散させ、シュトックハウゼンは声を一つの純粋な響きへと収束させた。1968年の声楽は、この両極の間に張られた一枚の膜のようなものでした。

第二章:マーラーを解体する!第3楽章の極上コラージュ

まず原曲を知る:マーラー『復活』第3楽章

『シンフォニア』の心臓部は第3楽章です。ここでベリオは、グスタフ・マーラーの交響曲第2番『復活』の第3楽章(スケルツォ、ハ短調)を、ほぼ全体にわたって「下敷き」として敷き込みました。

マーラーのこの楽章は、彼自身の歌曲集『子供の不思議な角笛』の一曲『パドヴァの聖アントニウスの魚への説教』を器楽化したものです。歌の内容は痛烈な皮肉です。教会に人が来ないので、聖アントニウスは川へ行って魚に説教する。魚たちは大喜びで聴き入るのですが、説教が終わるとウナギは相変わらず淫らに、カマスは相変わらず貪欲に、元の生活に戻ってしまう。「説教は素晴らしかった。でも誰も変わらない」。中世の説話に由来する、身に覚えのありすぎる話です。

マーラー自身はこの音楽の感覚を「明るく照らされた舞踏場を、外の暗闇から窓越しに眺めるようなもの」と語ったとされます。音楽は聞こえず、人々がぐるぐる回っているのだけが見える。生の営みが無意味な渦のように見えてしまう瞬間 — この「めまい」の感覚こそ、ベリオが受け継いだものです。

ベケット『名づけえぬもの』—「続けなければならない」

第3楽章で歌われる主要なテクストは、サミュエル・ベケットの小説『名づけえぬもの』(1953)です。語り手が誰なのかも、どこにいるのかもわからないまま、ただ喋り続けるしかないという悪夢のような作品。有名な結びの言葉が、この楽章の隠れたモットーになっています。

続けなければならない。私は続けられない。私は続けるだろう。
(The Unnamable の結語より、趣意)

マーラーの音楽は、途切れそうになりながら流れ続けます。声は「keep going(続けろ)」と繰り返します。魚に説教する聖人の空しさと、語ることをやめられない語り手の強迫が、ここで重ね合わされるのです。さらに1968年のパリの街頭に書かれた落書きスローガン、演奏者たちの名前、日常の会話の断片、音名の読み上げまでもが混ざり込みます。テクスト自体がコラージュなのです。

引用のカタログ:どこに誰がいるのか

そしてもちろん、音楽の引用。マーラーという「川」の上に、次のような音楽が浮かんでは消えます(研究者たちによって同定されている主なものです)。

  • J.S.バッハ、ブラームス『交響曲第4番』、ベルリオーズ『幻想交響曲』
  • ドビュッシー『海』、ラヴェル『ラ・ヴァルス』、R.シュトラウス『ばらの騎士』
  • シェーンベルク、ベルク『ヴォツェック』
  • ストラヴィンスキー『春の祭典』『アゴン』
  • ブーレーズ、シュトックハウゼン、そしてベリオ自身の作品

ここで大事なのは、これが「音楽史クイズ」ではないということ。ベリオは第3楽章について、マーラーのスケルツォを「膨大な引用が増殖していく容器」として扱ったと述べ、絶えず変化する風景を貫いて流れる「川」のイメージを語っています。引用が主役なのではなく、引用が次々に現れては溶けていく「記憶の流れ」そのものが音楽なのです。

初めて聴くときは、名前を当てようとしなくて大丈夫です。「あ、いま知っている顔が通り過ぎた」という感覚だけで十分。むしろそのぼんやりした既視感こそ、ベリオが狙った効果です。

比較編:ツィンマーマンの「引用の音楽」

コラージュ技法を語るなら、ドイツの作曲家ベルント・アロイス・ツィンマーマン(1918–1970)を外せません。彼は「時間の球体形(Kugelgestalt der Zeit)」— 過去・現在・未来は直線ではなく球のように同時に存在するという思想を掲げ、あらゆる時代の音楽を同時に鳴らそうとしました。

歌劇『兵士たち』(1965年ケルン初演)は、J.M.R.レンツの戯曲に基づく大作。複数の場面を舞台上で同時進行させ、バッハのコラールから軍隊行進曲、ジャズまでが層をなして押し寄せます。演奏至難な作品として長く「上演不可能」と噂されました。

『若い詩人のためのレクイエム』(1969年デュッセルドルフ初演)はさらに過激です。20世紀の詩人たちの言葉、政治家の演説の録音、ビートルズの「ヘイ・ジュード」、ワーグナーやベートーヴェンの引用が、テープと大編成の生演奏で重ねられます。

ベリオが「音楽の記憶」を詩的に流したのに対し、ツィンマーマンは「20世紀という時代そのものの記憶」を documentary のように積み上げた。この対比は非常にスリリングです。両者を続けて聴くと、1960年代末の「引用の音楽」の振れ幅がよくわかります。

第三章:言葉と響きの実験室(キング牧師へのオマージュ)

1968年4月4日の後に書かれた音楽

第2楽章「O King」は、『シンフォニア』のなかでもっとも静かで、もっとも胸を打つ部分です。マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師に捧げられた追悼の音楽。

この楽章にはもとになった室内楽版があります。ベリオは1967年に、メゾソプラノと5つの楽器のための「O King」を書き、翌1968年にそれを8声とオーケストラのために書き直して『シンフォニア』に組み込みました。キング牧師が暗殺されたのは1968年4月4日。もともと存在していた音楽が、事件によって追悼の意味を帯びていったという経緯自体が、「記憶」をテーマとするこの作品にふさわしく感じられます。

母音を解体し、最後に名前が現れる

「O King」の仕掛けは驚くほどシンプルで、驚くほど詩的です。歌手たちは最初、意味をなさない母音だけを引き延ばして歌います。o — i — ɛ — u —。楽器はその母音の色に寄り添い、声と楽器の区別が曖昧になっていきます。子音が少しずつ加わり音節がかたまりはじめ、そして楽章の終わり近くで、ようやくそれらが一つに結晶します。

O Martin Luther King

つまりこの楽章は、ひとつの名前が発音されるまでの長い長いプロセスなのです。音のかけらが集まって名前になる。それは失われた人の記憶が少しずつ形をとって立ち上がってくる過程そのものに聞こえます。「難解な現代音楽の技法」が、これほど直接的に感情に届く例はそう多くありません。

ルーツをたどる①:『テーマ(オマージュ・ア・ジョイス)』1958

この「言葉を音に分解する」手法は、突然生まれたわけではありません。ベリオは1955年、ブルーノ・マデルナとともにミラノのRAI(イタリア放送協会)に音響音楽スタジオ(Studio di Fonologia Musicale)を設立し、電子音楽の実験を重ねていました。

その成果のひとつが『テーマ(オマージュ・ア・ジョイス)』(1958)です。素材は歌手キャシー・バーベリアン(当時のベリオの妻)が朗読した、ジェイムズ・ジョイス『ユリシーズ』の「セイレーン」章の冒頭。
ジョイスはこの章を音楽的な擬音の連なりとして書いていますが、ベリオはその朗読テープを切り、貼り、重ね、加工して、「言葉が音楽に変わる瞬間」を実験室で再現しました。テクストの意味は徐々に溶けて、純粋な音のテクスチュアになっていく。「O King」の逆再生のような作品です。

ルーツをたどる②:『サークルズ』1960

もうひとつの重要作が『サークルズ(Circles)』(1960)。女声、ハープ、2人の打楽器奏者のための作品で、テクストはアメリカの詩人E・E・カミングス。カミングスは単語を分解し、括弧やスペースで視覚的に遊ぶ詩人ですから、これはもう相性が良すぎる組み合わせです。

歌手は舞台上を移動し、声は打楽器の響きに近づき、打楽器は言葉の子音を模倣します。「歌手」と「奏者」、「言葉」と「音」の境界が円環的に往復する — タイトルの『サークルズ』はそういう意味です。
ベリオはこの時期、キャシー・バーベリアンという桁外れの表現力を持つ歌手と出会うことで、声を「楽器」として、そして「劇場」として扱う語法を手に入れました。1965年頃の『セクエンツァIII』(女声のための)まで含めて聴くと、『シンフォニア』の声の扱いが一本の線として見えてきます。

「わからない言葉」を怖がらなくていい理由

『シンフォニア』の声は、ほとんど「聞き取れません」。フランス語、英語、意味をなさない音節が同時に飛び交うのですから当然です。しかしベリオは、聴き手が全部を理解することを前提にしていません。彼にとって言葉は「意味を運ぶ道具」であると同時に、「響きを持つ物体」でした。

喫茶店で隣の席の会話が断片的に耳に入ってくる、あの感じを思い出してください。単語がいくつか聞こえ、勝手に物語を想像してしまう。『シンフォニア』の声のレイヤーは、まさにあの体験を音楽の高さまで引き上げたものなのです。

第四章(エピローグ):過去と未来が交差する音楽の記憶

なぜ第5楽章が追加されたのか

『シンフォニア』は1968年の初演時、4楽章の作品でした。ところがベリオはその後、1969年に第5楽章を書き加え、翌1970年に全5楽章版が演奏されて、現在知られる形になったとされています。

なぜ足したのか。理由はこの作品の構造を考えると、よく見えてきます。4楽章版では、巨大な第3楽章(マーラー+音楽史の大洪水)のあとに短い第4楽章が来て終わる、という形でした。つまり第3楽章が重すぎて、作品全体が前傾姿勢のまま終わってしまう。

追加された第5楽章はそれまでの4つの楽章の素材を回収し、読み直し、組み替えます。
第1楽章のレヴィ=ストロース由来の神話の断片が戻り、「O King」の母音が漂い、第3楽章の残響がよぎる。
結末というより「索引」あるいは「記憶の反芻」。ここで『シンフォニア』は単なるコラージュ作品から、「自分自身を思い出す音楽」へと変貌したのです。

『シンフォニア』の本当のテーマ=「音楽の記憶」

整理しましょう。この作品を貫くキーワードは「記憶」です。

  • 第1楽章:人類の記憶(神話)
  • 第2楽章:ひとりの人間の記憶(追悼)
  • 第3楽章:音楽の記憶(引用の川)
  • 第4楽章:記憶の残響
  • 第5楽章:この作品自身の記憶(自己言及)

「引用だらけでオリジナリティがないのでは?」という疑問には、こう答えられます。新しい素材を作ることではなく、すでにある膨大な音楽を「どう聴くか」を作ること — それがベリオの創造でした。私たちが音楽を聴くとき、頭の中では常に過去に聴いた無数の音楽が反響しています。『シンフォニア』はその聴取のプロセスそのものを楽譜にした作品なのです。

もうひとつの1968年:リゲティ『アトモスフェール』

最後にご紹介するのは、ジェルジ・リゲティの『アトモスフェール(Atmosphères)』(1961)。大オーケストラのための約9分の作品で、1961年10月にドナウエッシンゲン音楽祭でハンス・ロスバウトの指揮により初演されました。

この曲には、いわゆるメロディーもリズムも和音進行もありません。あるのは「トーン・クラスター(音の塊)」だけ。数十のパートがごくわずかにずれた音を持続し、その内部でゆっくりと動くことで、輪郭のない巨大な音の雲が生まれます。リゲティはこの技法を「ミクロポリフォニー」と呼びました。個々の線は聴き取れず、全体の色と密度だけが変化していく。顕微鏡で見ると無数の細胞が動いているのに、肉眼では雲にしか見えない、あの感覚です。

そして1968年、この音楽は思わぬ形で全世界に届きます。スタンリー・キューブリックが『2001年宇宙の旅』で、リゲティの作品を(当初は正式な合意なく)使用したのです。あのモノリスの場面の、名状しがたい畏怖の響き。1968年、ベリオは音楽の記憶を、リゲティは音楽の「外」の宇宙を鳴らしていたわけです。

おすすめの聴く順路(初心者向けプレイリスト)

  1. マーラー『復活』第3楽章(約10分)——まず原曲を1回。
  2. ベリオ『シンフォニア』第2楽章「O King」(約5分)——名前が結晶する瞬間を体験。
  3. ベリオ『シンフォニア』第3楽章(約12分)——1回目は何も追わず、ただ流れに乗る。
  4. リゲティ『アトモスフェール』(約9分)——耳をリセットして「音の塊」へ。
  5. 『シンフォニア』全曲(約35分)——ここでようやく通して。第5楽章の「思い出し」が効きます。
  6. 余力があれば シュトックハウゼン『シュティムング』とツィンマーマンへ。沼です。

録音を選ぶときのヒント

『シンフォニア』は、①声の言葉がどれだけ聞き取れるか、②オーケストラと声のバランス(=ミキシング)、この2点で印象が大きく変わります。歴史的な意義ではベリオ自身の指揮によるニューヨーク・フィルとスウィングル・シンガーズの録音が外せません。
声の明晰さと録音の鮮明さを求めるなら、リッカルド・シャイー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管とエレクトリック・フェニックスによる録音(Decca)、ピエール・ブーレーズ指揮フランス国立管とニュー・スウィングル・シンガーズによる録音(Erato)などが定評あるところです。
まずは言葉が聞き取りやすい新しめの録音から入るのが安全で、そのあと初演メンバーの録音に戻ると、あの1968年の熱気に驚かされます。

結び:地図を持たずに迷子になる自由

『シンフォニア』は、引用の出典を全部言い当てられなくても、まったく問題なく楽しめる作品です。むしろ知らない街を地図なしで歩いて、ふと聞き覚えのある音楽が窓から漏れてくる、あの感覚こそがこの曲の醍醐味でしょう。

そして次にマーラーの『復活』を聴くとき、あなたの耳にはきっとベケットの「続けなければならない」が薄く重なって聞こえるはずです。ベリオは私たちの「聴き方」そのものを書き換えてしまいました。1968年の作品が半世紀以上を経てなお新しいのは、そのためです。

出典・参考文献

  • David Osmond-Smith, Playing on Words: A Guide to Luciano Berio’s “Sinfonia”(Royal Musical Association, 1985)
  • Luciano Berio, Two Interviews(with Rossana Dalmonte and Bálint András Varga, ed./trans. David Osmond-Smith, Marion Boyars)
  • ルチアーノ・ベリオ『シンフォニア』楽譜および出版社作品解説(Universal Edition)
  • Centro Studi Luciano Berio 公式サイト 作品カタログおよび作曲家自身のプログラム・ノート
  • Grove Music Online(Oxford Music Online)「Berio, Luciano」「Stockhausen, Karlheinz」「Ligeti, György」「Zimmermann, Bernd Alois」各項目
  • Karlheinz Stockhausen, Stimmung 楽譜およびシュトックハウゼン出版(Stockhausen-Verlag)作品解説
  • グスタフ・マーラー『交響曲第2番』および歌曲集『子供の不思議な角笛』(「パドヴァの聖アントニウスの魚への説教」)関連資料、マーラー書簡集
  • Samuel Beckett, L’Innommable / The Unnamable(1953)
  • Claude Lévi-Strauss, Le Cru et le cuit(1964)
  • Bernd Alois Zimmermann, Die Soldaten / Requiem für einen jungen Dichter 出版社作品資料(Schott Music)
  • György Ligeti, Atmosphères 楽譜および出版社作品解説(Universal Edition)
  • 各種CDライナーノーツ(Columbia/Sony、Decca、Erato ほか『シンフォニア』録音)

※作品の成立年・初演年など数値情報は上記の出版社資料および辞典項目に基づいて記載しています。第5楽章の追加および全5楽章版の初演をめぐる経緯については、資料によって記述に若干の幅があります。

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